帰ろう。俺が迎えに行くから
(匠視点)
「……帰りたい」
声を詰まらせるような泣き声に交じりのか細い朱音の声が俺の胸を刺す。
俺にとっては自分のことよりも朱音の方が大事だ。
朱音が悲しい思いをしたり、辛い思いをしている方が耐えきれない。
朱音は祖父の家に行くのはあまり乗り気ではなかったようだった。
朱音の家は亡くなった祖母以外は朱音の味方が誰も居なかったと聞いていたので、きっとそのためだろう。
まさか、朱音をここまで追い詰めるなんて。
朱音が帰りたいって俺に助けを求めてくれたならば、返事は決まっている。
彼女が発した助けを求める声は、ちゃんと俺に届いているから――
「帰ろう。俺が迎えに行くから」
俺は躊躇いなく口にすれば、朱音がスマホ越しに息を飲んだのが伝わった。
初めて出会った頃の朱音ならば、きっと「帰りたい」なんて遠慮して口にしなかっただろう。いつもみたいに我慢していたはず。
弱音を吐く事や誰かを頼るようなことをしないのが朱音だった。
今はちゃんと俺に伝えて知らせてくれるようになり、良い兆しだと感じる。
「……ごめんなさい……大丈夫だから、ちょっと匠君とシロちゃんの写真を見て……その……あと二日くらいで帰れるから……」
朱音のことだから、俺に迷惑がかかると思っているのだろう。
俺にとっては朱音の事に関して迷惑だなんて思うはずがないのに。
「朱音が帰りたいって思うようなことがあったんだろ?」
朱音が泣きながら帰りたいっていうくらいだ。
彼女の家族や親せきに対しての憤りを感じると同時に、朱音を法事に行かせてしまった自分にも苛立ちを感じる。
まだ俺は朱音の親戚関係に同等に関して口を出せる立場ではない。
夫ならば、妻の親族関係に口を出すことも可能だろう。家族なのだから。
「大学の進学でちょっと言われたの……大学に行かないで結婚したらどうだって……お祖父ちゃんのご近所さんと……」
「時代錯誤な」
美智が聞いたらブチキレそうな話だ。
もうすぐ平成が終わり新しい元号になるっていう時代に何を言っているのだろうか。
昔から女性が勉強して学問に励んだ事だってあるというのに。
色々な思想があるのは自由だと思うが、それを相手に強要するのは大問題だと個人的に思う。
「結婚話は進んでしまったのか?」
「ううん。お父さんが琴音のためにも大学には行かせるって言ってくれたから」
俺が朱音の立場ならばすぐさまふざけるな! と怒って二度と会わないだろう。
けれども、朱音にとってはそれが『日常』だったんだ。
朱音の唯一の味方だったお祖母さんは、きっと朱音のことが最期まで気がかりだっただろう。
「帰ろう。大丈夫、ちゃんと迎えに行くし上手く纏めるから」
「……でも……遠いし……匠君も忙しいし……迷惑が……」
「朱音のことで迷惑になることなんてないよ。ねぇ、朱音。自分の心を大切にしてあげて欲しい。他人から傷つけられるのを我慢する必要はないし、朱音が幸せになってもいいんだ」
今すぐ迎えに行きたいが、時間的に今日中に朱音の元へ着くのは無理そうだ。
明日の早朝までに迎えに行って朱音を連れて戻って来たい。
行くならば朱音の親戚や祖父にもある程度の圧力をかけておき、二度と朱音を傷つけるようなことをしないようにしなければ。
「ごめん、迎えは明日の早朝になりそうだ。俺が迎えに行くから、そのまま五王家に帰ろう。シロも喜ぶだろうし」
「……シロちゃん」
「シロ、夏だから水遊びせがんで俺一人では大変なんだ。テンション高くなってさ」
「私もシロちゃんと遊びたい」
「明日、迎えに行くから待っていて。住所とかアプリメッセージで送ってくれる? この件は朱音の両親に言わないで欲しい」
「うん……ごめんね」
「気にしないで。俺が勝手にやっていることだから」
朱音は少し感情が落ち着いてきたのか、感情的だった声音が少し落ち着いたように感じる。
「朱音、夏休みどっか行かないか? 夏休みの思い出作りに」
俺はもう少し朱音が落ち着くまで話を続けることにした。
なるべく楽しい話題にして、『俺との日常』に近づけるために新しい話題を切り出す。
「思い出……」
「そう。夏休みはまだあるしさ。楽しい思い出を作ろう。海に行った?」
「ううん。海は行ってないの」
「まだなら一緒に行かないか? 父さんの友達が海の家をやっているんだ。美智達も誘ってみんなで行こう。ベタだけれども、海でスイカ割りでもしようか」
「うん」
その後、しばらく朱音と話をした。
クスクスと笑い声を上げた朱音の状態をスマホ越しに察して、朱音に居間に戻らず少し早いけど部屋で休むように伝える。
また親戚たちの元に向かえば、朱音がまた傷つく言葉を吐かれてしまうだろう。
本当は一秒でも早く連れ戻したいのだが。
俺通話を切ると、大きく息を吐き出す。
「なんで俺はまだ高校生なんだろうな」
自分一人の力で朱音のことを守りたいのに、一人では守ることができない。
健斗の件があった時、祖父は使えるものは使えと言ってくれた。
五王の名が使えるのならば、使いたい。
朱音を守るために。
――五王の力ってどこまで通じるのだろうか?
