プロローグ
――その猫は、“逃げなかった”。
山が荒れていた。
木は切られ、土は削られ、
かつて豊かだった森は、見る影もない。
木の実は減り、草は枯れ、
獣たちは食い物を求めて争い始めた。
やがてそれは、山の外へと広がる。
人間の畑を荒らすイノシシの群れ。
夜ごと現れ、作物を踏み荒らし、食い尽くす。
罠も、銃も、追いつかない。
人間たちは疲れ果てていた。
その光景を、見ていた者がいる。
一匹の猫だった。
飼われている猫。
守られているはずの存在。
それでも、その猫は――
動いた。
夜の山へ。
危険しかない場所へ。
相手は、巨大なイノシシ。
牙を持ち、力を持ち、群れで動く存在。
本来なら、勝てるはずがない。
だが、その猫は退かなかった。
何度も挑み。
何度も傷つき。
それでも、前に出た。
守るために。
ただ、それだけの理由で。
やがて。
その背に、仲間が増えた。
一匹、また一匹と。
小さな命たちが、その背を追った。
そして――
イノシシの群れは、山へと押し返された。
人間はその猫を、こう呼んだ。
“ハグサ山のゾロ”と。
獣すら退けた、伝説の猫。
だが――
物語は、それで終わらない。
血は、巡る。
優しさも。
強さも。
抗えぬ何かも。
すべてを受け継いだ存在が、いる。
まだ小さく。
まだ何も知らず。
ただ守られているだけの三匹。
だが、その内に眠るものは――
決して、“ただの猫”ではない。
「……人間の一生を、人生と言うらしいな」
低く、年老いた声が響く。
「ならば、わしらは――ニャン生、か」
屋根の上。
一匹の老猫が、町を見下ろしていた。
「多くの猫は、短く終わる」
「奪い、奪われ、静かに消えていく」
目を細める。
「……だが、例外もおる」
視線の先。
一軒の家。
暖かな灯り。
「守られて育ったくせに」
わずかに、口元が緩む。
「外へ出て――戦おうとする愚か者がな」
風が吹く。
「私の名は、チュウジ」
「この地で生き延びてしまった、ただの老いぼれ野良猫じゃ」
静かに座り直す。
「これは――」
「三匹の猫が、“ぬくもり”を捨てるところから始まる物語」
そして。
「やがて、この地の運命を変えていく記録じゃ」




