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第九章 「生還」



「友軍――!?」

 眼前を横切ったそれを目にすれば、喉まで出掛かった言葉は期せずして失われる――


 黒い機影は、それを双眼鏡の丸い視界に収めた直後に、撃ち上げられた光の粒に包まれ、被弾し損傷著しい機影の何処かから、黒い何かが弾け飛ぶのを若い船長は見た。甲板員の報告から彼は政府軍機の接近を知った。その直後に同士討ちは生起した。

 しかもそれが、自らの預かるフネより生じた不注意な対空砲火が引き起こしたことを悟った瞬間、自らの全身から一斉に血の気が引く音を「アリサーシャ」号船長 クルス‐フォルツォーラは聞いたように思った。


「何をやってるんだ!? 空兵隊(スカイヤーズ)は!」

 次には怒気が背筋を脳天まで駆け上り、逆上せ上った感情の赴くままに船長は声を荒げる。彼の他、船橋に詰めていた乗員の絶句を経てもなお射撃は続く――自分のフネで発生している醜態を前に、普段の冷静さをかなぐり捨て、フォルツォーラ船長は部下を顧みた。

「あれは味方だ。同士討ちを早く止めさせろ!」

 部下を外の銃座へ向かわせるのと同時に、彼自身もまた船内電話を取る。繋いだ先、船内に臨時に設営された防空指揮所にいたシャノン空兵大尉を、フォルツォーラは立場も年齢差も忘れて罵った。


「この土瓶頭(ジャーヘッド)! あれは味方機だ。今すぐに攻撃を止めさせろ!」

『――バカな! こちらの見張り員の報告では敵機だと言ってるぞ!』

「何ならあなたの腐りかけた魚のような目で直に確かめてみてはどうか!?」

『――君の暴言はレンヴィルに付いたら余すところ無く司令部に報告するからな! そのつもりでいろ!』

 

 直後、何者かが至近を通過する衝撃に、決して頑丈とはいえない船橋は烈しく震えた。

『――船橋より報告! 友軍機一機接近中! 烈しく損傷している模様!』

 その報告を、フォルツォーラはもはや聞いてはいなかった。


 何故かと言うに―― 

「――!?」

 機影各所から一直線に棚引く白煙が、船長には巨鯨が噴出す鮮血のように思われた。

 孔を穿たれ、傷付いた機体を傾けつつもなおも飛び続ける機影に、若い彼はしばし目を奪われる。

 そして船長の凍りついた眼差しは、風防の完全に吹き飛んだ操縦席で、必死に機を操るパイロットの容貌を捉える――


 少年?――

 操縦者の素性を察すると同時に、沸き起こる混乱――

 あんな年端も行かない少年が、軍用機を操っている?――

『――友軍機側面通過!』

「……!」

 我を取り戻したときには、すでに攻撃機の機影は消えていた。

 墜落したのか!――という驚愕が、フォルツォーラを船橋より外に駆け出させた。扉を開け放つや咄嗟に襲い掛かってくる風圧に全身を晒す。当たりの強い風に長髪を逆立ててつつ、フォルツォーラは周囲へ目を配る――


「消えた?」

 軽からぬ失望――彼は、墜落したのか?

 すでに敵は去った――

 船団は巡り来る金色の黄昏の中で、その勢力の二割を失おうとしていた。



 一方――

 襲撃者の眼を眩ませる下層雲の漂う空域、位置にして船団の外縁にいたことが、アリサーシャ号を結果的に敵襲から救う形となった。

 誰もいなくなった船橋――

『――船長、聞いているのか? 何とか言わないか!』

 放り出され、ぶらぶらと揺れる船内通信の送受話器が、今更ながらに自覚した過失を取繕おうとする指揮官の怒声をただ空しく響かせ続けていた。





 衝撃――その後に断続的な、そして恐怖を掻き立てる種類の振動が続くのをカズマが察するのに、一瞬すら要しなかった。

 発端は「味方撃ち」の直後だった。自分の駆るBTウイングに撃ち掛けられた弾幕の一発がBTウイングの重要な何処かを破壊し、結果として機体は烈しい振動に襲われ続けている。振動は満身の力を篭めて握る操縦桿までに達し、それはカズマの精神の地平に、終わりの見えない暗雲の拡がりを思わせる。



 何故?――考えるのと同時に思い当たる。


 トリムタブが……吹き飛んだ?――何時かのラバウルでの経験からそれを察した瞬間、無形の豪腕が心臓に手を掛けたかのようにカズマには思われた。補助翼、昇降舵、方向舵――飛行機の要たるそれら三舵の動きに安定を与えるはずのバラストたるトリムタブ、その効力が喪われたとき、適度なバランスを失った舵は振動を発し、それは機体全体の振動と操縦の困難を引き起こす。振動は機体から耐久力を削ぐように奪い、ひいては機体の分解へと直結する。

