11 - 開光
計画を立てることは、一日二日ではすまず、内密にしっかりと進められた。
少年も、成長している。
数人の使用人、長年仕える老執事、来訪者。計画実行の妨げとなりうる人々の動きを操作することは、なによりも優先した。日々の生活習慣や、ルーティンワークなども想定し、必要な部分はできる範囲で変えていった。
真相を誰にも気づかれずに、目的を達成する――それはとても難しいことだと、少年は想定していた。
しかし、案外にやってみると、自分でも驚くほどにスムーズに物事は進んでいった。
少年も驚いたが、しかし、自分がこの館で得た力なのだと納得することにした。
そして、その能力を引き出したのは、他ならぬ主なのだ。
手に入れた力をふるうことに、なんの違和感もない。そう考えることが、ためらいを消していった。
――ためらいが消え、みなの視界が消え、信頼だけが残った時。
――日々の食事や健康管理のなかで、毒物を混ぜることなど、造作もないことだった。
幸い、時間はたっぷりとあった。急ぐ必要はない。
ならば必要なのは、証拠を残さないことだ。
効果は少なく、しかし痕跡は残らない、持続性の高い毒薬。
細心の注意を払いながら、紳士の体調が復帰できぬ段階に至るまで、少年はその薬を忍ばせ続けた。
不思議だったのは、紳士が全く医者を呼ばなくなったことだ。
その時期は、少年が薬を使用し始める少し前から。
定期的な診療に限らず、薬のせいで体調を崩し始めた後も、その態度が変わることはなかった。
見かねた周りの者達に治療を勧められても、頑なに治療を拒み続けた。
毒物の配合はかなり特殊なものだと、少年は仕入先から聞いていた。この国の正規の治療方法では治らないことも、同様に聞いていた。
とはいえ、医者に診られれば異常が発見されないとも限らない。
それゆえに、医者にかからない紳士の対応は少年にとって幸いだったが、不気味でもあった。
……気づかれてはいないはずだ。気づいているのならば、治療を拒む理由がない。
そう考えても、納得できない面もあった。なぜなら彼は、自然主義者でもなければ、延命反対派というわけでもなさそうだったからだ。
ならば、なぜ、彼は自身の身の上を放っておくのだろうか?
だが、そんな疑念を口に出せるはずもなく、少年も一緒に身体をいたわる演技をするしかなかった。
少年は、粛々と、紳士と人形との溝を深めながら、そこに毒を埋め込んでいく日々を続けた。
――時を経て、その時はあっけなく訪れた。
「ご臨終です」
医師の言葉が、淡々と響く。
その場にいるのは、老年の執事と、少年、そして人形の三者だけだ。
皆、それぞれの立場で、その言葉の意味をとらえていた。
ある者は長き仕事から解放され、あるものはなんの感情も表に出さず、そしてある者は――自分の成した行為の結果を見届けた。
少年は、美しい人形のために――そして、自分のために――主を、毒殺した。
だけれども、人形の関心や興味は、未だ少年には向ききってはいないように見えた。
――今は、まだいい。時間はこれで、いくらでもできるようになる。
少年は内心で呟きながら、これからの問題を想定した。予想はしていたが、想ったよりも問題の追求が長引いているからだ。
医師の見立てで、病死という診断は得られた。だが、警察が不審さを感じて葬儀の席に現れることを、少年はもっと予測すべきであった。
貴族階級の急死は、少なからず警察の疑念をかき立てるものであったようだ。なぜなら、紳士は特権階級の身の上であり、恨みや羨望を受ける立場なのだ。
つまり、今回のような事例の場合――他殺であり、ならば、真犯人がいるのではないのか? そう想われても、仕方のない事例でもあるのだ。
至極単純な、警察らしい考え。
そして疑いの視線が向けられるのは、少年を含んだ残された者達。その中でも最も疑いを向けられるのが、最後まで身辺に携わっていた少年だった。
薬の痕跡は、残っていないはずだった。だが、逆をいえば、紳士の体調が不調になった理由は、薬のせいでしかありえないということだ。
警察も愚かではない。彼らは誘導と追跡のスペシャリストでもある。
捜査の追求になれていない少年が、いつボロを出すか、次第に雲行きが怪しくなってきていた。
今更になって少年は、死後のアリバイを考えきれていない自身の愚かさを、嘆きたくもなった。
――だが、救いは意外なところから差しのべられた。
発見されたのだ。紳士が書いた、直筆の遺書が。
そこに記されていたのは、『自殺』という文字だった。
自身の意志で、少年に頼んで買ってきた薬を『自殺』するために服用し続けていたのだと、そこには記されていた。
むろん、少年は何も知らされていないという意を含めた文章だった。
遺書には、そんなことが書き連ねてあった。
警察にとっては合理的な、少年にとっては不可解すぎる内容が。
文面を追いながら、少年は困惑する。
――紳士は、全てを知っていたのか?
知っていながら見過ごしたのなら、まさしく『自殺』以外の何物でもない。
ならば、なぜ、彼は『自殺』を受け入れたのだ?
