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1000光年の亡命  作者: リンダ


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残るとものの歌

 第四十章 残るものの歌


 歌は、最初から完成された形ではなかった。


 断片だった。

 春の花の名前。

 夏祭りのざわめき。

 秋の月を見上げた夜。

 冬の星の冷たい光。

 それぞれが別々に思い出され、別々に口ずさまれていた。


 ミオは桜のところだけを何度も歌った。

 サラは夏祭りの屋台の場面ばかりを楽しそうに繰り返した。

 ハルトは雷や台風や“機嫌の悪い空”をやたら入れたがり、レンは「もっと変な鳥のことも入れよう」と言い出してユイに止められた。

 コハルは歌詞というより絵のイメージを出し、リクはそれを言葉の順に並べようとした。


 地球の子どもたちが出した断片を、サフィア・ノールが音へ整え、

 白石凛が語順を整え、

 そしてホログラムの結音と灯乃が、

「ここ、もっと息が続く言葉のほうがいい」

「この並びなら次の景色が見えやすい」

 と直していく。


 優子は途中で何度も言った。


「暗くしすぎんでよかよ。

 悲しい歌やなくて、“まだ呼べる歌”にしたいけん」


 光子も頷く。


「そうそう。

 消えたものの弔いやけど、下向きっぱなしの歌やないほうがよか」


 その言い方が、まさにこの船らしかった。

 悲しみを消さない。

 でも、悲しみだけで終わらせない。


 歌の中心に置かれたのは、“名前”だった。


 桜。

 ひまわり。

 稲。

 ツバメ。

 イルカ。

 ペンギン。

 オリオン。

 シリウス。

 七夕。

 盆踊り。

 雪。

 夕立。

 入道雲。

 月見。


 それは説明ではなく、呼びかけだった。

 地球を知らないガイアの子どもたちにも、その名前が“遠い景色の鍵”として手渡されるように。


 ソレア・ミルは、歌の練習中に言った。


「この歌は、何かを失ったから歌うの?」


 それに最初に答えたのは、ユイだった。


「うん。

 でも、“なくなったから終わり”にしたくない時に歌う」


 ミナ・レフがその言葉を繰り返す。

「終わりにしたくない時」


 コハルは、歌詞カードの端に小さな花を描きながら言った。


「見えんくなったものに、まだ名前あるよって言う歌」


 サフィア・ノールは、その一言を聞いて長く頷いた。

 そしてその日から、彼女はこの歌をただの練習曲ではなく、

 “記憶保持のための表現課題”

