第十二章 「交戦距離二百七十空浬 前編」
蒼空を彩る鱗雲の重なりは、ただ一機でその只中に放り込まれた状態では、あたかも世界中を覆い尽くしているかのように見えた。
平時ではその見晴らしの良さを堪能できたであろう空は、ここではいかに美しく映えようとも、戦場の空。
美しいものを見るというより、何か恐ろしいものに目を凝らすように、機上の誰もが空へと目を向けていた。彼らにとって恐るべきものが、この空の、現在の彼らの居場所よりさほど遠くない何処かに潜んでいるはずだった。
空母「ハンティントン」搭載 第177攻撃飛行隊所属のBDウイング艦上攻撃機/偵察機は、前方警戒と偵察とを兼ねて母艦を発ち、すでに母艦より270空浬の距離にまで進出している――着任して未だ四ヶ月しか経っていない航法士ウィリス‐T‐カリス兵曹長の誘導が正確であれば、の話だが。
機長デモクレア‐ドット大尉、航法士/通信士兼銃手のカリス――二人のクルーを乗せたBDウイング 通称「ボンビング‐ミス‐デイジー」は、未だ実戦経験こそないものの、数こそ揃ってはいても練度の伴わない「ハンティントン」攻撃飛行隊の中で、偵察、哨戒飛行には十分な経験を持っている方だったかもしれない。
だが経験の蓄積は、むしろペアに課せられる任務の頻度を増やし、ペアの負担をも増大させているようにカリスには思われた。能天気なドット機長はこれを、「任務部隊の俺らにたいする信頼の現われ」と笑って受け止めていたが……カリスとしては、心底そのような気分になれない。片や俗に「ソーセージ」と呼ばれる、大学の短期士官養成コースを経て飛行士になった「出来損ない」。片や艦隊に勤続十年目にして、下士官としては理想的な配置を掴み取った後席員……同年齢だが、初めてペアを組んだ時からこいつとは仲良くなれないだろうと、漠然と察せられたことがカリスには思い出された。
機長の馬鹿野郎。どうしてそんなに笑っていられるんだ?
チャート‐ボードに走らせる鉛筆を握る手が震える。高空故の寒さを感じたためではない。悪寒が走るというやつだ。だが彼らだけではなく、「ハンティントン」や「クロイツェル‐ガダラ」の各攻撃飛行隊からも少なからぬ数のBDウイングが発進し、カリス達と同様の任務に就いている。死地に追い遣られた愚痴を、ペアの耳に入るような声に出すわけにはいかない。
「機長、第三変針点に到達」
『――了解……』
ややあって、機体が大きく傾くのをドットは感じた。左旋回――機長の操作が急すぎて、機体速度が一気に落ち行くのを感じる。飛行機にはCRウイングの時代から乗っているが、あれが全盛だった時代に、このような拙い操縦をする者は艦隊にはいなかった。飛行機はフラゴノウム反応炉で浮いているわけではないため、一旦速度を失えばあとは高度を下げるだけだ。水中で泳ぐのを止めれば、たちどころに溺れてしまうのに似ている。
機内を襲う振動が失速を予感させ、繊細なカリスの胃をきりきりと締め付ける。
この馬鹿機長!……もう少しゆっくりと操縦できねえのか? 戦闘機じゃねえんだぞ!
