07 - 故郷
メイドに手を引かれて着いた先は、バルコニーだった。
風通しのよい手すりにもたれながら、ゆっくりと陽の光に身体を預ける少年。
身を楽にする少年へ、メイドは問いかける。
「……晴れました?」
「晴れてますよ」
「気分のことですわ。詰めすぎじゃないかって、そう想えます」
メイドの言葉には応えず、少年は手すりへと背中をもたせかける。
心地よい風が、少年の身体を抜けてゆく。
「……晴れすぎなくらいです」
視線は空へ、遠い遠い真っ青な空へと向けられる。
「ここは良い場所ですよ。サボるにはもってこい」
確かに、気分転換には最適の場所かもしれない、と少年は感じる。
日当たり、風通し、確かにとても心地よかった。身体と心をまぎらわせるには、確かに絶好の環境だとも想える。サボりという表現には、ちょっと抵抗感を感じる少年だったが。
気分がまぎれたからなのか、ふっと、メイドに前から聞きたかったことを想いだして、少年は口を開いた。
「キミは、いつからこの屋敷にいるんだい?」
「あなたがわたしを視た時からですよ」
「……なんの謎かけだい?」
「あなたの瞳がわたしを造る。わたしはあなたがいるから、ここにいる。そういう舞台配置ですのよ」
「……いつも以上に、意味がわからないよ」
少年のあきれ顔に満足したのか、くすりと笑みをこぼした後、メイドはさっぱりとした口調で答えを返す。
「同じ日ですわ」
「おなじ、日?」
「あなたの雇われた日の、ほんの数時間前」
メイドの返答に、少年は驚きを隠せない。
「――なん、だって?」
「実は先輩とも呼べないほどの時間しかいなかったりします。だから、あなたがわたしを視た時から、ってこと、間違いではないんですのよ」
メイドの返答を聞いて、少年はため息をはく。
今までさんざんに年上や先輩の威厳を振りかざしておきながら、実際の就業期間は、少年と変わらなかったわけだ。
「それはまた、だまされた」
「でも、わたしのほうが仕事は上。それは認めることでしょ?」
メイドの言葉は、確かに否定できなかった。
少年自身の素質は別としても、メイドの指導があればこそ、こんなにも早く屋敷の仕事になれることができた。少年にも、それはわかっていた。
うなずきながら、少年はメイドの表情をうかがう。どこか、彼女の様子を探るような面もちで。
――姉に逆らえない弟の心境とは、こんな感じなのだろうか。
悔しいことだが、メイドの表情はまさに、少年の葛藤を楽しんでいるようにも見えた。
視線を外して、少年はまた空を見上げる。
すると、新しい疑問が浮かんだ。
「じゃあ……なんでだ?」
「なにが?」
「そんなキミを、どうして、僕につかせたんだ?」
不自然だった、と少年には想えた。
少年の今の仕事を考えれば、この屋敷に長年仕えている者のほうが適任だと想われたからだ。
屋敷の構造、仕事の流れ、紳士の生活習慣、そして人形の世話――。
いかにメイドの仕事の腕が良かろうと、これら全ての屋敷の慣習をすぐに読み取ることは不可能だ。――不可能なはず、なのだが。
「……そう、おかしいはずだ?」
メイドは、初めからそれらを全てこなしていた。
少年の瞳は、少なくてもそう見えた。
「なぜだ?」
少年の問いかけに、メイドはすぐに口を開くことはしなかった。
口元に手を当て、バルコニーから彼方を見つめるメイドの姿――それは、言おうか言わずか迷っていると言うよりは、言葉を選んでいるようにも見えた。
少しして、メイドは口を開く。
「わたしがこの屋敷の仕事をすんなりできるのは、おそらくですけれど。前のお屋敷のご主人様が、今の主様と、とても似ている方だったから」
そこまで言って、また口を閉じ。
「――まぁ、フラレてしまったわけですけれどね」
少しばかりの自嘲らしき笑いをこめながら、メイドは少年への答えを告げた。
「ふられた?」
「ええ。わたしは……初めてでは、ありませんわ」
そのメイドの言葉に、少年は軽いショックを覚える。
無論、彼女ほどの年ならば、そうした経験があってもおかしくはないのだが。
動揺を感じながらも、少年は言葉を必死に考える。
――その動揺を、なぜか、彼女には悟られたくなかった。
「……けど、よかったじゃないか」
メイドの言葉を信じるとすれば、この屋敷で働けているだけでも奇跡的なはずだ。
階層を隔てた恋愛劇など、虚構の物語以外で受け入れられないことはほとんどない。現実の社会とはそうしたものだ。
そうね、とメイドは他人事のように軽くうなずく。
「わたしのようなキズモノをとるほどに、酔狂な方の考えはわかりませんけれど……感謝は、していますわ」
メイドの言葉から、少年は会話の流れをうまく見つけられず、無言の時間が続いた。
その間、少年はさっきまでと同じように、ずっと空を視ていた。
――三者三様、皆、あの紳士の下にある。
