13 - 同化
時は、無慈悲に過ぎてゆく。
平和な日々。穏やかな時。
屋敷にも平穏が戻り、滅多に人が訪れることはなくなっていた。まれに、政治や貴族の関係者が、少年の元へ挨拶や相談に訪れるくらいだ。
日々を過ごせば、少年も、『人形』も、少しずつ姿を変えてゆく。
人形は欠損を復元され、本来の姿を取り戻した。
より明るく、活発に、活動的に。そして、年月の経過が彼女の姿を変えることはない。
人間よりも人間らしい、しかし妖精のような幻想性を持った、理想の形。
『人形』は、少女という姿を永遠に閉じこめた、一つの理想として現れていた。
そして彼女と同様に、少年もその姿を変えていた。
だが、少年の事情は、『人形』とは異なっていた。
人間関係という束縛や、社会との軋轢、時間とともに成長する身体。
そして、毒殺という黒い陰。
種々様々な出来事は、少年の身と心に、嫌でもシワの数を増やしていった。
――そんな時間が経過した、ある日のこと。
「……今日で、終わるか」
身の回りの整理をしながら、少年は紳士の所持品などを片付けていた。
しばらく誰も立ち入ることのなかった部屋は、しかし驚くほど静かな美しさを保っていた。
少しずつ彼の足跡を、遺品から辿る。そんな行為をしながら、苦笑する。まるで、犯行現場に戻る犯人のような自分の態度に。
初めの内は、仕事に関わらない紳士のプライベートな資料に手をつけることはなかった。罪の意識、などといったものが、少年にあったのかもしれない。
時の経過は、感覚を風化させてゆく。次第に少年も、紳士の足跡を追う心境になっていた。
――なぜ彼は、『人形』にあの形を求めたのだろうか?
疑問の答えを探しつつ、遺品の整理にあたっていた、そんな時。
ふと、少年はその遺品の中に、あるものを見つける。
古びた茶皮の手帳。開いてみれば、そこには人名や地名や出来事、日付などが順序立てて記されていた。
内容を見るに、それは日記のようだった。紳士がとりまとめていたであろう、日々の回想。意識の断片。
――彼は人形のことを、本当はどう思っていたのだろうか。
好奇心には勝てず、少年はその日誌のページをめくる。どうせ、その日誌を綴る人間は、もういないのだから。
「……?」
だが、ページをめくる度に、少年の動機が早くなってゆく。眼に飛び込んでくる単語の数々が、その原因だった。
まるで一つの物語のように、順序立てて並べられた出来事の数々に――見覚えのある言葉が、次々と現れてきたからだった。
『奴隷』。
『売買』。
『包帯』。
『鎖』。
『貴族』。
『執事』。
『メイド』。
『天使』。
『憧れ』。
『幻想』。
『完全』。
『不完全』。
『恋』。
『人形』。
そして――『毒殺』。
「なん、だ……って?」
震える指先でページをめくり、それらの文字列を必死に眼で追う。
文字の形は、認識できる。
イメージはでき、理解も出来るのに、だが、納得して受けとめることができない。
理由はただ一つ。
この日記が、紳士のものだから。
だが、そこに記された内容は――少年がこの館で過ごした時間と、まるで同じものだったからだ。
少年は日記をつけたことなど、ただの一度もない。なのに、この日記の中身は――少年が屋敷に来てからの日々と、うり二つの内容が記録されている。
そんな馬鹿なことが、起こりうるはずがない。
だが、なら、この手の中にあるモノは――いったい、なんなのだ?
凝視しても、内容は変わらない。別の意味をとりようもないほど、そこに記された簡潔な文章は、ただ一つのものだけを表していた。
そう、変わらない。
少年が憧れていた、完全たる『人形』に対する想いですら。
それが意味するのは、ただ一つ。そう、想いこむしかなかった。
――かつてもあったのだ、『人形』の引き継ぎが。
少年はその日記を手元にしまい込み、足早に部屋を後にした。
――その事実を受け止めるには、この部屋は都合が悪すぎた。
紳士の部屋の片付けは、その後手早く済ませた。
一部の記録は少年の自室へと移動させた後、残りは全て廃棄した。残した資料も、他の者が調べられないよう、厳重に管理した。
少年は紳士の跡を継ぎながら、彼と人形の過去を、残された資料から調べ始めた。
そしてその結果に得たものは、懊悩とため息という、喜ばしくない結果だった。
変わらない結論に、出口を見いだせなくなった時だった。
「……ぁ?」
答えを求めて問いかけていた相手が、かつていたことを想いだす。
優しくからかいながら、彼女は少年の言葉に耳を傾けてくれた。
久しく忘れていた彼女の名前を、そっと、呼びかける。
「――、いないのかい?」
か細い声で呼んだ彼女は……もちろん、現れることはなかった。
当然だ。その名前の人物は、すでにこの屋敷から消えて久しい。
幼い日に問いかけた、年上のメイドの姿はもうない。名を呼べど、姿を現すことは、もうないのだ。
彼女は何年も前に、少年の前から姿を消した。
文字通り、なんの連絡もなく、その姿を消してしまったのだ。
捜索も行ったが、なんの情報も得られなかった。もちろん、訳ありの彼女の素性など、館内の誰一人として知るものはなかった。
姿を想い出しながら、もう一度呟く。
呟けば、どんな些細なことにでも、彼女は手をさしのべてくれた。そんな記憶だけが、おぼろげに脳裏をくすぐっている。
――代わりに聞こえてきた声は、少年が望んで手に入れた理想の形。
「どうしました? 誰かをお探しですか」
微笑みながら――あの当時とは、比べものにならないほどの無邪気な笑顔で――語りかける『人形』に、少年は不思議な郷愁を感じる。
かつて、そうして微笑んでいたのは『人形』ではなく、人間としてのメイドの姿であり――
「――なんでも、ないよ」
混ざる笑顔の記憶に対して、少年が微笑み返したのは、どちらの笑顔に対してであったのだろう。
『人形』は微笑む。
完全なる形を取り戻した、美しい笑顔で。
少年は疑念にかられる。全てを隠してしまうような、その美しい笑顔を見ながら。
(――私は、何人目なんだ?)
