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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
第2章【百目】 ひゃくめ
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■第6話「ピンクのセーラー服と、盗まれた制服」

 その日も俺たちは、微妙な距離を取りながら下駄箱へと向かっていた。


 友達と並んで歩くような気安さはない。かといって、赤の他人のようにすれ違うわけでもない。俺が数歩前を歩き、初狩が少し離れてついてくる。たまに目が合うと、彼女は「別に一緒に歩いてるわけじゃないですから」と言わんばかりに視線をそらす。


 ——まあ、俺も同じことを思っているから、お互い様だ。


 ふいに、俺の視界の端に見慣れないものが映った。


「……あれ?」


 それは廊下の角に立つ、一人の少女だった。


 長く艶のある髪に、ピンクのセーラー服——ピンク?


 明らかに、桂明高校の制服ではない。濃紺のブレザーが基本のうちの学校で、ピンクは異質を通り越して幻のようだった。


「他校の生徒か?」


 俺がそう呟くと、初狩が即座に否定する。


「違いますよ」


 彼女はじっとその少女を見つめて、目を大きく見開いた。


「……あれって、"アイメイ"の如月蝶子の制服じゃないですか?」

「"アイメイ"だと?」

「"アイドルメイド"ですよ。ご存知ない?」


 毒舌が続きそうだったので、先に答える。


「いや、知ってるよ。流行りのソシャゲだろ。俺のスマホにも入れてる」


 アイメイ——メイドカフェを経営しながら推しのメイドたちをアイドルに育てるゲームだ。リズムゲームと箱庭経営が両方楽しめる。如月蝶子はキャラ人気で常に上位に入る看板キャラである。


「じゃあ、あのピンクのセーラー服が去年の春イベントの限定衣装だってわかりますよね?」

「ああ……たしかに限定だったな。ガチャの確率が渋くて炎上しかけてたっけ。そうか。あれは蝶子の衣装なのか」

「つまり——コスプレですよ」


 初狩は興味を隠しきれない様子で、まっすぐにその少女へと歩いていった。


「あのっ、それって……どうやって作ったんですか? すごく気になっちゃって!」


 突然の質問に、コスプレの少女は驚いたように瞬きをした。


「あ……えっとな……」

「もしかして、"蝶子"推しだったりしますか? わたしも"アイメイ"大好きなんです! その衣装の再現度、ほんとにすごくて……思わず見惚れちゃいました」


 初狩が普段は見せない全力のテンションで距離を縮める。こいつ、好きなものの前では人見知りなんてどこかに消えるんだな。


「うん、まあ……そやねん」


 少女は困ったように笑い、視線をふらふらと漂わせた。


 かわいらしい顔立ちに反して、声はわりとハスキーだった。イントネーションは標準語から外れていて、関西系のような響きがある。ただ、コテコテの大阪弁とは少しニュアンスが違う。京都寄りだろうか。


 俺は"観測者"の習性で、自然と相手を観察していた。


 背が高い。女子にしては異様なくらいスラリとしていて、制服の上からでも分かるほっそりとした体型。肌は透き通るように白く、長い手足のバランスが妙にいい。ピンクのセーラー服に身を包んだ姿は、一瞬、現実離れした人形かと見紛うほどだった。


 足元を見ると、赤のラインの上履き。俺たちは1年生で緑のラインだから、2年の先輩だ。


 だが——褒められているのに、どこか落ち着かない様子なのが引っかかった。単純な照れとは違う。何かを隠しているような、居心地の悪さ。


「もしかして何か、困ってます?」


 俺がそう聞くと、少女は少しだけ口を結んだあと、ぽつりと漏らした。


「……そのな、ちょっとややこしいことになってしもて……」

「大変なこと?」

「着替えてる間に、元の制服どっか行ってもうたんや」


 俺と初狩は、思わず顔を見合わせた。


 制服を盗まれた。

 その言葉の重みが、じわりと胸に沈んでいく。悪戯か、嫌がらせか。いずれにせよ、悪質だ。


 関わるか。

 それとも、見なかったことにするか。


 ——前回だって、最初はそう思った。初狩のいじめを見て見ぬふりをしようとした。「関係ない」と自分に言い聞かせた。結局あのときは関わったけれど、あれはミッションメールがきっかけだった。


