11その想いの名前は
あの申し出は冗談だと、ヴァルフレードは心の奥底で思っていた。
ほんの少し前までは。
とある夏の日の昼食前、ヴァルフレードが呼ばれて食堂に行くと、そこにはエリーザのほかにミサとエルマーがいた。
流行りである幅広のズボンに薄紅色の半袖を着たエリーザは、瞳と同じ空色の前掛けをしている。
「結局、ミサとエルマーさんしかお誘いできなかったの」
残念そうな面持ちでエリーザは言い、目尻を下げた。
それはそうだろう。
相手は貴族のお嬢様だ。
彼女の手料理をはい、食べます、なんてことを言える者は少ないだろう。
「でも、ヴァルフレードさんは食べてくださいますよね?」
にこりと笑って言う彼女の言葉に、頷くしかできなかった。
「いいんですか?
お兄様ではなく私たちで」
少し困惑した表情で言うミサに対して、エリーザは頷く。
「えぇ。
だって、お兄様は出されたものは全て食べる方だし。
そういう風に教育されているから、不味いから食べないとかしないの。
その点、ミサたちなら嫌だと思えば食べないでしょう?」
その言葉に重圧を感じるのは自分だけではないだろう。
ミサは苦笑を浮かべ、エルマーは、
「ははは。そうですね」
なんて答えている。
エルマーは良くも悪くも素直だ。
ヴァルフレードには理解できないが、エルマーは思ったことをそのまま口にする。
「私が誘われるのはわかりますが、なぜトロイさんとヴァルフレードさんまで」
「だって、ひとりじゃさみしいでしょう?」
「そ、そうですね」
そう言ったミサの顔はひきつっている。
ミサはエリーザの兄であるエーリオの婚約者なのだから、対等に意見できるだろうに彼女の性格なのかそれができないらしい。
エリーザは、両手を合わせ眩しい笑顔で言った。
「さあ、席について。
お料理を用意するわ」
そして、彼女は食堂を後にした。
困惑した表情を浮かべる配膳係の侍女たちをしり目に、エリーザは料理ののった皿を運んできた。
まさかたった七つしかない貴族のお嬢様が自分で料理を運んでくるとは思っていなかったので、ヴァルフレードは戸惑ったけれど、笑顔で礼を言うエルマーを見ていたら、戸惑うことがおかしいことのように思えた。
侍女たちはきっと自分たちで運ぶと主張しただろう。それが彼女らの仕事なのだから。
けれどエリーザが押し通したという感じだろうか。
侍女たちは涙目でミサのほうを見ている。
ミサは未来の女主人だ。
エリーザに料理を運ばせたことで咎められると思ったのだろうか。
それを察したのか、ミサは彼女らに向かって、
「ご苦労様です。
下がっていて大丈夫ですよ。
何かあれば声を駆けますから」
と笑顔で声をかける。
侍女たちは顔を見合わせた後頭を下げ、食堂から出て行った。
エルマーだけが何もわかっていないらしく、エリーザにいろいろと話しかけている。
料理は前菜とパスタだった。
それに丸いパーネが用意されている。
ごく普通の昼食だ。
パーネは焼き立てらしく、触るとまだ熱かった。
触るとふっくらとしていて、ちぎると白い生地が現れ湯気が上る。
まさかパーネまで焼いたのだろうか?
