第八章 「死神の荷車」
蒼の支配する只中に生み出された、複数の白線の列なり――
船団は蒼空の中に白い航跡を重層的なまでに延ばしながら、その先で球形の布陣を成して航行を続けていた。
別名「戦闘密集隊形」と呼ばれる球型航行陣が有効なのは、現在ラジアネス飛行艦隊の主力たる空母機動部隊も、浮遊大陸間に張り巡らされた通商及び補給航路の命運を一手に担う護送船団もまた、何ら変わるところではなかった。むしろ自己を守る火力と構造、速力に劣る後者の方こそ、相互連携による防御力と生存力の倍加は切実な問題であった。
「船団護衛」という概念そのものは、大空洋戦争勃発以前から在るにはあった。
大空洋戦より遡ること30数年前、その惨禍を以って全世界の空を瞬く間に覆い尽くした「エルグリム戦争」において、ラジアネス側の敵手たるエルグリム軍は、小型飛行船や商船を改造した軽武装艦艇を商業航路や政府軍の補給空路襲撃に多用し、これに対抗する過程で、軍民の間で集中的に商船を運用し相互支援するノウハウもまた急速な発達を遂げていた。
具体的には、拿捕と物資徴発を意図して接舷を試みるエルグリムの私掠船に対抗するべく、各船は臨時徴用の武装要員や空兵隊員を多数船内に乗り込ませ、あるいは艦隊は商船に偽装した仮装砲艦を多数建造し船列に加えることで、商船団の護衛に当たらせると同時にエルグリム軍襲撃船団の捕捉を企図したのである。史実においてこれらの手法はその大凡において成功を見、戦後に正式な編纂を見た船団護衛作戦教範の、最も模範的な一例と看做されるまでに至ったが、見方を変えればこれらは、自軍に比して装備に劣る相手に対してのみ有効な手法であるとも言えた。
――言い換えれば、それらの手法はごく短日時のうちに時代遅れとなる運命を抱えていた。
事実、「エルグリム戦争」から30年の刻を隔てラジアネスの新たな敵手となったレムリア軍は、過去のエルグリム以上に強力な装備を持ち、そして洗練された組織力を持っていた。従って彼らの補給線に対するレムリア軍の攻撃はエルグリム以上に執拗で、徹底を極めた。レムリア軍はラジアネスの輸送船を掠奪するべき対象とは看做さず、殲滅するべき対象と看做したのである。そのアプローチは通商破壊とそれに伴う補給路の寸断、ひいては浮遊大陸間の孤立化という戦略的な観点から見れば甚だ正しかった。
こうした任務に数多く多用されたレムリア軍の高速雷撃艦艇「Tボート」は、普段は通称航路上の雲中や浮遊島の陰に潜んで船団を待ち伏せし、獲物を捉えるや軽快な機動性を生かし複数隻で、それも多方向から獲物たる船団に接近、輸送船の防御火力の範囲外から雷撃を行い、多数の船腹を空の藻屑へと変えていったのである。それらの突発的な襲撃に対応する有効な術を開戦当初のラジアネス軍は持たず、Tボートから商戦を守るべき駆逐艦、あるいは巡洋艦クラスの艦艇すらその雷撃の犠牲となった。
――だが、それらの犠牲を重ねた中にもラジアネス側は確実に得るべき教訓を得ていた。
新しい装備や兵器の開発というハードウェア面での改善というより、船団護衛作戦そのものからは無縁に見える、数学的思考の変換から、教訓の反映は始まった。
例えば八隻の船団と十六隻の船団、この二つとも航路の過程で三隻の損失を出したと仮定する。絶対数という点ではこれは同等の損失だが、比率では損耗率は前者は37.5パーセント、後者では18.75パーセントと大きな相違となる――単純ながら、多大な時間と経験の蓄積、そして犠牲を強いた結果に導き出された数字の上での事実。それこそがまさに、ラジアネスの用兵者たちに船団護衛作戦の苦境打開に一つの光明を与えた瞬間であった。その上に理論経済学や統計学、高等数学といった軍事とは直接に関連の無い分野からのアプローチが加えられ、事実は補強され、明確な法則となって周知されていった。
輸送船の損失は、それらの形成する輸送船団の規模に反比例する――その法則が画期的な軍事理論となり、実戦部隊の編成と戦術に反映されるまでに時を要しなかった。船団は大規模となり、それを護衛する艦船部隊の編成、装備も一層の充実を見つつあった。だがそれが机上の計算により導出された結論の通りの、目に見える効果を上げるまでには、まだまだ時間が必要であるのかもしれなかった。
K-408――便宜上ではそう名付けられた輸送船団の一群を成す一隻として、大型輸送船「アリサーシャ」号は船首を南西へと向けていた。
