第1片 来訪
気温と湿度が高い。薄めの服を持ってきてよかった。
案外日本と変わらない気候だな。異国の大地を始めて踏みしめる不安感はあったがなんとかやっていけ
そうかな。
僕は今ニューヨークに来ていた。まさか初めての海外が仕事で来ることになるとは。いや、別に旅行には私生活では行かないし、僕を誘ってくれる友人や家族にも心あたりが無いのだから別に不思議なことではないかもしれないのだが。
————どうしてこうなったのか。時は一週間前に遡る。
昼下がり。
うつらうつらとしてしまう意識がコーヒーの香りで引き戻される。
ズズズッ。静かな室内に液体を啜る音が響く。
悪くは無い。悪くは無いのだがやはりどこか物足りない。
来客用の高いコーヒーを淹れてみたが、し—なんとかとかシェフの淹れてくれたものとは比べ物にはならない。
まさか、こんな後遺症に悩まされるとは。
今までコーヒーはただ、目を覚まさせるため。あるいは(脳を回すための)糖分の高い菓子を流し込むために飲んでいたというのに。
「ハア」
思わずため息が出てしまう。このコーヒーのことは現実逃避から生まれた余計な思考で、悩みはもっと大きなところにあった。
それはこの場所。—————僕の探偵事務所である。
「やっぱり探偵たるもの事務所を構えてこそだよな」という薄っぺらい価値観と「働き始めれば家賃もどうにかなるだろう」という浅い見通しの結果、事務所を構える費用だけで月間の稼ぎが赤字となっていた。この前の東花家の一件でまだ金銭に少しばかりの余裕はあるけれど(せっかく高い金を払っているのに事務所空けてたのもったいなかったなー)、このままではいつか破産する。
それはとてもまずい。若手で新人の自分にも今までそれなりに依頼が来ていたのは「事務所」という分かりやすい権威があったおかげで、社会的信用を得ることができていたからだと分析する。さらに、もはやこの事務所に寝泊まりしているため、ここを追い出されて探偵業が滞ってしまっては収入ゼロのホームレスとなってしまう。だからいくら赤字とはいえこの事務所が僕には必要なのであった。
困ったなー。どうしよう。何か手っ取り早く稼ぐ方法は無いものか。あるいはもっと有名になって稼ぎを増やす方法があればなー。
なんて、また現実逃避じみた欲望に思いを巡らせていると、ピンポーンとチャイムを鳴らす音が僕を現実へと引き戻した。
噂をすれば何とやらというやつだろうか。依頼が入るかもしれないと軽く心を躍らせつつ、ドアを開いた。
だが視界に入ったのは仮面を着けた怪しげな男だった。
仮面は仮面舞踏会で使うような(当然そんなもの行ったことないが)目元が隠れる紫色のものだった。髪は黒髪でセンター分け、口元は見るものに安心感を与えるように(だからこの場合は僕になるだろう)微笑んでいる。髭はきれいに剃ってあって、全体を通して清潔感があり、身だしなみに気を使っていることを覗わせる。服装は黒スーツに黒ネクタイ。靴も黒のビジネスシューズで丁寧さと怪しさの両方を醸し出し、奇妙な雰囲気を纏っていた。
良く見ると手元には白い封筒に赤い蝋で封のされた手紙を持っていた。
はて、見たことはないのだが。どこかで話を聞いたことがあるような気がする。どこだったかな。
「こんにちは。———さん」
男の口角が不自然な程あがりもはや不気味ささえ感じる。
「このたびはEENへの加入認定合格おめでとうございます」
——ああ、そうだ。
僕は壁にピン止めされた、一枚の写真と名刺に目をやる。白いフリフリを基調とし、チャームポイントに黒いリボンのついたホワイトブリム。そこから「メイドさん」という言葉を連想しない者はごくまれだろう。中性的で端正な整った顔立ち。糸目で目元にはほくろ。髪型はショートカットの人物が映っていた。
そうか、瑞葵さんとそんな話をしたような気がするな。確か一つのことを極めた者達のためのネットワークだか何だかだったろうか。
嬉しいというよりも先に困惑の感情が出てくる。正直僕の実力なんて大したものではない。この前も結局僕はほとんどいる必要なんてなかったわけだし。
「とりあえずお入りください」
「失礼します」
玄関から上がる際にスリッパに履き替てもらい奥のソファ(一応上座にね)に座ってもらった。
「コーヒーで良いですか?」
「はい」
ポットでお湯を沸かし、先ほどまで飲んでいた来客用のコーヒーとお茶菓子として後で食べようと思っていたカステラを出す。
「砂糖とミルクはお好みでどうぞ」
「これはどうもご丁寧にありがとうございます」
「おっと、コーヒーを頂く前にこれをお渡ししておきます」
そう言って先ほどから目についていた手紙を僕に渡してきた。
「そこには管理者からのメッセージとあなたのID・パスワードが記されておりますゆえ大切に保管なさってください」
「あなた様なら既に知っていらっしゃるかもしれませんが簡単に説明させていただきます。EENはあることに特化した方たち専用のSNSでございます。そのネットワークを通して仕事を依頼するも良し。仕事を募集するも良し。自身の仕事の為、情報を集めて頂くのも良し。必ずやあなた様のお役に立つことでしょう。使い方ですが、そんな大したことはありません。デジタルネイティブ世代のあなた様ならきっと使いこなせることでしょ」
「いくつか聞きたいことがあるのですけど、聞いてもいいですか?」
「ええ、私めがお答えできることでしたらなんなりと。そのために派遣されております。」
「一つ目の質問です。僕程度の実力の者が招待されてしまっていいものなんですか?」
「はっはっは。そんなに謙遜なさらないで下さい。それとも単に自己肯定感が低いのでしょうか。カラフルピースの方にはありがちなことです。」
「うーん。客観的にも知っているプロの人たちと比べると僕って見劣りすると思うんですよね。だから、二つ目の質問なんですが」
「誰が僕を推薦したんですか?」
ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ。乾いたわざとらしい拍手だった。
「流石です。やはり我々の審査に間違いはありません」
「ここまで含めて審査だったんだろ」
「その質問には否定も肯定もしません。そして、2つ目の質問についてもプライバシーの観点からお答えできませんが、1つ目の質問としてヒントをお与えするとしたら、あなた様の将来性に期待している部分が大きいと言ったところでしょうか」
瑞葵さんはあるとき「手紙が届く」と言った。つまり、こうして使者が手紙を直接渡してくるということは特殊な状況の可能性がある。だから一応それらしいことを言ってみたのだが、どうやら上手いこといったようだ。
「では最後の質問です。「管理者」って何者ですか」
「それについては是非ともメッセージをご覧ください。ただ、一つ私から言っておくことがあるとしたら代表というものは存在しません。創設者はいますがね」
となると、なんとなく想像できる気がする。
「それでは私めはこれで。ご馳走様でした」
そう言い残し男は去って行った。空のカップと小皿を残して、




