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第3話 神聖枢機卿への変身

「数字と幾何学の導きに誓って、私はこの赤き衣を纏い、聖なる幾何学の道を説く——」


バベル要塞内部の特別訓練室。青い鱗肌を持つタンジ・アンルールの声が響き渡る。彼女は赤い布の装飾と水中正装を身に纏い水槽に浮かび、その尾でバランスを取る。


「……そして黄金比の導きにより、我らが神聖なる数式を万物に広め——」


「違う!」


鋭い声が彼女の詠唱を遮った。


「タンジよ、お前が言うべき言葉は『幾何学の聖なる道を説く』だ!『聖なる幾何学の道』ではない!」


老魚尾種が水槽の縁から身を乗り出して指摘する。


「順序が違えば意味が変わる。神聖枢機卿でなくとも、神官として致命的な誤りだ」


だが彼は突然、目を閉じて考え込み始めた。


「……いや、待て。歴史的に考えると『聖なる幾何学の道』と言われていた時期の方が長いか?特に中小期は、神聖な幾何学にたどり着いたとみなされていた。その名残が形式的に受け継がれている地域も残っている」


タンジが慎重に口を開いた。


「いえ、ハリド師。神聖枢機卿は特に最新の解釈と研究成果を重視していたはずです。現在の聖界解釈では、我々はまだ聖なる幾何学には届いていない——ゆえに、現在の幾何学研究に至るまでの聖職者の歴史を『聖なる道』と修飾するのが正しいかと」


「……」


しばしの無言の後喉を鳴らし、


「……危うくいつもの学術の話しにそれるとこであった。」


彼は頭をかきながら苦笑した。


彼の名はハリド・センルール。アンルール情報参謀のトレーナーを務める老魚尾種だ。その佇まいと迫力ある声は、見ているこちらまで背筋を伸ばさせる威厳に満ちている。


タンジは水から顔を出し、申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません、ハリド師。もう一度やり直します」


「よしまずは姿勢の修正から繰り返し始める。神聖枢機卿は向く方向や所作が重要になる!」


センルールの腕には角度計が握られている。彼もまた魚尾種の中でも「ルール」階級出身で、ササーン神聖帝国から亡命した人物であった。


訓練室の隅で、若い魚尾種のアシスタントが進言した。


「ハリド師、彼女も頑張っています。少し休憩を——」


「黙れ!」


ハリドは激しく首のヒレを震わせた。


「彼女は『タンジル・モクルール神聖枢機卿』になるのだ。ルール階級最高位の聖職者として、完璧でなければならん!バレれば殺されるのだぞ」


俺は訓練室の壁際で、この光景を見守っていた。


アンルール情報参謀は一日十時間、すでに一週間もの間この特訓を受けている。詠唱、所作、儀式——すべてが完璧でなければならない。一つの間違いが、彼女の命を奪う可能性がある。


「オーナー」


背後からリアム副官の声がした。


「情報部の分析が揃いました。現在のササーン神聖帝国の状況です。」


俺はデータパッドを受け取り、内容に目を通す。


──────────────────────────────────────


【最高機密】ササーン神聖帝国 内部状況分析


・タンジル・モクルール神聖枢機卿

三ヶ月前に深海聖域へ潜行。表向きは『宇宙数学の深淵を探る瞑想』を理由としているが、実際は政治闘争の末、身の安全のため隠遁している可能性が高い。

※今回成り代わる対象として、その動きに監視を付けている


・帝国辺境地域『第七螺旋セクター』

監視が比較的薄く、植民された惑星も複数存在。現地行政官『ザフラン・サフルル』は賄賂に弱いとの情報あり。


・造船コロニー関連

同セクターの造船コロニー行政官『ロレンス・アラビルル』、他セクターの『スパイス・ガアルル』も野心家。互いに出し抜けないよう牽制させれば、成功率は上がると推測。


・俗世主義者の蜂起

予想より早く進行中。下級『ルー』階級の80%以上が密かに支持。ただし、出世のためにこの動きを利用する『ルル』『ルール』階級も確認されている。


──────────────────────────────────────


俺はデータパッドから顔を上げた。


「リアム、この候補の行政官の弱みを、いや性格と背後の権力をもう少し調べておいてくれ。」


「了解しました。また現時点で収集した情報も分析に回します。」


訓練室では、アンルール情報参謀が再び詠唱を始めていた。


今度は水中から正確に45度の角度で浮上し、正確な間隔で一連の儀式をこなす。


「円周率の律に誓って、私はこの赤き衣を纏い、聖なる幾何学の道を説く——」


完璧な詠唱に、センルールもようやく満足げに頷いた。


「よし、次は『七界の祈り』の作法だ。」


アンルール情報参謀は一瞬だけ疲労の色を見せたが、すぐに表情を引き締めた。


「これが神聖枢機卿の正装です。」


装飾室では、宝石をちりばめた赤い法衣が展示されていた。複雑な幾何学模様が織り込まれ、胸元には黄金の円周率記号が輝いている。


「センサーに反応しないか?」


「問題ありません。」


装飾担当のゴア・D・ファブニール副社長が答える。


「この生地には特殊な反射素材が織り込まれており、身分確認スキャンをごまかします。また、これらの宝石は実はデータストレージで、ササーン神聖帝国の機密情報を収集できます。」


アンルール情報参謀は法衣に触れ、複雑な表情を浮かべた。


「……私はかつてこの服に憧れ、同時に憎んでいました。」


彼女は静かに言った。


「ルール階級の衣装は変わらなかった私が着るべきで、今の自分がこれを着ることに……少し思うとこはあります。」


一瞬の沈黙が流れた。


「皮肉な物ですね。」


アンルール情報参謀は小さく笑った。


「私が否定した法の頂点に立つことになるとは、そしてそれが人を救う事に成れどササーン帝国の存続、安定化につながる。」


俺は彼女の肩に手を置いた。


「反乱が起きれば多くが死ぬ、それを防ぐために歴史を変える事に怯えるな、すでに本来の歴史とは既に異なっているのだ。」


アンルール情報参謀は深く頷いた。


「オーナー、情報の価値は私が一番理解しています。そしてそれを利益に変えるタイミングも、なので心配せず私に任せてください」


その時、メイクアップ担当者が入室した。


「頭部飾りとそのカバーの準備が出来ました。」


アンルール情報参謀は立ち上がった。


「ええありがと、じゃあもう少し頑張ってきます。」


メイクアップ担当者に連れてかれるアンルール情報参謀を俺は手を振って送り出した。


彼女の背中には、もう迷いはなかった。

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