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御伽話の王子様

 太陽が昇る前の青い薄明りの時間。

 辺りは静寂に包まれ、まだ誰もが寝静まる中。


(さようなら。愛おしい、御伽話の王子様)


 マリーは横で規則正しい寝息を立てて眠るリシャールを一瞥した後、気だるい身体に鞭を打ち、寝台から出た。

 そして、音を立てない様に部屋から出て、今朝フレッドと約束していた待ち合わせ場所に向かった。

 フレッドは王都の塀付近で、馬車を用意して待っていた。

 

 マリーは躊躇なく馬車の中に乗り込み、御者に「直ぐに馬車を走らせて下さい」と頼んだ。


「フレッド、ありがとう」

「思ったより早かったね。というか、来ないかと思ったよ」


 フレッドは意外そうな顔をしてマリーに問いかける。

 

「本当によかったの? 今ならまだ引き返せるよ。おれだけ修道院に戻って報告すれば済むんだし……」

「もういいの。フレッド。私は……修道女でも務まらないんだから。今回はたまたま昇進できたけれど……。殿下、いえ、リシャール様の隣に居るのは私じゃあ、難しいことなの」

「マリー……?」


 マリーは乱れた髪を結いなおした。

 飾り気のない一つ結びをする。

 馬車の窓硝子から見える自分は目に涙を溜めて、今にも泣き出しそうなほど悲しげだった。

 まるで、世界の終わりのような顔をしている。

 すると横に座るフレッドがマリーの頭を優しく撫でた。


「フレッド……?」

「よく頑張ったね。試験とはいえ、知らない土地に来て、怖い思いもつらい思いもあっただろう? もう終わったんだから、泣いてもいいよ。マリーは、うちのマリーはよく頑張ったよ。……マリアちゃんにもちゃんと言っておくよ。マリーはすごかったって。ね。だから、今ぐらい泣いてもいいんだよ」

「うっ……」


 フレッドの言葉にマリーは緊張が解け、思わず声を上げて泣いた。


「私には王妃になれないから」と何度か繰り返し、しばらく訳が分からないくらい泣いた。


 フレッドはむやみに抱きしめることなく、背中をさすってくれた。

 恋を知ったマリーには抱きしめられたい相手は1人しかいないからだ。

 フレッドは日頃からむやみに抱き着いて来るくせに、こういう時は普段の軽い言動の割に友達の線引きをしてくれる、そういうところが好きだった。

 マリーは、修道院では同期でもあり、ムードメーカーで兄の様な存在でもあるフレッドがいてくれてよかったと思った。

 

 マリーが落ち着いた頃はすっかり朝日が当たりを照らしていた。

 窓から見える風景は、見慣れない田舎の田園で、農民たちが畑仕事にいそしんでいた。


「ちょっとだけ聞いて。フレッド」

「なんだい。何でも聞くよ」

「私は自分を静観しているとずっと思っていたの」

「静観?」

「そう。静観。自分は落ちこぼれだから、雑務だけは頑張ればいい。出来る事だけすればそれでいいって」

「マリーは落ちこぼれなんかじゃないよ」


 フレッドは若干むっとして、はっきり言った。

 そう言えば今回の昇進試験はフレッドが推薦してくれたのだ。

 しかもフレッドは自ら執事としてマリーの側にいてくれた。


「いいの。ありがとう。でもね、やっぱりそれは現状から逃げているだけで、何も進歩がなかったってリシャール様に会って気づいたの」

「あの殿下が……?」

「そうなの。ほら、私の絵の魔法だって結婚式の宴会芸くらいにしか使えないって思っていたけど、応用すれば羽を生やして空も少しなら飛べるじゃない。リシャール様ははじめから私の能力を評価してくれたの。そんな人ははじめてだったわ。……要は私は自分で自分を一番見捨てていたの。可能性をつぶしてね。それを気付かされたの」

「……」

「でも、今回はいくら前向きに自分をとらえようとしたけど、ダメだったみたい。王妃になるなんて、私には無理だったわ。結局、逃げたの。静観して。もっと言うなら、何もかも投げ出したの」


