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ルジェクが向かった先は、ウルリーケが初めてノアと出会った場所だった。
「ここ…」
辺りには古代の建物の残骸が散らばっている。
「座ろうか」
ルジェクが適当な場所に羽織っていたマントを敷いてくれた。ウルリーケは戸惑いつつも、大人しく座った。
「今、私どんな姿になっているの?」
ウルリーケが聞くと、ルジェクは謎めいた笑みを浮かべた。
「秘密。……それより、ウルリーケはここがどういう場所か知っている?」
ウルリーケはルジェクが答えるつもりがないことを悟ると、あっさりと切り替えた。
(まあ、いいか…。それより、ここが何…?)
ルジェクは背負ったままだった背嚢から小さな竪琴を取り出した。ぽろろん、と弦を爪弾く。
「古代の神殿跡と聞いているけど…」
「神殿って祈りを捧げる所のことだよ」
ウルリーケは曖昧に頷いた。ルジェクは構わず続けた。
「ウルリーケは魔石とは何だと思う?魔術師は?」
ウルリーケは沈黙した。難しい質問だと思った。
ルジェクはポロンと竪琴を奏でながら、朽ちた遺跡の柱の残骸に目をやった。ウルリーケもその視線を追う。ルジェクはちょっと微笑んでウルリーケの方を向いた。
「王様が見つけてくれるまで、暇つぶしにお伽噺でもきかせようか」
*
ノアに呼び出されてクリストフェルは不機嫌そうに言った。
「何の用だ」
ノアは意地悪く微笑んだ。
「ウルリーケさまを攫いました」
クリストフェルの表情が強張った。ノアはちょっと溜飲が下がった。
「陛下とお二人で探してください。一応猶予を差し上げます。ウルリーケさまはまだこの城内にいますが、日没までに見つけられなければ我らの里に連れて行くと――」
クリストフェルがノアに掴みかかった。
「ふざけるな!今すぐウルリーケを返せ」
ノアの姿が一瞬にして変わった。ウルリーケだ。クリストフェルは思わず腕を緩めた。その隙にノアは後ずさり、ふわりと元の姿に戻る。
「…クリストフェルさま、ルール違反ですよ。これは隠れんぼだ。どこに隠れたか、審判を締め上げて聞き出そうなんて無粋です。いくら聞かれても答えませんけどね。さて、時間は限られていますよ。早く探しに行った方がいい、ただし、」
言い終わる前に二人は走り出していた。ノアはあらら、と思った。
「ただし、城内には僕が仕掛けたウルリーケさまの幻影がたくさんいるから間違えないように、と言いたかったんですけど…まあ、いいか」
優雅に微笑んでノアは椅子に座ると、お茶の続きを楽しんだ。
*
ぽろぽろろん、と優しい竪琴の音を響かせてルジェクは語り始めた。
「…こんな話がある。遠い遠い昔の話。…人々の争いが絶えなかった時代。神は人の性に嫌気がさして、世界を瘴気で覆い尽くしてしまった。瘴気はじわじわと世界に広がり、人々は倒れて行った。このままでは人類は滅亡してしまう。危機感を覚えた何人かの人々が、瘴気の一番濃い地に赴き、神殿を建てて神に祈りを捧げたという。何日も何日も。瘴気の一番濃い場所で。長く居れば、命が危ないのに。彼らは自分の命で他の何千何万という人々の命が救えるなら構わなかった。その献身と祈りは神に届いた。神は瘴気を結晶化し、祈りを捧げた人々の命を助けた。やがて世界からは瘴気が薄れ、人々は滅亡から逃れたという。…この時、瘴気の一番濃い場所で祈りを捧げた人々は、命が助かる代わりに身体に毒素――すなわち魔力を備えた。それが魔術師の始まりだという話。結晶化した瘴気は魔石。…この神殿跡は、その時の神に祈りを捧げた場所じゃないかと僕は思っている」
ぽろんぽろんと弦を爪弾きながら淡々と語るルジェクの視線は遺跡を通して遠い神代を見ているようだった。
ウルリーケは驚いた。そんな話は知らなかった。ルジェクはふっと現実に戻ってきたかのように視線をウルリーケに戻すと、頬笑んだ。
「…ローグヴェーデンの地下に大量の魔石の鉱脈が見つかったのは、この話を裏付ける気がするよね」
「知らなかった…。そんな話…」
ルジェクは頷いた。
「そうだろうね。僕たちの里の古い古い文献、それもボロボロの中にお伽噺として記されているだけだ。世界中、誰も知らない。この話には続きがあってね、身体に毒素を備えた人々、すなわち魔術師たちは不思議な力を持ち、やがて異端視されるようになる。それは迫害へと及び、彼らは難を逃れるために隠里を作った」
それが今の僕たちの里だよ。そう言ってルジェクは微笑んだ。
ウルリーケの瞳から涙が溢れた。彼らが迫害される理由など何一つない。ルジェクは困ったように手を泳がせていたが、そっとウルリーケを抱き寄せた。
「…泣かなくていいんだよ、ウルリーケ。もうずっと昔の話だ」
「…でも、魔術師は未だに迫害されてる…」
「…そうでもないよ。君のお蔭で魔術師への好感度が上がっている。特にローグヴェーデンでは聖女さまの仲間扱いだからね」
くすぐったそうに笑うルジェクにウルリーケも少し笑った。
その時、茂みががさごそと揺れ、ラーシュとクリストフェルが飛び込んで来た。
「ウルリーケ!!」
飛び込んで来た二人は、抱き合うウルリーケとルジェクの姿に心臓を貫かれた心地がした。
「な、なんで…」
