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第十一章  「再会」

 紅い飛行服が独り、指揮所へと続く艦内通路を歩いている。

 早足であった。常任ならば息切れするのではないかという距離を、早足を維持しつつ彼は歩く。途上、数名の幹部と行き合ったが、彼より階級では上位な筈の幹部たちは飛行服姿の気迫に気圧され、中央を歩く彼に歩を譲ってしまう。それほどまでに、飛行服の男は並のレムリア軍人を迫力で圧倒していた。


 指揮所に通じる最後の扉の前で、タイン‐ドレッドソンは歩を止めた。警備兵が訝しげにタインを睨むが、逆に睨み返されて眼を逸らす――抑え難い感情の任せるがまま、乱暴に開け放たれたドアから広がる指揮所。その中央を、タインは独つしかない肉眼で睨んだ。

「…………」

 司令席で書類を読んでいたセルベラ‐ティルト‐ブルガスカが、ゆっくりと出入口の方向を顧みる。まるで侵入者でも見る様な、突き放した眼付きは万人に対しても変わらず、タインからしてもそれは見馴れたものであった。暫くタインに眼を流したところで、セルベラは再び文書に眼を戻した。形だけ思い出したかのような慇懃な敬礼の後、タインは言った。


「司令、小官に出撃の許可を願います」

「……出撃? 何処に?」

「リューディーランドのポート‐カステル」

「何故?」そこまで言っても、セルベラは文書に眼を落したままだ。

「有力な敵編隊がいます。再度の制圧が必要です」

「そんなもの、向こうにはいない。いたところで、作戦には何の影響も無い」

「最近、腕のいい空戦士が何故か次々と撃墜されている。奇怪だとお思いになりませんか?」

「そんなものの真相を調べるために、貴重な作戦機と空戦士を死地に晒すのかタイン‐ドレッドソン? らしくないことを言う」

「戦友が二名、あの空域に出撃して未帰還です。お許しが頂ければ小官単機でも出撃し、仇を討ちたく思います」

「それは許可できない」

 即座に言われ、タインは思わずセルベラを見返した。その時初めて、セルベラの二つの灰色の瞳が鋭く、剣の切先の様に自身に向けられていることにタインは気付く。

「…………」

「間も無く偵察機が地上人の空母を発見する。お前にはその攻撃に参加してもらう。戦友の仇を討つ以上に重要で、作戦の成否に関わる任務だ」

「……いやだ」

「嫌だろうが、出撃は許可しない」

 言い棄て、セルベラは文書を畳んだ。タインの背後、入室してきた新たな気配がタインを差し置く様に立ち、セルベラに敬礼する。

「エド……?」

「中尉エドゥアン‐ソイリング、ご命令により参上致しました!」

「エドゥアン‐ソイリング中尉、本官の戦時昇任権限に基づき貴官を大尉に昇進させる。その上で任務を与える」

「ハッ! 光栄であります!」

「ポート‐カステルに一個中隊を率い、威力偵察飛行に従事せよ。これは命令である」

「了解致しました! 出撃し、敵機の掃討を完遂します!」

 セルベラは無言で手を振った。「行ってよし」という無言の指示、敬礼の後、指示に従順なまでに踵を返し、エドゥアンは足早に指揮所を出ていく。その歩みには、明らかな自信が備わっていた。


「育ちの違いかなタイン‐ドレッドソン。当人の胸中はどうあれ、事を為すに上に立つ者は従順な人間を択ぶのだよ。肝に銘じておくことだな」

「従順な人間が、空戦に勝てるかよ」

「…………!」

 期せずして二人の眼光が交差する。肩書きとしての階級が、全く用を成さない精神世界の中に二人は対峙を続けて、それは以前から続いている。対峙は時折顕在化する。どちらかが切り上げるまで顕在化は続き、この場合、先に切り上げてこの場を立ち去ったのは、タインの方であった。


 格納庫まで下り、タインはジャグル‐ミトラの佇む一角まで達する。脚下で椅子に腰掛けていたレラン‐グーナ中尉が立ち上がり、エンジン整備に取り掛かっていたレグエネン上等整備兵が、機上からタインに笑い掛けた。