 当初の予定通り、結局リシャールからとんずらしたのだ。

散々恋人のようなふりをして。

 マリーは自分の能力のなさと不甲斐なさを悔いていた。

 こんなにつらい思いをするなら身分不相応でもリシャールの側にいて、役立たずなりに頑張ればよかったのかもしれないとすら無責任にも思うくらいだ。

 フレッドは首を傾げた。


「そうかな? マリー。君の判断は、悪くなかったと思うけど」

「え」


 フレッドから帰って来たのは意外な言葉だった。


「だって今も昔もよくあるだろ。身分差。それを乗り越えて無理やり結婚して、知識も能力もそぐわないのにいきなり身分階級の義務をこなさなきゃならない。だから、苦労したり、現実とのギャップに失望したり、頓珍漢な行動で周りに迷惑かけるやつ。物語なら結婚すればそこでハッピーエンドだけど、現実はその先、棺桶まで人生は続いて行くからね。マリーは自分だけのことを考えたら、任務やおれの事、殿下の事を考えないで、躊躇なく結婚していただろうね。でもそれを君はしなかった。君は他人の事を考えすぎているからだよ。だからこれは君の言う静観なんかじゃない」

「フレッド……?」


 フレッドは優しい目つきだった。


「殿下は君のそういうとこを好きだったと思うよ。マリー。こんなこと言うのはあれだけど、王妃になるとか考えなくてもよかったのにな。マリーが結婚しないって言ったらあの人一生独身な気もするし、この際軽い気持ちで結婚すればよかったのに」

「フレッド、言っている事が無茶苦茶だよ」


 まさに支離滅裂なフレッドは、マリーの選択が間違っていると言いたいわけではないだろうが腑に落ちない言いようだった。


「まぁ、生きているとね、つらいことって生身に響くよね。おれ死人だから何もないけど、生きていると8割型辛いことばっかだよ。今回のことも、今は辛いけどいつかは『あの頃は精一杯生きた』と思えるんだ。いい思い出になる。出会ったことや恋したことは後からすれば絶対後悔にはならないよ。人を愛した事はいつか生きてきた誇りになる。その経験が未来の自分や自分の人生を作っていくんだ。それに君は、十分頑張ったよ。何も間違っていない」


 フレッドはマリーを励ましてくれた。

 彼は気休めかもしれないけど、と言うけれど、そうやって気遣ってくれることが嬉しかった。

 今はただマリーは、リシャールとの出会いが美しい思い出になることを信じるしかなかった。

 そう思うと救われる気がしたのだ。


「おれみたいにゾンビになったら何も感じないんだよ? 修道女だって恋愛は禁止じゃないんだから、今のうちに気持ちいいことしておかなきゃ、ね」


 マリーはその真意に気づかないが、彼に首元の痕を指さされて赤くなる。


「フレッドは相変わらずそんな話ばかりなんだから!」

「落ち着いたら昨日の夜の……主に行為の内容を聞きたいなぁ。マリーの初体験」

「もう!」

「おれの話も聞きたい? えっと初恋と初体験は別の人なんだけど近所に住んでた人で名前はーー」

「もう、そんな話ばっかりじゃない。もっとなんか良い話はないの?」

「いや、下ネタ以外ないや。ごめんね」


 マリーはあっけらかんとするフレッドに少し笑ったあと、お礼を言った。


「ありがとう。フレッド」

「こちらこそマリーにお礼を言わなきゃならないよ」

「私、何か感謝されるようなことしたっけ?」


 この所のマリーはなかなか修道院に帰らないせいでフレッドに迷惑をかけたことはあったが、感謝される覚えはない。

 フレッドは何も言わないで、「マリアちゃんがマリーに会いたがっていたよ。おれ、約束したから今度みんなで食事に行こう? おごるよ」と話題を変えた。

 マリーは頷いた後、急に眠気が襲ってきて、馬車に揺られて眠った。

 フレッドはマリーの寝顔を見つめて、呟いた。


「あの子を好きになってくれてありがとう」


 フレッドは随分昔に自分を甦らせた強がりで一人ぼっちの可哀想な王子様を思い出していた。




********




 フレッドと共に修道院に帰ったのが1ヶ月前。

 マリーは、変装魔法が解けた後、ひどい風邪をこじらせてしばらく寝込んだ。

 そして最近やっと日々に戻りつつある。


 しかし、以前は暇さえあれば没頭していた絵を描けない。

 キャンパスは真っ白だ。

 運よく下絵を描けても、色が思い浮かばないので描くのをやめるという行為を繰り返し、日々仕事以外の時間は何をするわけでもなく、ぼーっとしている。


 マリーは、未練がましくもこの頃はリシャールに愛されるだけの王妃でもよかったんじゃ無いかと思う瞬間もある。

 そういう時は決まって自分を叱咤した。

 