自嘲にもならない疑問が浮かび、笑い飛ばすこともできない鬱屈がたまってゆく。
何度も何度も、代替わりが行われているはずがない。あまりにも非現実的だ。しかも、違う人間が違いもなく、なのに同じ行為が行われることなど、絶対にあり得ない。
現実という不自由の中で、そんなことが成立するはずがないのは、誰にだってわかっている。
――だから、なのか。不自由たる現実で、自身の自由を求めてしまったがゆえの。
――この現状は、自分で望んだものだった、はずなのに。
少年は、修復された『人形』の美しさに、一時の酔いを味わった。
――しかし、酔いは次第に醒めてゆく。
あの日の少女の形は、もうここにはない。
欠けたものとして、恋い焦がれる美しさ。
『人形』に見ていたのは夢であり、理想であったのだと、後追いのように心に染みてゆく。
人形の少女は、満ちたがゆえにいつまでも変わらない。
だが、代わりに少年の姿は年月とともに、刻一刻と変化してゆく。欠けてゆく。
理想の形。憧れた美しさ、整えられた両の瞳の完全さ。
……それでも、よかったのだ。
自身が恋い焦がれるだけで、美しさを味わえた時ならば。
求めていて、真実を知ることがなかった、淡い時代の羨望ならば。
――しかし、少年は知ってしまったのだ。
人形の美しさの下には、あの暗く深い眼底が眠っていることを。
(……そんな……)
少年の懐疑は、時を経るにつれ膨らんでゆく。
それは、一時的に意識しないことはできても、消すことはできなかった。
白い鎖を、光る瞳と入れ替えた。
それは、少年が望んだ最良の形だったはずだ。
――それなのに、だ。
少年の心は、黒い闇を消すことができない。求めていた時には存在しなかったはずの、深く底のない、暗黒の空洞。
その心の空洞が、なぜか、白い鎖の下に隠されていた闇に、とてもよく似ている気がして――。
「……ッ!?」
まるで、鏡のなかに化け物を見たような面持ちで、少年は暗い想いにとりつかれる。
そして、その不気味な鏡像を消すことが、少年にはどうしてもできなかった。
――その不気味な鏡は、どこにある?
ある日、少年はふっと気づく。気づいてしまう。
懊悩を解決する方法。苦悩から解放される答え。
それは、とても簡単なこと。とても簡単で、あっけない結論だった。
――少年が恋したのは、あの日はじめて見た彼女の姿。
――それは、幻影とよく似た、あの日の憧れであり。
――閉ざされた暗闇と、淡い希望が表れた、あの横顔にだったのだ。
「……どうされました?」
「どうも、しないよ」
「お顔の色が、優れないようです」
大丈夫、そう呟いて。
少年は、右手をしっかりと握りしめた。硬い感触が、汗ばんだ肌に冷たく伝わる。
「大丈夫さ。なんということはない」
少年は自覚しながら、薄気味の悪い笑みを浮かべる。かつて人形相手に向けたことのない、愛憎の入り交じった苦い笑みを。
その笑みに気づき、ガラスの瞳を備える人形は、表情を崩す。艶やかしく動く人形の表情は、ひどい怯えに彩られていた。
――まるで、生きている人間のような。裏切り者の伴侶を見つめるような、そんな歪んだ相好。
「どうしたんだい? そんな顔をして」
「……あなたも、変わらないのですね」
「変わらない? それは、君のことだろう」
少年が返したのは、苦笑と嘲りだった。
「あなたも」、だなんて言葉は、美しさのみを持つ『人形』にはふさわしくない言葉なのだ。
潔癖さと高潔さを備えているはずの『人形』には、少年以外の記憶など、なくてしかるべきだったのだから。
「――望んだのは、あなた」
冷たい叱責が、人形の口から飛ぶ。
それが叱責の意味なのだと、少年は知っていた。
「わたくしには、なんの罪もない。そこにあり、そう望まれ、造りかえられる。そして望まれなくなった時――また、元に戻る?」
少年の片手が、鉄片を握る手の布をほどく。
現れた鉄塊に、人形は笑みを浮かべる。
それは、喜びの笑みではない。頬をつり上げ、眉を寄せ、瞳の奥に炎を燃やす、毒の笑み。
――まるで毒婦のような、怒りで塗り込められた、醜い人間の微笑みだった。
「くだらない、くだらない、……くだらない! 理想が現実になったことが、そんなにまでくだらないことでしょうか?」
くっくっく、と嘲笑の声で少年を罵倒する。
常の人形が浮かべたことのない、下卑た表情。
清楚、礼節、奉公、それらの全てを兼ね備えた少女の姿ではない。
そこにいるのは、少年が求めた『人形』ではない。少年の理想が浮かべてはならない、人間の負の感情を表した――醜いヒトガタだった。
「……お前は誰だ?」
少年の諦観した問いかけに、人形は最上級の嘲りをこめて、返答した。
「あなたの伴侶、そして理想像――そう求められたのは、どなた?」
その問いかけは、あまりにも少年の心に深く突き刺さり。
偽善的な少年は、その想いに――『人間の闇』などという、自己満足な正義感を名付け。
「――ッ!」
「……!?」
握りしめた鉄塊を、『人形』へと振り下ろした――。




