番外 残された記録
それから、しばらく経った。
透は、古い記録を整理していた。
仕事で必要になった資料を探しているうちに、昔のデータがいくつか残っていることに気づいた。
一つずつ確認していく。
ほとんどは、もう必要のない記録だった。
古い研究資料。
人間社会の歴史。
過去に調べた人物の情報。
その中に、一つの名前があった。
透の手が止まった。
しばらく画面を見つめる。
覚えている。
正確には、名前そのものを覚えていたわけではない。
夢の中で何度も見た場所。
声。
表情。
そして、あの少女のこと。
透は検索欄に、いくつかの情報を入力した。
最初に出てきたのは、古い戸籍に関する記録だった。
そこには、少女の名前があった。
家族構成も残っている。
父。
母。
そして、兄。
透はその名前を見た。
しばらく動かなかった。
兄がいた。
それだけだった。
それ以上の意味は、まだなかった。
透はさらに調べた。
学校の記録。
住所の変更。
就職記録。
いくつかの公共機関に残された記録。
兄は、普通に生活していた。
学校を卒業し、仕事をしていた。
何度か住所を変えている。
そのたびに、別の場所で暮らしていた。
特別な人物ではなかった。
少なくとも、記録の上ではそうだった。
透はさらに古い資料を開いた。
ある時期から、記録が少なくなっている。
その後、別の場所で名前を見つけた。
日付は数年後だった。
転居の記録。
そのさらに後には、仕事に関する記録。
透は画面をスクロールした。
そして、そこで止まった。
その先には、何もなかった。
死亡記録もない。
新しい住所もない。
連絡先もない。
ただ、最後に残された記録だけがあった。
透は椅子に座ったまま、その画面を見ていた。
昔なら、もっと調べていたかもしれない。
どこへ行ったのか。
なぜ記録が途切れたのか。
誰と暮らしていたのか。
何があったのか。
全部を知ろうとしただろう。
今は、そこまでしなかった。
透は一度、検索画面を閉じた。
そして、また開いた。
最後の記録をもう一度見る。
そこには、特別なことは何も書かれていなかった。
ただ一人の人間が、その日まで生きていたという記録だった。
透は小さく息を吐いた。
あの少女にも、兄がいた。
その兄にも、生活があった。
そして、その生活は、透の知らないところで続いていた。
それだけだった。
透は記録を保存した。
新しい資料としてではない。
消さないためだった。
しばらくして、携帯電話が鳴った。
画面を見る。
彼女からだった。
「もしもし」
『今、どこ?』
「家」
『今から行ってもいい?』
「いいよ」
『じゃあ、少ししたら行く』
電話が切れた。
透はもう一度、画面に残った古い記録を見た。
それから、静かに閉じた。
過去には、分からないことが残っている。
これからも、全部が分かることはない。
それでも、その人が確かに生きていたことまで、嘘になるわけではなかった。
透は立ち上がった。
玄関へ向かう。
今日は、誰かが来る。
それだけでよかった。