「どうでしたか旦那。発艦はできそうですか?」

「取り付く島も無いな。更に悪いことには、向こうにはエド坊やが行くことになった」

「なんですって!?」

 グーナが声を上げた。

「未だ強いやつがいるんでしょう? 何たってあんな新参者を……!」

「雌虎はいるとは思っていないのさ。恐るべき地上人の空戦士ってやつがな。エド坊やを向かわせてお茶を濁す積りだ。坊やの軍歴にも拍が付くしな」

「……で、隊長はどう思いますか? やはり藪を突いて蛇が出る、と?」

「エドはいけすかない奴だが、曲がりなりにも友軍だ。そうならないことを祈るのみだな。ヴィガズやロインを撃墜(おと)す位の凄腕が本当にいるのなら、あの坊やには荷が重過ぎる」

「整備主任! 増槽準備できました!」

 翼下より出て来た整備兵の声が、レグエネンのみならずタインらの注意も惹いた。貨車に積まれた繭型の増槽に向かい、レグエネンは機から飛び降りた。

「どうしますか旦那? 地上人の空母を()るときは完全爆装でしたよね?」

「…………」

 タインとグーナは顔を見合わせた。沈黙の内、まずはグーナに苦笑が宿り、遅れてタインもまた苦笑する。




 夕暮れの生む、世界の終わりを思わせる暗い光の満ちる中で、ヒュイック市内の中央に位置する通りを、軍ナンバーの装甲地上車は急き立てられるように疾駆していた。


 地上車とはいっても、カズマがモック‐アルベシオやカレースタッドで見慣れた軽量の地上車とは違う。元来飛行場警備用に搬入されていた、装甲を施した大型車だ。乗り心地など度外視された一方でその馬力は凄まじく、ドラム式の制動装置は車体が停止する度に不気味な振動を立て、乗り慣れない者の心臓を責め立てる。病院へ運ぶ負傷者を満載した装甲地上車の荷台から、カズマは他に乗り合わせた将兵と同じく、前から後ろへと流れ行く街の景色に見入っていた。


 少年のような興味を剥き出しに、周囲に視線を巡らせるカズマの様子に気付いたのか、荷台の向かいに陣取るディクスンが口を開いた。手にしたウイスキーの小瓶は、その中身の半分を減らしていた。

「坊やは、ここは初めてだったな」

「はい」

「ほんとはこんなに辛気臭いところじゃないんだ。だが、贔屓のレストランも今じゃあ弾薬置場さ。それぐらい街は追い込まれてる……つくづく、戦っている意味がわからなくなるってもんだ」

 カズマは少し俯いた。

「……でも、レムリア人ってのが来れば、今より酷くなるんでしょう?」

「さあ、どうだかね。植民都市によっちゃあ嬉々としてレムリアンに寝返ったところもあるそうだからな。連中がそいつらに悪い顔できようわけが無いさ」

「援軍とか補給が来ればいいですね。そうすれば我々だって……」

「何だ、未だ戦い足りないってのか?」

「いや、そういうわけでは……」

「じゃあ、今は戦を忘れろ。気張ってると後が辛いぞ」

「…………」

 カズマは照れ臭そうに笑った。その少年のような笑みの何処に、誰が一戦でレムリアンを何機も叩き撃墜す程の力量を推し量れるのだろう、とディクスンは改めて思う。



 一方でカズマは、初めて足を踏み入れたヒュイックの、移民の街らしい素朴な佇まいよりも、その所々に顔を覗かせる「戦時下」の方に目を惹かれている。

 その大半が煉瓦造りであるヒュイック市内の建築物の多くは、市開設87年以来その内の半世紀以上を経たものであったが、天を睨む対空機銃座や公園や広場を利用して造られた高射砲陣地はといえばここ一週間の内に急速に設けられ、時を経るごとに市の各地に広がっている。


 市内を行き交う人間も、色とりどりの服に身を包んだ民間人は殆どが避難しており、没個性的な作業服に身を包んだ自警隊や政府軍の駐留部隊の兵士の比重は、目に見えて増していた。

 そのような中で、唯一といっていいほど武装されていない一角――市の中央病院の前で装甲地上車は停まった。

「さあみんな、負傷者を運び出せ!」

 ディクスンのこの一言こそが、カズマたちがここヒュイックに赴いた真の理由を端的なまでに表していた。基地内では対処できない重傷者の搬送。負傷者を乗せた啖呵を二人掛かりで運び、職員の待つ処置室まで連れて行く。カズマもまた例外ではなく、胸から腹に掛けて巻かれた包帯も痛々しい負傷者を戸板に乗せ、病院の入り口を潜るのだった。手空きの職員や医師が駆け出し、馴れた手付きで負傷者を病院のベッドに移し替え、処置室へと運んでいく。

