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虹のファンタズマゴリア~全属性チートは異世界で王の証~  作者: 神丘 善命
第一章:斯くて王は異世界に降臨す
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第25話「挿入話 ――それぞれの夜――」

 ウルフズフォレストから無事に帰還した翌日の夜。

 ツインベッドとその隙間を縦棒に当てたT字の隙間しかない宿の一室に、外套を脱ぎ学生服とメイド服を晒した主従の姿があった。

 この異世界において灯りは高級品であり宿では有料なので、節約のため室内は澪の〈燈火〉(ライト)で照らされている。


 澪は陽斗に紅茶を入れ、自身の分もカップから湯気をくゆらせながらベッドに腰を落ち着けたところで陽斗に話しかけられた。

 陽斗はベッドとベッドの間にあるサイドテーブルに日本から持ち込んだティーカップを預け、何やら神妙な面持ちをしている。


「なあ、澪……」

「? どうしたんすか? そんな改まって」

「……予備のブラジャーを持っていないか?」

「ブフッ」


 思わず紅茶を陽斗に吹き掛けそうになって――それもいいかもと一瞬思いつつ――、慌てて手で抑えた。しかしその逡巡は手の隙間から紅茶を漏れ出させ、澪のメイド服とベッドにシミを作る結果に。

 澪は第10位階魔法〈清潔〉(クリーン)の魔法で、事も無げに白い地図に出来た赤い大陸を消すと、陽斗の顔を目を皿のようにしてまじまじと見つめた。


「……陽斗様がつけるんすか?」

「違ーよッ!」


 陽斗はガッと立ち上がると「普段から俺をどんな目で見てんだよ」と言いつつ、即座に不名誉な誤解を否定する。


「じゃあ急にどうしたんすか? 私のブラには金属が使われていないっすから、うなじに刺して殺人とかできないっすよ?」

「だから違うって。俺が使うんじゃないんだよ」


 陽斗は手を顔の前で一振りしてありえないと主張する。そして瞳を白眼の海で泳がせながら、言いにくそうに告げた。


「その……ソフィーにな」

「……は?」


 澪の声が一オクターブ下がり、宿の一室に冷気が漂いだす。

 遠回しに自分のブラを見たいと言っているのだろうかとちょっと――いやかなり嬉しく思っていたが、そういったものも含めた全感情がストンと澪の中から消失した。


「あっいや! これは違くて! ほらあのその……ソフィーが視線に敏感だって言ってただろ?」


 澪はめまぐるしく揺れ動く感情の波の中で、ソフィーの言動を思い出す。

 一昨日にグラナに送られてウルフズフォレストを辞去した直後のこと。確かにソフィーが視線を感じたと言って振り返っていた。

 その時は勘違いだったが、ソフィーは自分が視線に敏感だと言って不思議がっていた。


 澪は、はたとそう言ったときの陽斗の様子が不自然だったことに気付く。

 これはつまり陽斗がソフィーのことを見ていたということ。


 しかしそれとブラジャーが何の関係があるのだろうか。

 ソフィーの外見は他人の視線を引き付けるものがある。男ならその外見に自分の贈り物を付けさせて、彼女の所有を主張もしたくなるだろう。しかしブラをプレゼントしたところで外からは見えない。


 そもそもプレゼントを贈りたいということは、陽斗はソフィーに惚れているということなのだろうか。それを言うならプレゼントにブラジャーはどうなのだろうか。


(いやでも、とあるマンガでは贈り物に悩む主人公に、モテキャラが下着を贈るのが流行っているとアドバイスをしていたっすし……でもあれはもう何年も前のマンガで……)


