10実家での重圧
ヴァルフレードにとって、実家の居心地がいいかと言われたら非常に微妙なところだった。
高級住宅街の一角にあるそこそこ大きな屋敷。
少ないけれど掃除や洗濯などをする侍女などは雇えるだけの経済力をもつ実家は今、兄が継いでいる。
兄にはふたりの子供がおり、ヴァルフレードへの風当たりは強くなる一方だった。
「ねえヴァル、この子なんていい子だと思うんだけれど」
と、母親から写真を見せられた回数は片手を余裕で超える。
女性は十八、男は二十を過ぎたら結婚という意識が、親の世代は根強い。
二十四歳にもなると友人の大半は結婚している。
それを考えたら親がやたらと女性を勧めてくるのも理解できなくはないが、その気はないので苦痛と呼ぶ以外なかった。
実家に近づくのは正直気が重いけれど、兄夫婦に生まれた二人目の子供は長男であり、子供が生まれ半年たつとお祝いをする。
その食事会には出席できないのでお祝いだけを渡しに来たのだが。
ついて早々、母親に捕まった。
「それでね、ヴァル、このお嬢さんなんだけれど」
母親は居間の長椅子にヴァルフレードを座らせると、別室から写真を持ってきてそれを机に置いて見せた。
またか。
内心うんざりしながら、何と言って断ろうか思考を巡らせる。
「それよりお母様、今日俺は、これを置きに来ただけですから」
写真をそっと閉じ、封筒を取り出す。
悩んだ末に物ではなく現金を渡すことにした。
母親にこれを預けたらすぐに帰る予定だった。
母親は封筒をちらりと見たあと、
「自分で渡しなさい。
もうすぐ朝の散歩から帰ってくるから」
と言い、封筒をヴァルフレードに押し付けてくる。
それは義姉や姪たちと顔を合わせろということだろうか。
余り気はすすまない。
義姉が子供たちを連れて散歩にでている時間を狙って来たと言うのに。
子供は苦手だ。
弱々しく、ちょっとしたことで泣くような印象がありどう扱っていいかわからず対応に困る。
どうやんわりと断りをいれて帰ろうか。
考えながら出されたお茶を飲んでいると、
「エーリオ様、御婚約されたわねー」
と母親が言ってきた。
この話題はまずい。きっと自分の話題になるだろう。
「エーリオ様、ヴァルよりも年下でしょう?
焦りはないの?」
「ないですよ」
あったらとっくに結婚している。
「エリーザ様、お見合いされたと聞いたけれどそうなの?」
言いながら、母はお茶菓子を机に置く。
いったい母親はどこからそんな情報を得ているのだろうか?
「雑誌にあったのよー。
最近貴族の方々の話題多いわよね」
雑誌の話題の大半は政治家の汚職や俳優たちの恋愛話だ。
以前は滅多に取り上げられなかったが、ここ一年ほど貴族の話題が増えている。
「そうらしいですね」
実際に見合いをしたかどうかについては言及せず、ヴァルフレードはそれだけ言ってお茶菓子を手にした。
「エリーザ様も来年成人ですものね。
ヴァルフレードは、昔エリーザ様の遊び相手だったでしょう?
結婚したら寂しいんじゃないの?」
そう笑顔で話す母親にきっと悪意などないだろうけれど、心に鈍い痛みが走る。
ヴァルフレードは頭を振り、極力平静に、
「そんなことないですよ」
と淡々と答えて長椅子から立ち上がった。
それを見た母親は目を瞬かせて、
「あら、もう帰るつもりなの?」
と言う。
もっとゆっくりしていけと言う母に対してやんわりと断りを入れ、ヴァルフレードは実家を出た。
外にでると、強い日差しが容赦なく照りつけてくる。
半袖でどうにか過ごせるが、長い時間外にいたいと思わなかった。
やんわりと吹く風も熱気を纏い、涼しさは感じない。
国によってはもっと暑くなり、外での活動は危険とまで言われるらしい。
そこまで四季によって差がなくてよかったとつくづく思う。
外にでたものの行き先を考えてなかった。
とりあえず買い物にでもいこうかと、路面電車の通る道へと向かっていった。
夏休み中と言うこともあり、商店街には十代とおぼしき少年少女の姿が目だった。
商店や喫茶店の店員にも少年少女の姿は多い。
きっと夏休み中だけの短期労働だろう。
ヴァルフレードは喫茶店に入り、一息ついた。
店内は空調が効いていて過ごしやすい。
冷茶を頼み、窓からぼんやりと外を眺めていると、見覚えのある男性が視界にはいった。
黒のズボンに水色のシャツを着た中年の男性は、エリーザの護衛であるアルドだ。
視界を巡らせると、彼から少し離れた店先にエリーザの姿がある。
そして、見慣れない若い男――
思わずその男から視線を逸らす。
胸に鈍い痛みがはしり、思わず顔をしかめた。
「お待たせいたしました」
短期労働と思われる少女が、白いコップ敷きの上に透明なコップを置く。
少女にぎこちない笑顔で礼を言い、ヴァルフレードはコップを手にした。
なぜ彼女がこんなところを歩いているのだろうか?