目指すレンヴィルまで、あと三昼夜の距離であった。リベット接合より成る巨大な鋼製の船体は、船腹から枝のように伸びる大小の推進機の奏でる鼓動に反響し、えもいわれぬ反響音をその巨体から奏で続けている。ひとたび出航し空に出れば、四六時中に渡り乗り組みの人々を苛み、あるいは慰める響き――それこそが飛行船の船員にとって、彼らの日常風景の、背景を織り成す一つとなっているのだった。そして同じような音を響かせるフネは、アリサーシャの周囲にはそれこそ十数隻単位で存在した。
「お……?」
アリサーシャ甲板長イルク-レイナスは、作業の合間を縫い一服しに出た上甲板から空を仰ぐや、雲間を縫い飛び出してきた複数の輝点に、軽い驚愕とともに目を細めるのだった。同時に球状の航行隊形の頂点にあたる位置を占める一隻の護衛駆逐艦、その艦影が陽光を遮り、護衛駆逐艦の直下に位置するアリサーシャ号の、巡り巡って上甲板に生じた陰にあっては、いっそう明瞭に輝点の瞬きを捉えることが出来た。
不意に生じた風……それは至福の時を味わっていたレイナスの燃える煙草の先端を急かす様に灼き、レイナス甲板長は二服ほどで煙草を虚空へと放り出す。甲板に視線を転じた先では、濛々と黒煙を上げる煙突の根元に据え付けられた四連装対空機関砲が、艦隊から派遣された射手とともに空を睨んでいる。そして煙突自体もまた、白黒の幾何学的な――レイナス本人の感慨を借りれば汚らしい――紋様にその全体を彩られていた。
視点を移し、遠方を併走する他の輸送船よりアリサーシャを眺めれば、彼女の城郭のような輪郭は背後の雲海にその大方を溶け込ませ、船体中央を占める黒色の文様は、明確な中型輸送船のシルエットであるかのように見えていることであろう。つまりは迷彩は、襲撃者からこちらの距離及び位置、そして船種の判定を著しく困難にする効果を期待されている。そして彼女の全容が一変したのは煙突だけではなかった。
航路に赴く前、就航して通産13回目のオーバーホールと併行し、アリサーシャは戦地仕様の迷彩塗装を施され、そして防御用の兵装がそこに加えられた。対空機関砲に空中爆雷投射機、幻惑用の発煙弾――フネの積載能力の許す限りの全体にわたりそれらの兵装を配置したアリサーシャは、その攻撃力だけを上げれば、優に護衛艦一個戦隊分に匹敵するかもしれない。フネの武装化は、アリサーシャが突貫作業の末に生を受けた「エルグリム戦争」の最中以来の、これは大きな転機であった。
雲を完全に脱した輝点の連なりは、上甲板に佇むレイナスと他の手空きの乗員たち、そして対空機関砲操作の兵士たちの眼前で陽光を受け輝く機影となり、その数分後には太い腹と広い主翼を持つ艦上攻撃機の雁行編隊となった。ミッドナイトブルーの機影に描かれた白い数字と記号が眩しく、それらはレムリア軍の進撃を押し止め、雌伏の時からの雄飛を図らんとするラジアネス艦隊の姿を象徴しているかのようにその場の少なからぬ数の人々には思われた。
『――哨戒部隊、本船上空を航過します!』
デッキに出た見張り員の報告が内線を通じスピーカーに聞こえる。アリサーシャ号船長クルス‐フォルツォーラは船橋空図台の傍に佇み、この日三杯目のコーヒーを喉に流し込みながらに聞いた。
未だ十分な量を残し、湯気を立ち上らせる金属製のマグカップを空図台の隅に置く。二メートル四方に及ぶ広さを持つ空図の上では、アリサーシャと彼女の加わっている船団は一直線にレンヴィルを目指す位置にあった。すでに島に展開する艦隊主力の哨戒圏、だがそれに心を動かされるような男では、彼はなかった。
「見張りを徹底させろ。怠りなく」
ただそれだけを、フォルツォーラは言った。少年を思わせる端正な顔立ちに宿る無表情には、何の曇りもない。
輸送船団K‐408は、大空洋戦争開戦以来、数多編成された輸送船団の中でも幸運な方だったかもしれない。一週間前の出航以来一度もレムリアの襲撃部隊と遭遇することなく、船団はひたすらにここまでの平穏な航行を貪ってきた。出航から目的地到着までの平均損耗率は二割、戦域によっては三割を超えるケースもざらであったこの時期としては、K-408の幸運ぶりはある意味異状という表現を用いることもできたかもしれない。
「いい航行日和だね。船長」
と、船橋に入ってきた男が背後から声をかけてきた。アリサーシャ搭乗防空中隊指揮官のシャノン空兵大尉。中背に位置する体躯は空兵指揮官らしい剛健さを漂わせてはいたが、大尉と呼ぶにはその頭髪は薄く、鬢や根元には所々白いものが宿り過ぎている。それもそのはず、十年前に中尉で予備役となり、以降開戦に伴う再召集までの期間を民間で過ごしてきたが故の、これは変貌の成せる業であった。
船橋の真ん中にまで進み出て仁王立ちすると、シャノン大尉は満足気に船橋の窓から広がる船舶の連なりに目を細め、そしてポケットから潰れかけた煙草の箱を取り出した。まるでこの船の主であるかのような彼の態度に、船橋の中には内心で反感を抱いた船員もいたかもしれない。事実部下を引き連れて乗り込んできてからの彼の振る舞いは、添乗員というよりこの船の主と言うに相応しく、アリサーシャ船員と空兵たちとの仲もまた、決して親密というわけではなかった。