この屋敷の料理人たちはパーネも毎日焼くので、あり得そうだ。
エリーザは恥ずかしそうに、
「自分一人で作ると言ったのだけれど、皆さんにとめられちゃった」
と言った。
それはそうだろう。
パーネを焼くと言うことはかまどを使うと言うことだし、火を使うとなるとさすがに料理人たちも気が気ではないだろう。
「皆さんにお手伝いしていただきながら作ったから、失敗はないと思うけれど。
素直な感想を言ってね」
結果を言えば料理はどれもおいしかった。
前菜も、パスタも。
味付けは自分でやったそうだが料理人たちが味見したそうなので、失敗などないだろう。
「エリーザ……様は、ご結婚されたら料理を作りたいんですか?」
ミサが問いかけるとエリーザは恥ずかしそうに頬を染め、小さく頷く。
「せっかく覚えたんだもの。
好きな人の為にお料理を作りたいと思うわ」
その考えは、非常に庶民的だと感じる。
上流階級の家では基本料理をするのは専門の料理人たちだ。
ヴァルフレードの家にも料理人はいたので母親が料理を作ることはあまりなかった。
上流階級の家庭で、女性が家事を覚える必要はない、という考えが存在する。
それなりの家庭の男性と結婚すれば侍女や侍従などを雇うことができ、家事は殆どする必要はないからだ。
「でも、料理人を雇えるご家庭の方と結婚したらする必要が」
ミサが言うと、エリーザは俯いてそうね、と呟く。
エリーザは首を振り、にこりと笑い言う。
「時々でもいいのよ。
ただ家にじっとしているとか私には無理だもの。
だからと言って町に出てお茶飲んで暇な時間を愉しむとかできないし。
少しでも私は家庭のことをしたいのよ」
「そう言うものなんですかね」
エリーザの考えは同性であるミサにも不思議であるらしい。
家事をしなくて済むのならその方が良さそうだが、ヴァルフレードにもエリーザの考えは少し理解できなかった。
きっとこのままいけば、例の見合い相手と結婚し家事などほぼしなくていい生活になるだろう。
先日見た、エリーザと相手の男の姿を思いだし心がきしりと痛む。
この痛みはなぜ生まれるのだろうか?
エリーザは食卓の片づけを自分でやろうと思っていたらしいが、それはやんわりと止められたらしい。
侍女たちが食卓を片づけ食後のお茶を用意していった。
「ヴァル」
食堂を出た後、エルマーに声をかけられ振り返る。
彼は笑みを浮かべて、
「午後出掛けるって。
ミサとエリーザ様」
と言い、ヴァルフレードの背中をなぜか叩く。
その行動の意図がさっぱりわからないが、エルマーのすることなど気にしていられないので、
「わかった」
とだけ答える。
「ねえ、ヴァル」
「なんだ」
「いいの?
エリーザ様も一緒で」
その問いかけの意味が分からず、エルマーの顔を見つめる。
彼はやはり笑顔で言葉を続けた。
「なんかエリーザ様と一緒だと雰囲気がとげとげしくなるからさ」
「そんなことあるわけないだろう」
いかにも鈍感なこの男は、いったい何に気が付いているのだろうか。
「昔からエリーザ様ってヴァルになついてたよね。
でもヴァルの態度ってそっけないし何でだろうって思ってたんだけど、なんで?」
「そんなわけないだろう」
そう答えてヴァルフレードは顔を背けた。
「そうなの?」
「あぁ。
用がないなら俺は準備をしてくる」
「わかった。
でもあんな辛そうな顔するなら奪えばいいのに」
聞いている方がひやりとするようなことをさらりと言い、エルマーはヴァルフレードの横を通り過ぎて行った。
「あいつはいったいなんなんだ」
廊下を早足で去って行くエルマーの背中を見つめ、ヴァルフレードは誰にともなく呟く。
相変わらず何を考えているのかわからない。
突拍子もなく、発想が斜め上で理解できない。
「そんなところで立ち尽くしてどうしたの?」
エリーザの声が聞こえ、ヴァルフレードは振り返る。
ここは食堂そばの廊下なのだから彼女がいるのは当たり前のことなのだが。
笑顔のエリーザと、ひきつった表情をしているミサを交互に見た後、ヴァルフレードは首を振る。
「なんでもありませんよ」
「そうなの?」
「えぇ。
おふたりで外出されるんですよね。
どちらに」
「海岸に行きたいと思って。
ほら、海水浴場があるでしょう?
ミサ、行ったことがないっていうから」
「かしこまりました」
「え、エリーザ様が……あ、なんでもないです」
ミサが何かを言いかけてやめてしまったが、ヴァルフレードは気にせず彼女らに一礼しその場を後にした。
最近エリーザとミサがともに出かける機会が増えた気がする。
もともとミサはエリーザの侍女であったし、不自然なことではないか。
そう自分を納得させ、ざわつく心を落ち着かせようと大きく息を吸った。
「あいつに悟られるとか、どうかしている」
エルマーに言われなくても、この想いの名前などわかっている。
屋敷と宿舎を繋ぐ渡り廊下でヴァルフレードは立ち止まる。
「奪うとか、あいつ、何言ってるんだ」
エルマーの言葉が頭の中で繰り返し響いた。