「こちらへどうぞ」

 顔面にマスクを被った看護士が、啖呵を手招きする。付き添う人間の中にカズマの姿を認めたとき、看護士の大きな瞳が見開かれたのに、カズマは気付かなかった。

「カズマさん……!」

「…………?」

 突然の呼び掛け、その声には覚えがあった。呆気に取られ視線を転じるカズマに、看護士はマスクを外した。その次に見覚えのある顔を見出したとき、今度はカズマの目が驚愕に見開かれる。

「ルウ? ルウじゃないか!」

「いらしてたんですね!……嬉しい」

 ルウ‐カウベラ‐アルノーはカズマの傍に駆け寄り、カズマに手を回した。カズマの顔を覗き込む大きな黒い瞳には、熱気とともに星が宿っていた。戸惑うカズマに場をも省みず寄り添うルウ。二人の若さに、ディクスンは苦笑するしかない。

「何だ、お前たち知り合いなのか?」

 怪訝な表情を浮かべるディクスンに、カズマはばつ悪そうに笑い掛ける。ディクスンは片目を瞑り、カズマを追い立てるような素振りをして見せた。

「何処へでも行きゃあいい。少なくとも俺の目の前でそんな熱々ぶりを晒すのは止してくれ」

「しかし……」

「二人分の外出許可ぐらい、俺の権限で何とかするよ」

 戸惑うカズマ、満面に喜色を浮べるルウ……それがいっそうディクスンに微笑ましさと面歯がゆさを誘う。



 夕暮れから、夜の気配が先ずは空気、次には深まる黄昏となって一帯を覆う。


 カズマとルウの二人は、ヒュイック市街を見下ろす丘の上に造られた公園で、迫り来る夜までの一時を過ごしていた。

 丘の上という位置からして、そこは対空陣地を設営する上で格好のロケーションとなる。だが、どちらかと言えば地形の面で狭隘な部類に属するこの公園は、対空砲を置くには余りに手狭すぎるがゆえに武装化を免れたのかもしれない。それでも、普段恋人達が愛を語らうのに使うはずの四阿はすでに取り壊され、代わりに周囲を土嚢に固められた高射望遠鏡が据え付けられている。


 公園の芝生、唯一仄かな明かりの点るガス灯の下で腰を下ろして摂る食事。食事とはいっても、外部からの物資の供給が殆ど途絶し、もはや戦時下にあるこの街では、戦前のように豊かな食生活など送れようはずが無かった。

 鰯のオイル漬けの缶詰、黒パン、クラッカーにジャム……食事の内容は質素だったが、その量はカズマには十分すぎた。配給品を分けてくれたルウにしてからか、カズマを傍に置いた食事に格別の意味を見出していたの明らかだったから、食事の味気無さなど二人にはどうでも良くなっていた。

「何時、いらしたんですか?」

 と、ルウは覚束ない口調もそのままに聞く。ばつ悪そうに頭を掻き、カズマは言った。

「ここは来たばかりで……不案内なんだ」

「じゃあ、私が案内して差し上げますわ」

 お茶のお代わりを促しながら、ルウは言った。だが、かりそめの明るさなど、ここでは何の意味も成さないことをルウは知っていた。

「……ここが平和だったら、案内して差し上げられたのに」

「…………」

 明るさは長続きせず、将来への不安が容易くそれに取って代わる。出会った当初の明るさから一転して沈みがちなルウの横顔に、カズマは自らを奮い立たせる。

「平和なんてまたすぐにやってくるよ。戦争は、台風みたいなものだから」

「台風……?」

「そう、みんなが忘れた頃にやってきて、あっという間に全てを滅茶苦茶にしていく……だが、長い目で見ればそれは瞬きするぐらい、僅かな間のことさ」

「…………?」

 キョトンとしたルウに、カズマは場を執り成すように言った。

「だから……その……戦争はすぐに終るから、そんなに心配しなくともいいってわけで……ぼくはその役に立てるかどうかは判らないけど……」

 しどろもどろに口を開くカズマに、ルウは聖母のように微笑みかけた。ルウには今日、自分が戦闘に参加したことを伝えていない。伝えたところで、何の意味もないとカズマは思っている。

