最終話
やわらかな朝の光が薄絹のカーテンを透かし、寝室を優しく包み込んでいた。
まぶたに触れる心地よい温もりに、エカテリーナはゆっくりと目を覚ます。
肌を撫でるシルクのシーツと、体の奥に残る甘い余韻。
ふと隣に視線を向けると、そこには驚くほど穏やかな寝顔で自分を抱き寄せているギルバートの姿があった。
前世の重圧、数千年の孤独と悲しみ――それらすべてから解放された彼の顔は、かつて見たことがないほど優しく、どこか幼さすら感じさせる。
(……ふふ、バートったら……)
愛おしさに胸が小さく震え、エカテリーナがそっと彼の頬に触れようとしたその時。
不意に腰を抱く腕にぎゅっと力が込められ、彼女の身体が彼の胸元へと引き寄せられた。
「……おはよう、俺の可愛い妻」
低く掠れた甘い声。
いつの間にか起きていた蒼の瞳が、熱を帯びた愛おしさでエカテリーナを見つめていた。
「もう……起きてたのね。おはよう、バート」
「まだ離すつもりはないよ。……昨日の続きをしようか」
「〜〜っ!? もう、朝です! 朝からそんな……んっ」
額、目元、そして甘く重なる唇。
前世の悲劇を完全に塗り替えるような、深くて甘い口づけが幾度も落とされる。
朝の光の中で、二人は幸せな余韻を確かめ合うのだった。
* * *
それから、しばらくの時が流れた。
レイヴン邸の広大な庭園は、今日も溢れんばかりの歓声に包まれていた。
『わあぁぁぁっ! すごい! いちごがいっぱい! 桃もある!』
『お野菜もすっごくフレッシュだよ! 侯爵様、今日もありがとう!』
テーブルの上に山と積まれたのは、とれたての新鮮なお野菜と、エカテリーナの好物でもある最高級のイチゴや桃。
ウサギの姿をしたポコをはじめ、無数の妖精たちが大はしゃぎで飛び回っている。
「ほら、今日もたっぷり用意してあるぞ。好きなだけ食べるといい」
腕を組み、どこか誇らしげに微笑むギルバートに、ポコがぴょんと肩に飛び乗った。
『うん! 侯爵様! カティをこんなに幸せにしてくれて、美味しいフルーツもくれるなんて、最高の旦那様だね!』
「……フッ、妖精に認められるとは光栄だな」
その様子を、エカテリーナは胸を熱くさせながら見守っていた。
その少し離れた場所では、護衛のガワンが穏やかな笑みを浮かべながら、楽しそうなエカテリーナたちの様子を見守っていた。
「いやはや……奥様も、本当に楽しそうですな」
「ああ。こうして穏やかな日々を過ごせるのも、すべて終わったからこそだな」
ギルバートが庭園を見渡し、静かに微笑む。
その傍らでは、シビルが紅茶の準備を整えていた。
「奥様、お茶の用意ができました」
「ありがとう、シビル」
「奥様がこうして笑っておられることが、何より嬉しゅうございます」
シビルはそう言って、微笑んだ。
そこへ、リチャードが銀のトレイに乗せた一通の手紙を運んでくる。
「旦那様、奥様。アラン様からお手紙が届いております」
「まあ……アランとラーシャからだわ!」
エカテリーナが嬉しそうに手紙を受け取る。
その様子を見つめながら、リチャードはふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「……本当に、良かったですな」
「何がだ?」
「旦那様が、こんなにも穏やかな顔で奥様を見つめておられることですよ」
「……」
ギルバートが僅かに目を細める。
「昔の旦那様からは、想像もできませんでした」
「余計なことを言うな」
「失礼いたしました」
そう言いながらも、リチャードの口元には笑みが浮かんでいた。
「私も同感ですな」
ガワンが横から頷く。
「……お前までか」
ギルバートが僅かに眉を寄せると、エカテリーナは思わずくすりと笑った。
「ふふっ……皆さん、本当に仲が良いのね」
「仲が良いというより……旦那様は、十歳の頃からずっと奥様一筋でございましたから」
「リチャード」
「十三年間、一度もお気持ちは変わらなかったと記憶しておりますが?」
リチャードが涼しい顔で答える。
「……お前、本当に余計なことを言うな」
「はい」
「後で仕事を増やしてやろう」
「……それはご勘弁くださいませ」
庭園に、皆の笑い声が響き渡った。
手紙を開くと、そこには晴れやかな文字で近況が綴られていた。