 破滅が訪れるのはそう遠くない未来であるはずだった。破局の予兆はそれだけではなく、機外、弾幕に穴を穿たれた右主翼から、燃料もまた白い線となって漏れ出していることにも気付いた直後、カズマは反射的に計器盤のコックに手を伸ばし右主翼内燃料タンクの燃料供給を止めた。


「……」

 機体を棄てるか――咄嗟に頭を擡げた選択肢に抵抗を覚えながらも、カズマは再び計器盤の一角へと視線を移した。その先の緊急信号発振装置、遭難時にスイッチを入れることで、不時着水地点を救難部隊に報せ続けるそれは、下方の海原に放り出されたカズマたち三名を、そこから救い上げる何よりの道標となる筈であった。



 決心とともに機体に対する未練をかなぐり捨て、カズマはインカムに告げた。

「機長より乗員へ、脱出準備」

『――……』

「通信士? 応答しろ!」

『――こちら通信士、銃手は負傷。意識を失っている模様!』

「……!」

 通信士の悲痛な声は明らかにカズマの機先を制する形となった。意識を失った同乗者、彼を置いて機を棄てるなど、できようはずもなかった。腿に挟んだ航法図にカズマは目を凝らすようにした。航法図の線は、BTウイングがあと一時間でレンヴィルへ差し掛かることを示していた。計算尺を回して帰投針路を計算する間にも、機体の崩壊は容赦なく迫るだろう――そう考えた時、カズマは機の針路を自身の勘に委ねることをあっさりと決めた。


 頼む……持ってくれ!――再び意を決し、カズマは前へ向き直る。





 マウリマウリ島――

 休暇を過ごしていた将兵が、彼らのごく至近で只ならぬ騒がしさが生じていることに気付くのに、混乱の始まりから優に30分ほどの時間が必要だった。

 直接の切欠はサイレンだった。泊地内でマウリマウリから南に位置するファッショル島から遠雷のように響き渡る非常事態を告げるサイレンに、耳を疑った非番の将兵、それも航空兵科の将兵は決して少なくなかった。


「何だ? 何があった?」

「事故じゃないか?」

「敵襲かも…」

「ばか、縁起でもないこと言うなよ」


 困惑と逡巡の末、結果として彼らの多くが束の間の休養を切り上げ、彼らの責務に準じようと連絡艇の待つ桟橋に殺到することとなった。戦闘に対する義務感というよりも、真実に対する興味が、彼らを突き動かすこととなったのだ。




「おいっ、勝ち逃げかよ!」

「あーそんなの後々! こちとら仕事優先だから」

 マリノ‐カート‐マディステールもその中にいた。混乱が士官クラブに波及する前に禁制のカード賭博を切り上げ、同僚の非難と、もしそのまま島に留まっていればさらに得られたであろう100スカイドルに対する未練を引き摺ったまま彼女が桟橋に達したときには、事の真相はすでに風聞の形で将兵たちの共有するところとなっていた――



「――船団護衛の哨戒隊が、レムリアンの編隊とかち合ったらしい」

 艦隊司令部のあるタイド島の、中央指揮所からもたらされた急報に接し、バートランドが最初に思い浮かべたのは、編隊の指揮を取っていた二十年来の親友の顔であった。

「まさか……あいつが……?」

 バートランド自身は編隊の指揮を誰が取っているのかは知らない。だがその段になってセシル‐E‐“バット”バットネンという名の友人のことを思い浮かべたのは、人智では量れぬ勘の為せる業であった。

そして彼の直感は、血相を欠いて現れた部下、ジャック‐“ラムジー”キニーの口を借りて的中した――



「――大事ですよ少佐、昼前に出た第177攻撃飛行隊(VA‐177)の船団警戒グループが、レムリアンの編隊とかち合ったそうです」

 部下の口から事態の急変を知らされたときも、リン‐レベック‐“サイファ”ランバーンはファッショル島第一飛行場に隣接するのにあって、平然と午後の飛行計画(フライトプラン)作成を続けていた。訓練空域を記した空図から目を離さずに、沈黙を以って報告に耳を傾ける上官に、部下が不安にも似た感情を抱き始めたとき、リン‐レベックは初めてその形のいい口を開いた。


「船団は?」

「え……?」

「だから、船団はどうなったの?」

「船団は…輸送船五隻撃沈、二隻大破。他にも護衛空母一隻が炎上中とのことです」

「そう…」


 嘆息――余りにも素っ気無い上官の反応に、部下が拍子抜けし掛けたそのとき、俄かにの外が騒がしさをました。


「――護衛機が帰って来たぞ!」

 上空を航過する落雷の如き爆音は一つではなく、その内幾つかは今にも墜落するかのような乱調を宿していた。そのとき初めてリン‐レベックは立ち上がり、部屋に据え付けられた無線機のスイッチを捻った――

『――こちらBBB‐102。銃手負傷、緊急着陸の許可を請う――』

 子供?