「……そうですね」

 目を伏せがちに微笑むルウが、腰を下ろしたままカズマの傍に近付く。

「何時……お帰りになるの?」

「早ければ、明日かな」

 ルウは唇を噛み締めた。

「……また、会えなくなるのね」

「今は、平時じゃないから……」

「カズマさん?」

「ん?」

 そっと延びたルウの手が、カズマの手に触れた。小さく、そして暖かい感触は、女性を余り知らないカズマにとって決して不快なものではなかった。

「約束して……」

「約束?」

「死なないって。必ずここに帰ってくるって……」

 気付いたときには、ルウの黒い瞳は真っ直ぐにカズマの戸惑いを見据えている。ルウが決してか弱い女性ではないことをカズマは知っている。だからこそ、彼女の言葉に込める想いはひしひしと伝わってくる。

「大丈夫……大丈夫だよ」

 自分に言い聞かせるように、カズマは言った。

ここで死ぬなんて、実のところ一片ですら考えたことがなかった。だが、それは決してカズマが死を覚悟していないということではなかった。瞬間的に位置と視点の変わる戦場の空を、戦うしか能の無い飛行機で駆け、狭いコックピットの中にその身を縛り付け、加速と上昇下降、そして旋回の度に身を削るような重力と風圧に晒され、これまでは話をしたことはおろか顔すら見たことの無い誰かに背後を取られ、銃弾を撃ち込まれた末の死――その可能性を受け入れられない者は、戦闘機乗りになるべきではない。


 ――だが、カズマにとって、真の死に場所は此処とは違う世界に在るべきだった。

 ラバウルの空、ソロモンの空、フィリピンの空、そして本土日本の空――何れの空でもカズマは死を覚悟し、そして来るべきものと受け容れ戦い、殺し続けた。空の上には地上と同じく、殺す者と殺される者しかいない――この単純で、残酷な真理をカズマが悟るのに、戦場に足を踏み入れてから一週間も要しなかった。少なからぬ者は空の戦場の正体に気付く間も無く過酷な戦況の中に飲み込まれ、気付くまでの日々を漸くで生き抜いた者も、程無くしてやはり多くを殺した末に殺される側へと廻っていった。カズマ自身もまた、生き抜く内「その時」が廻ってくるのを覚悟し、受け容れようとしていた。


 ――しかし、現在はどうだろう?

 こんなところで、死ねるか!……若さの為せる、不条理に対する純粋な怒りすら、カズマは抱いていた。過去の自分を誰も知る者のない空で生を散らしたところで、後には残るのだろう? 誰が、自分の存在を記憶してくれるのか?


「――カズマさん?」

「…………?」

 気付いた時には、ルウが心配そうにカズマの顔を覗き込んでいた。

「御免……話って、何だっけ?」

「もう……!」

 ルウの膨れっ面に、思わず笑みが漏れた。子供っぽく、いじけた風に延びたルウの手がカズマの肩を軽く叩き、カズマはおどけた風に仰け反った。ルウを宥める中で、カズマは束の間の平和が過ぎようとしていることを冷静に悟り始めていた。

 カズマにじゃれるうちに姿勢を崩したルウが、カズマの胸に縋りつくようにしたのは、そのときだった。反射的に延びたカズマの手が、その胸と一緒にルウの両肩を抱きかかえる形になった。

「…………?」

「…………」

 呆然として、あるいは驚愕とともに互いを見詰め合う二人……その両方とも瑞々しい頬に知らず、熱いものを宿していた。

「…………」

 少女の肩から力が抜けていくのを感じる。やがてルウは、観念したかのように両の瞼を閉じ、唇を求める――自分の胸の中でルウが待っているものをカズマは察したが、女性に対する無邪気ゆえの戸惑いが、青年から取るべき途を奪ってしまう。


「ルウ……」

 それでも、少女の白皙の頬に顔を寄せるカズマ……沈黙の内にそれを待つルウの耳元に、カズマは口を近付けた。吐く息を感じ取った少女の肩が、微かに震える。

「ルウ、おれ……もう行かなきゃ」

「え……?」

 囁きの後、興ざめした表情をしたルウの小さな肩を抱いたまま遠ざけ、カズマは申し訳無さそうに言った。追い縋ろうとするかのようなルウの瞳から逃れるように、カズマは視線を上へと転じる。

