1.向こう岸に請求書を押し付ける方法……
大河の真ん中に、巨大な首長竜が横たわっている。
あれは、魔物だ。
あいつらは、『古今和歌集』にも、『奥の細道』にも書かれていない世界の新参者だ。そのくせ、土建屋がせっせとこさえた護岸ブロックを黒コゲにして、鳥居を枕にする罰当たりを平気でやりやがる。
けれど、もうその脅威はない。
ありがたいことに勇者様がきっちり討伐してくださったからだ。
「……派手にやったなあ」
ミズノは立ち入り禁止のロープを跨ぎながら呟いた。
地図によれば、あそこは中洲で神社だったらしい。
けれどいまは、水を堰き止める巨体のせいで見る影もない。
背後ではマスコミ連中がカメラを水竜へ向けている。
振り返ると、自転車がずらり。中には、どんな金持ちだろうか。
ワゴン車で乗り付けている者までいる。
そのとき、ザザッと、ジャケットにぶら下がる無線から音がした。
『河川対策から封魔部へ。船舶往来は緊急以外停止完了。引き継ぎ頼む』
『了解』
川のど真ん中を塞ぐ、都市大動脈の邪魔モノをさっさと片付けなければならない。
しかしーーだ。
煙草に火をつけながらミズノは思案していた。
発電は渋い顔だろうが、取水口さえ塞がなきゃ理解してくれるだろう。
農水は堤防が無事だからいいか。いや、水質だの汚染だのとやかましいかもしれない。
問題は水運の連中か。あいつらは小舟を一つ止めるのにだって、この世の終わりみたいに言う。
あぁ、実に面倒くさい。
だが、まだ希望はある。
対岸で魔物を眺める隣国のやつらも、きっと同じことを考えているに違いない。
「……なあ。これって向こうの管轄にできないかな」
「無理です。勇者様の戦果なんですから」
黒いローブの少女、アマミャが呆れたようにこちらを見てくる。
ミズノは無言で手帳を取り出すと項目を数え始めた。
数え間違いだろうか。どうにも高すぎる気がする。
首を傾げてもう一度。不思議だ。実に不可思議だ。
なぜ、またゼロが9個も並ぶのだろう。
ただただ、勇者への報酬を数えただけだというのに。
「……これ払ったら、国庫は赤字だぞ」
「討伐報酬は場所基準。常識っすよ?」
「いやだから、真ん中なんだぞ」
お役所たちはまだいい。小言に付き合えば結局、「まあ、魔物ですからね」で済む。
問題は、勇者の方だ。
『水竜を討伐して、二カ国に及ぶ食糧と運輸、治水の危機を救った勇者』への膨大な報奨金。
それをどうするのか。
あと少し向こう側なら、それは対岸の払いで済んだはずなのだ。
「支払いで破綻するのは、ご勘弁願いたいね」
「魔物で滅んだ国の方が多い定期。だいたい、ここの兵士全員でもあの水竜に勝てないでしょうが」
アマミャの言う通りだった。
両岸の兵士が束になっても、全滅の悲劇が関の山だ。
ミズノは舌を打った。
勇者に頼るしかない。たとえ、どれだけの税金を積む羽目になろうと、だ。そして、その板挟みは自身が引き受けなくてはいけない。
「……勇者を食わせなきゃ、ここに住むこともままならない、と」
「そういうこと。さっさと向こう岸と交渉してくださいよ」
「そうは言ってもなあ。当の勇者はどこへやら」
魔物を倒したところで、宝箱に変わるでも、金塊に変わるでもない。
札束は札束として受け取らなければならないのだ。
だが、多額の報酬を受け取るはずの勇者はどこかへ行ってしまった。
討伐者のサインがなければ、事件の収束は告げられないと言うのに。
「捜索願いからですね。『封魔主簿』せんせー」
くすくす笑うアマミャにミズノは顔をしかめる。
勇者と魔物と人と。それぞれが隣人として生きているのだ。ぶつかるなという方が難しい。
だから、誰かがそのトラブルを値踏みして請求書にしなければならない。
もちろん、受領印をもらうためなら扉を叩くのだってやぶさかではない。
けれど、人やら猫やらを探すのは探偵の領分だ。自分の仕事じゃない。
そのとき、どすん、と大きな背負い籠の置かれる音がした。
籠からはタケノコやらゼンマイやらが溢れていた。
「……そろそろ行きましょうか?」
籠を背負った中年の男に声をかけられる。その顔には、歴戦を感じる痕が刻まれていた。
実際、山に入って山菜と生きて帰ってこれる人間は、数えるほどしかいない。
彼は現役を退いた元勇者だ。
魔物をどかして報奨金を決める前に、どんな魔物だったか調べなければいけない。
何を食っていたのか。体内に毒はないのか。
片付けるにしたって、魔物の経験と知識が豊富なベテランが不可欠である。
その点彼は、『魔物も獣もナイフ一本で解体できる』という触れ込みだった。
「だとさ、『監察官』殿。魔物検死のデビュー。おめでとうございます」
「うう……。あれ、何日経ってましたか? ていうか、せんせーは来ないんすか?」
「だから、慣れてる山菜勇者が来てるんじゃねえか。俺は他に仕事があるの」
これから対岸の担当と、請求書の押し付け合いをしなくてはいけない。
笑顔で足を踏みつけ合うのは、アマミャに向いてる仕事じゃない。
アマミャの顔があからさまに歪む。
春から夏へと移ろう頃に、魔物の淡水漬けを残さず調べていただく仕事だ。
状態が想像通りなら、実にひどい有様だろう。
ただようアンモニアの臭いに、触るとぶよぶよした肉。
うーん、デビュー戦にはもってこいだ。
「よーく見てこい、ルーキー。もうお前も勇者政治の当事者なんだ」
ミズノはぐい、と背中を押す。
アマミャはよろけて振り返り、じっとりした目でこちらを睨んできた。
「わたし、勇者、いやだ。やりたくない」
「さっきの威勢はどこ行ったんだよ」
アマミャはしばらく目線で抵抗していたが、観念したのか、川の方へ向かった。
とぼとぼしたアマミャの足取りの脇では、地元の連中がビンビールを片手に酒盛りしている。
害をなす魔物が倒された喜びに付け込んで、紙袋でツマミを売り歩く奴までいるほどだ。
商魂たくましく、客引きスピーカーはけたたましく。
魔物を観光スポットにしてしまうのだから、民草はそう枯れないだろう。
ミズノは煙を吐く。
今の自分はもっと悲惨な現場、それこそ、街まるごとが墓場のような現場でも、普通に食事ができた。
けれど、初検分の日のことは、その日のニュース番組まで覚えている。
――しばらく魚は食えねーだろうな。
川辺に降り立ったアマミャへ、ミズノは手を合わせた。




