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中年サラリーマン。副業、殺し屋。  作者: おれんじ
第1章 殺し屋サラリーマン誕生
1/11

田中、才能が開花する。

続きます。

毎日投稿を予定しています。

 別にサッカー選手でも歌手でもよかった。漫画家でもいいしお笑い芸人でもいい。

 幼い頃から漠然と感じてきた。

「俺は人とは違う。俺には何か…才能がある。」


 そんな誰もが抱く幻想は、誰もがいつかは捨て去るものだ。理想と現実とを擦り合わせる時は誰にだって訪れる。


 そう、俺にしたって同じ。何の才能もない。

 だから大学を出て平凡なサラリーマンになった。残業も多いし低賃金だが、独り身の俺はなんとか暮らしていける。


「田中ァ!」


 上司である長谷川課長の聞き慣れた怒号。


「はい。」


 名前を呼ばれた俺は当然返事をして、長谷川のデスクに向かう。


「何度目のミスだこれは!!」


 叩きつけられた書類の束は、昨日俺が作成した報告書だった。長谷川の口ぶりから察するに、内容は良くなかったようだ。


「すみません。」


 悪いと思ったので謝った。

 しかしそんな俺の誠意は長谷川には届かなかったらしい。


「お前もう入社して10年…35才だろう。それなのに連日ミス、ミス、ミス…。だから後輩が先に出世するんだよ!」


「…はぁ。」


「…だいたいお前にはやる気がねぇんだよ!!!なあ!毎日毎日眠たい顔で余裕ぶっこいて出社しやがって!お前には自覚がねぇようだからな!ハッキリ言ってやるよ!!」


 長谷川が机を叩き、俺はその音に驚き肩を跳ねさせた。


「お前は無能なんだよ!!何もできない無能な人間!!それを心に刻んで過ごせ!ミスも少しは減るだろう!!」


-----------------------


 時計を見ると時刻は23時を回っていた。

 ミスの罰だと言って押し付けられた仕事は、翌日の出社時間までに終わらせろとの命令だったが、まだ全体の半分程しか完了していない。

 そもそも長谷川にしたって俺に完了させるつもりはないのだ。これは嫌がらせなのだから。

 

「…帰ろう。」


 さすがにこの時間までの残業となると、退勤するサラリーマンで電車が混むことはない。

 乗車した俺は座席に腰を下ろす。

 正面に座っている青年は自分の隣の席にギターケースを立てかけていた。

 

 電車が走り始める。


 青年の付けているヘッドホンからは音が少しだけ漏れていて、心の中で舌打ちをする。


 彼の将来の夢は歌手だろうか。

 いずれこの青年も思い至ることになる。

 自分には他者よりも秀でた才能などないと。

 自分は凡人に過ぎないと。


 そんなことをグルグルと考えている俺の目を覚まさせたのは発車を知らせるアナウンス。いつの間にか電車が俺の降りる駅に停まっていたことに気が付いて焦り出す。

 急いで腰を上げ近くのドアに向かうが、あと一歩のところで閉まってしまった。


「ああっ!」


 思わず声が出た。

 音楽家志望の青年がクスクスと笑うのを背中で受ける。

 もう一度座席に戻り彼と対面するのは気まずいという思いから、俺はその場に立ち次の駅を待つことにした。

 電車が動き出し、ホームの明かりが遠ざかる。

 やがて車内の窓は店や家庭の小さな明かりを映しはじめ、同時に明るい車内の様子をよく反射する鏡へと変わる。


 ……いったいいつの間にこんなに老けたのか。

 俺は自分の顔を見て驚いた。

 加齢…というよりは疲労の溜まった顔。何の希望もない、何の才能もない中年が立っていた。


 幼い頃から漠然と感じてきた。

「俺は人とは違う。俺には何か…才能がある。」

 それは違うとわかり、納得をしていた筈だった。

 