文面を追ってゆく。
最後に近づいたあたりで、視線が止まる。
止めた先には、不可解な一文が記されていた。少年にとって不可解ということではなく、誰にとっても意をくみ取れない一文が。
その一文は、次のように記されていた。
――愛するモノを求めた闇に、その身の愚かさが投影される――
不可思議な一文は、だが、少年の心にすっぽりと落とし込まれた。
まるで、自分が書いた文章のような滑らかさで、その言葉は少年の内心に入り込んでいった。
「――貴族様の考えはわからねえな」
同じように文面を追っていた警察が、怪訝そうに呟く。
そしてこの呟きが、今回の一件を締めくくるという意味を表してもいたようだ。警察の追求は、その後、少年に関わることはなかった。
貴族の身辺調査に深入りするなど、警察の好むところではない。『自殺』という回答が見つかったのならば、それで終わりにするのが好ましかった。
代わりに少年は、違う忙しさに身をまかせることになった。
遺書には、こう記してもあったのだ。
遺産は全て少年へと相続すること。土地も、屋敷も、関係者も、そして人形も含めた持ち物、その全て。
相続するための手続きは、関係者の誰にも知られることなく、内々で進められていたようだ。紳士の周到さは、少年の策の比ではなかった。
驚いたことに、貴族には身寄りが一切なかった。ただの誰一人として、血縁者として名乗りでる者がおらず、遺書の内容に反対する者もいなかった。
周囲の人間や社会も、それを受け入れた。
むしろ、受け入れきれず動揺しているのは、後継者に指名された少年本人だけだった。
(――どういう、こと、なんだ?)
少年は疑念を抱く。
まるで、こうなることを知っていたかのように、物事が進んでゆく。
デウス・エクス・マキナが手を差し伸べているかのように少年には想われ、彼の立場は急速に縛りつけられていった。
忙殺される時間の中、少年は未だに不可解であった。ある一つの仮定が、頭から離れない。
紳士は、殺されることを予見していたのではないか――。
(そんなことは……)
ない、とも言い切れる根拠を見つけることが出来なかった。
それに、弱りゆく紳士を見つめ続けていた少年だからこそ、その疑念が頭から消えないのだろうとも想えた。
今でも浮かんでくる――寝所で弱々しく微笑みながら、抗うでもなく横たわる、静かな紳士の姿。
日に日に弱りつつあるのに、なのにどこか遠くを見据えた、満足げな瞳。
「――ご気分は、いかがですか? 大丈夫、でしょうか」
一度だけ、少年はそう尋ねたことがある。
冗談にしかならぬと想えたから、口にしなかった言葉。
震える口元から出た言葉に、紳士は流麗に返答した。
「最高だよ。気分は、とてもいい」
本当に清々しそうに返答されたことが、印象に残っている。
病の床にあっても、紳士の顔から仮面が外れることはなかった。
だが、確かに紳士の口元からは、なにかから解放されたかのような清々しさがあるように、少年には見てとれた。
この時点で、少年には紳士の明るさの意味は理解できなかった。今もそうだ。だが、わかりこともある。
――こうなることを、あの時点で知っていたのか?
想い返せば想い返すほど、紳士の振る舞いや後始末は不可解であった。
難しい顔を浮かべる少年の腕を、何者かが抱きしめる。
眼をやれば、そこには、こちらを見つめる一つの瞳が眼に入った。
にこりと微笑む人形の表情が、震える少年の心を慰める。
少年を見つめる瞳には、今までにない、色がついているように想えた。
「……大丈夫。あなたは、なにも恐れることはないの」
断定する人形の響きが、少年の脳髄を刺激する。
そのような物言い、紳士が生きている間は、決して述べることがなかった。
少年に対して、こんなに親しみを込めた言葉をささやくなど、夢の中でもなかったはずなのだ。
――だが、もはや、これは夢ではない。
――人形は、心身ともに少年のものとなったのだ。
権利も、心も、少年は紳士から奪い取った。
彼は、少年にとっては乗り越えるべきものだった。
そしてまた、彼の思惑を越える形だったことも、少年の自信となった。
彼の考えを「理解する」ことなく、少年は、求めていた人形を手に入れることに成功したのだ。
――美しいものは、美しく、永遠であるべきなんだ。
そして――少年は、覗き見ることができるようになった。
あれほど憂いていた、白い包帯に閉ざされた彼女の美しさを。彼女の美しさを阻害する、白い鎖の奥を。
足早に、少年はその場を駆け出す。
もちろんその手には、しっかりと人形の腕が握りしめられていた。
――屋敷に戻り、部屋を閉ざす。もう、この館に、少年を止める者は誰もいない。
手を伸ばし、ゆっくりと、禁忌に触れる。冷たく硬い感触が、指に伝わった。
はらり、と人形の顔から白い鎖がほどけ落ちる。
想像を巡らせた、完全な『人形』の形を眼にするために――
「――っ!?」
現れた素顔は、だが、少年に驚愕の念を抱かせる。それは、歓喜ではなく、戸惑いであり、違和感であった。
こぼれ落ちた禁忌の下には、ただただどこまでも暗く深い、砕き抜かれた闇の色が横たわっている。
ガラス玉すら存在せず、ひび割れた肌が縦横に走る、欠けた人形の顔。
闇が広がる部分以外は、全てが整えられた風貌だからこそ、その欠落感が異様に強調されている。
不気味な闇の空洞が、ぽっかりと人形の顔に埋まっている。
少年の心を見つめるように、どんよりと。
「……!?」
言葉を失う少年に対して、人形の態度は平静だ。
だがそれは、今までの淡々とした態度とはまるで異なるもの。
「……ふふ……?」
薄い微笑の声が、人形から漏れる。今まで聴いたこともない、少女らしい、色のついた声音で。
闇色の表情とは裏腹に、少女は薄い微笑を浮かべながら、ゆっくりと呟いた。
幸福感に満ちた、新妻のような面持ちで。
――これで、いつまでも一緒ね?――
……そうして少女もまた、少年の望んだ『人形』の形を手に入れたのだった。




