第34話「閑話2 ――ソフィーと2つの出会い――」
「ああもう! ついてないわね!」
ソフィーは剣を振り、風魔法を唱えながら苛立ちを露わに怒鳴る。
風の国王都からフィールドの街へと北上する最中。商隊に護衛としてくっついて家出したソフィーは、モンスターの群れに襲われていた。
ソフィーの他にも護衛の冒険者はいる。
しかしいかんせんモンスターの数が多過ぎた。
敵モンスターはホーンラビット。
ランクEの低ランクではあるものの、数百からの群れを作り、数に比例して凶暴化していくというやっかいな性質を持っていた。
そして何より恐ろしいのが肉食であること。主食は人間だ。
さらに季節は春直前。
つい最近まで雪で人間が街道を通ることが少なかった時期ということもあり、彼等は腹を空かせていた。
「キシャアッ!」
空腹に凶暴性を増したホーンラビットがまた一匹、ソフィーの柔らかそうな太ももの絶対領域に飛びかかる。
「この……! 万年発情期ッ!」
ソロでいるソフィーはこの護衛中、幾度と無く冒険者チームから勧誘を受けていた。
その時のことを思い出しながら、鬱憤を晴らすかのように斬るというよりは叩くといった感じで、ホーンラビットを切断する。
返り血がソフィーの顔を汚した。
鬼神の如きソフィーの雰囲気に、助けた恩で仲間に引き入れようと画策していた男たちは近寄れないでいた。
つまりソフィーが半ば孤立無援の状態だということ。
しかしはっきりと言って、それは仲間を作らないソフィーの過失だ。
冒険者は何もかもにおいて自己責任。チームに入らずにソロで活動した結果死んだとしても、それはソフィーの自業自得。
じわじわとソフィーは追い詰められていった。
馬車の屋根の上で、状況を観察していた商隊の隊長がある判断をする。
それはこの窮地を救える存在に力を仰ぐということ。だが彼女に助けを求めれば、多額の報酬を支払わねばならなくなる。
働く時は別途報酬を支払うという条件で、格安で雇わせてもらっていたが、この状況で金を惜しんで手をこまねけば全滅の憂き目に遭いかねない。
「姐さん! 頼んます! 姐さん!」
商隊長は馬車の屋根を叩く。
この事態にあってなお、馬車の中で惰眠をむさぼる頼もしいんだか、ただの無神経なのか分からない。しかし実力だけは確かなランクS冒険者。〈探求者>と呼ばれる女を起こす為に。
何度もドンドンと叩いていると、やがて馬車のドアが開き、一人の長身の女性が姿を現す。
「ふぁ~……まったく、うるさいなあ。ゆっくり寝れやしない」
「寝てる場合じゃないですよ! 見てください、モンスターの群れです!」
「モンスターってただのホーンラビットじゃないか」
女冒険者はさも面倒くさそうに、水色のロングヘアーの中に手を突っ込んだ。
「数がやばいんですよ! 数が! 姐さんにとっては少ないかもしれないですけど、他の冒険者の手に余り始めてます!」
「しょうがないな~。私が働いたら、一回につき金貨10枚とゴハンの量も三日間は量を三倍にするって約束は覚えてる?」
「覚えてます! 覚えてますから早くお願いします!」
「よ~し……お?」
「どうしたんですか?!」
「女の子がいるじゃないか、しかも一人。周りの男どもは何やってるんだ」
「あれは……」
「あ、女の子が危ない!」
商隊長の言葉を遮って、ランクS冒険者は風のように駈け出した。
「ね、姐さん?! 早く頼んますよ!」
一瞬にして遠ざかる背中に、商隊長の言葉が届いたかどうか。
いずれにしても彼女を動かした以上、もう自分にできることはない。
「本当にあの人がランクSなんですか?」
最近入ってきた新人の若い男が、商隊長の横から話しかけてくる。
「言いたいことは分かる。だが姐さん――エレハネートさんの前でその言葉、絶対に言うんじゃねえぞ。拗ねるからな」
