第24話「孵化 ――火と風―― その2」
草木も眠る丑三つ時。
陽斗はフィールドの街の西にある森、その中心部に位置する岩場から少し離れた木々の下で、腕を組んでは難しい顔であっちに行ったりこっちに来たりを繰り返していた。
「落ち着くっすよ、陽斗様。陽斗様の子どもが生まれるという訳ではないんすから」
陽斗は澪の言葉にピタリと足を止める。
「……とは言ってもなあ、友人の子どもが生まれるのだって俺にとっては初めてのことで……」
幼少の頃に澪に泣きついていたことと言い、先ほどのこと言い少しばかり陽斗のメンタルの弱さが露呈してきていた。
しかし陽斗にとって正真正銘これが初の命の誕生に立ち会う瞬間だ。どういう態度でいれば正解なのか、全くと言っていいほど分からない。
まさかその初めての経験がドラゴンなどとは夢にも思わなかったが。
「……卵が孵るだけじゃない。グラナがもう一度お腹を痛めるわけでもないんだから」
ソフィーはさっきから呆れ顔で陽斗に視線を送っていた。
「でも」
「いいからこっち来て座ってなさいよ。あんたにウロチョロされると、こっちまで気になってしょうがないじゃない」
立っていた方が気が紛れるのでそうしていたいところだが、有無を言わさないソフィーの口調はなんだか慣れたものを陽斗に感じさせる。
仕方なしに手招きに応じて澪とソフィーが座っているところに近づいた陽斗は、幼馴染みの隣に敷かれた毛布の上に胡座をかいた。
陽斗が岩場の方に目を向ける。
岩場の巣の上には暗くなってよく見えないが、グラナの巨体の影がある。ピクリともせずに一心不乱に足元を見つめている。卵が孵るのを今か今かと待っているのだろう。
陽斗たちが近くで見ていないのには理由があった。
グラナに、最初に顔を見るのは自分ではないといけないからと、呼ぶまでは少し離れていて欲しいと頼まれたから。
(ドラゴンにもインプリンティングってあるんだな……)
とまた一つクイズにでそうな――ただし日本では絶対に出題されない異世界限定の――知識を増やしていたところで澪が手を差し出してくる。
「陽斗様、これをどうぞっす」
そう言って澪に手渡されたのは双眼鏡だった。しかし周囲は真っ暗。今日は明るい色の月の日だが、それと星明かりだけでは双眼鏡があったところで、遠くは見えないのではないかと心配になる。
そんな陽斗の疑問を先読みした澪から答えがもたらされた。
「赤外線暗視スコープっすよ」
見ればソフィーも同じものを持って覗き込んでいる。深緑の髪を持つ魔法世界の住人が、科学文明の利器を顔から生やすという光景に若干のシュールさを感じる。
(澪のマジックポーチには何でも入ってるな……ん? でも入ってるのは生活必需品って言ってたような……銃や双眼鏡を使う日常ってなんだ?)
陽斗にはもちろん知らされていないことだが、地球で一人出かける時などは常に影ながら水野家の護衛がついていた。空属性を次代に継承できるのは陽斗だけだ。万が一があってはならないという理由だ。
しかし澪がその当番の時などは趣味と実益を兼ねて(もしくは護衛という名目にかこつけて)、部屋まで覗かれていたとは、陽斗は夢にも思わない。夜は陽斗とてカーテンくらい閉めるが。
そして世の中には知らない方がいいこともある。おそらく陽斗はこの事実に生涯気づかないだろう。
(いやあー今回の転移が起こったのが私が傍にいる時で本当にラッキーだったっすねー。陽斗様と合法的に同じ部屋で寝られるんすから。むふふ)
陽斗と澪がそれぞれ内心で同時に疑問とその答えを考えるという、器用というか通じあっていると言っていいのか。そんなツーカーっぷりを誰にも知られることなく発揮していると、双眼鏡を覗いていたソフィーが興奮が滲んだ声を上げた。
「卵にヒビが!」
二人は一斉に双眼鏡を覗きだした。
さすがに現代技術で作られた暗視スコープだけあって、問題なく卵を見ることが出来る。その卵には既に僅かな亀裂が走っていた。
まさか異世界でバードウォッチングならぬドラゴンウォッチングをすることになるとは、と陽斗はまた一つ人生の思いのよらなさを実感しながら、しかしワクワクした面持ちでその時を待つ。