「――あの大尉が再召集されるまで何をやっていたか、お前知ってるか?」
「――何をやってたんだい?」
「――複写機のセールスだとよ」
「――へえ……艦隊は俺たちのフネを守るのにセールスマンをお遣わしになったってわけかい?」
「――泣けるねえ」
船員たちは空兵のいない場所で語り合い、陰で予備役上がりの指揮官とその兵士たちを嘲弄したものだ。
横目で自分より一回りも若い船長を見遣りながら、シャノン大尉は言った。
「やるかい? 船長」
「……いいえ」
空図台に向き直ったまま、フォルツォーラはぽつりと言った。この空兵指揮官に対し隔意があったわけではない。ただ単に煙草を嗜まないが故の生返事だった。
「なあ船長、我々はこの広大な空において一蓮托生というわけだ」
「確かに、そうですな」
器用にディバイダーを動かして空図に線を引きながら、フォルツォーラは言った。この有能な青年は彼以外の誰に対しても冷淡で、そして無感動だった。たとえそれが発言の対象のプライドを、甚く傷付けることになっているとしても、彼はそうあり続けたことであろう。船長の態度に苛立ちを覚えつつ、大尉は続ける。思えばここ一週間、この若造には始終イライラさせられっぱなしだ……!
「なあクルス、私は思うんだが……」
「……?」
「船長として、フネの安全に深く関わっている我々のことももう少し尊重してくれていいのではないかな?」
「確かに……そうですな」
空図台に走らせるペンの動きを止めないまま、フォルツォーラは応じる。
「なんと言うか……乗船してからの君らの態度には、我々軍人に対する敬意というものが、さっぱり感じられないのだが?」
「それは致し方ないでしょう」
「……?」
「このフネは、私のフネです。そして開戦以来我々は、これまで自分で自分の身を守ってきたのですから。それに――」
「それに?」
「この船は我々の住処であると同時に命でもあります。食堂で勝手に飲み食いされたり、備品を盗んだり、指定外の場所で酒盛りをされたり、その結果汚物で居住区画を汚されたり、倉庫で喧嘩騒ぎを起こされては、乗員の士気にも影響するというものです。空兵隊が精強無比というのは結構、ですがあの連中を統率する指揮官には、もう少し注意力と統率力を求めたいものですな」
「……!」
青年の言葉は、明らかに予備役大尉の機先を制した。言葉を失ったシャノン大尉は金魚のように口をパクパクさせて反駁を試みるものの、結局は成すことが出来ずに歩調を荒げて船橋を後にする。一たび此処を出たら、このアリサーシャで今のところ、甲板を所在無げに散歩することしかこの大尉にはすることがないことを、フォルツォーラ船長は知っている。
「やりましたね。船長」
と、事の一部始終を見守っていた船橋要員が歩み寄ってきた。彼の顔を省みることなく、フォルツォーラは空図台に開いたコンパスを充てる。
「あと三日の辛抱だ、業務に専念しないか」
ただそれだけを若い船長は言った。
船橋のすぐ傍を二機編隊の哨戒機が旋回し、再び遠くへと離れていく――
『――輸送艦上空通過!』
通信士の報告を聞くのと、どっしりとした操縦桿を横に倒すのと、ほぼ同時――BTウイングは主翼を傾け、それが始まらないうちにカズマはフットバーを踏み込んだ。乗り慣れたジーファイターほどの俊敏さはないが、それでも重い攻撃機は操縦士の意のままに旋回し、加減速を繰り返してくれる。
すぐ前方にはバクルの駆る機影。それから一定の間隔を保ったまま直線飛行を続けられるまでに、カズマはBTウイングを手の内に入れていた。大型機特有のどっしりとした操縦系の感覚には未だ慣れないが、決して悪い感触をカズマは覚えてはいなかった。
エンジンにパワーがあるのは判る。性能的には凡庸、だが決して受け容れ難い凡庸さではない。むしろ余裕を持った設計に対する好感すら、操縦を続ける内に芽生えてくる。BTウイングの操縦桿を握りつつ、カズマは深く考えさせられてもいた――何でも性能一辺倒の日本の設計者や軍人に、こんな飛行機は作れないだろう――こいつは巨体の割りに、操縦り易い。
否、機体設計だけではなく装備や拡張性、機能性といった飛行とは関わりの無い分野を等閑にしてきたことに対する羞恥心すら、当事者としてカズマの胸中には芽生えてさえいた。見方を変えれば真の名機とは、飛行機そのものだけではなく、それを支えるあらゆる工業的、産業的基盤の存在と充実があってこそ生まれるのではないのか?