そしてエレハネートは拗ねると飯の量が何倍にも増える。そんな女だった。飯も冒険者に経費として出す商隊にとっては大損だ。
「それにあの人は正真正銘のランクSだ。見てれば分かる」
カイゼル髭の顔をキリリと締める。しかしカッコイイのは上半身だけ。
ガクガク震わせる戦闘能力0の商人の足は正直である。若い男はちょっぴり不安になったのだった。
■
ソフィーはホーンラビットに囲まれ始めていた。
これまで広い街道に散らばっていたホーンラビットのいくらかが、一人であるソフィーにひとまず狙いを付ければいいと、ようやく気付いた為である。
「くっ……!」
じわじわと包囲を狭めてくるホーンラビットに、有効な手立てがないソフィーはここまでかと諦めかけていた。
ソフィーはほとんどお金を持っていない。親に頼りたくないという、親離れというよりは拗ねた子どもの心境で、僅かなお小遣い以外は持ち出さなかった為だ。この状況、端金をやると言っても助ける者はいない。
例えばだが、例えばソフィーが身体を条件に助けを求めれば応じる冒険者はいるだろう。
しかしそんなことをするくらいならば、文字通り死んだ方がマシというのがソフィーだ。
だか無償で助けようと思う冒険者が全くいないという訳ではない。
けれども元々ソフィーの周りに集まっていたのは、ソフィーの美に誘蛾灯のように集められた下心ありの冒険者たちだった。
それ以外の者は、自分のことや優先すべき仲間のことで手一杯。とても遠くのソフィーを助ける余裕はない。
「キシャアッ!」
サラウンドで響く不快な鳴き声にソフィーは死を悟る。
生きたまま食べられる恐怖に思わず目を瞑り、身体を縮こまらせた。
「…………」
しかしいつまで経っても痛みはやってこない。
恐る恐る目を開けると、ソフィーは半透明半球状の水の膜によってホーンラビットから守られていた。
驚きに目を見開くソフィー。
「え、な、何……これ?」
ソフィーを中心にドームを形作るそれは、地面との接地面からせり上がるように水が流れている。
激流は触れたホーンラビットを上へと放り投げ、中への侵入を許さない。
安堵に力が抜けたソフィーが尻餅をつくと、そこへ水を割って一人の女性が現れた。
「大丈夫かい?」
“水”を体現したかのような美しい女性だった。
女性はソフィーに手を差し伸べる。
それを掴んだソフィーは訊ねた。
「あ、ありがとうございます。これは……?」
「水の第四位階防御魔法。〈水の防御繭〉だ」
「第四位階……!」
その数字は位階の中でも上位に位置付けられる。
ソフィーが先日卒業した、風の国の王都にある中等魔法魔術学院の教師にも使える者はいない。
冒険者として生きていこうと決めたソフィーが、もう見ることの叶わないと思っていた大魔法である。
「さてと君はこの中にいるといい。後は私が片付けよう」
「ま、待って! まだアタシも……!」
「残念。もう終わってしまったよ」
「え?」ソフィーはホーンラビットを見遣った。「――……っ!」
まだ100匹以上残っていたホーンラビット。
しかもあちこちに散らばっているモンスター全ての頭部だけに、水の球がかぶさっていた。
低位階の魔法とはいえ、恐るべき空間把握能力、そして速度と多重展開である。
呼吸困難に喘ぐモンスターたち。冒険者たちも驚きに手を止める。
モガボゴという水と呼吸の不協和音が周囲一帯を支配した。
そして数分後、モンスターたちは窒息した骸を天に晒す。
それを見届けた女冒険者は、事も無げに腕をふるった。
「ほら男どもはボサッとしない。片付けた片付けた」
冒険者にとってランクSは絶対だ。
普通ならある、もっと早く加勢しろという不満すら出ず、指示を受けた男たちはムチで打たれたように働き始める。