グラグラ揺れる卵をしばらく見つめていると、卵を一周するようにヒビが入った。
「おっ!」
卵の底の方も中から強く蹴りつけられているように振動し、地面の上をくるくる回転している。
「さ、さすがにドキドキしてきたわ」
先程まで落ち着いて陽斗を窘めていたソフィーも、気持ちの昂ぶりをを隠せないようだった。
一周した割れ目が小さく持ち上がり、いよいよ卵の動きが忙しくなる。
「生まれるっすよ!」
卵の中からはピカッと紅の光が漏れだし、段々と明るさを強めいてく。
そして――ドラゴンのヒナは姿を表した。
「ぴゅーいぃ」
星柄の帽子を頭に載せ、卵の殻から足を突き出したヒナはグラナをそのまま小さく、しかし可愛らしさを100倍にしたような印象だった。
「「キャー! 可愛いぃ~!」」
少女たちは声を抑えてはいるが、片手同士を合わせてキャッキャとはしゃいでいる。
一方のグラナはさすがに母親、落ち着いてヒナの殻のついていない部分を舐めている。
そうしてしばらくして親子の儀式が終わると、陽斗たちはグラナの招きでヒナの前に立たせてもらった。
グラナはヒナにこれが人間だと教えていた。なんでもこのあと一週間もしたらグラナの同族が棲む火山連峰という場所に帰るそうで、その前にヒナに人間を見せておこうと思ったということだ。
一週間というのは弱いヒナを守る強固な卵の殻が剥がれるのを待つ期間らしい。これが取れるとヒナを乗せて飛んでも平気になるとグラナは語った。
陽斗たちはヒナと少しでも目線を合わせようと膝をついた。
ヒナは不思議そうな表情で首を傾げて陽斗たちを見上げている。
どこからか「か、可愛い」というヒナの愛らしさにノックダウンされたような声が聞こえたが、陽斗もヒナに目が釘付けになっており構う余裕はなかった。
「さ、触っていいのか?」
『優しく殻が剥がれている背中あたりを撫でてあげて』
陽斗は許可を貰い恐る恐る手を伸ばす。触れる直前にヒナが陽斗を見て、ピクッと手を硬直させたが、ヒナが何もしてこないのを感じて撫でた。
ウロコの感触はなく、どちらかというとツルツルとした手触りだった。
そして背中には小さいながらも翼が生えている。これが時折動いて可愛らしい。
陽斗、澪と順々にヒナに触れる中で、ソフィーが触ろうとした瞬間にヒナは身を屈めてしまう。
うずくまりパタパタと羽をはためかせるその姿は、伸びるソフィーの手を拒絶したように視えなくもない。
「えっ……な、なんでアタシだけ……」
避けられたと感じたショックでソフィーはよろめく。
『いいえ、これは……』
「どうしたんだグラナ?」
『飛ぶわ!』
「え?! 飛ぶ?!」
ヒナに視線を戻してみれば確かにその行動は必死に飛ぼうとしているようにも視える。
じっと四者の視線が見守る中、ついにヒナの脚が宙に浮いた。
『「「「おお!」」」』
親バカ一名を加えた全員の歓声が上がる。そして懸命に翼をはためかせて向かう先はそんな親バカのところかと思いきや。
「えっ? アタシ?!」
ヒナはまだぎこちない浮遊で、ふわふわとソフィーの肩に乗ったのだ。そしてペロっと彼女の頬を舐めた。ソフィーはくすぐったそうに身を捩った。
『……〈風は火を増し、火は風に舞う〉ね。ソフィーはよほど私の娘と相性の良い、風属性魔力を有しているようよ。……私のところに一番に来てくれなかったのは少し残念だけど』
遺憾さを滲ませた声音で、属性には相性があることをグラナが教えてくれる。
〈風は火を増し、火は風に舞う〉とは火と風属性の相性の良さを表した言葉だ。他にも水属性と地属性の相性の良さ表現した言葉として、〈地は水を濾し、水は地に蓄む〉がある。同じように光と闇属性も相性が良い。
それをソフィーに伝えてやると、戸惑いから一転。猫かわいがりし始め、ヒナも遊んでもらっていると思っているのか、楽しそうにソフィーの周りで跳ねまわった。
その後さすが火属性ドラゴンだけあって、温かいグラナに抱かれるようにして三人と一匹は眠った。
明け方になり目覚めた陽斗、澪、ソフィーは森の外までグラナに送ってもらえることになり、背上の人になっていた。とはいってもグラナは飛ばず、地上を歩いている。
ヒナは楽しそうにソフィーの膝の上できゅいきゅい鳴いていた。
