蛇足(魔王様の話)
本編とはちょっとノリの違う魔王様三人称です。
何でもばっちこいな方のみお進みくださいませ。
秋も深まり始めた、とある旅舍の大浴場。
「はい! 今夜もお疲れ様でした。素早く、迅速に撤収しましょうそうしましょう。今ならまだ家に帰れます。やったね日帰り温泉! 待ってて冷凍庫の中のまるごとBIGタピオカアイスキャンディー!」
「……そうか。では、店舗限定氷菓はいらんな」
さっさと帰り支度を始めていた実綾の動きが、ピタリと止まる。
「ま、まさかそれは。休業中の札のかかっていたあの名店の……!」
そろりと振り返り見上げてくる顔は、期待で口元が緩みかけている。その姿に、竜形態の魔王は満足げに目を細めた。狙い通りである。
この旅舎に辿り着く国道沿いに、夏は夜明けとともに並び整理券を手に入れなければ食べられない行列の氷菓を出す、和菓子の名店がある。実綾が愛する氷菓は、棒アイスだけではない。ありとあらゆる氷菓を彼女は愛していた。ただ、懐事情と時間が追い付かないだけで。主に彼――魔王ウィストのせいで。
道中の車窓越し、実綾は恨めし気にその店を見つめていた。どうして夏にこの温泉をチョイスしなかったのか、とウィストは静かに抗議までされた。
普段は敬語で必要以上に距離をとるくせに。好きな事と重要な決断に関しては、譲らないし本能に忠実すぎる。実綾の面白い部分ではあるのだが。
――夏はさすがに貸し切りに出来ないのだから、仕方がないだろう。
「秋冬は閉めている店舗を、特別に開けさせたんだがなぁ」
「なんて横暴な。財力による横暴、よくない! で、でもお残しはもっと良くないですよね……うん」
「そうだな。お残しは重罪だな。ついでに宿の夕食を残すのも重罪ではないのか?」
真顔の実綾に、ウィストも真顔で応じる。そもそも竜なので表情筋は動いてもほぼ分からない。喉の奥で笑いを堪えてるなんて、バレない。
「あああああ! また借金が嵩むっ」
「諦めろ。どうせ店が開くのは明日の朝だ」
すでに夜の七時近く。和菓子屋は閉店している。店を貸し切ったのは明日の午前である。
もろもろ理解して、本日は一泊二食付きコースだということを覚悟した実綾が、がっくりと肩を落とした。
「うう。じゃあ私もお風呂頂いて、着替えて来ます」
今日も鱗磨きで汗だくの彼女は、ラフな格好だ。着替えなければ、宿の人間に申し訳ないとでも考えたのだろう。「ここに入ればいいだろう。私は気にしないぞ」などと一通りからかって、怒った実綾を堪能し送り出したあと。
ウィストは竜形態のままだった身体を人型に戻し、露天風呂のある外へと出た。
露天風呂には、先ほど彼が引き裂き散らした召喚の残骸がまだ色濃く残っている。肌に張り付けばしつこく召喚を試みようとしてくる呪も、無機物の上では数時間と持たない。このまま一晩放置すれば、朝の光で塵になる。
――まったく。随分と気色の悪い勇者召喚とやらがあるものだ。
そもそも召喚なんてもの自体が、気色の悪い事象だが。そうひとりごちて、ウィストは目の前の何もない空間に声をかけた。
「さて。まだそこに居るのだろう?」
赤い紋様の残骸にほんの少し魔力を注ぐ。いとも簡単に異界への穴がぽっかりと中空に口を開けた。
但し、壁掛け鏡程度の大きさだ。ウィストの竜としての質量は、到底通せない。つまり、役に立たない穴だ。
「こんばんは、センパイ」
穴の先で、二十歳そこそこの優男がへらりと笑う。
「お前のような可愛げのない男に、先輩などと呼ばれる覚えはないのだが。勇者――いや、既に魔王と呼ぶべきか?」
ウィストと一度だけ刃を交えた勇者。記憶の姿より二年分大人びた青年が、もう一度へらりと笑った。
ガイスホールという世界は、魔法が使える代償に人体を害する瘴気が溜まる。蓄積すると大多数の人間は死に至ってしまうのだが……人々はその回避方法を見つけた。
異世界からの召喚である。
異世界人は死なないどころか、たった一人で長年にわたって瘴気を大量に吸収し、その上とっても長持ちするのだ。異世界人を召喚するのは脱臭剤代わりのようなもの。
但し、異世界人とて無症状とはいかない。徐々に身体に変異が発生する。ウィストの場合は身体が徐々に鱗を帯び、最終的には古竜の姿になった。