 澪は己の考えにショートしそうになる。陽斗がソフィーに奪われたと失意に目をぐるぐる回し、あと一秒で目の前が真っ暗になるその寸前に、陽斗から理由が話された。


「ソフィーってブラしてないから……ゆ、揺れるだろ?」

「……はあ?」


 陽斗の言う当たり前のことに、澪は僅かに気力と冷静さを取り戻す。そしてそういえば異世界にはブラジャーが無かったなと頭の上に光が灯った。

 また自分が早合点していたことにもだんだんと理解が及んできた。


「つまり陽斗様はソフィーが戦闘中に揺らすおっぱいをどうにかしたくて、私にそんなことを聞いたんすね?」


――好きになったからプレゼントしたいのではなく。

 という言葉はもし肯定されたときのことを考えると、恐ろしくて言葉に出来なかった。

 目の前に座る陽斗は我が意を得たりと首肯する。


 澪はほっと一息つくと別の怒りが湧いてきた。

 しかしここでソフィーの胸を見ていたことを責めても、それは意味のないばかりか余計に陽斗に意識させてしまう結果になるだろう。自分は理不尽暴力ツンデレキャラではないのだという、よく分からない意識が澪にもっと良い方法があるとささやく。

 澪はすばやく作戦を立て、その幕を上げた。


「ほほう……」


 澪の声音には明らかに怒気が籠もっているが、表情は笑顔を浮かべたまま。

 長年付き合ってきた陽斗にとってすれば、これは澪が相当に怒っているように見えているだろう。女は役者。これくらいの演技は訳ないのである。

 陽斗は手を慌てふためかせながら、言い訳めいた口調で捲し立てた。


「これはっその……いやらしい気持ちとかじゃないんだ! 動くものを目で追ってしまうという動物の習性的なあれであって」

「……それで陽斗様は私のブラをソフィーに貸そうと?」

「そ、そうなんだ! これは戦闘中に気を取られなくするためであって、生存率を上げるという崇高な目的なんだ!」


 分かってくれたかと顔を輝かせる陽斗に、澪は堪忍袋の尾が切れたといった感じでゆらりと立ち上がる。

 何だか見たことのある光景に陽斗が悲鳴を上げた。


「え? な、何。なんで立ち上がったんだ?」


 陽斗の記憶力によってその場面と一言一句違わぬ台詞が出てきている。

 また気絶させられるのかとビクビク怯えながら身を竦めた陽斗は、逃げることも能わず冷鬼の沙汰を待つことしかできない。


 澪が陽斗に最接近すると、一際大きく震えて腕で顔をかばった。

 しかしいくら待てども痛みはやってこない。好奇心が首をもたげ、薄目を開けて腕の隙間から覗き見る。

 するとそこには聖女のような笑みを湛えた澪が陽斗を見下ろしていた。いつの間にか冷気も消え去っている。


「陽斗様……私は別にソフィーの胸を見たことを怒っているんじゃないっす」

「そ、そうなのか?」

「ええ私はっすね……長年一緒にいるはずなのに、私の胸の大きさを把握していない陽斗様に呆れているんすよ!」


 澪はむんずと未だ掲げられたままの陽斗の腕を取ると、自身の胸に押し当てた。

 手の平を押し当てられた澪の胸がむにょりと柔らかく潰れる。


「あ……あ……」


 陽斗は理解が追いつかないようで言葉を失っている。

 一方の澪は不自然にならないように(?)、陽斗の手を自分の胸に導けたことに興奮していた。


(あん……おっと嬌声が出てしまいそうになるっすね。さすがに感じているのがバレたら変態の烙印を押されちゃうっすからね)


 端から見れば充分に変態的行為なのだが、恋する乙女にかかれば恋愛という大義名分があれば何でも許されてしかるべきという思考回路になる。

 さらにこれは自身の欲望を満たすばかりにしているわけではない。おそらくさっきまでの陽斗の頭の中は、ソフィーの胸で一杯だっただろう。それを自分の胸で上書きする。これが――おそらく――澪の恋の駆け引きの上での最大の目的のはずだ。決して単に触って欲しかったからなどという理由ではないのである。


(ソフィーのおっぱいを見たことを忘れさせつつ、陽斗様に私を意識させる。そしてさらにさらに私も気持ちよくなれる……くくく、完璧……一石三鳥の完璧な計画っす!)