空からはとうに蒼が失われ、瞬きを取り戻した星々が覇を唱える時間帯――




 夜も更けた頃、ヒュイック基地へと戻ったカズマを、新たな驚きが待っていた。

「これは……」

 呆然として立ち尽くす飛行場の端。ジーファイターは、彼の眼前ですでに試運転にすら取り掛かっていた。復活を遂げたエンジンは操縦席に陣取る整備員の操るスロットルに敏感なまでに反応し、あたかも一個の生物のように緩急自在に回転数を変える。その様子を自分でも知らない内に、多くの基地員と同じく、食い入るように見詰めているカズマがいた。


 驚くべきは、それだけではなかった。操縦席付近に描かれたレムリア軍のマークが八つ……誰かが気を利かせたつもりか、撃墜マークを書き込んだのだ。それはカズマには正直どうでもよいことだったが、普通と代わり映えしないジーファイターでも、やはり実績がわかるのとわからないのとでは、やはり何か外見から醸し出す雰囲気が異なってくるというものであった。


「ヨウッ……!」

 カズマの姿に気付いたディクスンが、振り向きざまに男臭い笑みをカズマに向けた。薄汚れた肌着一枚の上半身に、同じくヨレヨレの短パンに覆われた下半身……改めて言うまでもなく無作法な出で立ちだが、熱帯夜を過ごすには快適とも言えるだろう。思い出したように敬礼しようとするカズマを、ディクスンは制した。

「……で、首尾はどうだった?」

「…………?」

「とぼけるない。デートのことだよ」

「ああ……デートでしたね」

 ばつ悪そうに頭を掻くカズマに、ディクスンは唇を歪めた。

「戦果は、思わしくなかったようだな」

「はい」

「すました顔して、乙女は好みじゃないみたいだからな。お前」

「…………!」

 驚いて、カズマはディクスンの顔を見上げた。ディクスンの口元が歪み、満面の笑みでカズマを見返す。

「玄人女の方が好みか?」

「……前に、飛行機乗りは素人とは付き合うもんじゃないって言われたもので……だから……」

「……だから?」

「……肝心な時に、躊躇ったんです」

 ディクスンは笑った。熱帯夜に似つかわしくない、爽やかな笑いだった。

「なるほど、そいつぁ名言だな。それは正しい」

 納得したように言い、ディクスンは再びジーファイターに視線を転じる。

「滑油漏れは直った。何時でも母艦に帰れるぞ」

「あのう、ここはどうなるのですか?」

「それは分不相応の心配ってもんだぞ。坊主」

「そうですね……」

 悄然とするカズマに、ディクスンは言った。

「だが……世の中には自分が心配しなけりゃならんことをしようともしない馬鹿がいっぱいいる。首都国防省(ラジアネス)の将官連中なんか、その最たるものさ……そいつらのせいで、お前さんのように真面目に仕事をした者を心配させなきゃならんことこそ、戦争の悲劇というもんだろうな」

「…………」

「……坊主、明日の朝一番にフネに帰れ。坊や一人置いとく余裕なんて、もうここにはない」

 中佐の突き放すような言葉が、親切からのものであることぐらい、すぐにわかった。

「中佐はどうなさるんですか?」

 カズマの疑問に、ディクスンは苦笑する。

「そうだな……しばらくは穴倉にでも篭って、増援が来るまで寝て過ごすことにするよ。最悪、レムリアンが上がって来たら、地べたを這ってでも戦うさ」

 銀翼(つばさ)の無い飛行機乗りほど、惨めなものはない――かつてはカズマがフィリピンで味わった惨めさ。ディクスンがその惨めさを味わうまで幾許もないことをカズマは感じていた。



 その夜、宛がわれた天幕の中で、灯火の勢いのすっかり弱まったランプに集る蛾を、カズマは放心したような目で眺めていた。

 なかなか寝付けないまま、時はたった一人っきりになった天幕の中で冷厳に過ぎ去り、白み始めた夜が、天幕から一切の闇を少しずつ削り取っていく――思考の末にすっかり醒め切った意識の中、決意と逡巡。二つの相反する性格の感情がカズマを支配していた。それは、母艦に帰還するための決意と、この期に及んでの帰還への迷い。


