第1話 鬼を殺したとして、どうする?
あまねさま。鬼さんこちら。
鬼とは、人の心の醜さなのだ。
鬼とは、人そのものなのだ。
人はやがて、鬼になるのだ。
鬼を殺したとして、どうする?
無限地獄
「踏み込むの?」
「ここからさきにいってしまったら、『きっともう戻ってくることはできなくなる』よ。それでもいいの?」
小さな子どもたちの声はあまねにそう語りかけてくる。
でも、あまねは歩く足を止めたりはしなかった。
赤色の美しい彼岸花があたり一面に、ずっと見渡す限りに咲いている。
見上げる空を覆っているのは、赤色に見える大きな蛇がとぐろを巻いているような厚い不気味な雲だった。(空の青色はどこにも見えなかった)
風は吹いていない。
「このさきは誰も入ってはいけないところなんだ。それでも今の君のように、入ろうとする人がいる。そして、入ってしまった人は、『いなくなってしまう』。ずっと向こうにいて、もうこっちには戻ってこられなくなってしまうからね」
声は言葉を続ける。
「人には『踏み越えてはいけないところ』がある。踏み入ってはいけないところがあって、そして、『見てはいけないものや、聞いてはいけないこと』がある。君がまだ人でいたいのならね」
あまねは足を止めない。
急いだりはしていないけれど、一歩ずつ前に前に自分の足で歩いていく。
あまねはあたりにたくさん咲いている真っ赤な彼岸花と同じ色の『鮮やかな色の上品でとても高価な真っ赤な着物』を着ている。太い見事な帯も真っ赤な色をしていた。
誰もが振り返ってしまうような美しい童顔の顔にはお化粧をしていて、(目元と唇には真っ赤な紅を塗っていた)大きくてぱっちりとしている黒色の瞳は、今はじっとただ前だけを見ている。とても見事な繊細な造りをしている二匹の蝶のかんざしで美しい黒髪を頭の上でまとめている。
二匹の蝶は大きさの違う黄色い蝶と真っ赤な蝶だった。
ただ足元は裸足だった。(いつものように赤い紐の漆塗りの下駄をはいているわけではなかった。下駄はここにやってくる途中で紐が切れてしまったので、ぬいで捨ててしまった)
鬼になるよ。
もう人ではいられなくなる。
鬼になったら、もう人には戻ることはできないよ。
くすくすと笑いながらそんな小さな子どもたちの声がまたどこからか聞こえてきた。(その小さな子どもたち声を聞いて、この子たちは誰なんだろうって、あまねは思った。どうしてこの子たちは『こんなところ』にいるんだろうって思って、とても悲しい気持ちになった)
おまえに覚悟はあるかい?
鬼になる覚悟が。
人を捨てる覚悟があるのかい?
小さな子どもたちの声は楽しそうにくすくすと笑いながら、そんなことをまるでお芝居の台詞を言っているみたいにして、あまねに語りかけてくる。
鬼になってなにをする?
復讐かい?
それとも、ただ人でいることが嫌になってしまったのかい?
あまねは歩くことをやめない。
あまねの前に川が見えてきた。『真っ赤な血のような(あるいはそれは本当に血だったのかもしれない)赤い水の流れている不気味で恐ろしい川』だった。
その赤い川をあまねは足を止めたりしないで、そのまま赤い川に入るようにして、ゆっくりと歩きて渡っていった。
あまねの小柄な体は顔の口の下のところまで赤い川の水に沈んでしまったけど、全身が沈み込んでしまうことはなくて、そのまま赤い川の底を歩いて、赤い川を渡ることができた。
あまねは赤い川を向こう岸まで渡って真っ赤な水に濡れている裸足の足を大地の上につけた。
あまねはついに『踏み越えてはいけないところをこえて、向こうがわにたどり着いてしまった』。
つまり、あまねは『鬼になってしまった』のだ。
恐ろしい鬼に。
人をすてて。
あまねは鬼として生きなければならなくなった。
永遠に、人の肉を喰らい。
永遠に、人の真っ赤な血を、飲みながら。
あまねさま。
どうか、お気をつけて。
そんな今にも消え去りそうな、小さな子どもの声が、赤い川の向こうから、鬼になってしまったあまねの小さな耳にほんの微かに聞こえてきた。




