第二章 五月中旬~六月中旬 6
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当時は、巣鴨ではなく埼玉県の杉戸町の実家から会社に通っていた。
研修について父に聞かれるままに春夫は、社長が話した内容を伝えたのだが、「サイボーグ人間 バラン」の言葉を聞いた途端、表情が一変した。
表情が、輝いたと言ってよかった。
「ルーツは、サイボーグ人間 バランの表紙のノートを発売してしていた会社だったのか。お前からパンフレット見せられた時、沿革に塚田文房具という会社名を見た時、『サイボーグ人間 バラン』と結びつかなかった」
そう言うと、父は、自分が小学生の頃、テレビで人気を博した番組の主人公サイボーグ人間バランを表紙に描いたノートにまつわる思い出を春夫や母に語って聞かせたのだった。
「四年生か五年生の時だったと記憶しているけど、席が近くの子が、テレビで人気を抜群の「サイボーグ人間 バラン」を描いたノートを持っていたから、自分も買おうとしたけど、こちとら茨城の田舎だったから、探してもなかったわけよ。持ってる奴にどこで買ったって聞いたら、東京に行った時、大きな文房具店で買ったって言うから、荻窪の叔父さんに頼んで買ってもらったんだ。その内、茨城の文房具店でも売るようになったけど、いろんなポーズがあったんだよな。全部そろえた。六年生までの僕のノートは、サイボーグ人間バランばかりだった。そう言えば、塚田文房具という会社だったかも知れないな。文房具じゃけっこう老舗じゃなかったか」
父は、子供の頃を懐かしみ、「いい会社に入ったな」と言ったのだった。
母も、「歴史ある会社だったのね」と安心したように言った。
春夫は、父の顔を見て内心喜んだ。
父が、大学の経営学部を卒業した息子には、銀行や会社なら大企業への就職を望んでいのは確かだったからだ。
けれど、銀行は自分に向かないと活動しなかったし、大会社もふたつ受けたが振られ、父をがっかりさせた。
それが、父の思い出のひとつ「サイボーグ人間 バロン」とつながりがある会社に勤めることになったのだ。
息子の就職先として少しは納得してもらえただろう、と春夫は思った。
ただ、「フェルシアーノってイタリア語みたいだけど、どんな意味があるんだ」という質問には困った。
「特にない」という社長の言葉をそのまま伝えるのは言いづらかったので「聞いとく」と言ったきり今日までそのままである。




