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九章 忌まわしき殺人



 中等部での勉強や店での生活にも慣れた頃。ばっちゃが夕飯の買い物、親父達が鑑定で家にいないのを見計らい、玄関にあった鍵で入口の南京錠を外し、幽霊蔵の扉を開けた。


「ん、この間の坊主じゃないか」

「どうした、また探検か?」


 今日のオッサン達は三人。既に箱は動かし終わった後らしく、上に座ってのんびり花札で遊んでいた。優雅な物だ。

「アルバムはちゃんと届けてくれたみたいだな。ありがとうよ」

「一日一善がうちの学校の校訓なんで。混ぜてもらっていい?」

「どうぞどうぞ」

 花合わせはクラスメイトに何回か付き合って経験がある。程々に緊張感ある一戦を終え、結果は一位。

「強えな。もう一回やるか?」

「いや。そろそろばっちゃが帰って来るからお暇するよ。良い気分転換になった、ありがとなオッサン達」

「子供のくせに大人みたいな口振りしやがって」

「末恐ろしい子供だな。また来いよ」

「出来れば次は何か持って来る事」

「はいはい」


 バタン。―――ガチャッ。


(やっぱそうか……はぁ)

 気付かれない様に鍵を玄関のフックに戻して、と。これで良し。

(けど、どうしようもないよな、俺じゃあ)

 落ち込んでばかりもいられないな。ばっちゃが戻る前に庭の落ち葉を片付けとくか。綺麗にしておけばきっと喜んでくれるぞ。

 玄関を出て納戸から竹箒と塵取りを引っ張り出し、せっせと掻き集める。


 ピンポーン。「はーい」


 注文品を取りに来た客か?箒を樹に立て掛け、表へ回り込む。


「こんにちは僕。お店の人はいるかしら?」


 訪問者の五十歳前後のオバサンは、地味な茶色の服に黒いスカート。左手には小さな肩掛けバッグを持っている。

「いえ、生憎皆留守にしています。何かお探しですか?」

 今日は日曜日ではないが、もし客が訪ねてきた時は店を開けるよう言われている。

「いいえ、買い物じゃないの。―――じゃあ、先にお線香だけ上げさせてもらえる?」

「あ、はい。どうぞ」

 オバサンは幽霊蔵の入口の脇に座り込み、地面に刺さった黒い筒にマッチで点火した数本の線香を立てた。そのまま手を合わせ、黙祷する事数分。成程。この人、無差別殺人事件の被害者の遺族か。

「僕はここの子?前はいなかったわよね」

 立ち上がったオバサンは開口一番問う。

「俺は従業員の養子で、一ヶ月前に引っ越してきたばかりです」

「そうよね。アイザさんが結婚したなんて話、聞いた事無いし……僕、ここで昔あった事件は知っている?」

「殺人事件の事ですか?はい、新聞に掲載されていた程度なら」

「宝さん達はどう説明してくれたの?」

「いえ、聞いたのは学校の友達からで、ここの人達からは特に何も」

「そう……」

 何故か悔しげに唇を噛むオバサン。と、その表情がパッと変わる。


「アイザさん!」


 呼び掛けられた瞬間、戻って来たばっちゃの顔は一気に蒼褪めた。小刻みに手を震わせ、今にも卵入りの買い物袋を取り落としそうになる。

「あ、ああ……来ていたんですね。一言連絡してくれれば良かったのに」

 何時にない震えた声で応じる。

「ごめんなさいね。今朝急に月命日だって思い出して。今年の祥月命日は用事で来られなかったし、弟が寂しがっていたらいけないと思って」

「お墓の方はもう行かれたんですか?」

「ええ、それもついさっき。本当最近に忘れっぽくなってしまって、駄目ね。……あの、アイザさん。弟の事、覚えておいでになる範囲でまた教えて頂けない?あの子生前あなたに懸想していたみたいで、家でもよく話していたのよ?」

「知っています……どうぞ、上がって下さい。立ち話もなんですから」

 只ならぬ様子に俺も掃除を切り上げ、廊下から二人のいる大広間の声を盗み聞く事にした。靴を脱いで上がると、丁度ばっちゃが盆に湯呑みを乗せて入っていく所だった。しかし様子がおかしい。何処となく目の焦点が合っておらず、俺の存在にも気付いていないようだ。


 パタン。「どうぞ」「ありがとう。―――ああ、美味しいお茶ね」


 湯呑みがコトン、机に置かれる音。

「弟さんについては、以前思い出せる事は全てお話した筈ですけど」

「あの事件の犯人、未だに捕まっていないそうね」

「っ!はい……」

「確かあの時、アイザさんは唯一の生存者でしたよね?犯人の顔を見た可能性のある、唯一の目撃者だった」

「いいえ……前も言いましたけど、怪我のせいで記憶が曖昧なんです。顔どころか背格好、男か女かさえ……」

 ばっちゃが事件の生き残り?初耳だ。けど、記憶が飛ぶ程の重傷……半死半生って奴か。身体の傷は治っても、心の傷は決して完全には塞がらないだろう(だからあのクリニックか)。まして被害者は直前まで共に仕事していた同僚ばかり。想像を絶する体験だったに違いない。

「どうして犯人はこの店を襲ったのかしら?」

「分かりません。アタシが教えて欲しいぐらいです、何であんな事……」

 俺もばっちゃを二十年以上苦しませ続けた動機は知りたい。だがそれ以上に憎かった。もし犯人が目の前に現れたらしこたまぶん殴った後、本体に戻って炭になるまで炎で焼き殺す。若しくは爪で四肢を引き千切り、傷口が真っ白になる程粗塩を擦り込み、失血死する寸前まで苦痛を与えてやるだろう。

「弟は人に恨みを買うような人間ではありませんでした。どうしてあんな無残な姿で家に戻って来たのか……何十年経っても、まだ感情の整理が付かないの」

(このオバサン、一体何をしに来たんだ?)

