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第1話 川水も滴るいい女

 夏休みも終わり、風当たりが心地よくなった新涼(しんりょう)の夜。俺は、クラスで行われた文化祭の打ち上げを一足先に帰宅していた、その最中だった。


 大きな橋を自転車で渡っていると、唯一の安全対策である柵を乗り越えようとした1人の女の子を目にした。その子は、まるで雨に打たれた後のようだった。今日は決して雨など降っていない。


 俺はその死にたがっているように見えた女の子を、誰かに重ねていた。

「君、そんな所にいたら危ないよ」


 そう声をかけてもただこちらに片目を寄せただけ。その反応は「分かってるから邪魔しないで」と言っているのと相違なかった。


「君は、死にたがりなんだね」


 率直に思ったことをそのまま口にした。その子にとっても、作った言葉をぶつけられてもいい気持ちはしないだろうと思ったからだ。


「死にたがりって、こんなにも臆病者になれるんだね。初めて知ったや。」


 その柵に足を掛けるも、やっぱりそこで止まってしまう。生きていたくないと思っても、その気持ちと同じくらいに死ぬのが怖いのだ。可愛らしく、透き通ったようなその子の声は、微かに俺の耳には届いた。それが作り言葉ではないということも、きっちりと。

「今日死ぬ必要はないよ、別に明日でもいいんじゃないかな?」


 俺はそんな言葉を贈ってしまう。


「それも、そうだよね。あまり誰かに見られながら死にたくはないかな。」


 そう言ったら彼女は足を掛けるのをやめた。

「君、名前は?」


 別に名前を聞いたところで意味は無い。ただ、心の中で「君」と呼ぶのがあまり好ましくないからだ。もちろん、俺のこんな心情が伝わることもなく彼女は名乗った。

「私、桜山(さくらやま) 美咲(みさき)。」


 一体どこの誰だとはならなかった。


 シェルピンクのロングヘアにラベンダー色の大きな瞳。光るような美しい美肌とそのメリハリボディは、隣を歩かれると誰もが目を止めるだろう。今は水に濡れているからだろう。いつもより髪も肌も輝いており、美しさが増しているような気もする。


「知ってるよ、学校ではちょっとした有名人だからね」

 まだ柵のすぐ奥にある大きな川を眺めていた桜山は、睨むようにしてこちらに振り向いた。

「じゃあなんで聞いたのさ」


 不要なことを避けるのは人として当たり前のことである、という常識は世の中には存在するが、その在り方次第で不要であるかないかという問題は変わってゆく。

「俺は噂で名前を聞いただけであって、本人から名乗られた訳では無いからね。初対面の相場はまず自己紹介からって決まってる。」


 へぇ、と軽く返事を返してきた桜山はきっと俺に興味が無いんだろう。

「私はあなたのこと知らないんだけど。どちら様ですか?」


 昔から影が薄いのは自覚していたが、同じ高校で同じクラス、しかも生徒会役員という立場がありながらもそう言われると少しショックを受けるというものだ。

「あぁ自己紹介だっけ?」

「あなたが相場を語ったんでしょ」


 会話はどのように弾ませるかがポイントである。これは昔の師匠に教わった大事なことだった。

「俺は天川雄大(あまかわゆうだい)、一応後ろの席なんだけど?」


 そう言うと、彼女の制服から冷えた水が歩道にポツりと落ちた。

「今日って雨降ってたっけ?」


 デリカシーのない質問を問うたのは失礼ではあるが、やはりこういう時に嘘を語るのも少しイラつきを覚えてしまう。

「頑張って川でも死のうとしたの。でも怖くて死ねなかったから。」


 そういうことかと納得できるほど俺の理解は広くは無い。ただ、自分にとってそれが間違いでないと思うなら、他人の納得なんて必要ではないと俺は思う。

「じゃあ、乗れよ。」


 俺は明日買い換えるこのママチャリに、最後の仕事を託すことにした。この子を家まで送り届けるという、最重要任務を。

「あり、がとう」


 感謝と不安が混じったした心情でも、いくらか不安が勝つのだろう。


 俺は、後ろの荷物置きをポンと叩いて座ってくれとジェスチャーする。

「ありがとう、ございます」


 少し堅苦しい感謝をいただいたのはこれが初めてだった。

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