 通信機から飛び込んできた言葉に、リン-レベックは耳を疑った――





『――管制塔よりBBB(スリービー)‐102へ、着陸は危険だ。許可できない。脱出せよ』

 飛行時計の数値は、カズマたちが最初の危機を乗り越えて一時間と十数分を超えたことを示していた。それでも基地との無線交信から、救いへの望みが、今まさに絶たれようとしていることを、カズマは降り立つべき島を右下に見ながらに悟った。

「……」

 ゆっくりと、だが自分の顔から完全に血の気が引いているのを自覚したまま、カズマは背後を振り返った。一時間来沈黙を保ったままの通信士席が、背部防弾板を貫いた銃痕越しの視線の、さらに先にあった。蹲ったままの通信士の容体は判らない。機体の構造上カズマの席からは、それ以上の詳細を窺い知ることは出来ず、それが彼に焦燥を強いる。機体と自分自身の行く末以上に、沈黙した通信士のことがカズマには気掛かりだった。


「……?」

 スロットルレバーを震わす振動となって襲い来る、新たな危機の存在を悟ったのは、まさにそのときだった。唐突に乱調に転じるプロペラを目の当たりにした直後、反射的に目を転じた燃料計は、すでにその底を指していた。手動注入ポンプを使い何とか持たせようとするものの、それにも終わりがあることを、やはりカズマは悟っていた。

「機長……?」

 銃手の若い声には、すでに怯えが入っている。それを無視するかのように、カズマは無線機に厳かに告げた。

「これより着陸する!」


 目指す飛行場は、すでに目と鼻の先――

 速度計の指針は、すでに失速速度ギリギリの数値を指していた。速度が落ちるのが早すぎる。カズマはフラップを下ろさないことに決めた。これ以上速度は落とせない。

 滑走路の先端が更に迫り、滑走路上を行きかう連絡艇や救急車両の姿が目に入った。失速を恐れ、敢えて主脚展開装置を作動させなかった。作動させようとしても脚は下りなかったかもしれない。つまりは胴体着陸をカズマは択んだ。


『――BBB-102。何をしている。着陸は認められない。直ちに飛行コースを外れて上昇せよ。管制官の指示に従え!』

「あー五月蠅(うるさ)い!」

 憤然と、カズマは無線機のコードを引き抜いた。先に飛行場上空に進入し、着陸コースに入りかけた比較的健全な僚機が、急接近して来るカズマ機に気付き慌てて速度を上げてコースを空けた。もはや後戻りは出来なかった。


 すでに、飛行場の矩形を真下に見下ろす位置――

 そこで、エンジンが止まった。カズマの心臓もまた停まりかけた

「全員、衝撃対応体勢を取れ!」

 カズマは見た――急激にせり上がり来る地上の建造物、戦闘機の列線――そして滑走路。

「……!?」

 その直後に前方から烈しい衝撃が襲い、反動で前に仰け反ったカズマの躯を、バンドが無情なまでの力で締め付けた。激痛とともに、肩の骨が軋む音がしたように思った。息が詰まるかのような、その上に巨大な掌で肋骨を握りつぶされるかのような、凄まじい反動と衝撃――!



 機首が潰れた!――とカズマは思った。着陸角度が深すぎた!

 地面を擦る太い胴体の放つ、不気味なまでの響き――エンジンが止まってもなお惰性で回っていたプロペラが地面を打ち、舞い上がる土煙が機体を烈しく汚した。同じように烈しく震え、音を立てながらにBTウイングは滑走路を滑り続け、やがて底を大きく外れたところで完全に止まった――





「――!?」

 絶句――不時着の一部始終を目の当たりにしたとき、リン-レベックの胸中をただそれのみが駆け抜けていた。

 傍目からも判る烈しい振動――トリムタブが飛んでいることぐらい、そのBTウイングが着陸態勢に入るずっと前の段階で彼女は悟っていた。

 それだけでも、通常ならとっくに機体を放り出していてもいいはずの損傷。そこに下りない主脚、停止したエンジン、さらには分からず屋の管制官――飛行学校のトラブル対処教本(マニュアル)にも書いていないような破滅の連鎖を、そのBTウイングは見事に乗り越え、着陸を果たしたのだ。滑走路の外で完全に沈黙した機体を見た瞬間、死神の舌打ちする音を、リン-レベックは聞いたように思った。その直後、彼女は直感の赴くままに地上車両のキーを引っ掴み、そして混迷に足を踏み入れかけた滑走路へ向け走り出した――


 



 どれくらい、操縦席に突っ伏していただろうか?