 今回は違う。誰にも指示されていない。ただ、目の前に困っている人がいるだけだ。


 ——損得勘定。

 関わればリスク。関わらなければゼロ。答えは明白だろう。


 そんなことを考えている間に、初狩の肘鉄が俺の脇腹に軽くヒットした。じろりと睨まれる。


「……お、俺は高尾才です」


 反射的に名乗ってしまった。初狩のせいだ。


「わたしは1年3組の初狩時雨っていいます。制服を隠すなんて、ほんと古典的ないじめですよね。協力させてもらってもいいですか?」

「ハツカリちゃんにタカオちゃんやな。うちは2年3組の笹子(ささこ)玲(れい)やで。せやけど、あんまり大げさにせんといてな。たいしたことやあらへんし」


 笹子——そう名乗った先輩は、眉を下げて苦笑した。

 その表情はどこか達観していて、慣れているようにも見える。


「もしかして……こういうこと、前にもあったんですか?」


 初狩がそう問いかけると、笹子先輩は少しだけ沈黙したあと、小さく首を横に振った。


「せやな、ちょっと目立ちすぎたかもしれへんわ」

「その格好でしたら、目立っちゃうのも仕方ないかもですね。もちろん、悪い意味じゃないので安心してくださいね?」


 初狩のフォローに、先輩が微かに笑う。


 その時だった。


『才よ、そなた、先ほど廊下ですれ違った者を覚えておらぬか?』


 頭の中に、オボロの声が響いた。


「すれ違った?」


 俺は小さく呟く。そんな奴いたっけ。すれ違ったとしても相手のことなんていちいち気にしていない。


『我の記憶によれば——あの者が濃紺の布を隠し持っておったぞよ』


 オボロの言葉と同時に、記憶の断片が脳裏に再生される。廊下の窓際、すれ違いざまに見えた長身の女子。手元に覗いていた、濃紺の——制服のブレザーの袖。表情はこわばり、何かを恐れているようにも見えた。


 ……あの時の。


 俺はそっと呼吸を整え、周囲を見回した。


「——ちょっと、心当たりがあるかも。さっきすれ違った生徒が、なんか濃紺の布を持ってた気がする」

「布? もしかして制服?」

「わからない。一瞬しか見えなかったけど、表情に違和感があった。2年生の教室がある方に歩いていった」


 本当はオボロに教えてもらったのだが、それを言うわけにはいかない。

 初狩が俺をじっと見た。


「高尾クン、何か妙に頼りになる感じですね」

「……まあな。観測者だから、こういうのは得意なんだよ」


 俺はそう誤魔化して歩き出す。2年生の教室が並ぶフロアへ。


 途中、オボロが再びヒントをくれた。


『あの教室のゴミ箱から濃紺の布が僅かに見える』


 2年3組——笹子先輩のクラスだ。教室は放課後で無人。中をそっと覗くと、ゴミ箱に丸められた制服が押し込まれていた。


「これ……!」


 後ろをついてきた笹子先輩に制服を手渡す。その時、ポケットから生徒手帳が滑り落ちた。


 拾おうと手を伸ばす。落下の衝撃で開かれたページに、個人情報が記載されていた。


 名前——笹子 玲

 生年月日——○○年10月25日

 性別——男


 一瞬、呼吸が止まった。


 ……男?


 思わず顔を上げて先輩を見る。先輩は俺の視線に気づいて、少しだけ目を伏せた。


「ごめんな。別に騙すつもりやなかったんやけど、うち、ほんまは男やねん」


 静かな声だった。謝罪というより、何百回も繰り返してきた説明みたいな、慣れた諦めを含んだ響き。


 俺は生徒手帳を閉じて、先輩に返した。


 喉の奥まで言葉がせり上がってくるのに、出口が見つからない。「大丈夫ですよ」なんて安っぽい同情で片付けたくはない。かといって「苦労されたんですね」と外側から眺めるような真似もしたくなかった。知識として知っているはずの「境界線」が、目の前の現実として立ちふさがった瞬間、俺の語彙はすべて無力な記号へと成り下がった。


 ——その時、ふいに頭の中を過ぎったのは、自分のことだった。


 "モブ"。

 小学校で貼られたレッテル。おまえは主人公じゃない、脇役ですらない、背景のモブだ——そう呼ばれ続けた記憶。


 レッテルを貼られる痛みなら、知っている。

 規模も種類も全然違う。比べものにならないかもしれない。でも、他人に勝手な名前をつけられて、それを剥がせない苦しさだけは——わかる。


 だから俺は、何も言わなかった。

 黙って生徒手帳を返して、それだけにした。


「わたしたちは、ぜんぜん気にしてないですよ」


 代わりに初狩が言った。

 先輩は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。


「先輩がどんな事情があっても、それはまったく問題じゃないと思ってますから」


 先輩はしばらく俺たちを見つめて——それから、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


「……ありがとな。なんか、後輩にこんなこと言わせてしまって、ほんまあかんわ」


 照れ隠しのように笑う先輩に、俺は「気にしないでください」とだけ返した。短い言葉だったが、それ以上は要らない気がした。



**



 その時、笹子先輩のスマホが震えた。


 ポケットから取り出して画面を見た先輩の表情が、一瞬だけ固まる。

 すぐに取り繕ったが、俺はその変化を見逃さなかった。


「どうしたんですか?」


 俺が聞くと、先輩はスマホの画面をこちらに向ける。


『A:公表するか? B:公表しないか? どちらかを選べ』


「いたずらのメッセージやと思うで。ほら、今流行ってる、なんとかの呪いとかいうやつやろ」

「これ、"絶死の呪い"ですよね?」


 初狩がすぐに反応する。


 だが俺が引っかかったのは、呪いの方じゃない。


 "公表"。


 何を公表するのか。このメッセージだけでは意味が通らない。しかし、たった今この場で起きたこと——生徒手帳の性別欄、「ほんまは男やねん」という告白——を考えると、嫌な符合が浮かぶ。