 ――それに、ここにはルウがいる。


 気立てのいいあの娘はせっかくの、恐らくは彼女が誠心を篭めて待ったに違いない瞬間を、自分が棒に振ったことを許してくれた。二人で丘を下り、そして別れを告げる段になって、ルウはその大きな眼差しを真っ直ぐにカズマに向け、気丈にも微笑みかけたのだ。「また、来てくださいね」と――

そのルウを置いて、自分はここから飛んでいく? そんなこと、カズマにはできようはずがなかった。


誰しも、翼を望むのには動機がある。

名誉を掴むため。

戦いへの渇望。

空への憧憬。


 あるいは、地上からの逃避――カズマは、少なくとも困難から逃げるために翼を得たのではなかった。天は国家を守る尖兵足るべくカズマに翼を与え、そしてカズマは今現在に至るまで、それを当然のことと思っていた。

 自分の掴んだ翼とは、自分以外の誰かのために使われるべきもの――

武士(もののふ)にとって刀を抜くときは即ち斬るときだ。それと同じく、戦闘機乗りが翼に身を委ねるときは、即ち撃墜すときだ」

 と、星野分隊士はカズマに言った。

「武士は命に代えて守るべきものを見出した時、そしてそれ以外に守る術を見出し得なかった時、初めて刀を抜く。だから侍という。俺たちもまた、命を懸けて守るべきものがあるから毎日を戦う。俺たち搭乗員にとって刀とは、すなわち翼だ。そして俺たちは翼を持つ侍だ」


 命を懸けて守るべきもの――それは国、恋人、父母、兄弟、そして、戦闘機乗りとしての誇り。

それらを守るために、カズマとその仲間は祖国から最果ての南の空で戦っていた。その心意気は、多くの仲間の死を間近にしながらも変わるはずがなく、そして、たとえ身ひとつで異郷に放り込まれようと変わらないはずだった。


 カズマは、静かに決意する――そうだ、おれはサムライだ。

 サムライは逃げちゃいけないんだ。




 ――夜は、完全に明けた。

「ここに、残るってのか?」

 カズマの決意を、ディクスンは訝しげな視線で遇した。

「お前、物好きって言われたことないか?」

「…………」

 ディクスンの軽口に、カズマは沈黙を持って応じた。

「まあいい……気が済むまでここにいればいいさ。だが、命の保証はできないぞ」

「置いてさえ頂ければ、十分です」

 気色ばんだ兵士が、息せき切ってディクスンに駆け寄ってくる。ぶつかる様な勢いで近付いた兵士と二三言会話を交わす内、ディクスンの顔からも顔色が失われていくのが見えた。

「カズマ!」

「…………!」

 鋭い声でカズマを呼び、ディクスンは言った。

「患者輸送機が南からこちらに向かっている……間が悪いことに、レムリアンの戦闘機も四機、東岸を越えて此方に迫っている」

「了解、上がらせてください」

「飛ばせる戦闘機はお前さんのしか無いが、いいか?」

 カズマは何も言わず、頷いた。



 朝の静寂を破り、ジーファイターのエンジンが勢い良く復活の咆哮を轟かせる。操縦席に収まったカズマの合図に従い、チョークから解き放たれたジーファイターは厩舎から引き出された奔馬のごとく地上を滑り出し、やがて朝方の空へと駆け上る。


『――輸送機を見つけてくれ。敵機を迎え撃とうなんて考えるな』

 飛行場上空で高度を上げたところで、ディクスン中佐の声を無線に聞く。言わんとすることは判った。輸送機を見つけ次第、レムリア機の眼が及ばない西側へ機を誘導する。あるいは、ディスクン中佐が地上で話を付けていてくれているかもしれない。

「味気ないな……」

 南に機首を向けるべく、飛行場を周回した時の感慨である。ヒュイックの整備は完璧に違いないが、此処に来るまでに機が持っていた「切れ味」のようなもの――カズマは内心でそう表現した――が摩耗してしまっている。それは、ハンティントンで勤務を始めて以来、何時の間にか当然のように享受していた手応えでもあった。それが無いことに気付いた後には、落胆がこみ上げて来た。