 例えば、マリーが役に立たない王妃になってリシャールに愛されるとする。しかし王妃の公務に支障が出る。そこで優秀なハイスペックな側室さんがきて、どろどろ後宮の始まる。そして誰も幸せになれない。結婚しても所詮そんな感じだと言い聞かせたのだ。

 それにこのような感じでは相手の女性に迷惑だろう。自分が消えてよかったと思っていた(全ては想像上の話であり、フレッドに話したら物語のようで面白いと言われた)。

 しかし、ハイスペックこそ残るべきだ。

 マリーはそう信じていた。


 そして、マリーは自分が王都にいることはリシャールのためにならないから、本当に好きなら見守る、幸せを願う愛し方もあるんだと思っていたのだ。


 それにエマに対する誓いもある。

 立派な修道女になって人の役に立ちたいのだ。


 だから、修道院に戻ってきたのだ。


(エマ、これで良かったよね?)


 彼女だったらどういうか。難しい事を考えずに結婚してしまえというのか。修道女なんてそんないいものじゃないというか。

 なんだかんだで励ましてくれるのか。


(エマやリシャール様に出会えた私は幸せだ)


 修道院に帰ってからマリーは昇進し、近頃はユートゥルナの秘書修道女補佐になった。

 そして今、ユートゥルナの頼みで資料を集めて部屋に戻ろうとしたとき、偶然任務帰りのマリアに出会った。


 アリアは大変うれしそうに駆け寄ってきて、今修道院に帰って来たばかりだと言った。

 マリーは、今は昇進して秘書修道女補佐なのでちゃんとした秘書修道女になる為に来月試験を受ける事を話した。


「秘書なんかしたかったの? マリーは現場の方が好きそうだったのに」とマリーのことをよく知っているマリアは不思議に思ったらしい。


「まぁ、そうなんだけど。ユートゥルナ様の推薦だから……」


 マリーはせっかくの推薦を無下にも出来ず、下っ端には名誉な事であり断れなかったと暗に答えた。

 アリアは、「権力者め……やる事が汚いわ、私のマリーは、私と一緒にカフェを開く予定なのに、くそが」と悪態をついた。

 マリーが驚いた顔をしたので、マリアはけろっとして穏やかな口調で言った。


「そういえば、マリー。王都はどうだった?」

「薔薇が綺麗でとってもいいところだったよ」

「あのテオフィル殿下だっけ? 綺麗な王子様に会えたの?」

「うん。テオフィル様は…物凄いイケメンだったわ」

「サラ姫も綺麗だった?」

「うん。今まであった人の中で一番綺麗だった。まさに妖精って感じ」

「じゃあ、いい絵書けたんじゃない? ああ、そうだ。氷華殿下は?」

「氷華……?」


 マリーは思わず、唾を飲んだ。

 予想しない人物について聞かれてしまい、言葉が出てこない。


「えっと、名前は忘れたけど。リチャードだったかな、いや、ちがうわ。リシャール、思い出した、あの泣く子も黙る怖い王子様。マリーは会ったの?」


 アリアはたぶん好奇心から聞いてきただけだろう。王都に居る間、マリアと手紙の交換はしていたがリシャールのことは伏せていたから彼女は何も知らないので無理はない。

 悪気のないマリアは一番思い出すのが辛い人物の事を再度聞いてきた。


「氷華殿下はそうだった? 噂通り――」

「ううん。いい人だったよ」

「氷華が?」


 マリアは驚いた顔をしていたのが印象的だった。


「うん。今まで出会った中で一番優しくて、素敵な王子様だったよ」


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