 ……決して単に触って欲しかったなどという理由ではないのである。


 陽斗の手の平は未だ澪の胸の上だ。

 そして男の深層心理ゆえの無意識にか、それとも純然たる体の反射か、澪の胸に置かれた陽斗の手が二回ほど動いた。


 その感触にリアルさを感じ取ったのかもしれない。陽斗は茫然自失状態から復帰すると、耳まで顔を赤らめる。次いで澪の胸から手を離して布団に潜り込んでしまった。


「ご、ごめん! わざとじゃないんだ!」


 澪の胸を揉んでしまったことを言っているのだろう。澪自身が手を誘導したのだから謝る必要は全く無いのだが、女性の体に触るのはいけないことだと思い込んでいる純朴少年は反射的に謝罪してしまう。


 亀になった陽斗を僅かに上気した頬で可愛いと見つめながら、澪は布団の上から覆いかぶさった。


「ほらほら……この際っすから大きさとか確かめとくっすよ。そしたらサイズの違うブラを貸せなんてバカなことを言わないで済むっす」

「ち、違うんだ! バッグのショルダー部分のようにストラップの調節で、誰にでも着られるものだと思っていたんだ!」

「ほほうカップの部分は全女性共通の形だと?」

「そうなんだ! 胸の大きさってのは体から出っ張ってる部分の長さだと思っていたんだ。だから紐の調節さえできれば!」

「まだ言うっすか? だったら私の着けているブラを見せてあげるっすから、出てきて存分に確認するっす。ほらほら~」


 などと若い女性に興奮する中年オヤジのような雰囲気で、身体をこすり付ける澪。さらに彼女が動く度にベッドがギシギシと音を立てた。それもまた澪の興奮を高めて動きを激しくさせる。

 布団の隙間から容赦なく侵入してくる澪から漂ってくるいい香りに、陽斗はたまらず許しを請う。


「やっぱり怒ってるんだろ? 謝る! 謝るから許してくれ!」

「だから私は怒ってないっすよ~? 勘違いは誰にでもあることっす」

「だからそれが――」


 はっと何かに気付いたかのように、陽斗は澪を引き剥がそうと布団の中でもぞもぞ動いていたのを止めた。


「そ、そうだ! 『いつもの』! 『いつもの』で勘弁してくれ!」


 陽斗のその言葉に、すりすりと布団の上で動いていた澪がピタリと止まった。

 『いつもの』。それは長い間幼馴染として過ごしてきた中で、怒らせてしまった澪の機嫌を取るために開発した手である。

 二人の間でのみ通じるその意味は、『一回言うことを何でも聞くから許してくれ』だ。



   ■



 陽斗と澪が中学二年生の時のこと。年の暮れが迫る師走下旬。

 陽斗が放課後に暖房のきいた教室で帰り支度をしていると、澪が正面に回りこんで、腰を折って下から顔を覗き込んできた。


 中学校の制服はほとんど黒と言ってもいい紺色のブレザーだ。

 澪は美少女である故か、周りの女子生徒に比べて幾分大人びて見える。その大人っぽさと黒の服が相俟って妖しげな色気を醸し出していた。

 しかし見た目の雰囲気に反して、紡がれた声は無邪気な少女のそれ。


「はーると様っ」


 非常に機嫌良さそうに陽斗の名前を呼ぶ澪。対して陽斗はうっと反射的に澪から距離をとるようにのけぞる。

 こういう時は大抵碌なことにならないと、陽斗の経験が叫んでいるのだ。


「悪い澪、今日は予定が……」

「ふふん、陽子さんに聞いてるっすよ。朝に陽斗様が今日は帰ってきたら即寝るぞって言ってたって」

「うっ……」


 昨夜はつい遅くまで特番を見てしまっていたのだ。毎朝陽斗が寝ている所にダイブして起こしてくれる者がいるので寝坊はしなかったが、朝食の席でそんなことを口走ってしまっている。寝ぼけていても後から思い出そうとすれば簡単に回帰できる記憶力を恨めしく思いながらも、陽斗は澪に何の用だと訊ねた。


