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都市伝説は、忘れられた名前に届く  作者: オカノヒカル
最終章 【画霊】 がれい
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■第53話「深夜二時の差出人」


 モニターの光だけが、顔を照らしている。


 「draft」フォルダの中身は、さっき見た通りだった。何度開き直しても変わらない。クエストNo.0001、No.0002、No.0003——見覚えのありすぎる件名が並んでいる。


 下書きだ。


 あのクエストメールが完成するまでの、途中経過。

 俺はPCの前で、もう何分固まっているのかわからなかった。椅子の背もたれに体重を預けたまま、指だけがマウスの上で動いている。カチ、カチ、と乾いた音が、誰もいないREXの暗がりに落ちる。


 まず、反射的に浮かんだのは初狩だった。

 このPCを一番長く使っていたのは彼女だ。REXに入り浸り、この画面に向かって何十枚と絵を描いてきた。

 だが、その考えは三秒で崩れる。

 最初のクエストメールが届いたのは、初狩と接触する前だ。あの時点で彼女はまだREXの存在すら知らなかった。鍵も持っていない。そもそも俺と初狩が出会ったのは、クエストNo.0001がきっかけだった。原因と結果が逆転している。時系列が合わない。


 初狩ではない。


 じゃあ、誰が。


 椅子に座り直す。

 深呼吸を一つ。埃っぽい空気が肺に入る。考えろ。感情ではなく、順番に。


 ファイルをひとつずつ、開いていった。



**



 調べていくうちに、いくつかの事実が見えてきた。


 第一に、下書きは確かに今までのクエストメールそのものだということ。

 完成版と完全に一致はしない。だが骨格は同じだ。あの妙に詩的な文体。都市伝説めいた比喩。最後に行動を促すミッション文。どれも、俺が受信トレイで見てきたクエストと同じ手癖で書かれている。

 草稿によっては言い回しが少し違っていたり、一文丸ごと消されていたりする。推敲の跡だ。何度も書き直して、最終的にあの文面に辿り着いている。つまり——即興ではない。練られている。


 第二に、それらが手動送信ではなかったということ。

 メールアプリの設定画面を開くと、自動送信機能が有効になっていた。指定した時刻になると、下書きトレイから自動でメールが送信される仕組み。差出人はその時その場にいなくてもいい。あらかじめ文面を書いておけば、あとはPCが電源さえ入っていれば勝手に送られる。


 第三に——これが一番、背筋に来た。

 保存日時が、ほぼすべて「深夜二時」で揃っていることだ。


 深夜二時。


 怪異めいた数字にも見える。丑三つ時。百鬼夜行。そういう文脈なら、オボロのいるこの店には似合う。

 だが同時に、もっと生々しい連想もある。

 眠れない人間の時間だ。布団の中で天井を見つめて、頭の中が止まらなくて、起き上がってしまう時間。誰かの決まった手口みたいに、毎回同じ時刻に刻まれている。

 それが、ぞっとするほど人間くさかった。


 犯人の候補を、現実的に並べ始める。


 初狩ではない。

 では誰だ。


 最初に浮かぶのは母だった。

 REXの鍵を持っている。この場所の事情も知っている。叔父の店を管理する立場上、何度か出入りしたこともあるはずだ。

 だが、すぐに首を振った。

 母にあの文体は似合わない。「声なき声は、まだ拾われていない」とか「捨てられた言葉は、別の空席を満たし続けている」とか——あの執拗で詩的な言い回しは、母の手ではない。あの人は事務的で実際的な文章しか書かない。年賀状の一言コメントですら三行で終わる人だ。

