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[序]星屑の漂流者—水の大賢者—  作者: くろめ
1つ目 水の光玉
20/22

1つ目の記憶

 家に帰ると夕飯の匂いがする。煮物の匂いだ。

 里芋と人参や白滝をふんだんに使用し、醤油や味醂といった調味料と共に愛情を込めてルイが作ったご馳走を、父親が温めて待っていた。

 ルディミハイムはその濃ゆい匂いの奥に焼き魚を感じる。


「お父さん、魚焼いてるみたいだ」

「安かったのかな? んー多分鮭」


 玄関先からリビングへ移動するまで僅か数秒。

 ルイの予想の答えが出るまでそう時間はかからない。

 匂いを辿るように扉を開くと父親がエプロン姿で出迎える。


 一つのおかえりと、二つのただいまの声が共鳴する。

 父親は配膳をしていた。先程少年たちが一度帰ってきていたので、見込みで時間繰りができたのだ。

 少年少女の席への配膳は既に済んでいるようで、白米・サラダ・煮物・魚が並んでいる。


「鮭だー!」

「ルイ、大正解だな!」


 父親曰く安かったから買ってきたのだという。

 少年少女は向かい合ってハイタッチをし、それぞれの席につく。

  

 この光景だけを切り取ればルイの予想通りに思えるが、実際は夜天家の定番に他ならない。

 調理法は異なれど父親が食卓に出す魚と言えば鮭で、それ以外を出すことは全く無い。今日はホイル焼きである。

 滑稽なことに、その事実を少年自身がまるで気づいておらず、なんとなく鮭と答えているだけである。傾向や分析をしているわけでなく、あくまで全てフィーリングなのだ。

 少女はまだ来てから日が浅いために気付いていないため、この場にツッコミは不在である。


 ところで少年少女は手を洗いそびれていた。

 それを父親は決して見逃さず「手ぇ洗えよー」と言う。


「あはは、忘れちゃってた……」

 

 渋々二人は立ち上がり、洗面所へ行き蛇口のお世話になる。


「大賢者様、今日は無理だったね」

「料理作っていて手が離せない中で、込み入った話は厳しかったな……」

「後にしてくれーだもんね……っと、これでよし」


 少年たちが戻り、やがて家族全員が座ると「いただきます」と父親に続いて発し、礼をする。


「いただきますって、どうして言うんだろうな」

「えっとね、食べ物に感謝するためだよ」

「感謝……礼儀、礼節ってことか――」


 ルディミハイムには何かがひっかかる。

 礼儀、挨拶、感謝……。

 しばらく考えていると、やがて少女に何かが語りかける。


『礼儀など不要だ! 我らが為に死んだモノに対し、言葉をかける意義や意味などない!』

 

「は……?」


 ノイズのような言葉が脳裏に浮かび、少女は黙り込む。

 

「ベガ?」

「……あ、ああ。いや、なんでもない」

「ほんと?」

「ああ……。なあ、ルイ……ワタシは誰だ?」

「君はベガ。ベガ・ルディミハイムだよ」

「……そうだ、私はルディミハイム……」


 少女の身に何かが起きたことを悟った少年は、ぎゅっと少女の右手を取る。

 僅か一瞬の出来事であるにも拘らず軽く汗ばんでいる。

 だが、なんでもないと言われてしまった以上、詮索したくとも出来ない。

 当然、知りたい上に不安もあるが直感的にそれについて知るべきでない、話をさせるべきでないとルイは感じ取る。

 

 対して少女は頭に浮かんだ言葉の意味を理解できないでいる。

 僅か一瞬の出来事だったはずが、それが脳裏に焼きつき離れない。


 少女は失った記憶を取り戻せるのならば取り戻したい。

 そんな中でいざ語りかけてきた記憶が悪夢のような罵声であったなら、思い出す気持ちにはなれないというもの。

 再び脳裏に過りそうな不安も相まって、食に手を伸ばす気になれない。

 

「……ごめん、お父さん。夕食は後回しにして横になるよ」


 ルイの父親は頷くと「寝過ぎは良くない」とリビングのソファーで仮眠するよう提案する。

 まだ時刻は夕刻を過ぎた辺りで、時計の短針は6と7の間を指している。

 この時間に寝てしまえば夜に眠れなくなることを父親は危惧する。

 

 ルイは急ぎリビングから出ると、バスタオルを持って戻ってくる。

 掛け布団がまだ暑いが、かといってそのままでは寒々しい季節なため親切心だ。


「ありがとう。ルイ……お前にはいつも迷惑かけてるな……」

「そういうこと言わないの。辛い時は寝るのが一番なんだから」


 少年が少女にバスタオルをかけると、二人して朗らかな笑みを浮かべる。

 少女はぎこちない笑顔だったが、先ほどの汗まみれで硬直した笑みと比べればまだ心が和らいでいるように見える。少年はようやっと安堵する。


「電気は消す?」

「明るい方が良いかな」


 少年は了承し、そのままにしてキッチンへ戻っていく。

 それを見届けた少女はしばらくバスタオルを被り込み、身体を埋めるように丸まる。


 一人でぼうっとしていると、再び先ほどの言葉が脳内を駆け巡るからだ。


『礼儀など不要だ! 我らが為に死んだモノに対し、言葉をかける意義や意味などない!』


 只の言葉であったなら、言葉に恐怖など感じる必要はない。

 少女が忘れたい理由は紛れもなく、拭いきれない理由からだった。


「……私の声だった」

 

 ボソッと、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟く。

 それは忘れようとすればするほどこびりついて離れない。

 

 どのような背景や状況があって発した言葉なのかは定かでない。

 ただ、その言葉に含まれる様々な意味を理解したならば、自分が自分で居られなくなってしまうような気がしてならない。

 少女はどうにか少年と過ごした思い出を想起することで、思い出す苦しさを和らげようとする。


 そうしている内に全てに嫌気がさして、やがて疲れて眠りにつくのだった。



     ☆★☆


 少年とその父親は台所のテーブルに向かっているが、一向に食事に手をつけることはない。

 少女の身に何があったのかを考えながら、苦悩する少年の姿がそこにある。


 過去の記憶を取り戻しかけているのか、それとも別の何かを感じているのか……などと纏まりきらない思考を必死に回転させる。

 その姿を見た父親は、悩み過ぎることに対して難色を示す。


「でも父さん……ベガが苦しそうなの、見てられないよ」


 潤んだ瞳の息子に対し、一呼吸置いて父親は諭す。

 心が乱れている時に未来や過去を見るべきでないし、悩むべきでもない。不安ばかりが募り、それが透けて見えてしまい少女自身を更に悩ませてしまうことも考えられる。

 見ていられないという感情があったとて憶測でしか考えられない今、何かを対策しようと悩むこと自体が二人にとって大きな負担であると。


 それを聞いた少年はボソリと呟く。


「……どうしたら良いんだろう」

「抱きしめてやれ」

「へ?」


 タイミングは選ぶことを忠告し、父親はアルミに包まれた魚をラップで包みレンジに入れる。


「え!? えっと、その」


 しどろもどろになる少年を尻目に、父親は笑う。男を見せろよと言いながら。


「違うよ!! レンジにアルミホイルは……」


 瞬間、電子レンジから火花が散るのだった。

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