第35話「閑話3 ――その頃の日本――」
本編での日本の学校編の予定はありません。
虹が丘高校のとある一室。
グラウンドの一つが見渡せる窓を背に、豪華な執務机に向かう美女が秘書に入れさせた紅茶でブレイクタイムを楽しんでいた。
彼女の顔立ちは澪によく似ているが、しかし瞳だけは澪とは違い切れ長で怜悧さを感じさせる。
艶のあるストレートロングの襟足は腰にまで届き、彼女の妖艶さに一役買っている。大人らしく化粧がされているが、それはごく薄い。自らの素材の良さを理解した完璧なものだ。
名は水野咲。
澪の母親であり、この虹が丘高校の唯一の経営者でもある。
彼女がティーカップの把手に指をかけた時だった。その華奢な肩をビクンと大きく震わせる。
「っ!」
遠方――と言ってもそう遠くない場所。おそらく学校の敷地内――で異常な魔力の高まりを察知したのだ。
初めは娘が何かしたのかと思った。しかし娘が力を使うような事態とは一体何かと考え、とある可能性に気がつくと顔を蒼白に染め上げる。
「――まさか?!」
バンと大きく執務机を鳴らして立ち上がる。鋭く向けられた視線はそのまま校長室の壁を透過しそうな程。
魔力が収束し、そのまま数秒が過ぎてもそれ以降何も起こらない。それが逆に問題だった。
この場合、例えそれが校舎を破壊するような何かであっても、まだそちらの方が良かったといえる。
やはり一瞬だけ脳裏を過ぎった予想が当たっているのか。
咲は呆然としたまま膝を折った。豪華な革張りの椅子がキシリと悲鳴を上げて受け止める。
「……あなた」
「ああ咲さん……さすがに今のはボクにも感じられたよ」
校長の傍らで執務の補佐をしていた秘書の男性が、咲と同じ考えに至り諦めの入り混じった声音でつぶやきを漏らす。
「……一応澪ちゃんと陽斗君に連絡を」
「分かった…………ダメだ、二人とも圏外になってる」
「そう……」
「やっぱり……向こうに……?」
「ありえないわ……確かに陽斗くんに受け継がれた時に呪いは大分薄れたわ。でもまだあと数代は保つはずだった」
咲が端正な顔を悲痛げに歪め、執務机に肘をつく。
「そうだったね……何か特別なことが起こったと考えるべきかな」
「分からないわ……でも澪と一緒にいる時に転移が起こったのは、運が良かったのかもしれないわね」
「そうだね。澪は強い。きっと陽斗君を守って無事に帰ってくるさ」
「ええ、私たちも心配ばかりしていられないわ。できることをしなくちゃいけないわね」
咲の夫であり、その秘書を務める男――クセ毛をたたえる黒髪の水野藤弥が、その優しげな面持ちのまま微笑みかけた。
「あっ」藤弥が何かに気付いたような声を上げる。「あっちで二人の仲が急接近して、そのままくっついちゃって帰ってこなかったらどうしよう」
微笑を浮かべていた咲の顔は真剣なものとなり、そして困ったものへと変わる。
「それは……笑えないわね。澪ちゃんならやりかねないわ」
「だよね……」
藤弥も我が娘の気の長い策を思い出して肩を落とす。
「厳しく育てすぎたかなぁ……」
藤弥はぼやく。
娘の恋は応援しているが、フラレるのが怖くて告白できないという娘が、陽斗から襲わせようと画策しているのは知っている。
しかし屈折し過ぎだろうと。父親としてはもう少し健全な男女交際をこそ応援したい。
「まあその辺りは考えても仕方ないわ。陽斗くんが帰りたいと言えば、きっと全力で叶えようとするでしょう」
咲は一つ頷くと抱いていた不安をかなぐり捨てて、前を見た対応を取り始める。
「まずは連絡ね。あの御方なら世界のどこにいても、自分の息子の異変くらい気付いているでしょうけど、一応虹乃の家に連絡を。それからあの子達のクラス担任には、もしもの時の為に準備していたように、二人は急遽留学に行ったと伝えてちょうだい」
「……やっぱりその設定はちょっと無理があるんじゃないかなあ」
「無理でも無茶でも押し通すのよッ! 何のためにこの学校を作ったと思ってるの。分かったらとっとと行く!」
「は、はいぃ!」
発音的には「はひぃ」と情けない声を残して、藤弥が慌てて校長室から飛び出していく。
一人になった咲は、大きく息を吐き出した。
執務机に備え付けられた外線電話を取ると、他に魔法的な異変が起きていないか調べるように指示を出す。