『――こいつはDM工場製の上物さ、とにかく、操縦って見ればわかるよ』
と、操縦席に腰を落ち着けたカズマに攻撃機隊の整備員が投げ掛けた言葉を、彼は思い出す。DMことデネラル‐モータースとはラジアネスでも有数の自動車製造メーカーであることを、短い異世界暮らしの間でもカズマはすでに知っていた。だが、自動車工場が飛行機、それも軍用機を作っている? 何気ない一言が、離陸前のカズマにはあまりにも不可解であり驚きでもある。
――だが、こうしてBTウイングを飛ばしている最中にも、カズマには判った。
カズマは驚愕し、思う――ラジアネスって、すごい国だ。
つまりは自動車工場がより高度な製造技術を必要とするはずの飛行機を、いとも容易く作れるほどにラジアネスの産業は高度に発達しているのだ。それを理解した瞬間、カズマが覚えたのは悲哀にも似た感慨だった。何故かと言うに、カズマはそういう国を実はもう一国知っているから――そう、あのアメリカもまた、実はそういう「すごい国」だった。
飛行機――それも機体設計以外に見るべきもののない飛行機――しか作れない日本は、「飛行機も作れる国」アメリカに無謀な戦いを挑み、かくの如くに追い詰められてしまったのだ!
そのとき――
――カズマの心痛を破ったのは、より上空で部下たちの飛行を見守っていた“バット”バットネン少佐の指示だった。
『――全機集合、高度5000』
先行するバクル機に続き、カズマは操縦桿を引く。エンジンコントロールはもとより、適正な上昇率を維持するためのエレベータートリム調整も忘れない。教本通りの操作をすれば、この巨大な攻撃機はパイロットの思う通りに飛んでくれる――そんな飛行機を作れるというだけでも、ラジアネスはやはりすごい。最大出力2000馬力の空冷エンジンが細かに振動を始めるのをスロットルレバーを握る掌で感じる。過給機を一段に切替える頃合いかと、少し迷うのは不慣れな証拠だと思えた。
『――カズマ、だいぶ慣れたようだな』
「バクルだって、様になってるよ」
『――いっそのこと、少佐の誘いに乗って転属願いでも書くか?』
「あいにくおれは、独りで飛ぶのが好きなもので」
無線越しの哄笑――
バクル機のネイビーブルーに染まった上面から一転、青灰色に塗装された機体下面を伺える位置だった。二機は蒼空で縦列を為し、いち早く集結を果たした僚機の銀翼の連なりを目指す――
『……?』
――戦地で培われた本能の赴くまま自然と巡らせた瞳が、遠方に聳える層雲の一点に不審な揺らぎを捉えたのは、まさにそのときだった。
「バクル、三時方向上――」
『――……?』
その間も光の揺らぎは蠢きを続け、そしてカズマの眼前で白線を曳く明確な機影となる。
「……!?」
曳かれる白線は、直線から無軌道な曲線へと変わった。
そして曲線が自身の属する船団の全周を取り囲むように作られた真円であることにカズマは気付き、そして戦慄する。
「バクル、囲まれた!」
蒼空に拡がった死の環、それは襲撃者の影であった。
液冷発動機と過給機の奏でる三重の鉄と火の喊声――それは猛々しく、そして芯を震わせる響きをその機体を駆る空戦士に与える。
「――ガバト! グルジ!」
『オウ!!』
一匹の荒々しい呼び掛けと、それに対する二匹同時の応答――
それこそが、三匹の飢えた狼が向かう空に煉獄を現出させる合図――
黒――機体はゼーベ-ギガの面影を残してはいたが、主翼はそれよりずっと幅が広く、そして細い。
獲物に襲い掛かる狼の鼻面のごとく前方に延びた機首は、最高出力2200馬力、水噴射装置使用時2700馬力に達する高出力液冷エンジンをその胎内に孕んでいる。細まった機首には不似合いなほど巨大なスピナーは、その周囲より五翅のプロペラブレードを延ばし、それらの組み合わせは胴体下に配された排気タービン過給機と併せ鉄の餓狼に悪鬼のごとき俊足を与えているのだった――水噴射装置と排気タービン過給機という二重の加速装置を積んだ結果として、獰猛な加速と上昇力を得た機体は重く、その整備性は劣悪なものとなった。系統だった量産など、望むべくもない。
