第1片 程道
——分かっていたことだ。いつか来ると。
——それでもね。目をそらしていたかった。そらせるうちは。
——でも、向き合わなければいけない時が来た。
あっ。マズいね。これは。そろそろマズい。とてもマズい。
僕は通帳を何べんも見返した。電卓を使って何度も計算しなおした。その結果……。
お金が……、足りない……………。
資金が尽きる。もう今週の事務所の家賃を払うお金が無い……。
誰か助けてー。
プルルルルルル、プルルルルルルル。
突然、絶望の静寂にピリオドが打たれる。ああ、これは救いの着信に違いない。地獄に垂れる蜘蛛の糸のようにたとえか細くとも、すがるに足る一縷の希望のように感ぜられた。今ならどんな依頼でも受けられる気分だ。(もとからえり好みできるほど仕事の依頼なんてこないけれど)
僕は神に祈るように固定電話の受話器を取った。
「オッスー。元気してたか? 俺だよ俺、俺、俺」
俺俺詐欺の電話だったかー。うわ、もう、サイアクだ。クソッタレめ。
「どちら様ですか?」
「暁人だよ。東花暁人。オメェーまさか忘れたとは言わないよな?」
?
「あのー? 本当に心あたり無いんですけど……」
「えっ?」
「えっ?」
「あのさぁ、おまえなぁ、流石にくどいぜ?」
「くどいも何も……。俺俺詐欺に対する反応なんてこんなもんだと思うのですけど……」
「なんでさっきから敬語なんだよ」
「どんな相手でも初対面には敬語を使うべきだと思いますけどね。なぜなら、自然に心理的距離を取ることができますし、ねっ。暁人さんとやら」
「…………(絶句)」
「ちょっと?暁人さん?」
「…………東花家での事件を何も覚えてないとは言わせねぇぞ」
「東花家?うーんと、あー、あの豪邸か。ああ、覚えているとも、嫌な事件だったからね」
「一緒に事件を解決した人間がいたんじゃねぇの?」
名前は思い出せないけれど言われてみたらいたような気がする。
「それが俺だよ」
「はぁ……」
「電話越しとでも、お前と話すと疲れるわ……。本題に入るぞ。これから、四家でのちょっとした会議が行われるんだ。今ちょっと高槻のせいで人手が足ん無くてな。瑞葵はぎりぎり来れそうなんだが……。というわけで、お前にも付き添いで来てもらいたい」
「心細いの?」
「はっ!? バッカお前そんなワケ無いだろ」
図星だな。
「良いよ。どちらにしろ依頼だったら受けるだけなんだから」
「お前だったらそう言ってくれるって信じてたぜ」
ほらねっ。やっぱり。知らない人だったろ。
この僕を信じてるとか僕のことを知っているんだったら。出てこない発言のはずだもの。
「どうもお久しぶりです。探偵くん」
数日後。僕は人気のない駅までやって来ていた。黒塗りの車から、一人の人物が降りてきた。この人のことは覚えている。
あんなことがあったのだし。
——加えて、毎日、顔写真と名前を目に入れているのだから。そうこの人は東花家バトラー 鳴沢瑞葵さんである。
クラシックのメイド服。長いスカートのその中には小宇宙が潜んでいる。黒いリボンがワンポイントのホワイトブリム。中性的で整った顔立ち。糸目。目元のほくろ。鈴を転がしたような透き通る声。とあることに目をつぶれば完璧なメイドさんである。
いつの間にか、髪が伸びてショートボブぐらいになっていた。
「お久しぶりで——」
ガシッと頭を両手でわしづかみにされた。
「あ、あのー。離してもらって……いいですか?」
「きみねー。あのあと暁人様ショック受けてまた部屋に引きこもってたんですからね」
「えー、知りませんよ。そんなこと言われたって覚えてないものは仕方ないじゃないですか」
「んんー? 東花家の人達の名前挙げていってもらって良いですか?」
「はい。えーっと、えーっと。えーーーーーーーーーーーーっとぉ。…………バトラーの人は瑞葵さんの他に三人いて、一人は高槻さん。シェフの人は思い出せなくて、本家の人たちが4人、一人は依頼対象の千旭ちゃんで、一緒に犯人を捜した人が一人いたような。後はそうだ僕の師匠になるかもしれなかった佐波蘭さんですかね」
「……………。本当に人の名前を覚えるのが苦手なのですねー。その割には何人か覚えているようですけど」
「まあまあ、そんな気にすることじゃ無いですから」
「それはきみから言うことじゃ無いですよー?」
言葉の節々に棘があった。痛い。
「……本題に入りませんか? 僕はそのために来たんです」
「いやっ、こちらもさっさと入りたかったですよ? ……色々言いたいことはありますが、今回の依頼についてお話ししましょう」
「今回探偵くんにやってもらいたいのは付き添いです」
「付き添いですか?」
そんなに大変そうには聞こえないけれど……。
「ええ、心配なさらなくて結構です。————ただただこの国の未来が大きく左右する可能性のあるだけの。なんてことない会議なんですから」
そんなものに僕を巻き込まないでもらえます?