 として扱い始めた。


 数日後、ついに一つの形ができた。


 題は、

『まだ呼べる星』


 それは地球そのものを歌う歌でもあり、

 地球から持ち込めなかった命や風景の歌でもあった。


 最初は静かに始まる。


 見えなくなった空の名前を呼ぶ。

 もう触れられない花の名を呼ぶ。

 祭りの日の灯り、雨の匂い、帰ってこない鳥の影。


 そこから少しずつ、歌は前を向く。

 呼べる限り、一緒に行ける。

 歌える限り、終わりきらない。

 遠い星でも、名前を残せる。

 そういう歌になった。


 結音が最後の調整で言った。


「ここ、“さよなら”って言わんでよくない?」


 灯乃もすぐに同意した。

「うん。

 “また呼ぶ”のほうがこの歌っぽい」


 その一言で、最後の一節が決まった。


 また呼ぶ。

 空の名前を。

 花の名前を。

 消えたんやなくて、遠くなっただけって、歌いなおすために。


 レイは、その歌詞を見た時、しばらく何も言えなかった。


 発表は、学校の共同表現時間と、ガイア側の文化共有時間を兼ねて行われた。


 地球の子どもたちだけではなく、

 ソレア・ミル、シア・トレン、ミナ・レフ、アレン・シオ、リナ・フェスたち、

 ガイアの子どもたちも一緒に並ぶ。

 まだ全部の意味を身体で持っているわけではない。

 でも名前は覚えた。

 桜。

 雷。

 七夕。

 オリオン。

 ペンギン。

 その一つひとつを、彼らはもう“地球の知らない語彙”ではなく、“友だちの星の景色”として持ち始めている。


 サフィアが合図を出す。

 最初の音が入る。

 歌が始まる。


 地球の子どもたちの声は、最初の頃よりずっとまっすぐになっていた。

 その横でガイアの子どもたちの声が重なる。

 発音の違いが少しある。

 でも、それがむしろこの歌の意味に合っていた。

 同じではない声が、同じ名前を呼んでいる。


 朝倉レイは、後方でその歌を聞きながら、胸の奥がきりきりと痛むのを感じていた。

 痛い。

 けれど、それはもう絶望の痛みだけではなかった。

 継承の痛み。

 誰かに渡せた時の痛みだった。


 歌の後半、“また呼ぶ”のくだりで、

 ミオの声が少し揺れた。

 サラは一瞬だけ鼻をすすり、

 ハルトは逆にその一行をいつもよりはっきり歌った。

 ユイは目を閉じていた。

 コハルは歌いながら、たぶん頭の中で花の絵を見ていた。

 リクは、言葉を一つも落とさないようにするみたいに、静かにしっかり歌っていた。


 そして、ガイアの子どもたちもその一節を一緒に歌った。


 意味を全部知るわけではなくても、

 “名前を呼んで残す”という行為の大切さは、もう共有されていた。


 歌い終わったあと、しばらく拍手は起きなかった。

 誰もすぐには手を打てなかったのだ。

 その静けさを、レイはむしろ美しいと思った。


 最初に手を打ったのは、ナディア・フェルだった。

 次にアルシア・レン。

 やがて教師たち、子どもたち、大人たちが続く。

 大きな拍手ではない。

 でも長く、途切れない拍手だった。


 その日の夜、地球観測更新が入った。


 高峰が、更新された地表画像を静かに開く。

 また一つ、都市の輪郭が消えていた。

 酸性降雨に削られ、崩落し、地下爆発で沈み、人工構造と地形の境目が曖昧になっていく。

 かつてあれが都市だったと知らなければ、ただの荒れた地表にしか見えない場所が増えている。


「もう、街だってわからないな」

 高峰が言う。


 レイはその映像を見つめた。

 駅も、ビルも、道路も、病院も、祭りの広場も、少しずつ形を失っていく。

 人類の痕跡は、確かに消えている。


 けれどそのすぐあと、学校の発表記録を再生すると、

 ガイアの子どもたちが“桜”や“七夕”や“オリオン”を歌っている。


 その二つを続けて見た時、レイの中で何かがはっきり結びついた。


 痕跡は失われる。

 物理的には、どうしても。

 石も金属もコンクリートも、酸と時間と爆発には勝てない。

 でも文明は、建物だけではない。

 語り、歌い、教え、名前を渡すことで残る側面がある。


 それを今、自分たちはやっている。


 その夜、ホログラムの光子と優子は、珍しく静かな拍手を送っていた。


 優子が言う。


「ええ歌になったねえ」


 光子も、少しだけ目を潤ませながら頷く。


「うん。

 “終わった歌”やなくて、“残る歌”になっとる」


 そこへ、せきちゃん閣下が空気を読んだのか読んでいないのか、妙に控えめな声で鳴いた。


「せきちゃん……かっこいい」


 その“ちょっと遠慮した自己主張”が妙におかしくて、部屋の空気がやわらいだ。

 サラが吹き出し、ミオが「小さく言った!」と笑い、レンが「閣下なりの配慮やろ」と言って、また少し笑いが戻る。


 レイは、その笑いも含めて大事だと思った。

 残るものの歌は、泣くだけで終わらない。

 少し笑えて、また呼べる。

 それが、この船とこの学校が辿りついた形なのだ。


 その夜、朝倉レイは記録端末に書いた。


 今日は、地球から持ち込めなかった命や風景のための歌が完成した。

 題は『まだ呼べる星』。

 桜、雷、七夕、オリオン、ペンギン、夏祭り。

 見えなくなったもの、触れられなくなったものの名前を、まだ呼べるという歌になった。

 ガイアの子どもたちも一緒にその歌を覚え、歌ってくれた。

 その一方で、地球観測では都市の痕跡がさらに失われている。

 酸性雨と爆発で、かつて人がいたことすらわからなくなりつつある場所が増えている。

 でも今日、私ははっきり思った。

 痕跡は失われても、文明は語り継がれる形で残る。

 建物ではなく、名前で。

 空ではなく、歌で。

 それなら、地球はまだ完全には終わっていない。


 書き終えて、レイはしばらく窓の外のガイアの夜を見た。


 遠くに街の灯り。

 その向こうに、もう見えない地球の空。

 でも今夜は、見えない星の名前を、別の星の子どもたちが歌っている。


 それは、確かに残るということだった。

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