元来はゼーベ‐ガルネの対抗馬として提案され、開発されたゼーベ‐ギガの進化形、その夢が費えた後も機体は新鋭の戦闘攻撃機として独自の改良を重ね、そして試作機は当然の様に三人――黒狼三人衆――の乗機となった。
――その機体の名を、ゼーベ‐イグルという。
ゼーベ‐イグルの姿を借りた三匹の狼は、その背後に八匹の群れを従えていた。
いずれも巡洋艦レーゲ‐セラを発艦した機体――
ラジアネスの補給空路寸断こそが、彼らがこの空に躍り出た存在理由――
ことレムリア軍戦闘機軍団に関し、敵性輸送船団に対する襲撃の手順は、開戦前より研鑽され、確立されていた。その船団襲撃戦術の、最も巧妙で苛烈な実践者が彼ら黒狼三人衆と言ってもいい。
彼らのやり方はこうだ――襲撃部隊は仕留めるべき獲物の直上に占位し、そこで旋回を繰り返しつつ眼下の獲物を追尾し攻撃、離脱を繰り返す。俗に「死神の荷車」と呼ばれ、その死角の無さと攻撃の徹底振りから、敵手たるラジアネス軍はおろか味方であるはずのレムリア軍にすら畏怖をもたらした彼らの戦術――そこにゼーベ-イグルの破格な上昇力と加速力、そして圧倒的な火力が加わった時、「死神の荷車」は彼ら黒狼三人衆にとって必勝不敗の陣形となった。
悍馬に鞭を振う様に開かれたスロットル――
即座に操縦席と肉体に襲い掛かる加速――
驚くべき反応――三人は創めはそれに酔い、そして今やそれを以て彼らの敵を戮することに酔っていた。
「……!」
三匹は旋回を繰り返し、一斉に急降下に転じながらに獲物を見出す――船団の外周を行く護衛駆逐艦が、彼らの最初の獲物となった。
脅威の接近に気付いた護衛艦が、その持てる火力を全開にし、瞬間的に三機の襲撃者へと投射する。
突進――三機は撃ち出される弾幕を不敵なまでに掻い潜り、そして彼らの武器を放つに相応しい距離に達した――
閃光――バットネンをはじめ、哨戒部隊の多くが敵襲を認識したのは、攻撃を受けた護衛駆逐艦「ラキソン」を包んだ断末魔のそれであった。
搭載レーダーの捜索範囲の圏外を突いた浸透――その先の襲撃を皆が認識した時には、全ては終わっていた。元が旧型護衛艦、大量生産に適した簡易な構造も祟り、艦体中央を直撃した成形炸薬弾の一閃はいとも容易く甲板を貫通、直下の機関部を瞬間的に紅蓮の炎に包んだのである。直後に生じた炎の烈風は延焼に姿を変えてフラゴノウム反応炉制御に必要な主電源供給を寸断し、そこに艦の中枢神経とでも言うべきスタビライザーの機能停止も加わり、推進力と浮力をほぼ同時に失った「ラキソン」は自転しつつ艦首から急速に傾斜し、そして雲の下で爆発し四散した。
「へへへへ……挨拶代わりってやつだぜ」
上昇から反転に転じた愛機の操縦席で、グルジ‐ノラドは舌なめずりした。その精悍な容姿に似合わぬほど補強の徹底したゼーベ‐イグルは、急機動に入っても軋みすら立てていない。操縦者たる彼の肉体もまた、常人なら到底耐えられないであろう重力の桎梏を平然と受け流す。全身を包む空戦士軍装の輪郭からもそうと判る、筋肉の塊であった。
『敵襲!』
『特装機! 特装機だ! 三機もいるぞ!』
船団中央を航行する商船改造の護衛空母から、待機していたジーファイターが慌しく発艦する。だが搭載機の数は少ない上に急速発進に不可欠な艦上機用のカタパルトは、ラジアネス側では未だ開発されていない。狭い飛行甲板上で慌しく主翼の展張を終えエンジン始動と同時に加速を始める艦載機、だがそれを見逃すには彼らの敵手はあまりに狡猾に過ぎ、そして冷酷だった。
護衛空母「ドローク」艦橋に陣取る見張り員の絶叫――『敵機直上!……一機!』
「馬鹿が!」