陽斗はそれを見ながら昨日グラナに教えてもらったヒナの名前について回顧する。
ヒナの名前だが、まだ付けないらしい。というのも火山連峰に帰ってから群の長につけてもらうそうだ。
群から離れて卵を育てていたのと合わせて、ドラゴンの風習である。
しばらくはヒナと呼ぶことになりそうだ。
ソフィーはヒナの両手(前足?)を握って、持ち上げたり下ろしたりしながら陽斗たちに相談する。
「クエストの方はどうする? ドラゴンがいたと言ってもきっと信じてもらえないわよ」
潰れた岩場はグラナが卵を育てる間にちょうどいいと、均しもかねて勢い良く降り立ったそうだ。そのときに巣の中にいたフォレストキングウルフは潰れてしまったのだろうというのが三人で出した結論だ。
狩りか何かに出ていて難を逃れた生き残りがグラナを恐れて、森の外に避難したというのがフィールドの街で報告されていたウルフの氾濫の真実なのだろう。
「クエストの期限は一週間後。それまで報告をせずにグラナが去ってからフォレストキングウルフは別のモンスターに倒され、その倒したモンスターも去った後だったという風に報告すればいいっす」
澪が指を立てて代案を示す。
異世界の一週間は地球と同じように七日間だ。名称は魔法の七属性をとって火の日、水の日、……、空の日となっている。
ウルフズフォレストの調査期限は10日間となっていたので、受注してから2日後に出発した陽斗たちにはまだ猶予があった。
「それしかないか……」
その案で煮詰め、結局調査したことを怪しまれないために、グラナの見送りがてら期限の二日前にもう一度ウルフズフォレストに足を運ぶことになった。
グラナにもそれでいいかと確認をとったところで森の縁に到着し、ドスンと一際な音を立てて彼女が停止する。
「ほらソフィー、もう帰るぞ。ヒナとはお別れしろ」
「う~」
子どものようにヒナとの別れに駄々をこねるソフィー。自分に一番なついていただけあって、彼女こそが三人の中で最も情を移したようだ。
「また今度来るんすから! ほら行くっすよ!」
澪がソフィーをヒナから引き剥がしに掛かる。
『ふふ……ではまた後日会いましょう。人間の友よ』
「ああ、なんか持ってきてほしい物はあるか? 祝いになんか贈るぞ」
『気を使わなくても良いのに……と言いたいところなのだけど、言葉に甘えさせて貰いましょうか。一つだけ欲しいものができたの』
グラナは陽斗に欲しいものを告げる。
「そんなんでいいのか?」
グラナはそれがいいのよと首を縦に振った。陽斗もまた力強く頷いた。
「分かった。必ず持ってくるよ……ヒナもまたな」
澪がソフィー襟首を引っ張って歩き出す。ずるずると引きずられながらソフィーは叫んだ。
「ヒナぁ」
可愛い物好きだったのかと陽斗は意外に思う。冒険者な上、歴史好きという硬派な趣味を持っているから、てっきり可愛い物には興味がないのだと思っていたからだ。
そんなことを考えながら陽斗もまた手を振り後ろ歩きで続く。
「またなー」
グラナは陽斗にしか聞こえない言葉ではなく身振りで三人に辞去を告げると、ヒナを背中に乗せてのっしのっしと森の奥へと帰っていった。
姿が見えなくなるとソフィーも渋々自分の足で歩き始める。しかしすぐに後ろを振り返った。
後ろ髪を引かれた。それならばすぐに付いてくるだろうという思いに反して、ソフィーは中々歩き出そうとはしなかった。
「どうしたんだ、ソフィー? 置いていくぞ」
「……今一瞬だけ視線を感じなかった?」
疑問形なのはソフィーも感じたのは本当に一瞬で、今では本当に感じたことなのか自信が持てなくなっていたからだ。
何? と陽斗と澪は訝しげにソフィーの視線を追う。しかしそこには傍目には何の変わりもない森があるばかり。人っ子一人いない。
「気のせいじゃないっすか」
「アタシ、視線には結構敏感なはずなのに……」
果たしてそれに一番反応したのは陽斗だった。
「い、いくぞ! 早く帰ってベッドで寝たい」
何かを誤魔化すように踵を返してスタスタと歩調を速める。
「待つっすよ陽斗様~」
「こら! アタシを置いていくなー!」
少年の背中を少女たちが追って、青空の下を駆けた。