第二十三話:九州征伐
越中の佐々成政という最後の“不良債権”を無傷で、かつ見事な手腕で処理した仁斎は、休む間もなく次なる、そして本題であるディールへと駒を進めていた。
伊賀の山中で、あの男――織田信長に課された、真の最終試験。
九州の雄・島津家を、半年以内に最小の損耗で屈服させる。
失敗は許されない。
仁斎は大坂城へ戻ると、すぐさま秀吉に謁見を求めた。
秀吉の心は、今や海を越えた明国にしか向いていない。その彼の目をいかにして国内の最後の「憂い」に向けさせるか。
「関白殿下。明国へ兵をお出しになる、そのお考え、壮大にして、素晴らしいものにございます。しかし、その大事業を行うにあたり、国内に憂いを残しておくのはあまりに危険かと存じます」
仁斎は巨大な日本地図を広げ、九州を指し示した。
「島津は、今や九州のほぼ全土をその手中に収め、我らの仕置きに従わぬ、一つの国とも言うべき存在。我々が大陸に目を向けている隙に、彼らが西国を揺るがす憂いとならぬと、誰が断言できましょうか?」
『大陸侵攻(海外事業展開)の前に、国内市場の完全な平定(事業基盤の安定化)が不可欠であると説く。投資家(秀吉)に対し、より安全で確実なリターンが見込める国内案件を先にクロージングさせるための基本的なプレゼンテーションだ』
仁斎の言葉は、秀吉の最も敏感な琴線に触れた。完全なる支配。一点の曇りもない、完璧な掌握。
「…うむ。確かに、薩摩の猿どもは、まだワシに頭を下げておらぬな。よかろう。大陸の前にまずは家の庭を掃き清めるか」
秀吉はあっさりと九州への出兵を決定した。
すぐさま大坂城に、西国の大名たちが集められ、軍議が開かれた。
仁斎は諸将を前に、今回の「ターゲット」の分析結果を冷静に開示していく。
【対象:島津家】
企業価値(Valuation):200万石(推定)
資産(Assets):戦闘員の練度 98、一族の結束力 95、地理的優位性(本拠地・薩摩)90
負債・リスク(Liabilities & Risks):兵站線の長さ 80、中央への情報感度の低さ 60
定性コメント:極めて戦闘能力の高い、地方特化型の専門家集団。その戦法**“釣り野伏せ”**(※敵を偽りの退却で誘い込み、伏兵で三方から包囲殲滅する戦術)は、相手を油断させ、一気に資産を奪い尽くす、巧妙な“LBOトラップ”に等しい。正面からの戦いは、絶対に避けなければならない。
報告を聞く諸将の間に緊張が走る。特に九州に領地を持つ大名たちは、島津の恐ろしさを肌で知っている。
仁斎は臆することなく、壮大な作戦計画を告げた。
「此度の戦はただの力と力のぶつかり合いではございません。むしろ米と銭と、そして兵站の戦にございます」
仁斎が提示したのは、総勢二十万を超える、空前の大軍団を二つのルートから九州へ送り込むという、圧倒的な物量作戦だった。
「相手の石高を、圧倒的に上回る軍勢を用意する。これにより、相手に戦う以外の選択肢…すなわち、我らとの交渉の席に着くという道を選ばせるのです」
『…だが、このあまりに合理的すぎる俺のプランを、奴らが完全に理解するとは思えん。特に先鋒を任されるであろう功に焦る武将たち…。彼らは必ず戦を求める。そして、島津の巧妙な罠に嵌るだろう』
仁斎の、瞳の奥が、昏く、光った。
『…それでいい。その予測可能な“敗北”すらも、俺のこの巨大なディールにおける一つの“プロセス”として組み込んでやる』
その作戦の中核をなすのは、海路を用いた、鉄壁の補給体制だった。
何百艘という船で兵士だけでなく、膨大な米、武具、そして銭を、前線基地となる豊前・小倉城へと運び込む。
『兵站こそがこのディールの成否を分ける。鉄壁のサプライチェーンを構築し、持久戦に持ち込めば、我々の勝利は確定する』
天正十五年(1587年)正月。
豊臣秀吉率いる、二十万の軍勢が、大坂から、九州へ向けて動き出した。
海を埋め尽くす、巨大な船団。その旗艦の船首に仁斎は立っていた。
吹き付ける潮風に彼の表情は変わらない。
秀吉はこれから始まる新たな戦に心を高揚させている。
だが、仁斎の心は冷え切っていた。
これは、天下統一の総仕上げなどではない。
あの男――織田信長に課された、最終試験だ。
『半年。損耗は最小限。条件は絶対だ。九州・島津家という最後の大型案件。このディールを史上最も完璧な形で、クロージングさせてみせる』
仁斎の思考は、さらにその先へと向かっていた。
『だが、本当の目的はその先にある。島津という最強の“事業部”をいかにして無傷で我々のポートフォリオに組み込むか。ただ勝つだけでは意味がない。買収した、その“後”にこそ、ディールメーカーの真の価値が問われるのだから…』
その先に待つ、本当の「ディール」のために。
豊臣秀吉という名の、暫定CEOを、解任するための。
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