背面から急降下に転じたゼーベ‐イグルのコックピットで、ガバト‐ニーブルは揃いの悪い、尖り気味の歯を覗かせつつ舌なめずりした。対艦攻撃モードに切り替えた照準機の光の環に収まった敵空母の飛行甲板。あとはスロットルに付属するダイヤルを捻り、距離を詰めるごとに敵影がはみ出さないようそれを広げてやればいい――それだけで新型のゲルヴ‐118射撃照準機はコンパスや各種計器からもたらされる自機の姿勢、加速、高度も併せ適正な射撃タイミングと照準点を自動的に導出してくれる。
そして――
ゼーベ‐イグルの主翼に生じた一閃の光は、直後に撃ち出された光弾と、それに曳かれる一直線の噴煙となり、着弾への途上で炸裂するやより細かい光弾の雨となって飛行甲板へと降り注ぐ――
『――!?』
散弾であった。母艦直上より襲い掛かった徹甲弾の雨!――小型の、それも商船改造空母の脆弱な飛行甲板がそれに抗えようはずもなかった。弾幕に全体を貫かれた艦戦は甲板上で横転しそこで爆発する。狭い甲板に生じた火炎はたちまち船体各所に広がり、護衛空母「ドローク」は一瞬にしてその全機能を喪失した。
「ヒヒヒヒヒ!……パーティーは始まったばかりだぜぇ、地上人ども」
細長い翼端から水蒸気を曳きながら上昇するガバトの口元には、獲物を貪り尽くした狼を思わせる満面の笑みが見えた――だがそこには圧倒的なまでの鬼気が宿っていた。
「ヴォルフ‐リーダーより全機へ、攻撃、攻撃開始せよ!」
相棒たる二人の襲撃が功を上げた瞬間、黒狼三人衆のリーダーたるベーア‐ガラは直属の部隊に襲撃命令を下した。命令を下すまでもなかった。二人の襲撃に触発され、あるいは獲物の飛び散った鮮血に闘争本能を掻き立てられた狼のように列機は一斉に主翼を翻し、崩れかけた球形陣へと突進していく。その全機が本来対艦攻撃に用いられるはずのない戦闘機ゼーベ‐ラナであったが、その各機の翼下には魁偉な円筒が吊下されている。彼らの根城たる巡洋艦「レーゲ‐セラ」によって本国から前線タナトへと持ち込まれた「破城槌」――大型対艦ロケット弾だ。
「破城槌」自体はゼーベ‐ラナ及びゼーベ‐ギガ、レムリア軍戦闘機隊の主力を成すそれら両方とも短時間の小改造で搭載でき、使用する弾頭は対装甲用成型炸薬弾と対空銃座を封じるための炸裂焼夷弾、そして空対空専用の榴散弾の三種類あり、任務と編成に応じて装備することとなっている。
だが非装甲の中型輸送船程度ならその何れも一発で致命傷を負わせられるほどの破壊力を持ち、弾体を収容する円筒は射撃後には投棄し、使用直後の戦闘任務及び離脱を容易に可能とするようになっていた。これまで防空及び制空のみを課せられてきた戦闘機の任務の幅を広げる画期的な装備の出現は、「地上人」の必死の防戦を前に進撃を阻まれたリューディーランド戦の衝撃の癒えぬ現地部隊には少なからぬ関心と期待とを以って受け入れられたことは確かである。
……だが、実証は今まさに始まったばかりだった。
――それは、死と破壊とを生産することによってのみ得られる実証。
共に一発ずつを放ったものの、ガバトとグルジの二人はなおも一発の「破城槌」を残していた。その一発を放つ先は――
「……!?」
来る!――護衛艦を葬った怪異な機影が、銀翼を翻しこちらに向かってくるのを察した瞬間、カズマの脚は反射的にBTウイングのフットバーを蹴った。味方編隊は完全に浮き足立ち、巣を突付かれた蜂のごとくに四方八方の空を駆け抜けている。そこを襲い掛かってきたゼーベ‐ラナ隊に襲われ、数機が忽ちに撃墜されていく。
「――全機へ! 全機空域から退避せよ!」
自らも背後に喰い付く二機のゼーベ-ラナから逃れようと旋回と滑りを繰り返しながら、バットネンは命令した。だがそれもこの乱戦下では遅きに失した感があった。操縦に専念しようと前方へ目を凝らしかける彼の鼻先を、白煙を曳いて飛び越え行く数条もの弾幕、それは追尾されるうちに次第に四方から中心へと収束し、それにバットネンは敵機の急追を察する。
「潮時か……」声にならぬ言葉――自ら発したそれは歴戦の指揮官に、彼の長い経歴の終焉をゆっくりと、だが明白なまでに意識させていく。