 それに、母はここしばらく会社の慰安旅行で不在だった。最近の下書きに触れる余裕があったとは思えない。


 母でもない。


 ならば、もう一人。

 この店をもともと持っていた人間。

 母の弟。行方をくらました叔父——鮫島友彦。


 REXのPCの仕組みを知っている。この場所に出入りできた。自動送信を仕込める知識もあっただろう。

 もし叔父が、夜逃げしたと見せかけて、実はずっとこの店の近くにいたのだとしたら。俺たちがREXを拠点にしていることを、どこかから見ていたのだとしたら……。


 飛躍している。自分でもわかっている。


 だが飛躍でもしなければ、この不気味さに顔を与えられない。


「……友彦おじさん、なのか」


 口に出してみると、少しだけ恐怖が形を成した。

 行方不明だった人間が、実はずっとこの店の裏で動いていた。差出人不明のメールを、深夜二時に作成していた。


 怪異より、よほど生々しい。



**



 その夜、家に帰っても落ち着かなかった。


 初狩からの既読はつかない。

 教室の空席。REXの空席。下書きフォルダ。深夜二時。

 頭の中で、空いた場所ばかりが増えていく。穴だらけの地図を広げているみたいだ。どこに足を置いても、踏み抜きそうな感覚がある。


 自分の部屋のベッドに横になっても、天井の染みが模様に見え始めた頃にはもう深夜一時を回っていた。スマホの画面を点ける。初狩のトーク画面。既読なし。消灯。また点灯。既読なし。この繰り返しを何回やったか、数えるのはとっくにやめている。



 翌日。

 学校から帰ると、玄関にスーツケースがあった。


 母が帰ってきていた。

 リビングに入ると、テーブルの上にペットボトルのお茶が一本、手つかずで置かれている。母はソファに座っていた。スーツに皺が寄っていて、髪もいつもより乱れている。慰安旅行帰りというより、何日も走り回っていた人間の顔だ。


 俺が「ただいま」と言うより先に、母が口を開いた。


「友彦のことで、向こうで連絡受けてた」


 声が低い。疲れているだけではない、別の重さがある。


「旅行先でそのまま動くことになって……帰るの遅れた」


 母はペットボトルに手を伸ばしかけて、やめた。


「座って」


 俺はテーブルの向かい側の椅子を引いた。母の顔を見る。目の下に隈がある。口元の線が、いつもより深い。


「友彦、去年のうちに死んでた」


 母の声は、静かだった。

 芝居がかった悲痛さも、声を震わせる演出もない。ただ事実を伝えるだけの、乾いた声。日常の延長みたいな低い温度で、その言葉は落ちてきた。

 だからこそ、重かった。


 友彦叔父さんは地方の賃貸の小さな一軒家で一人暮らしをしていたらしい。家賃は口座からの自動引き落とし。預金が残っている間は滞納が出なかったから、大家も管理会社も異変に気づかなかった。

 預金が尽きて、引き落としが止まって、初めて管理会社が動いた。

 調査が入って、孤独死が確認された。

 身元確認と親族への連絡に時間がかかり、その連絡を母が慰安旅行先で受けた。


「……向こうで手続きとか、いろいろあって」


 母はそこで初めて、ペットボトルのキャップを開けた。一口飲んで、また置いた。


「……まあ、そういう状態だから、いろいろと大変なのよ」


 俺は何も言えなかった。

 叔父の死がショックというより、別の考えが頭を埋め尽くす。

 昨日まで自分が立てていた仮説が、現実に潰されていく音が聞こえた。


 叔父は「消えた人」ではなかった。

 「誰にも気づかれないまま死んでいた人」だった。

 夜逃げして、行方をくらまして、どこかで生きているのだろうと漠然と思っていた。少なくとも、クエストメールの差出人候補として名前を挙げるくらいには、「生きている前提」で考えていた。


 それが、もういない。去年のうちに、すでに。


 REXの主(あるじ)だった人間もまた、空席になったまま放置されていた。誰にも気づかれず、口座の残高が尽きるまで、存在していたことすら忘れられて。


 ここに来てから、ずっと空席の話を考えている気がする。

 教室の初狩の席。REXの初狩の椅子。そして今度は、叔父の一軒家。

 空いた場所に、誰も座らない。座らないまま時間だけが過ぎて、いつのまにか「最初からいなかった」ことになっていく。


 叔父でもない。


 じゃあ——誰だ?




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