変異して瘴気の吸収効率の落ちた元勇者は、魔王と呼ばれる。
それを次に召喚した勇者に送還陣を発動させて、退去させる。
理由は契約の完成だ。
まず召喚と同時に、寄ってたかって魔王打倒(送還)を懇願し、契約させる。
『魔王を倒せば、姫と城が手に入る』。或いは『世界に安らぎと平和を』、さらには『元の世界に戻るために』等など――。
王や魔術師が依頼する時の大義名分は嘘ではない。全文を記載したなら、文頭に長い但し書きの付く代物だとしても。
『魔王を倒せば、姫と魔王の城が手に入る』魔王城は瘴気の一番集まる場所。空いた場所には次の生贄が収まる。各国から捧げられる美姫は監視役。勇者に変異が出たら、素早く各国に通達が行く。
『世界に安らぎと平和を』ガイスホール人にとっての安らぎと平和が維持される。
『元の世界に戻るために』……まあ、魔王が誕生すれば次の勇者が呼ばれる。遠い道のりだが、戻れると言えば、戻れる。次の勇者の居た場所と時代だが。本人の居た場所でも時代でもない辺りが、詐欺の手口である。
勇者と魔王のお約束のような対決は、脱臭剤の交換の儀式。これによって、契約は履行され、呪いが完成する。異世界人がどんな手を使っても、次の勇者の手でしか送還されない呪い。
全くもって、手前勝手で反吐の出る契約もあったものだ。
尤も。ウィストが通常より長いこと居座り続け、彼らは随分劣勢に陥っていた。その間に契約の完成しない勇者を、何人も反射で送還もした。循環にも支障が出ていた。
――思惑通りに使い捨てられて還るだけなんて、癪だったので。
魔族、などという瘴気に強い新人類が誕生したのがその証拠。千年ほど粘って、仕組みの崩壊まであとちょっとだった。ほんの数年。
今回の勇者も反射で還そうと考えていた。
――実綾を見つけるまでは。
「センパイの集めたガイスホールの魔術師達の文献を読んで、驚きました。これが真実だと、僕が保つ間は少なくとも数十年、次の替えは召喚されないでしょう? しかも、各国の魔術師なんかに任せてたら、還る西暦とか選べないし。だから考えたんです。どうしたらそっちに一番リスク背負わず帰れるのかな~って」
「城も地位も用意されたのだろう。最初に断らなかったのだから、数十年くらい付き合ってやったらどうだ? 還ってくれば、姿は元通りだ。気に入らないなら、私のように奴らを追い詰めてみてもいい」
「やだな。そんな怖いことしませんよ。一応王女をお嫁にもらっちゃったし。それに俺、そっちでは来年大学受験なんです。数十年もこっちの世界に付き合ってたら、覚えた内容忘れて留年確実じゃないですか。それは流石に困っちゃうんですよね」
「それで実綾を召喚するのか」
低いウィストの問いに、勇者は清々しい程の笑みをみせた。
「だって彼女が召喚された西暦なら本人に聞いてますから! ジルリンドの供述資料で裏も取りましたし。二年前ならギリ許容範囲です。本当はもっと直近が良かったけど、贅沢ってもんですよね。そこは妥協します」
勇者がずっと召喚しようとしていたのは実綾だ。ウィストではない。
使用済みのウィストでは無く、身代わりになる実綾を。
ウィストは毎回その召喚に干渉し、軌道を己の方へほんの少し近づけ、兆候があればすぐに駆け付け、実綾に纏わりつこうとする呪を散らしてきた。
ここ一年以上ずっと。
「実綾の傍には私がいる。あと何年続けても変わらん。――諦めて他の手を探せ」
「あはは。それって他の誰かを召喚しろってことですか? センパイって血も涙もないですよね」
「何年ガイスホールに留まったと思っている。そんなものが残っているはずがないだろう。……それより、急ぐ理由は受験とやらだけか?」
目を細め、口の端を引き上げ問えば、優男は初めて言葉に詰まった。
「すでに変異が始まったのか」
初期は二の腕などの肌の柔らかな部分に変化が出る。数十年かけてゆっくりと、人ではない何かに変わってゆく。
「……もう背中まで」
「ほう、早いな。私のときには三十年はかかったんだがなぁ」
おそらくウィストが居座り続けた弊害だろう。瘴気は千年分溜まっていた。
見下すようににんまりと目を細めれば、ぎりりと青年が臍を噛む。食えない男だが、まだまだ若い。
