第68話「澪とメイド服 ――3年前――」
日本の某県に存在する水野邸は、周囲の庶民然とした住宅街からは浮いた大豪邸だ。隣に建つ虹乃宅とはまさに月とスッポン。
「邸」、「宅」と使い分けたことからも察してもらえるだろう。
もっともこれはカモフラージュである。本当に守るべき一族を危険から遠ざけるために、敢えて守護者一族が目立つようにしたのだ。
そんな水野邸は当然のように少人数で管理しきれるはずもなく、何人もの使用人が雇われている。
その一人である紫藤紫子はメイド服に身を包み、来月中学への入学を控えた水野家の一人娘の部屋の前に辿り着いた。
「澪お嬢様、紫子です。入りますよ」
数回のノックの後、主の返事を待たずにノブに手を掛ける。紫子は澪の専属としてそれが許されていた。
扉を開けた紫子の目に飛び込んできたのは、カーペットの上に崩れ落ちる澪の姿。
その表情は誰の目にも明らかに絶望に染まっていた。
「…………」
紫子は主人に何事かと訊ねる前に、机の上で点灯しているPCのディスプレイを覗き込んだ。
先生と呼ばれることもある某有名検索エンジンの検索窓には「幼馴染 まk」と書きかけの文字。
そして紫子がその下の予測変換に目を移そうとした時、
「負ける、負け組、負け犬、負けフラグ、負け属性……あ、あはっ……あはははははははは!」
澪が幼馴染ヒロインというよりは、ヤンデレヒロインのような叫び声で呟く。
紫子は澪が何に絶望しているのか察したが、その原因を探るべく足下に散らばるライトノベルを拾い上げた。
「『俺の○がこんなに○愛いわけがない』、『異○バトルは日○系のなかで』、『○えない彼女の○て方』……なるほど。そういうことですか」
他にもいくつか。
どれもこれも名作ばかりではあるが、これらにはある一つの特徴がある。
それは『主人公の幼馴染として登場するヒロインが、恋愛的に主人公に選ばれず他の(多くの場合メイン)ヒロインに敗れる』ということ。
いや、まだ勝負がついていない作品もあるが……。
紫子は「淡々とし過ぎている」とよく評される口ぶりで澪を慰めにかかった。
「元気を出してくださいお嬢様。たまたま読まれたのが偏っていただけです。マンガやアニメにも目を向ければ、幼馴染が勝つ作品もたくさんありますから」
澪が涙目を持ち上げる。
その表情は、インターネットの「幼馴染が負ける風潮」を気にしているのがありありと窺えた。
「作品ごとに嫁を持つ人たちの言動を鵜呑みにしてはいけません。それにその風潮自体、昔に幼馴染ヒロインを多用しすぎた反動が来ているだけで、こういった作品を嗜まない陽斗様には関係ないでしょう。」
紫子の口調は淀みなく、造詣を感じさせた。
澪にマンガやアニメやライトノベルを薦めたのは彼女なので、これくらいは訳ない。
しかし紫子が『幼馴染が勝つ』作品名を挙げようとすると、澪が思案顔で首を傾げる。
「それって今から付き合っていたら、そのうち飽きて捨てられるってことなんじゃ……?」
紫子はスッと澪から視線を逸らした。
「…………」
「どうしてそこで黙るんすか?! ……ああ、このままじゃ私と陽斗様の13歳から始まるエロエロで退廃的な生活の予定が……!」
澪は頭を抱えるが、手の形がおかしい。親指が人差し指と中指の間に差し込まれて握りしめられている。
紫子が梅雨のようなじっとりとした目で耳年増な12歳を眺めていると、澪は予定していたという未来をいきなり語り出した。
「中学で同じ部活に入って、さらに関係を深めるっす。そしてバレンタインに満を持して告白。2週間後の私の誕生日にめでたく二人は身も心も一つになるんす。そこからは――」
顔面だけは、正統な清純派美少女ヒロインと言って差し支えない澪。その口から吐き出される卑猥な妄想に紫子は、
(これが物語だったらとてもではないですけど読者には聞かせられない……いえ陽斗様にも……)
澪のことを優等生だと思っている(澪がそう偽装しているのだが)陽斗が、この本性を知ったらどう思うか。
いずれ時期が来たら仕えるべき本来のご主人様の幻想は私が守ろうと紫子が決意を固めるが、澪の口は止める間もなかった。
「朝のを鎮めてから登校。放課後から夕食までえっち。夕食後も寝るまでえっち。学校でも我慢できなくなったらえっち。隙あらばえっ」
「もういいです! 分かりましたから!」
「そうっすか? これからがいいところだったんすけど」
紫子は頭痛をこらえたような溜息をつくと、ふと気になったことを訊ねた。
「しかし何故13歳からなのですか? お嬢様の性よ……ではなく、口ぶりからするとすぐにでもって感じでしたが」
澪はよくぞ聞いてくれたとばかりに薄い胸を張る。
「当然じゃないっすか! せいてきどういねんれいってのがあるんす! だからずっと我慢してた私えらい!」
「あっはい……」
紫子は端的に今の主人をアホかもしれないと思った。
「……それでお嬢様はどうされるのですか? 中学生になっても陽斗様に告白はしないということなのですか?」
「ネットの情報を全面的に信じる訳じゃないっすけど、どうもいの一番に告白しちゃうのは負けフラグらしいっす。確かにいま告白しても陽斗様に答えを待ってくれって言われて、ずるずると幼馴染以上恋人未満の関係が何年も続く気がするっす」