「私も」
「君はいいよ」
「えっ?」
「血生臭いモンスターの処理なんて、男に任せておけばいいんだ。それより私たちは水浴びに行こう。返り血を浴びてるよ」
ソフィーは目の前の女性の全身に目を走らせた。
しかし女性の衣服は一滴の血にも汚れてはいなかった。
まるで清浄な水が汚濁を寄せ付けない結界を作ることがあるように、彼女には汚れという物が似合わない気がソフィーにはした。
「私は寝起きは水浴びをしないと気持ち悪くてね」
「ね、寝起き?」
今はもう昼を過ぎた時間だ。
「さ、行こう。あっちから水の匂いがする。きっと湖があるぞ」
「え、ちょ、ちょっと!」
確かに街道脇の森を抜けた先には湖があった。
ソフィーは歩いてきた背後を心配げに振り返る。
「大丈夫だよ。覗きは私が絶対に許さないから」
その言葉に押されて、汚れを落としたかったソフィーは服を脱いだ。
〈清潔〉の魔法があれば、血の汚れも落としてくれる。しかしべっとり張り付いた不快感までは拭い取ってくれない。
その点、水浴びであれば清涼な水のサラサラ感が血糊の不快感を上書きしてくれるので、魔法使いでも水浴びを欠かさないという人は多い。
シャツのボタンを外し、肌着を脱げば、ブラジャーのない世界ではもう裸だ。
ソフィーは最近になって大きくなってきた、胸のお餅をぷるんと震わせながら湖の浅瀬へと入っていく。
そこでは既にエレハネートが待っていた。山はソフィー以上の大きさを誇っている。
ここに来るまでに互いの自己紹介は済ませていた。ランクSと聞いた時はまた腰を抜かしそうになったものだ。
その若さからは到底信じられない。ソフィーはランクSと言えば、老獪さを持った武達者な者を想像していたからだ。
しかしあの実力を見せつけられれば、信じざるを得ない。
瑞々しいエレハネートの肢体が、透き通る水面の下に見える距離まで近づく。
ソフィーが湖に頭を沈めてから浮き上がると、水面をフィルターのようにして不快感が水に溶けていくようだった。
「ふう……」
顔の水を拭っていると、エレハネートが話しかけてくる。
「さっきは危なかったね。ソロなのかい?」
「あ、はい! さっきはありがとうございました!」
「気にしなくていい。私は女の子が大好きだからね」
「えっ……」
ソフィーは身体を抱いて僅かに身を引く。
「あ、そういう意味じゃないから安心してくれ。私は異性愛者だよ。ガチムチの冒険者より、守ってあげたくなるような小さくて細い子が好きかな。でも私が迫るとどうしてか逃げちゃってね。未だに彼氏がいたことはないんだ。女の子が好きっていうのも、こうして一緒に水浴びができるからだ」
「水が……好きなんですか?」
水に入ってからの彼女は活き活きとしている。
彼女の身体から滴る水滴が陽光に反射して、そのように錯覚させているだけかもしれないがソフィーはそう感じた。
「ああ……」
そう言って水を掬うエレハネートは本当に美しかった。
豊かな双丘の間を流れる水滴が、水のようなしなやかな流線型を辿って形の良いヘソに貯まる。
男ならむしゃぶりつきたくなる身体。女ながらにソフィーはそう確信した。
そしてソフィーはある決意を持って話しかける。
「エレハネートさん!」
「さっきも言ったが、エレハでいい」
「え、エレハさん! アタシをエレハさんのチームに入れて下さい! アタシもエレハさんにみたいに強くなりたいんです!」
冒険者になったからには当然、ソフィーも最上位冒険者たるランクSを目指している。
しかしそれは険しい道だ。
ただ依頼をこなし続ければなれるというものではないし、おそらく冒険者の大半はランクSなど目指そうとすら思っていないだろう。
が。
ソフィーは違う。
セブリアント初代国王がランクSの冒険者だった。