「緊急投下!」
躊躇うことなく、そして鮮やかな手付きでカズマは胴体爆弾倉を開き、そして抱えていた空雷を投棄した。
ぐんと身軽になり、そこに緩降下も加わったことにより、BTウイングの巨体は見る見るうちに加速を始める。カズマが決断したのは恐怖ゆえではなかった。低速鈍重な攻撃機で、優速な戦闘機に立ち向かうことなど暴挙に等しい。実戦を知る者としてカズマはそのことを弁えていたし、そして自らがこの機を操りさえすれば見事に追跡者から逃げおおせる自信もまた持っていた。
「兵曹!」
機首を翻しがてらに、カズマは後席機銃手を呼んだ。
「敵の動きを逐一報告しろ!」
『――どう報告するんでありますか? 機長!』
「右から来るか左から来るか! ただそれだけ教えてくれればいい!」
『了解!』
「逃がすかよ!」
カズマが直感したとおり、やはりグルジは狙っていた。狼の襲来を前に無様なまでの混乱振りを呈する地上人の羊の群、その中でやけに挙動のいい一機の姿が、期せずしてこの粗野な男の気を惹いた――というより勘に触った。
剥き出しの闘争本能の赴くまま、さらに開かれたスロットル。
伝達された乗り手の意思は液冷エンジンに暴力的なまでの高出力を与え、そして蛮刀のように太いプロペラの回転も一層に凄みを増す。
鉄の狼の周囲で生じる気流の乱れ。
翼端より生じるベイパーが、獲物に突き立てる爪の鋭さを思わせる。
そして――
「ヘヘヘヘ!」
照準機を睨む鋭い眼光の下の、口元に宿る刃のような笑み。
操縦桿の引き鉄に、指が充たる。
確信する勝利――撃墜せないはずがない!
もはや、獲物の機番号すらはっきりと見える距離――
絶妙な占位の末、照準機に収まった敵機は、右半身を見せていた――
――『右!』
左に倒した操縦桿――
右に踏み込んだフットバー ――
銃手の声を受けてのカズマの反応は、常人の枠を超えて早かった。
それでも、回避のタイミングが遅れた――という直感が、カズマにはあった。
カズマの反応の拙さ故ではない。
カズマの駆る機体が、急激な機動を行うにあまりに不向きであるが故の、それは苦々しい直感だった。
『しまった!』
直感の直後――
敵機から撃ち出された光弾はBTウイングの至近で榴散弾の雨と化し、完全な回避を成したはずのBTウイングの巨体に襲い掛かった。
「……!?」
烈しい衝撃!――同時に生じた目に見えぬ物凄い力が、カズマから操縦桿を奪い取り右へと機体を傾斜させようとするのを察した瞬間、カズマは歯を食いしばり、両腕に力を篭めて操縦桿のとられを押し止める。
腕の筋に激痛が走る。骨が軋む――冷や汗
「……!」
絶句――同時に視線を転じた右翼は、破壊と荒廃渦巻く狭い庭と化していた。
後背を振り向きざまに、カズマは声を荒げた。
「機長より乗員へ、全員無事か!?」
『――こちら通信士、被害なし』
『――こちら銃手、大丈夫です!』
「……」
芽を覗かせかけた安堵を打ち消すかのように、あるいは憤然としてカズマはさらに後背を睨む、その眼光の先で、カズマを狙った敵機はなおも幅の広い銀翼を翻し、その獰猛な鼻先をカズマのBTウイングに向けていた。
「しつこい!」
「あの地上人野郎、しぶどい野郎だぜ!」
ほぼ同時に出た悪態、だが追われるカズマの機体からはすでに反撃と逃避のためのオプションは失われ、追うグルジはなおも彼にとっての「狩り」を完遂するためのオプションを残していた。機首と主翼を繋ぐ根元と、主翼中央に配された計四門の機関砲は、「地上人」の鈍重な攻撃機を葬るのに十分な威力を持っている。それを使わない手を、グルジの闘争本能は放棄してはいなかった。
先刻の榴散弾が、眼前の獲物の動きを封じたことを、彼はすでに悟っていた。
そこに加え、距離を詰めた今では、ろくに照準を付けないままでも弾丸を当てられそうな気がする。
その打算の赴くまま、グルジは撃った。
「……!?」
――消えた?
