【00.07.00】
麗月の意識は、水面に揺れる泡の如くゆらゆらと浮上する。
瞼を開けようとするが、完全な覚醒に至っていない為か、酷く重たく感じている。
どちらかというと惰眠を貪る感覚に似ていて、もう少し眠っていたい時の瞼の重みだ。
だからこそ麗月ももう少し寝ていたいと回らない頭で思い――不意に聞こえてきた聞きなれぬ声に意識が覚醒する。
「――それはちょぉ~っと、とは言わずにさー? かなぁ~り、犯罪クサイと思うよー?」
「仕方ないじゃぁないか。騒がれたら気付かれるんだ。これが最良で最善だったさ」
「最善で犯罪に手を染めるのはドン引きでーっす。通報!」
少女の声と、男性の声。薄く瞳を開けるが視界がぼやけてよく見えない。
分かることと言えば灯りのついていない、仄暗い場所である、ということだ。
知らぬ人が近くにいると分かれば麗月は今まで何をしていたか、どんな場所にいたかを徐々に思い出していく。
そして、意識を手放すきっかけとなった、妙に甘ったるい匂いも思い出す。
あれはなんだったのだろうか、と考える。
何かしらの薬剤なのだろうとは思うが、麗月にそういう知識はない。
だから考えても出ることのない答えだ、とこの思考を切り捨て、今は近くにいるであろう知らない声の人物たちの会話へと麗月は耳を傾けた。
「悲しいなぁ。ああ、悲しい! そして虚しい! おれは人命救助が目的で動いたというのに、まさか犯罪者呼ばわりされるとは!」
「……いやぁ~、だーってさぁ? おっさん――」
「おにーさん」
「おっさ――」
「お、に、い、さ、ん」
「……通報」
「なにゆえ!!!」
どこか芝居がかった口調の男と、心底呆れているらしい少女の声は、どうにも気が抜ける。
幾分かマシになった視界で声のした方へと視線を動かせば、黒のカッターシャツに生成色のネクタイまでしっかりと締めた鈍色のスリーピースコーデのスーツ姿の男性と目が合った。
見ていてこちらが暑いと感じる装いをした男性は、赤みの強い、そして長く癖のある長髪を無造作に後ろに一つ束ね、こちらを見た瞳はまるで闇のように真っ黒だ。
「――――っ!」
顔全体のパーツを見れば、黒の瞳はただただ気怠い印象を与える垂れた瞳だ。
だが、光を通さないほどの黒は、今この場においては酷く心を不穏にさせる――そんな黒色だった。
強張る麗月の顔を確認はしているものの、男性は気にした様子はない。
先程の戯れの騒がしくも陽気な雰囲気を一変させ、酷く妖しく笑うと手に持っていた扇子を広げて口元を隠す。
「起きたっぽいねぇ? 調子はどーだぁい?」
「変わり身が酷すぎるよねぇ……ってか、その笑顔ホントキモーイ。通報~」
「――こぉら。人が真面目にやってんだから、茶々入れない」
「は? それで真面目なら世の中賭博で散財してる人もDVクソ亭主も真面目になるよ? ってなわけで、寝言は永眠した後に書面上で、どうぞ」
「……おれ、わりと本気で傷ついたぁ~……」
はあ、と大きなため息とともにやや大袈裟に首を横に振るその男は、とうとう少女の対応を諦めたらしい。
全身から気怠いと言わんばかりの雰囲気を醸し出すその様は、先ほどの妖しさなど一遍もない。
垂れた瞳も相まって、とても眠そうでやる気のない表情だ。
一方、男性をとことん言葉の刃で傷つけていた少女は、丸い眼鏡に三つ編みのおさげを両肩に垂らした装いだ。
今時こんな格好をする子はいないのではないだろうか、と麗月は思う。
ギリギリ、三つ編みのおさげを両肩に垂らす子くらいはいるだろう。
が、そこに丸眼鏡を合わせるファッションは女子としてどうなのだろうか、と麗月はどこか違った心配をした。
「ごめんねぇ、このおっさん――」
「おにーさん」
「――コレが、迷惑かけちゃって」
麗月は引き攣った笑みになっているだろうなという自覚はあるが、直すことができぬまま曖昧に笑うしかない。
声をかけられて意識もしっかりと覚醒したため、寝かせられていた状態から身を起こす。
その際、紺瑠璃色の羽織りを体にかけられていたらしく、するりとその羽織りが床へと落ちた。
慌てて拾い上げ、はて、誰のだろうか、と首を傾げる。
皺にならぬように畳みながら調べれば、男物の羽織りだと分かる。
でも目の前の人物は洋装だし――と疑問を浮かべる麗月だったが、そんな麗月を他所に二人は再び口論をしていた。
「あっれぇ? ねー、ジュライ? おれのことモノ扱いにするのはぁ、流石に酷くなぁい? 夏休み中の保護者だよ?」
「名ばかりの保護者とか足枷以外何物でもないよねぇ……」
「おーけーおーけー。お小遣いも上げなければ買い物にも付き合わないことにしよう」
「やっだなぁ、もう! シグシグはアタシのお財布でしょ? 拒否権なんて存在しないよ?」
「くっそぉ、昨今の女の子は大人を財布としか見ていないのかぁ……」
――うん。この二人は、何なんだろう。
寝かせられていたソファに座りながら、おそらく麗月の気を失わせてまでここに連れて来たであろう警戒すべき二人の人物は、麗月を放置する。
警戒するのも馬鹿らしくなり、麗月は大きなため息を吐く。
まるでコントのような光景を目の前で繰り広げる二人を他所に、誰か状況説明してくれないかなぁ、と現実逃避をするのであった。
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