「あー……」
紫子は澪の考えとは少し違うが、ありそうだと想像する。
陽斗なら素で「澪みたいな可愛い女の子が自分に惚れるわけはない」などと、鈍感系主人公のような思考回路で澪の告白を真剣に受け取らないこともありえた。
「そこで陽斗様から手を出させる作戦に変更しようと思うんすけど、紫子はどう思うっすか?」
陽斗を澪の魔の手から守る決意をした従者としては、陽斗を誘惑するような手管を教えるべきではない。
しかしそれをしないと、澪が強引にでも陽斗を襲う可能性が出てくる。
(お嬢様が待ちの一手に決め打ちしてくれるならアドバイスしといた方がいいですかね。あまり過激な内容でなければ陽斗様にもさほど影響を与えないでしょう)
紫子は澪の言葉を肯定する事に決めると、少し思案する。
過激でないアドバイスだとすると、澪が納得しないかもしれないからだ。
一瞬で澪を丸め込む流れを組み上げると、紫子は口を開く。
「既成事実で縛る作戦ですね。陽斗様なら一度自分から手を出した女の子を捨てるようなお人ではないでしょうし、宜しいと思います」
「っすよね!」
およそ12歳と19歳の乙女の会話ではない。
が、澪に関しては手遅れだと思っている紫子には関係なかった。
「陽斗様を欲情させて、理性を失くさせる何かいい方法はないっすか、紫子?」
予想通りの澪の質問に、内心ほくそ笑む紫子。
もっともらしい顔を維持しつつ紫子は指を一本立てる。
「そうですね……一つだけいい方法があります」
「おお! さすが紫子!」
「異性の幼馴染というのは、なかなか手を出しにくい存在です。いつも一緒にいるのが当たり前なのでその関係を崩したくない。家族のように思れて異性として意識されないなどの理由です。幼馴染が負け属性などと言われる由縁だと思われます」
「……なるほど」
澪は渋い表情で頷く。
「ならばその属性を上書きしてしまえばいいのです。幼馴染以上にインパクトのある属性ならば、それが立って恋愛勝負の判定にはその属性が使われるという寸法です」
完全なアニメ脳だが、それを指摘するものはこの場にいない。
「陽斗様が手を出したくなるような属性を持てば良いってことっすね! して、その属性とは何なんすか?」
「それは……メイドです」
水野家のメイド服ならば、長袖のロングスカートなので陽斗の目にもさほど毒とはならない。
また、それに水野家のメイド教育も加われば、中学生にあるまじき過激な誘惑もしないだろうというのが紫子の目算だった。
「メイド?」
首を傾げた澪の視線が紫子の顔から下へとずれる。
紫子が纏うメイド服は露出の少ない品のある服装だ。その着こなしも様になっていて、とてもではないがメイド属性などとは揶揄できない。
澪の首がゆっくりと傾げられた。
「疑っておいでですね?」
「だってもっと誘惑に向いた属性があるんじゃないっすか? 巨乳とか無自覚薄着系で服の隙間から見えるおっぱいとか」
澪が胸の下から手を添える。
紫子は鼻で笑った。
「あっ! 笑ったっすね! これから大きくなるんすからね! 本当っすよ!」
「はいはい。……そんな不確定未来は置いといてですね。お嬢様に良い言葉を教えて差し上げます」
澪は口をへの字に曲げながらも、「良い言葉」というのが気になるらしかった。
「?」
紫子は厳かな口調で告げる。
「一盗二婢三妾四妓五妻」
「いっとうにひさんしょうしぎごさい?」
「男の人が興奮する属性の順位を表した言葉です。一番目は人妻や他人の彼女。つまり寝取りですね」
「背徳感ってやつっすね。分かるっす。私もせいてきどういねんれいになる前に、陽斗様と背徳えっちしたいなって何度思ったことか」
およそ12歳と19歳(以下略)。
「二番目は下女。つまり身分が下の女性という意味です。三番目が愛人で、四番目が仕事女。五番目に自分の妻となります」
「だんだん言いたいことが分かってきたっす」
「そういうことです。お嬢様は陽斗様以外の誰の物にもなる気は無いでしょうし、陽斗様を誰のものにする気も無いでしょうから1と3は置いといて、ここで注目すべきは2と4です」
紫子はさらに語った。
「メイドというのは当然の事ながら身分が下の女というのに当てはまります。そしてご主人様の夜伽をしてきたという歴史もあり、それはもはやお金で買う仕事女といって差し支え無いでしょう(作者注:紫子個人の見解であり、また水野家にもそのような慣習はありません)」
「つまりメイドというのは男の人が興奮する、第二位と第四位を兼ね備えた最高にエロい属性ということっすね!」
紫子は勝ったという思いで、最後に言った。
「その通りです」
澪は紫子の言は目から鱗だったようで、興奮した様子でしきりに頷いていた。
そして。
「決めたっすよ紫子! 私は今日から陽斗様の専属メイドっす! ……専属ってなんかエロいっすね!」
紫子と澪はグッと親指を立て合った。
こうして澪の戦闘訓練などの合間にメイドとしての教育が挟まることになる。
澪がメイド服姿で陽斗の前に現れることになるのはもう少し先。中学校に入学してからのことだった。
第三章の進捗に関しては、後日活動報告にてお伝えします。




