11話 きっと高畑怜奈は気付かない。
「遅いわよ」
俺が店に行くと、登大路は既に店内で用意を済ませていた。カウンターとテーブルは拭き終わったのだろう、光が反射して輝いてるように見える。
「キメラ君、奥に更衣室があるから制服に着替えてきなさい」
へいへいと返事しながら、早歩きで向かう。裏へ通じる扉を開ける寸前に彼女の先程の発言が引っかかった。制服? そんなのあるのか? そう疑問に思い登大路の方へ振り返ると確かに制服と思われる服を着衣している。
「制服ってそれか?」
俺の方をちらっと見た後、登大路はポケットからスマホを取りだし、メッセージアプリを開き俺に差し出してきた。それを受け取り画面を見ると、先生とのトーク履歴が映し出されている。
プライバシー的なあれがあるから内容は割愛するが……要は『制服は事前に用意しといたぞ! 紀寺に伝えといてくれ! めんどくさいから!』ってことだ。つくづく最悪な人だ。
俺は一通り確認すると、スマホを返却して踵を返す。深くため息をつくと、珍しく登大路が反応してきた。
「幸せが逃げるわよ。縁起が悪いのだけど」
「アホか。んなもん迷信に過ぎんわ」
迷信の類を信じていることに驚きつつ、それを否定し俺は更衣室へ向かった。
時計が16時を示したタイミングで登大路が一旦外へ出る。そしてドアプレートを『CLOSED』から『OPEN』に返したことで、ついにいちのせCafeは開店した。といっても、行列が出来たりするはずもない。そりゃそうだ。店内と庭しか綺麗じゃないのだ。建物はボロいし、柵も腐ったりしているような店、最近の若者は来たがるはずがない。
相変わらず外からは生徒たちの談笑する声が聞こえてくる。ここは奴らの登下校ルートではないため、生徒の姿は見えないがその声に苛立ちが募っていく。私怨があるのは当然だが、それよりも周りへの迷惑を顧みないその姿勢への方が大きい。全く、腐っても進学校の生徒だろ。自覚を持て、自覚を。
と心の中で文句を言っていると、登大路がカウンターで外を眺めながら話しかけてくる。
「誰も来ないわね……」
「そりゃそうだろ。宣伝とかしてないし、店自体がボロいし、加えて立地が悪い。人通りが皆無に等しいんだからな。正直、こんな店誰も来たがらない」
俺は至極尤もな意見を述べる。彼女は一呼吸おいて俺の方へ向く。
「まあキメラ君の言う通りね……あら? 貴方、制服のボタンずれてるわよ」
その言葉に俺は素早く反応し、胸元を見る。確かにボタンが一つずつズレている。こいつに指摘されるとか屈辱でしかない。いやまあ助かったけど。
「感謝はしとく」
「はいはい」
短く会話が行われ、すぐに沈黙が訪れる。案の定、重たい空気が店内を包んでいて、いつしか忌々しい喧騒な声も消えており、お互いの呼吸音やコーヒーを喉に流す音しか聞こえてこなくなっていた。俺はそれが重い空気を助長しているように感じて酷く不快だった。
そしてその空気は来客を告げるベルの音によって一変した。
「失礼しまーす」
少しだけ扉を開き、そいつは店内を覗く動作をとる。頭を傾げた拍子に、後頭部の高いとこで結われた桃色の髪も傾く。そして俺と目が合うとそいつは血相を変えて叫んだ。
「で、出たー!」
おい、失礼すぎるだろ。初対面なのに化け物扱いしやがって。それに出たんじゃなくて居たんだよ。こっちが『で、出たー!』って言いたいわ。
「いらっしゃいませ」
登大路が慣れたように告げ、カウンターの席へ案内する。案内する程の距離じゃないけどね。
奴を座らせると登大路は俺を横目で見る。まるで何かを催促するような目付き。何を言いたいかは察してやる。
「コチラメニューデス。チュウモンヲドウゾ」
感情を込めず棒読みで問いかける。それはもう棒読み世界大会があれば、余裕で1位取れるようなぐらいに。
ドヤ顔で登大路を見てやると、脛に思い切り蹴りが飛んできた。流石に絶叫するわけにも行かず、苦悶の表情を浮かべて激痛に耐える。幸い、来客は一瞬の出来事に気付いていなかった。
「えーと、コーヒーください。ミルク多めで」
登大路は笑顔で頷き手際よくコーヒーを淹れる。
へー、こいつコーヒー淹れれんのかよ。シンプルにすごいな。登大路に感心していると、来客が俺に話しかけてきやがった。
「古市先生に言われて来てみたけど……ここって何? なんで京がここにいるの?」