 頭が重い――

 それだけではなく、痛む――

「……」

 何時の間にか周囲に訪れていた完全な静寂が、カズマを却って甘美なまでの朦朧から解き放つかたちとなった。

「……」

 痛みこそが、カズマの目を見開かせる……否、こういうときにこそ目を開けなければならないことをカズマは知っていた。そのままでいては長い、不快な眠りに引きずり込まれるだけだ。それに烈しく損傷した機体は、何時発火するかもわからない。


 目を開け、自分の視界に衝撃の余韻から生る黒いヴェールが下りていることに気付いた瞬間、カズマは手を伸ばし、手探りで風防を開けた。途端に上から落ちてくる来る土埃を払い落とさぬまま、カズマはバンドを解き、酸素マスクと飛行帽をかなぐり捨てて機外に飛び出した。転げ落ちた衝撃に耐えて立つ。脚のふらつきも、未だ尾を引く朦朧も、もはやどうでもよくなっていた。


「……!」

 カズマは改めて驚愕した。拙い不時着にも関わらず、BTウイングはその機体の原型を大部分に渡り保っていた。衝撃に潰れた機首下部、そして三枚ともひしゃげたプロペラブレードを除いて――それに感銘を覚える間も無く、カズマは穴だらけの主翼を伝って航法士席に達し、拳で閉ざされたままの風防を烈しく打った。航法士席は砂塵に覆われ、その内側を覗くことは殆ど出来なくなっていた。兵装庫と化した機体下部が、クッションの替りを果たしてカズマに胴体着陸を成功させた……と言えるのかもしれない。


「……!」

 緊急(エマージェンシー)開放装置(リリース)――銃手席の近くにあった装置の存在に気付いた瞬間、カズマは躊躇うことなくその扉を開け、ハンドルを捻った。手応えとともにロックが外れ、カズマは風防を持ち上げ操縦席から外した。

 

「……」

 安堵――頭から血を流してはいたが、それ以外に失神したままの通信士からは外傷を見出すことはできなかった。首筋に指を伸ばし、しっかりと脈があることを確かめた瞬間、これまで溜め込んでいたように安堵が肩に圧し掛かってくるのをカズマは感じ、それがはじめて、彼から立ち続ける力を奪う――憔悴しきった表情でその場に座り込んだカズマの眼前で、一台の車が止まったのはそのときだった。



「……!?」

 ブレーキを踏んだ先、かつては攻撃機だった残骸の傍に力なく腰掛ける航空軍装姿の少年を見出した瞬間、ハンドルを握るリン-レベックの瞳はそこで止まった。

 この少年が、墜落寸前の機を操り、ここまで持ってきたというのか?――感銘にも似た驚愕に導かれるままリン-レベックは運転席を降り、そして呆然と地面を見詰め続ける少年へと歩み寄らせる。

 練習生と言っても通用する位に初々しい面立ちの操縦士――彼に対し沸いた興味が、リン-レベックに口を開かせた。


「君……」

「は……?」

 呼び掛けられている事に気付き、はっとして見上げた少年の瞳から生気が消えているのを察した瞬間、リン-レベックは無言のまま歩み寄り、呆然と自分を見上げるカズマの前で腰を落とした。


「……?」

「君、名前は?」

「第187飛行隊……ツルギ-カズマ」

「……!?」


 聞いたような名前――その詳細を記憶の糸を手繰った先に見出した瞬間、リン-レベックの表情から完全に余裕が失われる――この少年が……撃墜王?

「……」

 眼前の、漆黒の肌をした女性が、神妙なまでに自分を見つめていることに気付いた瞬間、カズマの瞳に徐々に光が戻っていく――


「あなたは?」

「わたしは、あなたの教官よ。ツルギ-カズマ士官候補生」

「……?」


 やっと逢えた――自ずと漏れる微笑。

 蒼空を背景に白く薄い雲が解け、今度は眩い陽光を二人の上に注いできた。



次回投稿は、7月中を予定しています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。 7月が楽しみで仕方ないです、お体ご自愛下さい、楽しみに待っております
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