彼に憧れるソフィーは本気だ。本気でランクSを目指している。
ソフィーは期待を込めた視線で彼女を見つめた。
エレハネートの深海のような瞳がソフィーを見下ろすが、けれどもそこにソフィーを写してはいなかった。
「あ……」
「申し訳ないが、今の君では力量不足だ。今の君が“本物”に至れば、あっという間に命を落としてしまうだろう」
「本物……?」
「そうだ。本物。なぜ私が〈探求者〉なんて呼ばれているか分かるかい? ……本物を求め、探しているんだ」
「その本物って?」
「深海の底、氷竜が住むとされる大氷山、一年中雷が落ちる廃墟街……そういった属性が最も色濃く表れる地のことだ。一度足を踏み入れれば、私でさえ生きて出られるか分からない」
ソフィーはランクSでさえと息を飲む。
「この世界にはそうった場所がいくつもある。私はそこにどうしようもなく惹き付けられる。だから今は仲間を作るつもりはないんだ。申し訳ないね」
「いえ……」
そうは言っても、落ち込んだ声はソフィーの心中を雄弁に語っていた。
ランクSとの望外の出会い。その傍で修行できれば、より早くそこに近づけると思ったからだ。
こんなチャンスもう二度とないだろう。
「でも大丈夫」
「えっ?」
ソフィーは水面に落としていた顔の影を消す。
するとエレハネートのしなやかな指がソフィーの頭を撫でた。
「君は素直ないい子だ。きっといい仲間が見つかる」
「そう……でしょうか。アタシ自分でも跳ねっ返りだなって……」
「守られるだけではなく守れる。そういう君の強い部分を必要としてくれる人がきっと現れる。私のこういう勘はよく当たるんだ」
エレハネートはそういってソフィーに笑いかけた。
それがソフィーとランクS冒険者エレハネートとの出会いだった。
■
そして二ヶ月後。
ソフィーは肩を怒らせて一人、フィールドの街の外に出る為に門へと向かっていた。
フードを目深に被るようになったのはつい最近だ。
理由は――
(あーもう! なんなのよ! 話しかけてくる奴話しかけてくる奴、皆下心が透けてるのよ! ムカツク!)ソフィーは奥歯を噛みしめる。(……でもそれって……)
ナンパまがいのチーム勧誘しか受けないということは、誰もソフィーの実力など欲してはいないということ。
冒険者登録したばかりのソフィーは当然、最下位のランクF。
そして中等学院でいくら無双していたといえども、海千山千の冒険者の中に混じれば今のソフィーの実力では玉ではなく石の側だ。
それがどうしようもなく悔しかった。
また同レベルで同世代の冒険者を探そうとしても既にどこかのパーティに所属していたり、そもそも数が少なかったりと中々見つからない。
(女の子が好きって言ってたエレハさんの気持ち……今なら分かるかも)
とにかくいないのだ。少女の冒険者というのが。ギルド内のカウンターのこちら側は、むさ苦しい男どもで溢れかえっている。
少女冒険者がいたとしても、男にチヤホヤされて守られるのが当たり前みたいな雰囲気を醸し出していた。
助け合うのはいい。だが一方的に守られてばかりなのは違う。
それはソフィーの理想とする冒険者像とはかけ離れていた。
ソフィーが好む、逆に男を守ってやるくらいの気概を持った少女冒険者というのは皆無だった。
ソフィーは怒りが再燃してくる。
(あーもう、イライラする! 次に話しかけてきたナンパ野郎は殴ってやろうかしら!)
そんな時だった。下心があるように聞こえる喋り方で、話しかけてくる者が現れたのは。
「――スミマセン」
このタイミングでなければ本当に殴りはしなかっただろう。
だが数瞬前の思考が、苛立ちが、無意識に拳を反射させてしまった。
ソフィーは話しかけてきた男にパンチを放つ。
――それがソフィーにとっての運命の出会いになるとも知らずに。