 俺はそんなに器用じゃなかったんだ。


 心のどこかで思い続けていた。

「俺は他者とは違う。」

 頭のどこかで考え続けていた。

「俺には人には無い才能がある。」

 愚かにも信じ続けていた。

「いつか俺は大成功する。」


 それはただの幻だった。

 抽象的な自己陶酔はプライドを守る機能しか果たしておらず、俯瞰で見た時にそれはどうしようもなく哀れだった。


 停車してベルがなるとドアが開かれた。

 俺は降りなかった。

 ドアが閉まると、ギイギイと音を立てて電車は再び動き始めた。


----------------------ー


 終点と言われれば降りる他ない。

 今までに訪れたことのない駅に降りた俺は自分の犯したミスに気がつく。

 会社を出た時点で時刻は23時。それから長く電車に揺られ、現在は24時をとうに過ぎている。俺が帰宅するための電車はもう動いていなかった。

 タクシーを使うか。ありえない。家まで3万はくだらないだろう。そんな余裕はない。


「…クソ。」


 俺は出来る限り家に向かい歩くことにした。

 体力の限界がきたらタクシーを拾うしかないが、少しは料金もマシだろう。


 改札を抜け外に出る。

 駅の周辺にはファーストフード店やコンビニエンスストアが並ぶ。その先はすぐに住宅街。大きな通りもないため、極めて静かだった。


「はぁ。」


 溜息を合図に俺は歩き始めた。

 9月の夜は肌が冷えて不満が過ったが、夏の蒸し暑い日よりはかなりマシだと自分に言い聞かせる。


 10分程住宅街を歩くと、商店街に着いた。

 この時間だ…当然どの店もシャッターを下ろしている。

 引き続きの無音であったが、日中は賑わう場所であるということを考えてしまうからか、商店街の中は一際静けさに満ちているように感じられた。


 商店街の店と店との間に隙間は殆どなく、コツコツと靴が地面に当たる音が先程よりも大きく響く。

 俺はそれを不快に感じた。

 早く商店街を抜けようと早足になった。


 コツコツコツコツ。


 コツコツコツコツ。


 コツコツコツコツ。


 コツコツコツコツコッ。


 ココッコツコツコッコココッ。


 足音は気付けば不協和音となり不快さを増していた。しかしその原因が俺でないのは明白だ。

 音を出す人間が増えたのがいけない。

 俺は背後から歩いてくる人の気配を感じ、理不尽にも少し睨みつけてやろうかと軽く振り返る。

 そこでやっと気がついた。

 理不尽な目に遭おうとしているのは俺の方なのだと。


 男の身長は170くらい…俺と同じ程度だろう。年齢も近しいように思える。

 ただ腹の出ただらしない体型で、着ているパーカーも薄汚い。

 しかし一番注目すべきなのはそこではない。

 