――否、違う。
前方を飛んでいた敵機は、いきなりに右方向へ自転し、直後に両翼から白煙を曳きながらそのまま急速に高度を下げていった――一瞬の遅れの後にそれを察したグルジが、慌てて下方へ目を凝らしたとき、彼の眼前すぐ下には、絨毯のような雲が分厚い拡がりを横たえていた。
だが……グルジは笑った。
馬鹿なやつ……自滅しやがった。
急激、かつ不自然な敵機の挙動が、敵が逃げを打ったのではなく、被弾し操縦系に損傷を来たした上に操縦を誤った結果として引き起こされたものと彼は見なした。そしてグルジは雲海に飲み込まれた敵機が、自転から回復することあたわないまま降下し下界へと叩きつけられるものと考え、追撃を止めた――地上人の空戦士は下手くそだ。ああも挙動が乱れては回復など覚束ないだろう。
「こちらヴォルフ2、一機撃墜!」
間髪入れず、戦況全体に注意を配るべく空域の最上層にいたベーア隊長の声――
『――グルジ、よくやった! さっさと上昇してガバトを手伝ってやれ』
「了解!」
言われるまでもない、と言いたげにゼーベ-イグルの機影は上昇に転じ、その翼は新たな獲物を探すべく空を昇りだす――
――カズマの賭けは、成功した。
完全に雲中に飛び込むのと同時に、カズマは両翼の機銃を撃つのを止めた。見る方向によっては機銃の発射は、両翼から噴出した燃料の気化にも似ていた――結果的にグルジは、カズマに騙された。カズマは故意に機体を危険な錐揉みに入れ、そして墜落を装った。
「……」
三半規管を苛む錐揉みの桎梏にカズマは耐え、そして姿勢を回復するべく当然の操作を取らせる――考えようによってはカズマの賭けはなおも続いていた。烈しく被弾し、操縦系すら断絶した現在では、その程度の操作で重い機体が容易に姿勢を回復するかについては疑問ではあった。
だが――それでもカズマは石のように動かない操縦桿とフットバーに力を篭め続けた。
頼む!……戻ってくれ!
両目を瞑り、カズマは必死で耐え続けた。
とっくに振り切れた速度計の針――
逆時計回りに数値を刻み続ける高度計――
油温計の針が、限界値を指して止まっているのを見る――
異常な加速の末に過回転に陥ったエンジンは、すでにレッドゾーンに達している――
それでも――
少しずつ弱まる錐揉みの勢い――それが完全に止むまで、カズマは決して操縦桿から手を離してはならないのだった。
それでも――募る疲弊と消耗。
「……!」
同時に薄れ行く意識が、カズマを愕然とさせる――ちきしょう、こんな時に!
薄れ行く意識――
全身から吸い込まれるように消え行く力――
もう駄目か――カズマは思った。
チキショウ!――
おれ、このまま死ぬのか?
死ぬしかないのか?
『――弦城! 機首を上げろ!』
星野分隊士?
『――カズマ! 機首を上げろ!』
バクル!?
無線越しに投げ掛けられた声が意識の奥底まで届いたのと、機体が完全に水平に戻ったのと同時――
「……!」
横には、同じく降下を続けるBTウイング――日光の反射で操縦席の主は見えなかったが、バクルだとカズマは直感する。
それがカズマの意識に力を与え、そしてカズマは眼前に広がる青い海原のぎらつきに愕然とする。
こんな処で、死ねるか!――喝破の赴くまま、カズマは両足を上げ計器盤を踏み締めた。
満身の力を篭めて曳く操縦桿――
次第に上がり行く機首と、圧し掛かり来る重力――
直後、右に傾きかける機体を、脚を再びフットバーに戻して支える――BTウイングは、水平を取り戻す。
上昇――
戦域は、すでに後方――機内通信に再度、カズマは呼び掛ける。
「機長より乗員へ……状況報せ」
『――こちら通信士……大丈夫です』
『――銃手、異常なし』
嘆息とともにカズマは横を見遣る。そのすぐ傍では、風防を開け放ったBTウイングの操縦席からバクルが蒼白な顔を覗かせていた。カズマはそれに硬い笑みを向けて応じる。つられたようにバクルが微笑うのを見て、カズマは安堵を覚えた。唯静寂のみが周囲の空を、頬を打つ気流とともに覆っていた。
続けて視線を転じた計器類――
先ほど足を懸けた結果として、ところどころのガラスに皹を入れていたが、連なりをなす環の中で刻まれる針の動きは、幸いエンジンに損傷がないことを知らせていた。このまま飛べばレンヴィルへ戻るのに十分な高度が取れそうだ。
BTウイングはゆっくりと上昇を続け、程なくしてその前方に一点の影を認める――
輸送船――そう察した直後――
弾幕――!?
来る!――驚愕と同時に、反射的に滑らせた機体。
中る!――同じく、反射的に伏せる頭。
風防ガラスが弾け飛び、風が鞭の様に全身に当たる。
何処から撃たれたのかを、カズマは量り兼ねた。
直後に眼前に飛び込んできた光弾の連なりは、そのままBTウイングを包み、新たな衝撃へと誘った――




