帰ろう
ゆっくりと瞼を開ければ、見慣れぬ天井と部屋だった。
上半身を起こして布団から起き上がって広がる光景に対して、「あぁ、祖父の家に来たんだ」と改めて実感。
畳が敷かれた和室には、和箪笥などの家具類から時代を感じる黒く艶が出た梁が窺える。
窓を覆っているカーテンからは朝日が漏れていた。
私が左右を見回せば、ふとんで眠っている妹の琴音ともう一人の従妹の姿が。
他のいとこ達は祖父と一緒に暮らしているため、自分の部屋で寝ている。
私は時間を確認するために枕元に置いてあったスマホへ手を伸ばすと、匠君からメッセージが届いていた。
『七時半くらいに着くよ。荷物の準備しておいて。朱音は、普通にしていて欲しい。祖父も一緒だから朱音の両親は問題ないよ。きっと五王なら大丈夫だから。魔よけも付いて来たから』
匠君だけじゃなく、匠君のお祖父様にもご迷惑を……
昨夜。私はいつもの優しい匠君の声を聞いて我慢できなくて、心からの叫びを彼に伝えてしまった。
帰りたい。匠君達のところに帰りたいよって。
匠君がすぐに『帰ろう。俺が迎えに行くから』って言ってくれたのが嬉しかったし驚いた。
受け入れてくれたことに対してもだし、匠君が即答してくれたことにも。
告げてから彼に迷惑をかけてしまったという自己嫌悪に陥ってしまったけど、匠君が電話で我慢する必要はないし私も幸せになって良いって励ましてくれた。
電話が終わった後、匠君に言われた通りに部屋に早めに引っ込めば、アプリでメッセージやシロちゃんの画像を送ってくれて私を気遣ってくれて……
「匠君」
私は手にしていたスマホを強く握りしめる。
匠君が来てくれるというだけで心強い。
メッセージの返事をしょうとすれば、何の前触れもなく部屋の戸が開かれてしまう。
そのため、私は肩を大きくビクッと動かしてしまった。
「あら、朱音。起きていてちょうど良かったわ。起こそうと思ったんだけれども」
開けられた戸から姿を現したのは、お母さんだ。
「うん。今、起きたところなの」
「朝食手伝ってくれないかしら? 人数多いから大変なのよ」
「着替えてから手伝うね」
私がそう告げれば、お母さんは「お願いね」と言い残して戸を閉める。
すると、もぞもぞと真横から物音がしたため、振り返ると従妹の舞子ちゃんが起き上がっていた。
どうやらお母さんとの会話で起こしてしまったらしい。
舞子ちゃんは私よりも一つ下で琴音と同じ年。
彼女は私と共に唯一お母さん達を手伝ってくれていた従妹だ。
舞子ちゃんは胸下まである長い髪があちこちに跳ねているようで、軽く手で梳かしている。
「また朱音ちゃんばっかり手伝い~? ほんと、琴音ちゃんはいいよね。何もしなくて。お祖父ちゃんからは、お小遣いやお年玉も多く貰っているし。うちらが気づかないと思っているのかな」
お小遣いやお年玉の話は初耳だったので、私は目を大きく見開く。
いとこ達は私とは仲良くも悪くもないけれども、琴音との関係は決して良好ではない。
琴音が来ると祖父や伯父さんも伯母さんも琴音に話題が持ちきりになるからと思っていたが……
まさか、お小遣いやお年玉にまで差があるならば、尚更ギスギスする原因となるだろう。
「もしかして、朱音ちゃん知らなかったの?」
私はその問いに首を縦に動かす。
「東京の名門校に通っているから交友関係でお金がかかるだろうっていう理由。入学祝いもうちらとは大違いで別格。琴音ちゃんだけ百万だって」
「えっ……」
あまりにも大金過ぎたため、頭が一瞬真っ白になってしまう。
「こんなに差があるんだから、他のいとこ達から反感買わないわけないよね」
祖父の愛情は琴音に注がれているのは知っていたけど、まさかここまでだとは思っていなかった。
「お祖母ちゃんがいた頃ならまだマシだったんだけどねー。お祖母ちゃんはみんな同じように可愛がってくれたから。あっ、でも朱音ちゃんのことは一番気にかけていたかな? よく一人で東京の露木家に行っていたし」
祖母の話が出て、私は鼓動が大きく跳ねる。
「琴音ちゃんばかり本当にずるいよ。私もまだ寝ていたいけど、うちのお母さんもそろそろ来るかも。朝食手伝えって。私もそろそろ起きるね」
舞子ちゃんは布団を畳むと、傍にあった着替えへと手を伸ばした。
+
+
+
全員の朝食が終わったため、私はテーブルの上に置いてある食べ終えた食器をお盆の上に乗せて片付けていた。
私達家族の他に舞子ちゃん一家が来ているため、祖父宅のテーブルでは間に合わないから今日は簡易テーブルを繋げている。
祖父と伯父一家の五人、舞子ちゃん一家の三人、そして露木家で四人。久しぶりにみんな揃ったためか、大人数で片付けも大変だ。
「朱音」
「はい」
祖父に呼ばれたため顔を上げれば、茶の間と繋がっている居間に祖父がいた。傍にはスマホをいじっている琴音の姿が。