待て待て。質問を一気にするな。てかなんで俺の名前知ってんの? 俺こいつ知らないよ? 普通に怖いんだけど。古市先生に言われてってことは古市先生の差し金か……余計なことを。
「なんで俺の名前知ってんの? てかあんた誰?」
質問を質問で返すのは褒められた行為ではないが、この際致し方ない。
てか質問一気にすんなって言っといて、俺も一気にしちゃった。まあいいや。
「高畑怜奈……覚えてない? 去年同じクラスだったよ?」
いや覚えてないです、正直。だって俺、去年ほとんど寝てたし。第一、膝裏まで届いていた桃色の髪、ボタンが2つ開いたブラウス、薄いピンク色のネイル、明らかに丈の短いスカート。こんな校則違反しまくりの奴、一度あったら忘れるわけないし。
なんか、どっかの青春ラブコメに出てくる海岸さんに特徴が似てるから余計に。
てか見た目の割にそんな弱々しく話すなよ。調子狂うだろ……。
「どうぞ」
登大路は俺の時とは天と地ほど違う優しい声でコーヒーを高畑に差し出した。高畑はお礼を言って、フーフーと冷まし一口飲んだ。
「これすっごい美味しい! 登大路さんすごいよ!」
興奮気味で褒めちぎる高畑に登大路は少し赤面してそれを否定する。
「す、すごいだなんて……そんなことないわ……」
褒められて喜ぶとは……王女にも人心はあるらしい。しかし王女はその余韻に浸ることなく、高畑に問いかける。
「古市先生に言われて……と言っていたわね? 何か用があるんじゃないのかしら?」
高畑は図星だったようで咳き込む。バレてないとでも思っていたのだろうか。こいつ単純すぎる。
「うん……実は私、将来自分でカフェを立ち上げたくて、それを先生に相談したらここを紹介してくれて……」
高畑は残っているコーヒーを一気に流し込むと、素早く立ち上がり、俺と登大路を交互に見て頭を下げた。
「だから、ここで勉強させてほしいの! お願い!」
声が上ずっていて緊張しているのが伝わってくる。懸ける思いは本物のようだが。俺が判断を下すことは不可能なため、登大路に託そうと視線を向ける。彼女も思案しているようで、顎を右の親指と人差し指で掴んで顔を顰めている。まあ悩むよな。先生の差し金とはいえ、ここに貢献するか否か見極める必要があるし。
登大路は一呼吸おいて軽く咳払いすると静かに告げた。
「先ずはここのお手伝いとして働いてもらうわ。それで見込みがありそうなら採用。それでどうかしら?」
採用、不採用どちらに転んでも結局働かされるんだな。こりゃあブラックだな。カフェだけに。うん、余計なこと言ったわ。
今の発言を後悔しながら高畑の様子を伺うと瞳を輝かせている。
「ありがとう! 登大路さん……いや綾乃!」
登大路の側まで小走りで行き、両手を握ってしっかりと礼を言う高畑。よくもまあ、こんな奴に馴れ馴れしく出来るな。
「別に大したことは……それと名前で呼ぶのは……」
そして奴も満更ではない様子だ。その証拠に再び赤面している。まあ嬉しいんだろうな、名前で読んでもらえて。カワイイネ、トテモ。
気付けば閉店時間が迫っていたため、二人を他所に俺はさっさと帰り支度を始めながら、二人に一応声をかける。
「お楽しみのとこ悪いが、そろそろ帰った方がいい」
その言葉を受け、登大路は壁掛け時計に目を向けて頷く。高畑もスマホを手に取り時間を確認している。
「それもそうね」
「もう終わりか——」
名残惜しそうだがまた明日。早く出ないと電車に間に合わんのだよ。頼むからはよしろ。俺は登大路を急かし着替えをとっとと済ます。そして俺達は明かりを消し、施錠を済ませ足早に立ち去った。
駅までの途中、高畑と登大路が談笑しているのを他所に俺は音楽を聴きながら空を見上げる。雲一つない夕空には星が煌めき始めている。俺が空を眺めているのに気付いたのか、高畑が軽く笑いながら切り出す。
「綺麗だね」
「ええ」
「ああ」
俺達の返事は素っ気ないものだった。しかし高畑は満足した様子で、俺と登大路の手を握ってきた。
「これで友達だよね!」
満面の笑みで俺達に問う。登大路は『限りなくそれに近い業務上の関係』と言っていた。高畑は満足したのかさらに笑う。その笑顔はとても輝いていて、星々のようだ。見えるもの全てを照らしてくれる。
故に気付かない。星は陰に潜む雑草を照らすことは出来ないのだ。
——きっと高畑怜奈は気付かない。
雑草なりの矜恃と意地というものに。