朱音の両親あらば、五王の名は効果的だが、朱音の祖父の家は地方の田舎。
五王をそもそも知っているのだろうか。
「お祖父様に伺ってみよう」
俺は立ち上がると祖父の部屋を訪れることにした。
+
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祖父の部屋を訪れれば、ちょうど帰宅した父と祖父がお酒を酌み交わしていた所だった。
テーブルの上には冷酒の他に酒のつまみが並べられている。
「お祖父様、いまお時間よろしいでしょうか?」
「……何かあったようだな」
「朱音ちゃんだよね?」
祖父と父は俺がここに来た理由をまだ知らないが、朱音に関することだと察してくれたらしい。
二人共、お酒を飲んでいた手を止めるとこちらに体を向ける。
「はい。朱音のことでお祖父様達にお願いがあります。実は――」
俺はつい先ほどの朱音との電話について話をした。
朱音の置かれている状況、俺が一人で朱音を助けたいと思っているが自分の今の力では一人で彼女を助けることができないため、五王の力を借りたいということも。
「朱音さんが法事に行きたくない様子だったと美智に聞いていて心配していた。やはりそうなってしまったのか」
「全員が敵だという状況に一人では辛いよね、朱音ちゃん。ただ、匠に帰りたいって言ってくれたのは良い方向だけれども」
父達は沈痛な表情を浮かべている。
「朱音を迎えに行きたいんです。ですから、お祖父様が以前おっしゃったように使えるものは使いたい。五王の名すらも。ただ、朱音のお祖父様達に五王が通じるかが気がかりで」
うちはどちらからと言えば都市部や海外が主になっている。
勿論、地方に系列会社や支店はあるが。
勝手な憶測だが、地方では地方に特化した企業の方が力関係強いように感じていた。
「それなら問題ないよ。ねぇ、お父さん」
「そうだな。朱音さんの祖父の所まで五王の名が使えるかはわからないが、少なくてもその場所を纏めている人々には五王の名は使える」
「それはどういうことでしょうか……?」
「つまり、県会議員や市議会議員、企業などにはうちと懇意にしている人達がいるから、そちらに繋げることにしようってこと。地元に強い人たちにお願いするんだ。朱音ちゃんのお祖父さんの家は田舎だから地域の密着性が強いと思うし」
――朱音は今大丈夫だろうか?
すぐに迎えに行って顔を見て確認したい。
だが、朱音の立場を悪くすることはできないため、ちゃんとした手順を踏まなければならないのだ。
朱音にとって家族は家族だから。
俺としては家を出て欲しいと思っているが、朱音と話をしているとやはりまだ朱音は両親のことを諦めていないようだ。
あの状況ならば、家を出る選択もあるはず。
大学の進学を機に……就職を機に……など、色々ときっかけはある。
けれども、彼女は両親の言われるまま進学を選んだ。
朱音は気づいているかわからないが、両親に対する呪縛は深い。
「連絡を取ってみよう」
祖父はテーブルの上に置いてあったスマホへと手を伸ばすと、どこかに電話をかけだす。
耳朶に当てていると数秒で相手が出たようで祖父が唇を開く。
「夜分遅くにすまないな、秋川君。ちょっと聞きたいことがあって……」
祖父が話しているのを耳を澄ませて聞いていた。
「そうそう、その村だ。村長を知っているかい? ……ほぅ、君が世話をしたのか……いや、村長が私の不興を買ったとかではない。実は孫の友人を迎えに行きたいんだ。今、その村に滞在をしていて……そう、匠の……村のことを知りたいんだが、やはり村長かい? ……ほぅ、村長は元々村を纏めていた地主なのか……」
俺は秋川さんを知らないがあちらは知っているようだ。
名前に引っかかりを覚えないため、会ったことはないと思うが一応後で名刺のデータを見ておくことにしよう。
祖父は少し話をすると通話を終えテーブルへとスマホを置き、乾いた喉を潤すように冷酒に口を付ける。
「県会議員の秋川さんが村長とは昔から親しいようだ。色々世話をしていたらしい。秋川君は全予定をキャンセルして空港まで迎えに来て村まで案内してくれる。村長には秋川君が直接連絡をしてくれるとのことだ。村のことも少し聞いてみたが、村長の家は昔からまとめ役だったようで、色々村の人達の面倒をみてきたらしい」
「ということは、朱音ちゃんのお祖父さんには村長が適任者ですね」
「そういうことだな」
「力を貸して下さってありがとうございました」
俺はお祖父様に頭を下げれば、お祖父様が近づいてきて腕を伸ばす。
わしゃわしゃと俺がシロにするように頭を撫でられてしまう。
弾かれたように顔を上げれば、穏やかな笑みを浮かべた祖父と瞳が交わる。
「匠は良い男になったな。朱音さんも匠と出会って変わったけど、匠も朱音さんと出会って変わった。勿論、良い方向に」
「俺はまだまだです。早く朱音を一人でも守れるようになりたい」
いつか朱音のことを一人でも守れるように、今は力を付けたいと強く思った。