いや、そもそも行き先など聞いていないし、どこに行くかは本人の自由なのだから街くらい歩いてもおかしくはないが。
ヴァルフレードはお茶を一口のむと、もう一度外へと視線を向けた。
ふたりは楽しそうに通りを歩いていく。
そもそもこの辺りは商店街であるし、すこしいけば劇場や博物館などがある。
べつにいてもおかしくはないのだが、心は落ち着かなかった。
ふと、男の方がこちらを向いた気がして、ヴァルフレードは慌てて下を向く。
いや、男がヴァルフレードのことなど知るわけないのになぜこんなに慌てるのだろうか。
自分の行動に疑問を感じ、コップを手にして顔をあげる。
ふたりは博物館方面へと歩いていく。
わざわざこんなところを歩いているのはなぜだろうか。
エリーザなら必ず車移動であるし、博物館などなら駐車場があるはずなのでこんなところを歩くことなどないだろうに。
いったい商店街でなにをして、これからどこにいくのだろう。
そこまで考えたあと、ヴァルフレードは頭を振った。
「そんなことを気にして、どうするんだ俺は」
答えなんてわかっていることだが、気がつきたくもなく一気にお茶を飲み、追加でお茶とケーキを注文した。
それでも心は落ち着かず、喫茶店を出たあと服屋により何枚か服を購入する。
ふと、雑誌や新聞などを売る露店が視界に入った。
最近、貴族の子息が雑誌の表紙になることが多いとは聞いていたが、並ぶ雑誌の大半はたしかに貴族ばかりだった。
ヴァルフレードが仕えるバルディ家のエーリオの姿はなかったが、何度か表紙に載ったことがあるらしい。
なにげなく見ていると、ある雑誌の文字が目に入った。
「バルディ家のご令嬢も婚約間近?!」
このての雑誌の表紙には、読んでもらうための工夫なのか大袈裟な見出しが多くならぶ。
母親が言っていた雑誌はこの手の雑誌だろうか?
とても母親が見るような雑誌には見えないけれど。
気が付くと、ヴァルフレードはその雑誌を手にしてまじまじと表紙を見つめていた。
「兄ちゃん、買うかい?」
露店の主が明るくそう話しかけてくる。
一瞬悩んだが、財布を出してヴァルフレードはお金を払いその雑誌を袋にいれてもらった。
大したことなど書かれていないだろうに、それでも気になってしまう。
またちくりと胸が痛み、ヴァルフレードは思わず顔をしかめた。
恋人でもつくれば、この胸の痛みは感じなくなるだろうか?
いいや、恋人など何人かいたことはあるけれど誰とも長続きしなかった。
「ねえ、貴方の中には誰がいるの?」
最後に付き合った女性に言われた言葉を思い出し、ヴァルフレードは歩みを止める。
彼女はヴァルフレードのなかに誰か違う女性がいると思っていたらしい。
あの頃は何を言っているのかと思っていたけれど、今なら意味が分かる。
自分は護衛で、相手はたった七つしかない貴族のお嬢様。
その差が埋まることなどないだろう。
この感情に名前をつけたら、この苦しみはなくなる?
そんなわけはない。
もっと苦しくなるだけだ。
だからこの感情に名前をつけたくはない。
今はまだ。
「……エリーザ」
自然と名前が零れ落ちる。
ヴァルフレードは大きく息を吐き、空を見上げる。
空は彼女の目の色と同じ、澄んだ青をしていた。