『――輸送機の高度は二千、現在150スカイノットで西寄りに北上中』

 スロットルを全開に、旋回を繰り返しつつ上昇する。下方を見る眼には自信があった。対地攻撃の意図を有するならば、レムリア機も高度を下げ始めている筈で、彼らがその眼前に地上目標より魅力的な獲物を見出すのもそう遠い未来のことではない。過日、銀翼を交えて心命を削ったレムリアのスパイと、救難筏を銃撃した敵機のことが思い出された。レムリア人は地上に住むラジアネス人のことを人間扱いせず、全て隷属させるか絶滅させるべき対象としてしか見ていないようにカズマには思われた。恐ろしい連中だとも思う。レムリアがこの戦争に勝利すれば、文字通りの地獄がこの世界に現出するだろう――既視感とともに、カズマの思考は巡る。


 レムリアとラジアネスの戦争は、欧米諸国と日本の戦争に似ているとカズマは感じる。世界中の有色人種を家畜同然に支配する欧米白人勢力と、彼らに対し敢然と反旗を翻した日本民族との戦い――ことの真偽の程は別として、カズマは軍人になって以来そう教えられている――戦いの結果として日本民族は滅亡の淵に瀕したが、現在、成り行きながら自分が身を置いたラジアネスがこの戦争に勝てば、負けたレムリア人はどうなるのか?――


『――監視哨より報告。敵機四機、まっすぐに輸送機に向かう!』

 緊迫した声が、不快なまでにイヤホンを叩く。上層雲の低みから、地上を西に向かって舐める紅い機影四つを見出したとき、カズマは鷲となった。

「――――ッ!」

 雲海を舞う銀翼は気流を裂き、裂かれた気流は水蒸気の帯となって急横転に転じたジーファイターの翼端を飾り立てる。気速を生かしダイヴに転じるジーファイターの操縦席の中で、カズマは四機編隊の端へと迷い無く機首を転じた。


 端のゼーベ‐ラナ――四機編隊の二分隊二番機の空戦士からすれば、彼の空戦士としてのキャリアは彼自身自覚し得ない内、不意に終わりを告げた。上方からの一連射が操縦席を捉え、絶命した空戦士を乗せたラナが背面から地面に向かう。散開した二分隊一番機の機首が左に転じる。先回りするかの様に撒かれた弾幕に突っ込む形で、ラナの機首が燃え上がる――と見る前に、機首と主翼と胴体に分解して三つの火の球になって散る――時間にして、わずか三十秒ほど。


 低位にある一個分隊が上昇し、恐るべき襲撃者を捉えようと機首を翻す。下方に離脱するカズマと軌道が交差するのも一瞬。それも上昇姿勢と主翼に阻まれてラナからはわからない。

 とっくに消えた襲撃者を見出そうと上昇するうち、ラナから徐々に速度が落ちていく。空戦士が四周に頭を巡らせる内に機も自然と蛇行し、更に速度が落ちる――二機の後下方、二番機の剥き出しになった腹に、照準が重なる。


「…………!?」

 一連射はラナを下方から上に向かい幾度も撃ち抜いた。弾丸は操縦系を破壊し、エンジンにも達した。飛行に必要な均衡を破壊されたラナが黒煙を吐き、空から零れる様に墜ちる――黒煙が火焔となり、そしてラナから翼を剥がす。

 最後の一機が右に逃げた。左方向の旋回は劣位にある一方で、右旋回の特性はラナもジーファイターも変わらないということを、カズマは対戦した幾度かの内に感じ取っていた。追い縋り、右旋回中のラナがさらに右に傾くのを見る。レムリアの操縦士がこちらを振り返っているのが良く判る――一連射で、右主翼の外皮が飛んだ。さらなる一連射で火が点き、それはすぐに消えた。


「…………!」

 敵機が防火性能を備えていることに、カズマは内心で驚嘆する。それでも不意にラナの風防が弾け飛び、背面に転じる。黒い影が零れるのと同時に、ラナから制御の気配が消えた。あとは糸の切れた凧の様にふらつき、墜ちるだけだ。


「脱出した……?」

 丸く開いた落下傘が、緑色の大地に吸い込まれていくのをカズマは見送る。

 ヒュイック飛行場から、そう遠くない距離だ。



 着陸し、そこで脱出したレムリア機の操縦士の死をカズマは知らされた。彼は脱出まではしたが、降着地点にはレムリア軍侵攻に備えて組織されていた自警団がいた。彼らの警戒網に捉えられたレムリア人は、捕まる寸前に拳銃で自らの頭を撃ち抜いたのだ。自決であった。

