第12話「澪の実力 ――敵わない人―― その2」
「へ――くしゅん」
陽斗は盛大なくしゃみをかました。
横に並んだ澪が心配げな表情で、陽斗の顔を下から覗き込む。
「大丈夫っすか、陽斗様?」
「……なんか誰かにバカにされた気がする」
「なんですと?! 陽斗様をバカにした奴は許さないっす! 八つ裂きの刑にしてやるっす」
陽斗に敵意を向ける者に対して、澪が怒るのはいつものことではあったが、澪の力を知ってしまった今はそれが冗談に聞こえない。
陽斗が複雑な表情を浮かべているのに気付いた澪が慌てて訂正する。
「冗談すよ~あはは。氷漬けにして粉々にするくらいで勘弁してやるっす」
よりリアリティが増した気がしないでもないが、冗談ということにしておかないと話ができなくなってしまう。
気持ち自体は嬉しいので陽斗は「ほどほどにな」と苦笑いを浮かべるに留めた。
陽斗たちは今、受注したクエストでウルフを討伐しに向かっている最中。
門の周りの喧騒を背に、草原の中をフィールドの西にある森『ウルフズフォレスト』へ向かって歩いているところだ。
目的地は森ではなくその手前。森から溢れ出てきたウルフを討伐することが、依頼内容だった。
「なあ澪……やり過ぎだったんじゃないか?」
「えっ? 氷漬けもダメっすか……ああ冒険者ギルドでのことっすか。陽斗様はあの筋肉が心配なんすか?」
「いやそれはどうでもいい。俺が言ってるのは、目立ち過ぎたんじゃないかってことだ」
リバルディウスをふっ飛ばした後。陽斗たちはクエストを受けてギルドを出るまで、ひしひしと大勢の視線を向けられていた。
「ああそっちのことっすか。大丈夫っすよ! まだ全然本気じゃなかったっすし、あれは牽制みたいなものっす。二度と同じことをするなよって、あそこにいる人たちに言ったんすよ」
そうだったのかと陽斗は思う。
つまりあれはパフォーマンスだったのだ澪にとっては。考えなしに売られたケンカを買った陽斗とは大違いだ。
「でも本気じゃなかったんだろ? こっちの意図はそれで上手く伝わってるのか?」
異世界の魔法使いのレベルを知らない陽斗が、疑問を口にする。
「大丈夫っすよ。私は凄いんすから! それに分かってくれそうな人に、こう」ハ○ドパワーの手の形を作る。「他の奴らにも説明しとけ~って念を送っといたっすから」
「なんだそれ」
陽斗は澪の面白い手と顔つきに、プッと吹き出す。
「……まあでもありがとな。助けてくれてさ」
「いえいえどういたしましてっすよ……ん?」
ニッコリと見るものを一撃で恋の奈落に突き落とす笑顔を見せていた澪の顔が、突如として引き締まった。
澪が足を止めてナイフを構える。
「……どうやらお出ましみたいっすよ」
話ではまだウルフが出現する、ウルフズフォレスト近郊にはまだ遠いはずだが……と怪訝そうな表情ながらも、陽斗はすばやく辺りを見渡す。
「……陽斗様。周囲の警戒もいいっすけど、まずは剣を抜いてくださいっす」
「あ……お、おおそうだったな」
未だ平和ボケが直らない陽斗に、澪は何となく危機感を覚える。これはあとで矯正する必要があると判断して、今は目の前のことに集中する。
その時ガサガサと膝まである草丈をかき分けて、ウルフが姿を現した。
「デ……デカイな」
現れたのは三匹の狼の姿をした灰色の獣。ただ大きさだけは地球上のあらゆる狼より大きい。だいたい肩までで1mくらいはありそうだった。
「グルル」
ウルフたちが歯をむき出して威嚇している。陽斗はその剥き出しの殺意に当てられて唾を飲み込んだ。息も自然と荒くなる。
初めての実戦。それがこんなにも喉がひりつくように渇いて、油をささない機械のように身体が固まって、そして怖いものだとは思いもよらなかった。
不良や先程のリバルディウスとは、完全に空気の質が違う。
日本で育った陽斗に、他人の殺気を感じ取るなどという器用な真似は出来ない。しかし人間を食料としか見ない獣のそれは違った。
その殺気が純粋だからかもしれない。人間ならば殺意を向けたとしても、それ以外の複数の感情が入り交じる。怨恨や嫉妬などの動機や、残る殺しへの忌避という理性。
まるで殺気のみで身体が構成されているような。真に殺すことしか考えていない、混じり気のない殺意。
それが陽斗を震え上がらせているものの正体だ。
「陽斗様」
はっと陽斗は澪の声に現実に戻される。陽斗はいつの間にか思考を止めて、ウルフから目が離せなくなっていたようだった。
「陽斗様大丈夫っす。落ち着いて」
澪が優しい声で陽斗を落ち着かせてくれる。陽斗が動きを止めたにも関わらず、ウルフが飛びかかってこないのは、ひとえに澪が牽制してくれているからだった。
陽斗は息を吸う。大きく大きく。そうしないと閊えたように吸えなかったのだ。このピリピリとした空気が、陽斗に落ち着くことを許さないかのように。
「手筈通りに……出来るっすか?」
コクリと陽斗は無言で首肯する。
