第一章 五月上旬~五月下旬 10
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一緒の営業回り、すぐに、『えっ、この人』と相手側は思うはずである。喉仏などの見た目もそうだが、それ以上に声だ。聞いてないが、想像はつく。西野明美もテレビのオネエ達同様にハスキーな声のはずである。あの声質は、誰をとっても、女性のハスキーよりワンランク、ツーランク、低い気がする。
春夫は、「この程、私共の会社に入社いたしました西野明美です」、自分が紹介する場面を頭に描く。「西野です。よろしくお願い致します」、そうして、名刺を差し出す西野明美。ほとんどの人間が、この段階で、「えっ」っと思うに違いない。
問屋も店舗もフェルシアーノからすれば、大切なお客様である。ズケズケ聞いて来る場合もあるだろう。営業担当のOLとして働く覚悟は出来ているにしても傷ついて嫌になるかも知れない。続けられるのか?三田部長も木川課長もこうしたことを心配しているのだ。だから、自分を子守り役に任命した。考えれば疲れる役割だ。
子守り役手当?付くわけないか。
机の上の携帯が鳴った。
名古屋の大学の大学院で、美術史を学ぶ永井冴子からだった。春夫のカノジョである。
合コンで知り合い一昨年の冬から付き合い出したが、その時は、東京の理化学メーカーの事務職だった。それが、去年の秋に突然、「私、目覚めちゃったのよ」と名古屋にある大学院への進学を表明したのだった。それまで、春夫には、「大学院進学」なんて一度として言ったことがない言葉だった。その時は、既に会社を辞め、大学院への受験勉強の真っ最中だった。
江戸時代の美術史を学ぶためだという。身長百六十センチほどで、春夫の目には程よい肉付きで目がぱっちりの冴子が思い切りのいい性格の女性であるのは理解していた。それでも、いきなりの大学院進学宣言には驚かずにいられなかった。
大学は、世間一般の評価では春夫が卒業した大学よりワンランク上のところを卒業いているのだが、名古屋の大学も難関として名前が通っている。そこの大学院である。まあ、無理だろうと思う春夫の予想を裏切り冴子は受かってしまった。
名古屋まで新幹線「のぞみ」で二時間弱とは言え、距離を考えれば遠距離恋愛である。
それ以上に心配なのは、新たな世界で、新たな出会いが生まれることだった。
今は、三つ年上の春夫のことを「佐伯君」と呼びながら、「私、佐伯君の優しいホンワカした部分が本当好きなんだよねえ」とか言ってくれているが、大学院の優秀な学生やらインテリジェンスに満ちた教官にひかれる可能性はなきにしもあらずなのだ。