「輸送機は無事、近くの幹線道路に着陸したそうだ」ディクスン中佐が言った。四機撃墜の戦果故か、年甲斐も無く興奮しているのは隠しようも無い。

「あそこは飛行場の替わりもできるように作ってあるからな」

「…………」

 作戦の成功については何の感情も持ち合わせてはいなかった。むしろ、死んだレムリア人について、捕虜を恐れて自殺するという行為と思考がカズマの興味を惹いた。言い換えれば、「生きて虜囚の辱めを受けず」という日本軍の教えに、自決したレムリア人の思考との共有点を見出したのだ――レムリア人というのは、その実どんな連中なのだろう?


 幌の破れた軍用トラックが三、四台、砂塵を蹴立てて基地に近付くのを見る。ディクスンを見出した助手席の士官が、手を上げて彼の名を呼んだ。

「中佐ぁー!!」

「…………」

 唐突に名を呼ばれ、唖然とするディクスンの前で車列が重々しく止まる。濛々と巻き上がる土煙の中、真っ先に助手席から飛び降りた士官がディクスンに敬礼した。

「工兵隊のオッカム大尉であります! レーダーの予備部品を運んで参りました!」

「驚いた。よく見つからなかったな」

「ええ、重いトラックで夜の裏道を行くのは大変でしたよ。無灯火でね」

 そこまで言い、オッカム大尉という名の若者は笑った。ディクスンは部下に隠匿可能な場所への誘導を命じた。

「早速だが、設置作業に当たってくれ。また敵機が来るかもしれん。機材の配置は君に任せる」

「まだやるおつもりで? 艦隊戦が始まるかもしれないっていうのに」

「どういうことだ?」

 オッカム大尉はディクスンを車列に誘った。最後尾の小型トラックの荷台に上がる様促した。天蓋を突き破る様にして三本の長いアンテナが伸びる。異様な車体だ。

「軍曹、どうだ?」

 密閉された荷台狭しと詰め込まれていた通信機器と、稼働中のそれらが生む騒音と熱気には、彼らに続いたカズマですら思わず仰け反った。その通信機器に挟まれる様にして、上半身裸の兵士が二名、汗だくで通信機の操作に傾注している。


「通信の頻度がさらに増しています。リューディーランドのほぼ東です。自分が思うに電鍵の打ち癖からレムリアンの攻撃機ではないかと……出力が大きいから、母艦に打電しているのではないかと思います」

「よし、そのまま聞いていてくれ。じきに交替を寄越すから」


 オッカム大尉は、ディクスンを顧みた。情報を得るべく島外のラジオ放送を聞きたくて通信機のダイヤルを弄っているうちに、レムリア機の周波数を探り当ててしまったのだと大尉は言った。


「嘘つけ、『マイルズ‐コール‐ショー』を聞きたくて周波帯を探っていたんだろうが」

「ははは、ばれてましたか」

「おれ達も試していたことがあるんだ。結局できなかったけど」

 マイルズ‐コール?……確かラジアネスで人気のあるコメディアンのことだっけ――打ち解けたディクスン達の会話を聞きつつ、カズマは考える。

「余裕こいてるせいか、リューディーランド(ここ)に来るレムリアンは機上で無駄話をするんですよ。飯とか女の話が多いのは我々と変わらないですね。お陰でどっちに来るか丸わかりでして……移動中何度命拾いしたことか」


「大尉!」

 通信班の軍曹が、会話を制する手振りを示した。レシーバーを耳に押し付けつつ、片方の手にした鉛筆で、メモ用紙に符号を忙しげに書き連ね始めている。まさか――というこの場の士官たちの予測は、当たった。

「友軍の艦上機の通信です。読みます。われBA177 BDW005……敵艦見ゆ……位置はリアフ島の東北約320空浬……空母一隻、戦艦一隻……」

「…………」

 呆然とするカズマの肩を、ディクスンが叩いた。

「坊や、これじゃあ当分還れないな」

「…………」

 それでも帰りたいと言い掛け、カズマは止めた。彼我の空母が索敵機を出し合い、相互の位置を探り合う――それが終わった後に起こることが何か、この場ではただ、カズマ一人だけが知っていた。


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