居間には他にも新聞を読んでいる父や、お茶を飲みながらテレビを見ている伯父達の姿があった。
いとこ達の姿はない。
「片付け終わったら、鯉に餌をあげて来てくれ。あぁ、ついでに裏の畑で野菜の収穫をしてきてくれ。雑草も生えていたら処理しておいて欲しい」
「……はい」
ついでという名のもとに仕事がどんどんと増えていく。
最近、家族ってなんだろう? って、ふと思う事がある。
匠君の家は家族が助け合っていて、お互いを尊重していた。
理想の家族なので五王家に招かれるのは大好きだけど、家に戻ると自分の家とつい比較してしまい家族ってなんだろう? と考えてしまって虚無感に襲われる。
私の両親は私のことを守ってはくれない。
でも、匠君達は私へと手を差し伸べてくれる。
血のつながりはないのに――
「お祖父ちゃんの隣にいるじゃん。暇な人が!」
私と同じように食器を片付けている舞子ちゃんがぼそっと呟く。
「お祖父ちゃん、これ可愛くない? 欲しいなぁ」
琴音がスマホを祖父へと差しだせば、祖父はかけていた眼鏡を外してディスプレイを眺める。
だが、視えないようで首を傾げた。
「……画面が小さくて視えないなぁ」
「パソコンかタブレットがあれば、お祖父ちゃんでも視えるかも。あっ、舞子ちゃんがいるじゃん。ねぇ、タブレットかパソコン持ってない?」
「持ってない」
舞子ちゃんが堅い台詞を口にする。
「えー、持ってないの? 最新のタブレットは~とかうんちくたれてそうなのに」
不機嫌そうな琴音の声が届いてきたが、不機嫌なのは琴音だけじゃない。
舞子ちゃんもだ。
ぐっと眉間に皺を寄せ、唇をぴくぴくと小さく痙攣させている。
「ほんと相変わらず人の神経を逆なでするの上手だよね、琴音ちゃん」
「えー、なんで怒っているの。皺がすごいよー」
舞子ちゃんは手にしていた皿に力が込められたようで、僅かに腕を上げかけてしまう。
そのまま投げつけてしまいそうな勢いだったため、私は唇を開いた。
「ご、ごめんね……」
舞子ちゃんは苛立ちからか、ガシャンガシャンと音を鳴らしながら食器を重ねていく。
いとこ達と琴音はたまにこうなる。
私は琴音と暮らしているから日常の一部だが、いとこ達は違うのでいまのように衝突が。
そのため、私が双方の間に挟まれることが時々あり神経がすり減っていく。
「人を見た目で判断するなら、琴音ちゃんは彼氏いっぱいいそうだね。お祖父ちゃんもそんなに琴音ちゃんが大好きなら、卒業したらこっちに呼べば? 琴音ちゃんなら相手困らないだろうし」
舞子ちゃんと琴音の間で目に見えない火花が散っている。
「あぁ、そうか。卒業したらというのもあるんだな」
そう口にしたのは、伯父さんだった。
「朱音、大学卒業したらこっちに来たらどうだ? 琴音はピアニストになるって夢があるから無理だけど、朱音なら夢はないだろ」
急に矛先が私に来たため、心臓が嫌な音を奏でる。
昨日のことを思い出し、私は黒くどろどろした気分に襲われていく。
「そうだな。こっちで結婚すれば、うちからも近いだろうし。朱音も安心だし色々と便利だろう」
お祖父ちゃんの言葉によって、私の頭が殴られたようにぐらぐらして気持ちが悪い。
昨日もそうだけど、お祖父ちゃんの言葉は影響力が大きい。
「朱音ちゃん、ごめん! 私が余計なこと言っちゃったから」
「……大丈夫」
大丈夫ではないが、眉を下げている舞子ちゃんを見たら咄嗟に口から出た。
「なにしているの? 二人共。片付け済ませてからおしゃべりしなさい」
お母さんが台所から現れたため、私は頷くと食器を片付ける手を動かす。
視界が滲んでいくのをぐっと堪えながら、私は食器が乗ったお盆を持って立ち上がろうとすれば、玄関のチャイムが鳴った。
弾かれたように壁に付けられた時計を見れば、時刻は七時二十分くらい。
もしかして――
頭の中に匠君が浮かんだため、私は手にした食器をテーブルへと置くと玄関へと向かう。
扉を開ければ、「朱音」と私の名を呼び出迎えてくれた優しい表情をした匠君だった。
彼の後方には黒塗りの車が二台停車している。
「朱音、迎えに来た。帰ろう」
「……匠君」
私は飛び出すように玄関を出て匠君へと抱き付けば、「遅くなってごめん」と匠君が口にしたので私は首を左右にする。
匠君は宥めるように私の背を優しく叩いてくれた。
「もう大丈夫。俺が一緒にいるから」
「うん……ありがとう……」
「帰ろう。お祖父様にも来て貰ったんだ」
匠君が左側へと視線を向けたため、私も追うようにすれば匠君のお祖父さんの姿が。
穏やかな笑みを浮かべているお祖父さんの傍には、スーツ姿の見知らぬ男性が二人後方に控えている。
年齢は五十代くらいだろうか? 一人はふくよかな体格をしていて、もう一人は細くてしゅっとしたスタイルをしている。
――どちら様?
首を傾げ掛ければ、「朱音。誰か来たのか?」という、お父さんの声が後方から届いた。