「ふふーん。陽斗様が前に使った『いつもの』を返済して欲しいなって」


 ついに来たかと陽斗は天を仰いだ。

 うっかり澪が作っていたトランプタワーを壊して泣いてしまったのを慰めるために、つい『いつもの』と口走ってしまったのだ。


 陽斗は前回の『いつもの』を思い出す。

 今年の夏休みのことだ。そのときは確かとあるコミックを見せられて、『これと同じように文化祭でピアノの連弾を発表するっす!』と言われてかなりの練習を強いられた。


 記憶力がいいからといって、この手のことは一度見ただけで完璧にコピーすることは出来ない。

 例えばいきなりプロのアスリートの動きを見せられて、真似をしろと言われても筋力や運動能力が足りずに完全なトレースができないのだ。


 それでもやはり記憶力がいいというのはアドバンテージである。ほぼ初心者からはじめて夏休みだけで一曲弾けるようになったのは、陽斗にとって僥倖だった。夏休み明けの文化祭で恥をかかずにすんだのだから。


 陽斗が澪の物語からの影響の受けやすさには困ったもんだと遠い目をしていると、澪から今回のお題が発表される。


「今度新年を祝うパーティーがあるんす。そこで陽斗様には私の執事……今は付き人っすかね。とにかくパーティーに付いてきて欲しいんすよ! 燕尾服で!」


 澪のサイドテールが楽しそうに跳ねる。

 陽斗は澪のいい笑顔を見ながら、次も大変な『いつもの』になりそうだと心の中で盛大に嘆いた。



   ■



 陽斗の『いつもの』宣言を聞いた澪は彼に見えないのをいいことに、ニヤリと盛大に唇の端を持ち上げた。


「聞いたっすよ~。もう撤回はできないっすからね! 次はどんなお願いをしようっすかね~」


 澪は妄想を巡らせて、一石四鳥になったと陽斗の上で笑う。

 陽斗が肩を落としたのは、布団の上からでもはっきりと分かるほどに大きな動きだった。



   ■



 一方その頃ソフィーはというと。

 陽斗たちと別れて借りているアパートの一室に帰ると、歩きながら装備を床に落としていき下着とシャツ一枚というあられもない姿になった。

 暗い部屋の中差し込む月明かりがソフィーの白い太ももを妖しく照らしだす。


 ソフィーは夏の汗で肌に服が張り付く不快さを感じながらも、それ以上脱ぐ気力が湧いてこなかった。そのままボスンとベッドの上に仰向けになる。胸が重力に押されて平たく潰れた。

 ベッドに汗が染みこむのを感じるが今は無視して、腕を目の上にかざしふうと重たく溜息をつく。


 今日ソフィーは陽斗と澪と街に繰り出して、遊んだり買い物をしたりして過ごした。ウルフズフォレストの調査クエストがまだ未達なので、新たにクエストを受けることが出来ないこの五日間は、休暇に当てようということになったのだ。


 ヒナの誕生日祝いを買ったり、屋台を冷やかしたり、食事をしながらお喋りをしたり、澪が持ち込んだトランプをしたりした。ソフィーはトランプを知らず裏面の模様の一点の違いもない絵に驚いた。そして様々な遊びを教えてもらった。


 楽しかった。いや楽しいとか楽しくないとか二人といる時には考えもしなかった。でもたぶんそれが楽しいということなのだろうと今では分かる。家と学院を往復する毎日では味わえなかったことだ。

 どれもそれもウルフズフォレストから生還できなければ、知らずに死んでいた友だちと遊ぶ楽しさである。


 ソフィーには一昨日ウルフズフォレストから帰ってきてから、ずっと頭を離れない脳裏に焼き付いたシーンがあった。

 それは背中。

 

「俺は死ねないからな――だったら諦めるって選択肢はないぜ……か」


 決して敵わない強大な敵に立ち向かっていった言葉だ。

 一聴すると陽斗自身が生き残りたいがための台詞に聞こえる。

 しかし自分一人が生き残れればいいと考えている者が、あそこで――ソフィーがこけた時に助けに来ることができるだろうか。


 陽斗がグラナに突っ込む前、確かに彼は震えていた。でも澪と笑い合った後は震えがなくなっていた。そして澪に泣きついた時に『良かった……本当に良かった……』と何度も言っていたこと。


 ソフィーには陽斗の言葉が別の意味に聞こえて仕方なかった。


「諦めない……か」

 

 ソフィーは強い睡魔の中なんとか〈清潔〉の魔法を自身とベッドにかけると、そこで力尽き彼女はある決意を胸に秘めながらまどろみの中へと落ちていった。

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