「四家については知っていますよね?」
「なんとなくは……。確か東花家もそのうちの一つだとか」
忘れるわけないさ。この国の財政を司る四大超超大財閥(実際にはもうちょっと違う表現のほうが適しているのだろうが)。あの事件だって四家の勢力争いに僕たちが巻き込まれたような話なのだし。
「えっと。どんな名前でしたっけ、確か東西南北だったような気がするんですけど」
「よく覚えてましたね、流石は探偵くんですねー。そう東花、西鳥、風南、北月」
「明日。その四家が集まる会議があります」
「それは確かにとんでもないことかもしれないけれど、というかだからこそ、僕はそんなところに放りこまれても役に立てないと思うんだけれど?」
「そうですね」
そうですね!?
「だからこれは暁人様の個人的感情が大きく入っている依頼なのです」
「なのにあなたときたら……」
「うっ……」
でも、僕だって忘れたくて忘れているわけではないのだ。
「それで、また行き先は内緒ですか?」
「今回は私も所在地どころか行き先も分かりません」
「えっ? じゃあどうやって行くんです?」
「それぞれ、集合場所が決められているようで、そこにプロの方々が迎えに来るようです。先に暁人様はそちらで待機しています」
だったらそこに行くまでは瑞葵さんとのドライブデートになるのか。
デートか……。うん……。
傍から見れば羨ましい光景なのだろうか。いいよね。知らなくてもいい真実を知らずに生きている人たちってさ。
住宅街、田んぼ、林、山。
次々と流れていく景色をぼーっと眺めていた。
僕は後部座席に座らさせられた。助手席に座るのは確かに気まずいがだからと言って、最初から座らせてもらえないのもちょっと複雑である。でも、おかげでデート感は薄れているかもしれなかった。
瑞葵さんは僕のことをどう思っているんだろうな。そんなことを考えていたとき———。
車全体に衝撃が伝わった。
それと同時にドスンッという音が僕の耳に伝わった。
野生動物でも轢いてしまったのか?
などと考えつつ、ルームミラーで瑞葵さんの様子を伺うと……、
顔が青ざめていた。
ウソデスヨネー?瑞葵さん?大丈夫だよね?まさか、まさか、人なんて轢いてないよね?
「みっ、瑞葵さん……?だっだだ、だいじぉぶですか?」
「あわわわわわわわ」
思わず声が上ずって変な発音になってしまったが、それ以上に瑞葵さんは大丈夫じゃなさそうだった。
「あっ、ああ……。後は頼みます」
何かしらの覚悟を決めたような様子だった。目は潤み、唇からは血の気が引き、手は振るえていた。そして、開眼していた。(瑞葵さんの瞳の色ってセピア色だったんだ)
そういえば運転中もずっと糸目だったの!? そりゃ事故るよ! もっと、早く開眼しててよ。キャラ設定とかいいからさ。安全運転しててよ!