 最も深いトラウマを持つばっちゃに、到底昔話が出来る余裕が無いのは分かっている筈。なのに何故、わざわざ古傷を突き回すような真似をしに来たのか?―――駄目だ!本能が警告する。早くこいつを追い出さないと!!


「失礼します」カラカラカラ。「ちょっと済みません。ばっちゃ、そろそろお得意さんに届け物行かないと」

「え?あ、あぁ……そう、だったね」


 罪悪感から我に返り、遺族へ向き直る。

「済みません。今日はまだ配達が残っているんです。こちらの都合で悪いんですが、また別の日にいらしてもらえますか?出来れば今度は事前に連絡して」

 頼んだ後、一瞬見せた悔しそうな目。良かった、どうやら俺の予感は的中したらしい。

「―――分かりました。でも、今度はちゃんと聞かせて下さいね」

 そう吐き捨てて、客は足早に立ち去った。


 バタン!玄関戸が閉まった瞬間、彼女は額を手で押さえて机の上に崩れた。「ばっちゃ!?」


「庚……悪いんだけど水と、この前クリニックで貰った薬が薬箱にあるから持って来て」

「あ、ああ」

 急いでコップに水道水を注ぎ、薬箱の端にあった内服薬の白い袋を掴んで引き返す。脂汗を掻いたばっちゃは辛うじて錠剤を取り出して口に含み、水で飲み下した。ぐったりした肩に触ると酷く熱かった。

「ごめん、庚……」

「ばっちゃ、部屋戻れるか?それともここに布団敷いた方がいい?」

 力無く首が横に振れ、手を突いてよろよろ立ち上がる。

「ここは駄目……行くから肩支えてて」

「うん」

 ばっちゃの腕が首の後ろに回る。心地良い重さに、状況を忘れて思わず頬が緩んだ。

 転ばないよう慎重に階段を昇り、彼女の部屋のドアを開ける。手早く押入れの布団を敷き、蹲るばっちゃを横にする。早くも薬が効いてきたのか、瞼は閉じかけていた。

「今日の夕飯の材料、冷蔵庫に入れてあるから。悪いけど……お願い」

「ああ。何する予定だったんだ?」

「あんたの好きなポークカレー。今日豚肉安かったの。でも半分は残しておいてね。明日生姜焼きにするから」

「分かったよ、作って皆に食わせとく。ばっちゃはいる?」

「ん……お腹空いてたら呼ぶよ」

 掛け布団を首まで上げ、ふーっ、深い溜息を吐く。数十秒後、安らかな寝息に変わったのを確認して、俺は部屋を出た。



 常ならぬ色っぽい姿。服越しに感じた熱を、脳内で気持ち悪いぐらいじっくりねっちり味わいながら野菜の下ごしらえをする。よっぽどアブない顔をしていたのだろう。仕事から帰って来た親父達が揃って目を剥いた。

「どうしたんだよ庚?ニタニタニタニタしやがって。女の子のパンツでも見たのか?」

「いや別に」

「気色悪いな」

 言いつつ親父は冷蔵庫からサイダーの缶を取り出し、プルタブを開けた。プシュッ!ゴクゴク……。

「庚、どうしてお前が夕食の支度をしている?アイザはどうした?」

「ああ、それが」

 先程のオバサンの話をすると三人共、特に四爺さんの表情が顕著に硬くなった。

「また彼女か……追い返して正解だ。大方また金の無心に来たんだろう。あの子が一人の時に来るとは悪質な……」

「儂等が電話で注意しておこう。向こうとて警察沙汰にはなりたくないじゃろう」

「そうだな。頼むよ爺さん」

 成程、殉職に対する慰謝料をせびりに来てたのか。でも爺さん達が当時払わなかった筈は無い。二十年以上経ってまだ毟り取ろうと、しかも選りに選ってばっちゃの罪悪感を利用しようとするとか、とんだ猫被りの糞ババアだ!後で玄関に塩撒いとこう。

「あのオバハンの二人息子、環紗でも札付きの悪餓鬼だって話だぜ?確か下のは庚、お前と同級生だった筈だ」

「……もしかして、曲林?」

「そう、確かそんな名前!お前、まさかそいつにカツアゲとかされてないよな?」

「大丈夫だよ。あいつ去年留年しちまってまだ初等部だし、この間まで謹慎処分喰らって自宅待機してたから」

「謹慎処分?喧嘩か?」

「同級生の女子を夜中まで無理矢理連れ回したんだ」

 事実を説明するのが面倒なので要点だけ伝える。

「そりゃ謹慎食らうわ。そいつ、絶対大人しく家にいないな。学校行けないのをいい事に、家の金持ち出して他所で遊び惚けてるに違いない。で、生活費に困った母親がうちへ無心に来たと」

「親父にしては冴えてるな」

「褒めてんのかそれ?」

「割と」

 爺さん達が黒電話を置いた台の下へ手を入れ、古い紐綴じの電話帳を出して捲り始めた。一分後、目的の名前を見つて受話器を上げ、ジジジ、ジジジ……番号を回す。

「庚、お前は夕食作りに戻りなさい。少し大声を出してしまうかもしれないが気にするな」

「ああ……あのさ四爺さん。キツく言っといてくれよ、もう二度と来るなって……ばっちゃが可哀相だからさ」

 クシャッ。伸びた前髪が爺さんのカサカサの手に撫でられ音を立てた。

「ああ、了解した」

 そう言ってジジ、最後のゼロを回し終えた。




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