ラーシュの蒼白な顔に、ウルリーケははっとしてルジェクから離れた。
「意外と早かったね、王様」
ルジェクはラーシュの心情になど全く頓着せず、のほほんと言う。
「竪琴の音に導かれて…って、そうでなく!今貴殿はウルリーケと、だ」
抱き合っていた、と口にしてしまえば何かが壊れそうで、ラーシュはそれ以上言えなくなった。ちらりとウルリーケに目線をやると、彼女の頬に涙の痕が見えた。
「ウルリーケ…泣いて…?」
別の意味で蒼白になって、ラーシュはよろよろとウルリーケに近付いた。
ウルリーケは慌てて衣の袖で涙を拭った。
「だいじょうぶ…」
次の瞬間、ウルリーケはラーシュに力いっぱい抱きしめられていた。
「ラーシュ!?」
「…君が泣くのだけはいやだ。ごめん、クリストフェル殿と喧嘩ばかりして。もうしない」
別にウルリーケはそのことで泣いていたわけではないが、こくりと頷いた。
「ありがと、ラーシュ…」
「わ、私だってウルリーケを泣かせるのは本意ではないぞ!」
クリストフェルも慌てて割り込んで来た。
「…お父さん…」
ラーシュの腕の中からクリストフェルを見つめて言うと、クリストフェルは瞬時に紅くなって固まった。彼は未だにこの言葉に弱い。
そこへがさがさと足音を響かせて、ノア、エリアス、アーロン、そしてヴィルヘルムが現れた。
「ルジェク殿…。城中ウルリーケさまにするのはやめてください。…って、ウルリーケさ、ま…」
エリアスが文句を言いながら視線を巡らせ、ラーシュの腕の中にいるウルリーケに目を留めると絶句した。
そこには幼い姿のウルリーケがいた。結界を飲み込む前くらいの年ごろだ。
「これは些か悪趣味が過ぎませんか、ルジェク殿」
エリアスが怖い顔でルジェクを睨むと、ルジェクは微笑んだ。
「王様は気にしなかったよ。ウルリーケの『お父さん』もかな」
ウルリーケは自分が幼い姿になっていることに驚いた。ラーシュはウルリーケを見つめて微笑んだ。
「僕はウルリーケがどんな姿でも構わない。ウルリーケが側に居て笑ってくれるならそれでいい」
「私だって同じだ」
クリストフェルがつんと横を向いて言う。
ウルリーケは泣きそうになった。
城内にはノアの魔術で大人になったウルリーケの幻影が溢れていたのだが、二人はそれらに見向きもせずに本物のウルリーケを探し求めて走り回ったのだった。
「だったらそろそろ認めてあげないといけないね、クリス」
クスクスと笑いながらヴィルヘルムがクリストフェルに近付いた。肩を抱き寄せてクリストフェルの耳元にそっと囁く。
「とっておきの耳寄り情報をあげよう。……孫は死ぬほど可愛いぞ?」
その瞬間、クリストフェルの脳内には銀色のクロッカスが咲き乱れた。
「…………悪くない」
薄っすらと頬を染めて言う。
モンスターなクリストフェルはその瞬間、掻き消えたのだった。
***
その日、ローグヴェーデン中が喜びに沸きかえっていた。
ついに国王と聖女の成婚の儀が執り行われるのだ。街中花で埋め尽くされ、そこかしこで祝い酒が振る舞われる。
「よかったなあ、王様」
「聖女さまの花嫁姿、楽しみね」
男も女も、大人も子供も、誰もかれもが笑顔だった。
「お姉さま、綺麗です…」
ラウラは感極まって先ほどから号泣している。
ウルリーケは長い銀の髪を頭の後ろに高く結って、黄色のクロッカスと銀色の造花のクロッカスで飾っている。ドレスは純白のすっきりとしたデザインだが、真珠と金剛石が散りばめられておりきらきらとしている。
控室には次々と客が訪れた。ルジェク、ノア、エリアス、アーロン、ヴィルヘルム、そしてクリストフェル。皆口々に花嫁の美しさを称賛した。クリストフェルだけは言葉もなく、隅の方で皆に背を向けていたけれど。花嫁がいつも以上に美しく見えるのは、彼女がとても幸せそうに微笑んでいるからかもしれなかった。
最後に控室に現れたラーシュは、ウルリーケを見た途端、固まった。
「ラーシュ」
ウルリーケがにっこりと微笑むと、ラーシュはぱっと横を向いて胸を押さえた。
今すぐウルリーケを抱きしめたい衝動と必死に戦う。
「不束者ですが、よろしくお願いします」
小さくぺこりと頭を下げるウルリーケを、ラーシュは我慢できずに抱きしめて、「ドレスに皺が寄る!!」とラウラに怒られるのだった。
魔術師である聖女がローグヴェーデンの王妃となり、それ以後魔術師が迫害されることは減っていった。特にローグヴェーデンと同盟を結んでいる五か国では、ローグヴェーデンに倣って魔術師を保護するようになり、今では黒魔術師の数も随分減った。
それと比例するように巷にはあるお伽噺が流布した。
それは遠い神代のこと。魔術師の起源と言われる物語。
それを語ったのは紅髪の吟遊詩人だと言われる。あるいは白銀の髪の巫女姫だとも。
それに伴い、黒魔術師を戦に登用することは禁忌とされた。
魔術師は兵器などではなく、人の滅亡を救った救世主だったのだからと。神から授けられし「魔力」という恩寵を争いごとに利用するのではなく、治療などに使うことが本来の理であると。
ローグヴェーデンは神に祈りを捧げた聖地として、また魔術師を保護した最初の国として、そして聖女を生んだ国として、その後長く、神聖な国としてその名を歴史に残したという。
これにて完結です。
ありがとうございました