「――あの女が。薫崎実綾が召喚時の契約を拒まなければ! 俺は喚ばれずに済んだんだよ!」
勇者はウィストに向かって召喚の紋様を繰り出した。隙を突くタイミングを狙っていたのだろう。狭い穴から赤い渦のように迫る紋様。それを一瞬で古竜の姿に替わり薙ぎ払う。ついでにブレスで飛散をさせた。
どうやらブレスで時空に干渉してしまったようだ。結ばれた世界の輪郭がぼやけている。今夜はこれまで。
ぼやけた穴の先。ウィストは悔し気に顔を歪める優男に向かって、竜の姿のまま口を開いた。
「お前も私と同じく、ほんの千年ほど耐えてみたらどうだ。青臭い正義感で、この世界を救ってやるなんて、現地の人間共に言ってしまったんだろう? ならあっちが要らないというまで嫌がらせしながら付き合ってやれよ。安請け合いした俺たちも愚かだったんだ。そんな我々と違って、断る勇気を持ち合わせた実綾を巻き込むな」
勇者と城で邂逅した時。
ウィストは実綾を見つけてしまった。
奴らガイスホールの甘言に乗らず、契約を結んでいない異世界人。輪に組み込まれていない彼女が還れる確率は、恐ろしく低かった。その上瘴気は吸収してしまう。
だから――。
恐らくこの程度では、勇者は諦めないだろう。
まあ、実綾を身代わりにしようとした時点で、運は潰えているのだが。ウィストは絶対手を貸さない。
復讐も八つ当たりも、勝手にすればいい。しないというなら、ウィスト以前の文献に残る勇者のように、数十年を耐え、魔王として送還されればいい。
好きにすればいいんだ。
但し。
きちんと奴らの理不尽を跳ね除け、身一つで立て直しに奮闘する彼女に害をなすのは、絶対に許さない。
異界への道は、今度こそ完全に閉ざされた。
そこはさっきまでと変わらない露天風呂。けれど、佇むウィストはドラゴンで、鱗は赤黒い紋様塗れ。
夕食に現れないウィストを訝しんで、もうすぐ実綾が様子を見に来る気がする。
「これは……かなりへそを曲げられてしまいそうだな」
ウィストは嘆息した。吐いた息で露天の垣根の一部が吹き飛んだ。
念願叶って還って来たというのに。竜でも己を恐れない人と出会えたのに。
生きるのは難儀でままならないものだ。
おまけの人物紹介
・薫崎 実綾
不憫属性カンストの二十二歳。
アイスが大好きになったのは、異世界から戻ってから。二年くらいガイスホールを旅したせいで、体内が若干変異を始めてる。そのせいで常に冷たいものを欲している。アイスをいくら食べても絶対お腹を壊さない。
魔王様の背中を磨きすぎて、レベルは八十九くらい。今なら勇者と直接対決してもグーパンで倒せる。
「セクハラモラハラ社員が秒で飛ばされるので、派遣先の事務所がとってもホワイト。……この話題出すと魔王がにんまりするので若干不安」
・魔王
嫌がらせで千年くらい竜をしてた元人間。あまりに長く竜をやり過ぎて、人間と竜の姿が入れ替え方式になりました。そこそこの歳で召喚なんてされた結構可哀相な人。
粘った異世界で楽しいおもちゃ(実綾)を見つけたので、今はとっても大人しく生きている。借金背負わせるつもりはなかったのに家を出て行くとか言われて、思わず借用書を作っちゃったおちゃめな人。独占欲が上手く制御出来てない。
「そろそろあの氷菓メーカー買収するか……」
・ファリベル姫(ジルリンドの第六王女)
不憫属性カンストその二。
実は駆け落ちをした王弟の娘で、既に両親は病で亡くなっている。王は伯父にあたるが、体裁があるので王宮で引き取っていたに過ぎない。その為王城内の立場は紙。勇者の監視業務も真実を知らされてない哀れな羊。
器量と健気な前向きさで、勇者にロックオンされてしまっている。逃げられない。
「実綾さんは他人の気がしません。そう、彼女は我が魂のズッ友……」
・勇者
ウィストと実綾を送還した人。当時高校三年生。
魔王城に大量の勇者と魔王の裏話な文献が残されていて、震えあがった。当初は総てのガイスホール人への復讐を考えたが、ファリベル姫が可愛いので諦めた。しかし生贄ターゲットを実綾に定めたせいで、計画は上手くいっていない。早く諦めるといいのに。
「嫁はもちろん連れて帰るつもりですが何か?」
以上、お付き合いいただきありがとうございました。
我慢の続く毎日ですが、少しでもお暇つぶしになれたなら幸いです。