12何を考えているのか
夏が終わり、エリーザの学校が始まった。
屋敷は表面上静かなものだった。
執事のサルトリオは最近機嫌がいい。
結婚のつもりなどないと言っていたエリーザが、月に一度か二度、見合い相手と会っているからだ。
「このまま結婚にこぎつけたら」
という呟きを何人もの侍従、侍女が耳にしていた。
「浮かれる気持ちもわかるけど」
「あんまり結婚結婚いわれるとその気なくすよねー」
などと、若い侍女たちは話して笑っていた。
「でもエリーザ様、本当にあの方とご結婚されると思う?」
「どうかしら?
楽しそうではあるけれど、幸せそうかと言うと微妙かも」
若い女性が食堂に集まり、食事をしながらする会話は大抵恋や芸能の話だった。
エリーザの話題を聞き、思わずヴァルフレードの手が一瞬止まる。
「そうそう、私、この間お見合いしたの」
話題はすぐにエリーザから離れ、違う話題へと移り変わっていく。
次から次へと少女たちの会話は変わるけれど、ヴァルフレードの心はエリーザに占められていた。
最近彼女と会話をしていない。
顔を合わせることはあるけれど、すぐにその場を離れていた。
伝え聞くエリーザの様子に変わったものはなかった。
見合い相手とどこに行っただとか、ミサとどこに出掛けただとかそう言う話題ばかり耳にする。
「楽しそうではあるけど、幸せそうかと言うと微妙かも」
なぜ侍女がそんな風に感じるのかは正直わからない。
ヴァルフレードにはわからない、微妙な感情の動きでもあるのだろうか?
そう言うものに、少女たちは敏感かもしれない。
「ヴァルー!」
廊下を歩いていると、背後から近づいてきた人物が首に絡みついていた。
気配には気が付いていたので驚きは少ないが、これは想定外だ。
こんなことをしてくるやつは、この屋敷にひとりしかいない。
「エルマー」
呆れた声で背後にいる男の名前を呼ぶ。
柑橘のような匂いを纏った彼は、こちらの想像していない行動を起こす。
「張り付くな暑い」
「そう? 俺は大丈夫だけど」
そう言って、エルマーは離れて行かない。
いったい何の用なのだろうか。
若い侍女が、
「トロイさん、またそんなことしてー」
なんて言い、笑いながら通り過ぎていく。
エルマー=トロイという男がすることを咎める者はあまりいない。
この屋敷の主でさえ、エルマーならと諦めが先に来る。
「ねえ、ヴァル。
エリーザ様が体調不良で早退してきたって」
その内容は、抱き着いて伝えるようなものだろうか?
本当にこの男のすることは理解の範疇を超えている。
それにしてもエリーザが早退など珍しい。
「体調不良って」
極力冷静に尋ねると、エルマーはくるっとヴァルフレードの顔を覗き込んで笑顔で言った。
「興味あるなら、フローラに聞いたらいいと思うよ」
どうやら教えてくれる気はないらしい。
ならばなぜわざわざエリーザのことを言ってきたのだろうか。
わからない。
けれど考えても無駄と思い、すっと、エルマーから離れた。
「ねえ、ヴァル。
身体の不調は心の不調を表しているってこと、あるよね」
「エルマー、お前、何を言って……」
ヴァルフレードが言いきる前に、エルマーはじゃあ、と手を振り去って行く。
わからない。
あの男の考えること、行動が本当に理解できない。
いったいエルマーは何を伝えたかったのだろうか?
フローラに聞けばわかると言われたけれど、彼女はどこにいるだろうか?
体調不良でエリーザが早退した、となると二階の控室だろうか?
呼ばれたらすぐにエリーザの部屋に行けるよう、彼女の部屋のそばに侍女らの控室がある。
そこに行く?
でもなぜ?
足が止まったまま動かない。
エルマーの物言いからして、普通の体調不良ではないのだろう。
「心の不調が、身体に現れる……」
意味深なエルマーの言葉を呟き、考える。
けれどわかるはずもなく、ヴァルフレードは頭を横に振った。
エリーザのことは気になるけれど、だからと言ってフローラに何と聞けばいい?
わざわざ二階の控室にまで行って聞くことだろうか?
いや、じっとしていてもいずれエリーザが早退して戻ってきた理由などは耳に入ってくるのではないだろうか?
いや、早退した事実は伝え聞いても、詳細な理由は聞こえては来ないだろう。
気になる?
気にしていいこと?
「……エルマーが変なことを言うから」
そう呟き、ヴァルフレードはこぶしを握り締め、廊下を歩き始めた。
二階の廊下を歩いていると、白いシャツに濃い赤の幅広ズボンを纏ったミサに出会った。
廊下の隅により一礼すると、ミサは声をかけてきた。
「あ、ヴァルフレードさん、エリーザ様がお腹痛いと言って帰ってらして……
お医者様の診断聞いたんですけど」
などと言いだす。
ミサは顔を伏せて言葉を続ける。
「何か、心に大きな悩みを抱えているんじゃないかと。
それで身体が不調を訴えているんじゃないかって。
何があったんでしょうね」
「ミサ様」
「はい?」
声をかけるとミサは顔を上げ、目を瞬かせた。
「そう言ったことはあまり、公言なさらない方が」
すると、ミサははっとした顔をして口を押さえる。
いくら屋敷のお嬢様のこととはいえ、身近に仕える者以外が知る必要のないことは公言しないものだ。
内容から察するに、エリーザの不調はとても繊細な問題が絡んでいるのだろう。
ならば余計、口外するのはよくないのではと思う。
「す、す、すみません。
あの、えーと、ヴァルフレードさんはエリーザ様と幼なじみだしえーとだから……」
よほど慌てているのか、ミサはしどろもどろに言った後、落ち込んだように顔を伏せた。
「すみません、失念してました」
「いいえ、でも、ご心配ですよね。
俺に何か心当たりがないか、お聞きになりたかったのですよね」
そう問いかけると、彼女は頷いた。
幼なじみとは少し違うだろう。ただの遊び相手だ。
彼女は貴族で、こちらはただの侍従。
幼なじみなどと言う、対等な関係じゃない。
それに今はさほど深く接してはいない。
だから心当たりなどあるわけなかった。
ヴァルフレードは首を振り、
「申し訳ございません、お役に立てそうにないです」
と答える。
するとミサはそうですよね、と苦笑する。
「私、知らなかったんですが、前にもあったそうです。
その時はあの、お見合い相手の方と会う前の日だったとか」
その話は初耳だ。
ということは、彼女に仕える侍女らは誰にも口外していないと言うことだろう。
「だからお医者様も何か心当たりがないかと私に確認をされたのだと思いますが」
「そうですね。
けれど、何かあれば本人が言うでしょう」
言うわけはないとわかってはいても、気休めの言葉が自然と出てくる。
「……そう、だといいんですが」
そう答えたミサもまた、話すわけないことはわかっているだろう。
心配げな表情がすべてを物語っている。
ヴァルフレードは一礼し、その場を離れた。
フローラに聞くことはなくなったし、この場にとどまっても仕方ない。
エリーザの部屋を訪れるなどできないし、今できることはない。
屋敷の外に視線をやれば、傾き始めた太陽が町を夕焼け色に染めようとしていた。