 まるで、この状況を知っている誰かが送ったような。


 俺が質問しようとした瞬間、初狩が一歩先に口を開いた。


「公表って、何のことなんですか?」


 先輩の笑顔が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。

 だが、すぐに持ち直す。


「さあな? 何のことやろなぁ。まあ、こういうのは無視が一番やで」


 ——話を逸らされた。


 先輩の声は明るかったが、目が笑っていなかった。俺はその違和感を、意識の奥に刻みつけた。


「そういえば先輩の、その衣装ってよく出来てますよね。キャラ愛を感じるというか」


 俺も追及を避けて、話題を切り替える。今はまだ踏み込むべきじゃない。出会ったばかりの後輩に、核心を晒す義理なんて先輩にはないのだから。


「そら、蝶子はんはパーフェクトやからなぁ」


 先輩の表情がふわりと緩んだ。好きなものの話になると、人はこうも無防備になる。


「それ、春イベントで蝶子が着てた限定衣装ですよね?」


 初狩もノリノリで食いつく。


「ああ、どうしてもあのバズったシーンを再現したかったんや」

「夕暮れの独白シーンでしたね。あれ、わたしちょっとキュンとしてしまいました」


 蝶子が夕暮れの川辺で自分の夢を語るシーン。あまりにも芸術的な一枚絵がネットで話題になっていたのは記憶に新しい。


「冴子先輩に撮ってもらう予定やねん。蝶子のコスやから、気合い入れてな」

「衣装、全部自分で作ったんですか?」

「うん。被服部で型紙から起こして、生地も自分で探して。アイメイはソシャゲにしては作画のクオリティが鬼やから、再現するの大変やったけどな」


 先輩が嬉しそうに語る。初狩は目を輝かせて聞いている。


 二人の間に、共通言語が生まれていくのが見えた。「かわいい女の子が好き」——その一点で、初狩と笹子先輩は完全に通じ合っている。


「音楽もいいっすよね」

「わ、わたし『夕暮れのリボン』好きなんです」

「うちは『やまない雨はない』かな」

「俺は『世界征服宣言』かな」

「みんな、蝶子の曲やな」

「声もいいですもんね」


 久々に、ただのオタク話で笑い合う時間だった。


 笹子先輩——玲先輩は、好きなことを語るとき、さっきまでの不安げな影が嘘のように消える。衣装の話になると手振りが大きくなり、蝶子の魅力を語るときは京都弁がさらに柔らかくなる。


 その姿を見ていて、不思議と安心した。

 好きなものがある人間は、それだけで少し強くなれる。初狩がそうであるように。


 だがその一方で、さっきのメッセージが頭の隅に引っかかっていた。


 『公表するか? 公表しないか?』


 あの選択肢は、先輩にとって何を意味していたのか。

 制服を盗んだのは誰で、何が目的だったのか。


 今の俺には、まだわからない。

 ただ、この出会いが——これから起きる何かの、序章に過ぎないことだけは、漠然と感じていた。



**



 先輩と別れた帰り道、気づけば初狩が隣を歩いていた。いつもの三歩後ろじゃない。指摘したら「たまたまです」と言われるだろうから黙っておく。


 初狩がぽつりと呟いた。


「玲先輩って、きれいな人でしたね」

「ああ。男とか女とか関係なく、純粋にそう思ったよ」

「衣装のクオリティも本当にすごかった。あれを一人で作れるって、相当な技術ですよ。プロレベルです」


 初狩の声には、同じ創作者としての敬意がにじんでいた。


「……でも」


 初狩が少しだけ声を落とす。


「制服を盗まれるって、やっぱり普通じゃないですよね。しかも先輩、慣れてる感じだった。前にもあったんだと思います」

「俺もそう感じた」


 歩きながら、俺は先輩の表情を思い返す。達観した苦笑。「たいしたことやあらへん」という言葉。あれは——大したことじゃないから笑ったんじゃない。大したことにしてしまったら、自分が保てないから笑っていたんだ。


「"公表"のメッセージも気になります」

「ああ。あれは……先輩の事情と無関係とは思えない」

「でしょうね。先輩、明らかに動揺してましたから。わたしが聞いたら話を逸らしましたし」


 初狩は顔を上げて、夕暮れの空を見た。


「もし何かあったら、力になりたいですね。せっかくアイメイ仲間ができたんですし」


 アイメイ仲間。

 その言い方が、妙に初狩らしくて——俺は少しだけ笑ってしまった。


「そうだな。……まあ、まずは目の前のクエストを片づけないとな」


 "絶死の呪い"。

 そのとき俺の頭の中にあったのは、都市伝説のことだけだった。


 笹子玲先輩の周囲で、もっと大きな嵐が動き始めていることに、まだ気づいていなかった。



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