第1話
「お願いします。離縁してください」
エカテリーナは、安っぽい生地の地味なドレスの裾を、ぎゅっと握りしめていた。
対する夫のジュリアス・ハワードは、顔を真っ赤にして「なんだと!?」と彼女に詰め寄る。酒臭い夫は今夜も、自慢の黄金色の髪を撫ぜつけた派手なヘアスタイルと、成金趣味の高価な身なりで、娼婦とふしだらな遊びに興じて屋敷に戻ってきたところだった。
娼婦には湯水のようにお金を使い、際限なく高級品をプレゼントするくせに、妻であるエカテリーナには安物の生地で作った質素なドレスしか与えない男だった。
エカテリーナがうつむくと、やわらかな栗色の髪がさらりと顔に落ちて影を作る。
「もう限界なのです……。こんな生活はもう耐えられません」
「ふざけるな、絶対に別れてなんてやるものか!」
ジュリアスは血走った目を剥き、怒鳴り散らす。その瞳の奥には、彼女を手放したくないという激しい執着と、自分から離れようとすることへの狂おしいほどの拒絶が浮かんでいた。どれほど冷遇していようとも、彼にとってエカテリーナは「自分の手元に縛りつけておくべき存在」だったのだ。
そこに、ジュリアスの母であるハワード子爵夫人レイチェルが、派手なガウンを羽織りながら螺旋階段を優雅に降りてきた。
「あらあら、こんな夜更けに何の騒ぎかしら?」
エカテリーナが「お義母様……」と挨拶をすると、レイチェルは冷たい目で彼女を一瞥し、「ジュリアス、何の騒ぎなの?」と尋ねる。ジュリアスが声を荒らげた。
「母上! この女が離縁したいと! おまけに、この生活が気に入らないと言うんです!」
すると突然、エカテリーナは激しいめまいに襲われた。
(いけない、またこの発作が……)
ぜえぜえと息が詰まり、立っていられない。その場に崩れ落ちる彼女を見て、レイチェルは冷ややかな声を投げつけるだけだった。
「あなた、またその見苦しい発作なの? そんな病気ばかりで本当に役立たずね」
「俺は、絶対に別れない……!」
ジュリアスが縋るように叫ぶ。だが、ハワード家の実権を握るレイチェルは、息子の未練など一蹴するように冷たく言い放った。
「ジュリアス、おしまいになさい。もうこの女とは別れなさい」
「母上、しかし……!」
「よく聞きなさい。そもそも我がハワード家が、金に困っていたヴェルツ家との結婚を認めたのは、『子爵家』の看板が欲しかったからよ。新興の我が家が男爵の地位を買ったものの、古臭い貴族たちから馬鹿にされ、下品だと疎まれていたからこそ、あの家の地位が必要だったの」
ハワード家はもともと成金の男爵家だったが、エカテリーナの実家のヴェルツ子爵家と縁を結んだことで貴族社会への足がかりを得て、巧みに立ち回り、現在は念願の子爵家にまで上り詰めていた。子爵家に格上げされてすぐにジュリアスの父親は病死したが、今やレイチェルが実権を握り、ハワード家は我が世の春を謳歌している。
レイチェルは、苦痛に顔を歪めるエカテリーナを見下ろしながら、あざ笑うように続けた。
「エカテリーナ。あなたが役に立ったのは、我が家を子爵家に格上げできたことくらいね。それだけは感謝しているわ。……だからこそ、もう役目の終わった病持ちの女など必要ないのよ」
「ジュリアス。エカテリーナから申し出てくれたなんて、好都合じゃないの。さあ、これは命令です。今すぐ離縁しなさい」
母の絶対的な命令と、冷徹な視線。
ジュリアスは悔しそうに歯噛みし、うつむいたまま、どうしようもない絶望と怒りを押し殺すように絞り出す。
「……あぁ、わかったよ。お望み通り離縁してやるよ……っ! さっさとこの家から出ていけ!」