そして背もたれに深く身を預け、首の力を抜いて視線を中空に向けた。
「澪ちゃん陽斗君……無事に早く帰ってくるのよ」
■
数日後。
校長室の扉がノックもなしに開かれたかと思うと、藤弥が身を滑らせるように入ってくる。
「咲さん、これ見て! 大変なことになってるよ!」
「朝から騒がしいわね。一体どうしたって言うの?」
時刻は8時。
おそらく登校してくる虹が丘高校の生徒が、最も多く校門を通る時間帯だ。
藤弥は執務机の上に紙を広げる。
咲の眉がヒクッと跳ねた。
「虹高新聞……」
忌々しそうな声は、それを見た瞬間に生じた咲の中の嫌な予感を表している。
「玄関口の所でそれを配ってたんだよ。もう既に千部単位で捌けてるらしい」
「相変わらずの人気ね……志木里中絵理……!」
仮にも校長という立場の人間が、怨念めいた口調で生徒の名を呼ぶ。
志木里中絵理。
その名はゴシップをあることないこと織り交ぜて、生徒に信じこませる手管に長けた虹が丘高校三年生で、現新聞部部長のものだ。
教師泣かせの三馬鹿と呼ばれる生徒の一人で、同じくストーカーさせたら日本一の異名を持つ写真部部長と手を組んで、虹高新聞を手がけている。
「とにかく読んでみてよ」
「えっと……」
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『校内一の美少女の突然の留学。その真相とは?』
6日前の5月8日。
一月前の入学式を、その美貌で沸かせた話題の美少女新入生の水野澪さんが、突如留学をすることを発表した。
既に留学先に出発した後だという。
GWが終わったばかりの中途半端な季節に起きた、この不可解で事後の遅すぎる留学報告。我々取材班はその真相に迫った。
我々がこの事件について得た第一報は、「水野澪留学」というものだった。
しかし取材を進めていくと、その影に隠れてもう一人、5月7日に姿を消した生徒がいることが分かった。
水野さんが所属するクラスの方々は既にご承知のことだろうが、彼女には幼稚園時代からの幼馴染がいる。
名を虹乃陽斗と言い、その生徒もまた留学に行ったということだった。
クラスの方に取材を申し込むと、彼らは口を揃えて、自分たちにも寝耳に水。あまりに突然のことに驚いていると答えた。
~~~~~~~~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~~~~~
我々はこれが単なる「留学」ではなく、「失踪事件」を学校上層部が隠蔽した結果なのではないかと考え、更なる調査に乗り出した。
~~~~~~~~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~~~~~
そうして取材を進めていると、水野さんが所属するクラスが、ある一つの噂で持ちきりだという情報をキャッチした。
我々は早速再びの取材を申し込んだ。
すると衝撃の事実が得られた。
このクラスでの噂というのが、水野さんと虹乃くんが駆け落ちしたのではないかというものだったのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~~~~~
ここにその取材で得られた証言を載せておく。我々はこの証言に一切の手を加えていないことを明記する。
A「駆け落ちっていうか、澪ちゃんが陽斗くんを連れ去って、どこかに監禁してるんじゃないかな」
B「うん、澪ならいつかやると思った」
C「あー分かる分かる。澪ちゃんの陽斗くんへの愛は振り切ってたからね。陽斗くんは全く気付いてなかったけどお」
D「愛っていうかもはや偏愛とか、妄執の域っていうか。澪ちゃんがいる時は男子の話できないよね。いつの間にか陽斗くんの話になってるし。……でもこの前相談に乗ってもらったら……」
C「あーずるい! 今まで告白できないでヘタれてたくせに、急にZ君と付き合い始めたと思ったら、澪ちゃんに相談に乗ってもらってたんだあ!」
どうやら水野さんはクラスの女子生徒に相談を持ちかけられるほどに、信頼されていたようだ。
果たしてクラスの女子生徒からの信頼篤い彼女が、友人たちに何も告げずに留学に行くだろうか?
我々は何らかの事件に関わっているとの見方を強めた。
――今はどこにいると思いますか?