少年はそんな事実を、空を見上げながらぼんやりと考えた。
メイドの視線は、地上へと向かっている。
バルコニーから見下ろす、屋敷の中庭と景観。
これほどの屋敷なら、それはさぞかし、絶景とも呼べるものだろう。あの人形と出会った中庭も、ここからなら見えるはずだった。
――不思議と少年は、あまり、そのイメージを想い出すことができない。
今もそうだし、先ほども視たはずなのに。
このバルコニーから見下ろす、外の世界を含んだ屋敷の景観に、少年はどこか曖昧なイメージしか持つことができなかった。
「ねえ、あの外には何があると想う?」
「外って、屋敷の外かい?」
メイドが屋敷の外へと問いかけるように声を発する。
だが、彼女が示すものに、少年は瞳を向けることはしなかった。
少年は、なぜか、背中にあるであろう風景に、不思議と違和感を感じたからだ。
――背中で彼女が見ている風景が、本当にこの屋敷のものなのだろうか、などと不安を感じてしまうような。
だから、彼は空を見ていた。視線を外さずに、ただ外せずに。
少年の胸中を知ってか知らずか、メイドは耳に手をそえ、眼を閉じる。
「そう。ほら、聞こえるでしょ」
「……?」
耳を澄ますような仕草のメイドの言葉に、しかし少年は怪訝な顔を浮かべる。
彼の耳には、先ほどまで感じていた以上の音は、なにも増えていないからだった。
反応がないことを汲んで、メイドは微笑みながら答えた。
「馬車の音よ。迎えに来ているのね、誰かを」
言われ、少年は集中して耳を澄ます。
すると、確かに、かすかにだが――聞こえる。
ひづめの音、ムチの音、人の乗り込む音。確かに、それは馬車が運行する音だった。
「……」
だが、と少年は怪訝に感じる。
――この時間、この屋敷にやってくる馬車などあっただろうか?
今日は、確か客人も訪れていない日。また、紳士が屋敷を離れる予定もない日だ。もしそうであるならば、少年やメイドがこんな場所で暇つぶしをしていられるはずがない。
――では、いったい誰が?
無論、街中の馬車の音であるはずもない。街中へ通ずる街道での音でもない。――むしろそんな場所の音が、このバルコニーで聞こえるはずがない。
疑問にとらわれる少年へ、メイドは言葉を続ける。
「わたし、帰ろうと想うのよ。今じゃなくても」
唐突な物言いに、少年は、どう言葉を返すべきか迷う。
「どこへ?」
返せたのは、そんな最小限の言葉。
ただ、メイドが求めていた返答もそれだったようだ。
用意されていた答えのように、彼女は言葉をするりと吐き出した。
「はじまりの場所、よ」
――はじまりの場所。
その言葉とともに、少年の耳に蹄鉄の音が、嫌に鈍く響く。
――まるで地の底から伝わるような響きに、全身で薄気味悪さを感じた。
「……故郷、ってことかい?」
その薄気味悪さを払拭するように、『はじまりの場所』の意味をそうとらえて言う。
少年の問いかけに、メイドは別の問いかけを返した。
「そこへ……一緒に帰らない? わたしと一緒に」
あの馬車に乗って、と誘うメイドの声。
少年は、そのどこか奇妙な問いかけ――あの馬車に乗る、という意味がまずわからない――に、いつものメイドらしいからかいを感じようとした。
だが、何気なく視てしまった彼女の横顔に、その予測は裏切られることとなった。
メイドの表情は、どこか、少年と同じ年くらいの少女のような、淡い瑞々しさに溢れていて。
――それは、想像の中の人形のイメージと、どうしてか少しだけ重なってしまって。
「……意味が、わからないよ」
だからこそ少年は、メイドの優しい誘いにも、明確な答えを返すことはできなかった。
――どうして彼女が自分に対してここまで優しいのか、今の今まで見つけることができないから、受け取るわけにはいかなかった。
「――だから、よ」
「……え?」
ふっと、メイドの身体が動き。
少年の背中を手すりから奪い、代わりに、自分の身体を覆い被せた。
「えっ、なっ……」
動揺する少年に、メイドはゆっくりと、甘い言葉をささやく。
「可愛いのだもの、純粋で、まっすぐで、そうであることを求めてる――だから、ここに来てしまう」
「――?」
「あなたは、まるで――人形のよう」
そう呟いたメイドの言葉に、少年は、冷たい自身の身体を理解した。
――こうした暖かみが煩わしい自分に、人としての冷たさを感じた。
「だから、探してほしいの。……あなたが人であるうちに」
ゆっくり、メイドの身体が少年から離れる。
背中に、彼女の温もりがほんのりと残る。
どこか重い、人間の想いとともに。
「戻りましょうか。そろそろ、次の仕事にとりかからないとね」
「……そうだね」
少年は頷きながら、メイドとともにバルコニーを後にした。
――背後から聞こえる馬車の音が、遠くなってゆくのがわかった。