「瑞葵さん! まだ、救助すれば間に合うかもしれませんよ! 早く助けに行きましょう!」
「ごめんなさい。青龍様、暁人様……」
ダメだ完全に上の空だ。僕は慌てて、車から降り、被害者の元へ向かった。(こう言い方すると瑞葵さんが加害者であることが浮き彫りになるな……。裁判では少しくらいは有利になる証言をしてあげよっと)
奇妙な見た目の男性だった。僕は咄嗟に白黒テレビだとか、シマウマだとかいう単語が頭に浮かんだ。その理由は、その男の容姿全てが白と黒で統一されていたからだろう。白黒の縞模様の髪に白黒のチェック柄のシャツ。そして、右足は黒色、左足は白色のズボン。この世界から色がなくなってしまったかのような錯覚に陥ってしまいそうになるけれど、口の周りにできた血だまりが、ここがカラフルな世界だという現実を思い出させる。
うつぶせに倒れているため様子がよく分からなかったので仰向けに起こしてみた。
ひゅー、ひゅー
とかすかに呼吸音が聞こえることから辛うじて男が生存していることが分かる。思いのほか若いようであった。
「あの……。大丈夫ですか?」
「?いなれくてし殺、とこのしっあ」
は?今なんて言ったんだ?
「ないさなてっ待とっょち ?るてっゃちわ変れ入、っあ ?れあ」
「撃転逆」
「というわけで、あっしのこと殺してくださいな。そこのおにーさん」
何だこの人? 誰に誰を殺せって?
「大丈夫。助けると思ってな。ほんの少しでいいのさ」
「それは苦しむくらいならいっそのこと早く死んで早く楽になりたいってことですか?」
「違う違う。そんなんじゃないって、安心してくださいな、おにーさんと、あと車を運転してた、おねにーさんも人殺しになんてなりゃしませんからな」
今瑞葵さんのことを何て言った?聞き間違いか?
「懐にオセロ盤があるんでそれで頭をぶっ叩いてもらっていいかな?」
「……嫌ですけど?」
「そうだな。おにーさんがあっしを殺してくんなかったら……」
「腹いせにおねにーさんに僕の負傷を肩代わりしてもらいますかな」
何だよ。それ。
「まっ、こんな山中じゃ確実に死ぬでしょうな」
瑞葵さんが死ぬ? さっきからまるで意味が分からなかった。
でも、そんなことは嫌だ。絶対に。
僕は知り合いが死ぬのは嫌いなんだ。
「おっ、なかなかいい目をするじゃない。それなら————」
ドゴッ。 バゴッ。 ドスッ。
割れた頭から血が噴き出す。僕は非力なので脳漿が飛び出したりはしないけれど、白目をむき、だらしなく舌を露出させている。自分が殺していなかったとしても、死体というのは見ていてあまり気分がいい物ではない。また、一つ頭にこびりつく記憶ができたな、などと考えていると、
「逆転撃」
かすかにそんなことが聞こえてきた。かと思うと、いつの間にか無傷の男がそこにいた。一瞬の出来事でまるで種が分からなかった。
嫌な感触が手に残っていた。ふざけるな。こちらは最悪の気分だというのに、どうして、こいつは全くの無傷なんだ。
「本っ当に申し訳ございません!!!!!!!!」
「こちらが不注意だったばっかりに!!!!」
「ははっ、良いんですよ。あっしが車道を歩いていたのが悪いんですからな」
「本当に何と謝罪すればいいのやら……。たまたまあなた上手く受け身をとって無傷だったからよかったものの……」
「でしたら、次からは気をつけてくださいな。それではあっしはこれで」
その言葉を最後に男は山を下りて行き、いつの間にか見えなくなった。
…………。
何者だったのだろう? プロの手品師か何かか? でも、この手に残る丁度人の骨の頑丈さと脆さを同時に感じさせる感触は確実に僕が経験したことだった。
カラフルピースは本来、人の内面なのだ。現実に干渉することは滅多にないと佐波蘭さんに教わった。
だったら、あいつは一体……
「いやはや、ホントにホントにお相手が良い人で助かりましたよー。ねっ、探偵さん」
「そうですね」
目的地に向かうまでの車の中でずっとその答えを探していたけれど、ついぞ答えは出なかった。
道程が逆転してますね……