D「どこにいるかは分からないけど、何をしてるかは想像つくよね」
C「やだ、D! ナニだなんて……」
D「いや、お前のほうがキツイから」
A「どこかのお屋敷に陽斗くんを鎖で繋いで、色々搾り取ってるんじゃないかな。薄着で部屋に二人きりでも手を出してくれないって愚痴ってたから。きっと溜まってたんだろうね」
――搾り取るとは、何を?
A「そりゃ……ねえ?」
Aは顔を赤らめた。ちなみに可愛らしい童顔の小柄な女子生徒であった。
――水野さんは虹乃くんに惚れているということなのでしょうか? あの並ぶ者のいなさそうな美少女が惚れるくらい、虹乃くんはイケメンなのですか?
C「陽斗くん? いい人ではあるけどお、恋愛対象になるかというと、ちょっと……」
D「あんたこれ澪ちゃんに見られたらどうすんの?」
C「ひいっ」
A「……陽斗くんを悪く言った時の澪ちゃん怖いもんね。まあ好きな人を悪く言われて怒れない女子は、本当にその人が好きなのかって感じだけど」
B「付き合い始めの時に、私たちがもっといい人いるよって言った時は、なんか殺気出てたもんね。顔は笑顔のままだったけど……」
Bはその時のことを思い出したのか、ブルリと震え、太ももをもじもじと擦り合わせた。ちなみにショートカットのよく似合う、長身の女子生徒である。
水野さんは怒ると何をするか分からない人物だったようだ。
――最後に、水野さんに何か伝えたい事はありますか?
A「澪ちゃん! 馬鹿なことはしないで早く帰ってきて!」
B「いくら我慢できなくなったっていっても、拉致監禁は犯罪だぞ!」
C「どんな初体験だったのか感想きかせてねえ!」
D「例え逮捕されても私たちは友達だから!」
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~~~~~~~~~~~~~~~~(略) 記・志木里中
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「どんな友達付き合いしてるのよ、あの子! というかどれだけ変態に思われてるのよ! ウチの娘は!」
咲はこれでもかと顔を紙面に近づけて叫ぶ。握られた新聞紙が皺になっていることが、どれだけ咲の手に力が入っているかを教えてくれる。
「あはは……」
藤弥も娘の級友からの認識に苦笑いしか出ない。
咲は大きな溜息をつくと、いつの間にか立ち上がっていた椅子に腰を落ち着けた。
「……回収しなさい。いくら何でも書きすぎよ。本気にした生徒が警察沙汰にしかねないわ」
「回収って言っても、もう朝の時点で千部……今頃はもう全校生徒に出回ってるかも……ちなみに誰の仕事か聞いても……?」
ギロリと咲は藤弥を睨めつける。
「あなたに決まってるでしょ! 先生方はこれから授業だし、新聞部が素直に自主回収するとは思えないわ」
「だ、だよね……」
「はあ……」
咲はいつかのように宙に視線を浮かせた。
遠い目は遠い目でも、光を失った空虚な目だった。
「澪ちゃん、陽斗君、早く帰ってきてって言ったことは取り消すわ。ほとぼりが冷めるまで、帰って来てくれない方がありがたいわ……」
「そういえば、記事の最後見たかい?」
「え?」咲は紙面の下部に眼を戻す。「何々……『なお、どれだけ調べても確証を得るには至らなかった我々は、水野さんの実の母親であり、虹高の支配……経営者である水野咲校長に突撃取材を敢行することにした。すでに校内放送用のマイクは抑えてあるので、各教室は朝のホームルームまでにスピーカーのスイッチを入れておくことをオススメする』……ですってぇ?! というか支配者って書こうとしたでしょ! 活字で言い直しってわざとらしいのよ!」
咲が虹高新聞をくしゃくしゃに丸めるて地面に叩きつける。
生徒を退学にも出来る権力者にもこの暴言。紙面からは志木里中絵理という女子生徒の、ふてぶてしさが滲み出ているようだった。
「咲さん、その朝のホームルームの時間までもうあと少しなんだけど……」
「え”っ……」
その時。
校長室の扉が「コンコンコン」とノックされる。
一瞬、咲はホラー映画を見ている気分になった。
「どうしよう。追い返すにしても、もう全校放送のマイクが扉の向こうでスタンバイしてると思うけど……」
「もういや、この学校おおおおおおおおおお!」
幸い。
厚い校長室の扉のおかげで、咲の絶叫が校内放送に乗ることはなかった。
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