 商店街を薄く照らす街灯の光が、男の握る包丁に反射する。


 どうやら通り魔というヤツらしい。


 男は5メートルほど先の俺と目が合っている。

 俺は目を逸らすことができなかった。逸らせばすぐに刺し殺される気がしたから。

 俺は叫んで助けを呼ぶことができなかった。叫べばすぐに刺し殺されると思ったから。

 しかしどうやら、目を合わせながら黙り続ければ見逃してもらえるという話でもないらしい。

 男は俺に走りかかってきた。


 不思議な感覚だった。

 恐怖はあった。間違いなく。

 しかし奇妙な落ち着きもあった。


 人は何故死ぬのを嫌がるのだろうか。

 生物的な本能と言えばそれで終わる話だが、それだけでなく気持ちの問題もあるだろう。いわゆる未練ってやつだ。やり残したことと言い換えてもいい。

 例えば明日がメジャーデビューした自分のCDの発売日という人は今日という日に死ぬのは悔いが残るだろう。

 やっと連載にこぎつけた自分の漫画が載った雑誌の発売日が翌日とか、サッカーの日本代表としての初試合が翌日とだとか、そういった人に悔いが残ることは想像に難くない。


 一方で俺はどうだろう。

 仕事のできない中年の無能リーマン。

 夢も希望も才能もなく、当然明日という日に執着なんてものはない。

 となると俺は今日ここで殺されても未練は全く無いことになる。故に冷静さを帯びているのだろう。

 何か足掻いてやろうという気概は無く、ただ、これから自分が殺されるのだという現実を凝視していた。


 五メートルという距離は成人男性の疾走で一瞬にして縮まる。

 男は視線を一瞬包丁に移すと、それを握る右腕を腰の位置でスッと引いた。

 勢いに任せて俺の体に差し込む算段らしい。


 再び男と視線が交わる。


 濃く、とても濃く感じた。

 それは今までに浴びたことのないモノだった。

 きっと殆どの人間が生涯感じることのないモノだろう。


 殺意。


 人間による人間に向けた殺意。


 しかしそれ自体に嫌悪感は無かった。


 人が人に向ける感情にはいくつか種類がある。

 嫉妬や怒り…不満、嘲笑。

 これらの感情にはいつも意図が付き纏う。

 自己の利益か、憂さ晴らしか、或いはアイデンティティを保ったり、集団の中で浮かないための生存本能に近いものもあるかもしれない。


 そこで言えば殺意というのは極めて例外的だ。


 殺すのには何かしらの理由はあるかもしれない。

 しかし…いざ実際に人の喉元に刃を突き立てようかという時、自らの手で他人の未来を闇に葬りさろうかという刹那…そこに複雑な感情や自意識など入り込む余地は一切無い。


 人として最も禁忌と見られるその行いは、今まで見てきたどんな行いよりも透き通っていた。煌めいて見えた。


 男から放たれたその煌めきが俺を包む。

 俺の心まで透き通っていく。

 俺という人間から感情が消えていく。


 男の握る包丁は俺の首を目掛けて直進した。

 

 しかし、皮膚や血管を裂くことは叶わなかった。


 それは男の意思によるものではない。

 殺意に溢れている彼が最早止まるはずがない。


 俺が男の腕を掴み、その侵攻を止めていた。

 

 生きたいと願ったわけじゃない。

 やり返してやろうなんて気もさらさらない。

 

 ただ、一言呟いていた。



 「殺す。」



 あとは早かった。

 

 俺は包丁を受け止めている右腕をそのまま離さずにうんと引いた。

 男は姿勢を崩し体をこちらに傾ける。

 右足を思い切り振り上げ、男の股間にめり込ませる。

 男はうめき声をあげながら、たまらず握っていた包丁を手放した。

 俺は左手を背中に回し、男が落とした包丁の柄を宙で握り取る。

 腰を捻り、その反動で左手に持った包丁を精一杯の力で男のうなじに突き立てた。


「ぎっ。」


 男の声なのか、肉を裂いた音なのかは分からない。分かるのは、その音と同時に目の前の男は絶命したということだけだ。


「……あっ。」


 命のやり取りを終えた俺は、そこで初めて我に返った。自分が人を殺したことを認識した。

 恐怖が今更込み上げてくる。

 

「うっ…うああああ!!!」


 尻もちをつき、死体から離れようと足をばたつかせる。


「はぁっ…はあっ…。」


 額から流れる汗を拭おうと左手を持ち上げ、まだ包丁を握っていたことに気がついてそれを放り投げる。その凶器で自分が何をしたのかを反芻する。


 そして違和感が生まれる。


 どうも奇妙だ。

 だってそうだろう。

 自分を殺すつもりで襲ってきた男に対して、片腕で攻撃を凌ぎ、反撃し、武器を奪って…殺した。

 格闘技の経験すら無い俺が…いったい何故流れるように命を守り命を奪えたのか。


 死を前にして必死だった。

 足掻いたらたまたま上手くいった。

 そうなのかもしれない。そう考えるのが自然だとは分かっている。

 しかし俺はやはり愚かで、不謹慎で…違う答えが脳裏を駆け抜けてしまう。


「今の……お前がやったんだよな。」


 気がつくと背後に人の影があった。

 長い艶のある黒髪と童顔。それになんと言ってもセーラー服が彼女の年齢を表していた。


「オジサン…あなた……何者?」


 こんな血まみれの場所には明らかに相応しくない格好と態度の少女に対して、俺も同じ疑問を投げかけたかった。

 と同時に、俺の考えはやはり正しいのかもしれないと思ってしまう。


 俺はスポーツができなかった。歌も下手だし芸術的センスのカケラも無い。

 あらゆる分野において人より秀でた存在にはなり得なかった。

 しかし…それは間違いなのかもしれない。

 

 たった1つ…たった1つだけ…俺にも才能と呼んでいいものがあったのかもしれない。


 普通に生きていたのであれば、絶対に気が付くことのない才能……殺しの才能が。

 

 

 



 

 

1話目は思った以上に暗い話になってしまいました。

2話からは志島という明るいキャラクターが登場し、面白おかしく楽しめる部分も作れると思います。

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