「では……〈氷の枷〉(アイス・ホールド)」
澪は氷の第8位階魔法を、神速で構築し発動させる。ウルフが踏みしめる大地から氷が生え、手足を地面に縫い付ける。効果は三匹全てに及んだ。
澪はナイフを持って、無造作にウルフたちに近づく。
ちなみにこのナイフは澪の主武器ではないらしい。らしいというのも澪が教えてくれなかったのだ。
『私の武器はチートっすからね。空気読めない武器は封印して、しばらくは魔法だけで戦うっすよ』
ということらしいが、別に教えてくれてもいいじゃないかと思わないでもない。陽斗は隠されると、余計に気になるタイプなのだ。
ザッザッと澪が草を踏みしめる音が、陽斗から徐々に遠のく。
ウルフたちが震えているのは手足を縛られる氷から伝わる冷たさ故か、それとも近づいてくる澪から発せられる死の予感にか。
彼女はウルフたちの後ろに回ると手に持ったナイフで、サクッサクッとあっという間に二匹の生命を終わらせた。
陽斗に手本を見せるように。澪が躊躇を見せれば、きっと陽斗の手も鈍るだろうから。
もっとも澪は地球で猛獣と戦った経験もあるし、陽斗のためなら殺人だって厭わないと決めているので、そもそも躊躇いはない。
「はい陽斗様の番っすよ」
そう言って澪は最後の一匹に目を向けた。
陽斗は最後に残ったウルフを見て考える。
このウルフは先程まで陽斗たちに殺気を向けていた。つまりは陽斗たちを殺す気でいたのだろう。
それが今はどうだ。
あっという間に自分たちが殺される側になり、震えている。
そしてそれは先程までの自分のようじゃないか、と。
(そういうことか……)
■
陽斗は手に何の変哲もない宝剣を持って、ウルフの横に立った。
「…………」
そして一思いに振り下ろした。切れ味だけはいい剣は、ゴキッという音だけを響かせてウルフの首を落とす。
子犬の鳴き声のような断末魔を二人は聞く。陽斗は自分の手で終わらせた生命を、しばらく見続けていた。
「……正直意外っす。もう少し時間が掛かると思っていたっすよ」
一部始終を見守っていた澪が、陽斗に本音を吐露する。
澪は優しい陽斗が自分が行った殺しに耐え切れずに、吐き出すことさえ想定していた。
しかし陽斗は顔をしかめることもなく、変わらずにそこにいる。ただ何も感じていないわけでは無いらしく、黙ってウルフを見つめている。
澪は侮っていたと思われたとしても、その何かは確認しておいた方がいいと思ったのだ。
陽斗は気負った風もなく、なんだか不思議な事に澪にはこれから言うことを恥ずかしがっているようにさえ見えた。
「ん……まあこうなることも前々から分かってたしな。殺しをする覚悟はあったさ。でもたぶんそれだけじゃ殺しは出来なかったかな。出来たとしても吐き出してたと思う」
「じゃあどうして?」
「コイツのおかげだ」
陽斗は首を切られたウルフを見る。切断面からは既に微量の血液しか出していない。陽斗はまだ一分と経っていないウルフの生前を思い出しながら、「コイツが教えてくれたんだよ」と澪に言う。
「?」
「俺も冒険者なんてやってモンスターと対峙し続けていたら、いつかは殺されるのかなって思ったんだ。ウルフには殺す覚悟はあっても殺される覚悟はなかった。だから震えてた。
……まあ何が言いたいのかって言うとさ。俺が敵わないような強い敵が現れたとしても震えずに……震えたとしてもなんとか武器をとって、時間を稼ぐからさ……そんときは助けに駆けつけて来てくれよな。俺も澪を守れるくらいに強くなるからさ」
陽斗が照れたように、少しだけ赤く染めた頬を掻きながら澪に微笑みかける。
「二人で帰らないと意味ないからな」
(あ……これはまずいかも……)
その笑顔に澪は完全にやられた。それは惚れた相手にさらに惚れたような不思議な感覚。
澪は陽斗を攻略しようとあれこれ策を練っていた。しかし陽斗の何の策もない不意打ちに、澪は自分が攻略されてしまったのを自覚する。
クルリと陽斗から顔を背ける澪。林檎のように染まった顔を見られるのが――今までは意識的に染めて、それを武器にさえしてきたのに――急に恥ずかしく思えてきたのだ。
陽斗風に言うのなら落とす覚悟はあっても、落とされる覚悟は無かったということだろうか。
「陽斗様はズルいっす」
「え?」
「何でもありません! さ、さあ! そうと決まればさっそく次に行くっす! 早くしないと20匹のノルマを終える前に、日が暮れてしまうっすよ!」
顔が熱い。焼けるように熱い。澪は比喩ではなく、本当に火が出ている気がする。
「ん? そうだな。仕事だしな。こんなところで遊んでばっかもいられねえか。なあ今度は連携の練習しようぜ。ウルフたちには練習台になってもらってさ」
その日陽斗たちは調子に乗って50匹のウルフを殺戮し、帰還したギルドでまたもや注目を集めることになる。
輪っか付ウルフ×3「俺たちをダシにして、ラブコメらないでくれます!?」