ラーシャが無事に編入試験でほぼ満点の成績を収め、アランと同じ学年で魔導の研究に励み始めたこと。
そして「二人で放課後によく図書館で勉強しています」と書かれた一節に、エカテリーナは思わず「ふふっ」と微笑みを零す。
「ラーシャもアランも、自分の道を進み始めたのね……本当に良かった」
「ああ。あいつらの未来も、きっと輝かしいものになるだろう」
ギルバートが優しくエカテリーナの肩を抱き寄せ、二人で温かな陽光が注ぐ庭園を穏やかに見つめるのだった。
* * *
レイヴン領では、エカテリーナが提案した新しい栽培方法が少しずつ広まり、野菜や果物の収穫量も以前より増えていた。
また、王立高等部からの依頼を受け、エカテリーナは再び特別講師として教壇に立つことも決まった。
植物のこと、そして自分がこれまで学んできた知識を、今度は次の世代へ伝えていく。
かつて、自分には何の価値もないと思っていた。
けれど今は違う。
聖女として人々を救うだけではない。
自分の知識で誰かを助け、植物を育て、領民の暮らしを支え、大切な人たちの未来を少しでも明るくする。
そんな、自分にしかできないことが、少しずつ見えてきていた。
今回の凄惨な事件――レイチェルの呪いや、ゼノヴィアの肥大化した嫉妬。
それらの根底にあったのは、生まれや身分、持てる者と持たざる者の間に横たわる、根深い差別や不平等だった。
貧しさゆえに追い詰められ、居場所を失った人々が二度と絶望に呑み込まれないように。
どんな出自であろうと、理不尽に虐げられることのない世界を作りたい。
そんなエカテリーナの強い願いと強い意志を誰よりも深く理解し、受け止めたのはギルバートだった。
ギルバートは絶対的な権力と卓越した手腕を惜しみなく振るい、国の制度そのものを根底から変革し始めていた。
まずはレイヴン領から貧困をゼロにするための社会福祉と雇用の創出を進め、やがてその波は国全体へと波及していく。
さらに、あの王立高等学院のあり方にも大きなメスを入れた。
『身分や家柄に関係なく、真に学ぶ意欲と才能がある者ならば、誰であっても受け入れる。そして卒業後の将来も国が責任を持って保障する』
ギルバートの手によって新設された奨学金制度と新しい編入・入学システムは、これまで光の当たることのなかった平民や下級貴族の若者たちに、大きな希望の光をもたらしたのだ。
「カティ、君が変えたいと願う世界なら、俺がいくらでも作ってみせるよ」
そう言って頼もしく、けれどどこまでも愛おしそうに微笑んでいた彼の姿を思い出し、エカテリーナは胸を温かな熱で満たされる。
身分の差も、過去の悲劇も飛び越えて。
二人が作り上げていく新しい世界は、今まさに確かな芽を吹き始めていた。
* * *
やがて夜が訪れ、天空には澄み渡った満月が輝いていた。
二人はレイヴン邸の静かなバルコニーに立ち、夜風に吹かれながら身を寄せていた。
エカテリーナの薬指で、月光を受けて優しく輝く『月光石』。
かつて、前世のセレスティアが絶望と涙の中で生み出した悲しい結晶。
しかし今、その石は二人の数千年の愛を証明し、祝福する、世界で一番美しい宝物となっていた。
「レオン……。私達、やっと幸せになれたのね」
エカテリーナが愛おしそうに指輪を撫でると、ギルバートは彼女の手をそっと包み込み、指を強く絡め合わせた。
「ああ、セレスティア。あの切ない遠回りは、すべて今日、君をこうして抱きしめるためにあったんだ。……生まれ変わっても、その次も、俺は何度だって君を見つけ出し、愛し続ける……カティ」
「ええ、バート。私も……どこにいても、貴方を見つけ出してみせるわ。永遠に、貴方だけを愛しています」
数千年の時を超え、巡り合い、結ばれた魂。
二人の交わす甘い誓いのキスを、青白い満月の光が、どこまでもどこまでも温かく照らし続けていた。
The End.
本話をもちまして、無事に完結を迎えることができました。
最後までお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございます!
皆様のおかげで、無事にラストまで描き切ることができました。
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また次の物語でお会いできるのを楽しみにしております!