カリスの内心の愚痴を他所に、平穏の内に旋回を終えたBDウイングの機内。案の定、旋回を終えたときには機体高度は一千ほども下がっている。下層雲を形成する雲海がすでに間近に迫っていた。そして機首を向けた先には、山脈のように連なる層雲の塊。チャートの上で引いた線に沿って飛べば、機は真っ直ぐにあの雲へと突っ込むコースを取ることになる。
「機長、コースそのまま」
『――了解』
本来なら避けるべき層雲は、周辺を遊弋しているであろうレムリアンの目を避けるための、絶好の隠れ場所となるはずだった。程無くして再び旋回前の速度を取り戻したBDウイングは力強く上昇し、速度を増していく。聳え立つ層雲に身を委ねる様を想像し、カリスが安堵を覚えかけたそのとき――
「――機長、十時方向」
『――ん?』
下層雲の薄まった中を、何か黒く巨大な影が蠢いている。自ずと機首が、カリスが指し示した方向にゆっくりと向かう。飛行機の影では無かった。ではフネか?……民間船舶と考えるには、それは余りにも航路から離れ過ぎていた。
「なんてことだ……」
事態の平穏ならざることに思い当たり、安堵は一瞬にして奈落の底へ突き落とされる。愕然と目を見張る先で、影は予感の導くまま明瞭なレムリア艦の影となり、それは一隻だけではなかった。
『――カリス兵曹、打電しろ!……われ敵艦隊発見。接敵し偵察を続行する。位置はリアフ島。リアフ島近傍……カリス兵曹、どのくらい離れている?』
「お待ち下さい。すぐに出します」
リューディーランドの東端の空に位置する島は、位置と大きさ共に、飛行の初めから有効な目標点と見做されていた。発艦から今に至る航路と経過時間とを再計算し、カリスが答えを出すのに、およそ二分近くを要した。
「320、北東に凡そ320空浬です」
『――了解、更に接近するぞ』
内心でのカリスの驚愕を他所に、機長は冷静だった。それがさらにカリスを緊張させる。二人しかいない偵察機の機上、此処で自分だけが取り乱すわけにはいかない。その彼の眼前で悠然と、かつ層雲に紛れるように艦影が流れる。この近距離では、あの獰猛なレムリア艦の影であることはもはや否定しようがなかった。
巡洋艦、駆逐艦……そして航空母艦! とくに他艦に比して余りに巨大で魁偉な艦容の航空母艦に、カリスのみならず二人の目が同時に釘付けになる。敵艦隊の姿を目で追いながらゆっくりと、かつ忍び込むように旋回に入るBDウイングが単機。敵艦隊の背後上方に回りこみ、尾行する位置に付いたところで、漸く我に帰ったカリスは声を張り上げた。
「機長、母艦に打電します」
『――頼む!』
「監視報告……われBA177 BDW005……敵艦見ゆ……位置はリアフ島の東北約320空浬。陣容は空母1、駆逐艦7……いや8、巡洋艦3ないし4と思われる――」
震える手に鞭打って電鍵を叩き続ける。その間もカリスの眼が廻り。艦隊上空の一点、上層雲を抜けて此方に近付いてくる細かい煌めきをカリスは見出した。
「六時上方より敵戦闘機っ!……追尾してくる!」
『――…………ッ!』
有無を言わさぬ急旋回。重力の抵抗に苛まれ、その振動に震える機体。左旋回の姿勢に続き機首を下へ傾けたBDウイングは、エンジン音も喧しく追跡者より距離を取ろうともがく。
「…………!」
背と首とを精一杯に傾けながら、目を見開いた背後には、蒼穹をバックに煌く複数の銀翼。降下する機上で、カリス兵曹は機銃を引き出した。風防を開き、胴体と一体化した機銃カバーを開く。ロックを外した二連装機銃の銃身を起こして巡らせる頃には、あの禍々しい黄色い機首が複数、こちらに加速し迫っている……何故発艦後に機銃を出しておかなかったのかという、自身の反応の遅さを内心で詰り、カリス兵曹は撃った。
『――曹長、打電は終ったか?』
カチカチッ――インカムの送受切替ボタンを連打する。それは了解の合図であり、合図の送り主が手の離せない状況に置かれていることを示していた。任務を果たしたという安堵を交えつつも、機銃を撃つカリスは迫り来る敵影を怯えきった目で睨む。光像式照準器に敵影を入れて撃っている筈が、飛び出す曳光弾は気流に飛ばされてあらぬ方向に飛んでいく。一部の敵機は既に撃ち始めていた。弾幕の生むブンッ、ブンッという唸りが、カリスの至近を掠めてBDウイングの向かう先に飛んでいく。そこから命中を期して修正されていく敵機の狙いを逸らそうとして、BDウイングは左右にもがく様に滑る。近くに逃れるべき雲は、無かった。
チキショウ――還れそうにないな。
現状に対する愚痴は、カリスの胸中ですでに将来への諦観と覚悟とに席を譲っていた。
空母ハンティントンの艦橋において、戦場の中の平穏は一瞬にして狂騒に席を譲った。
『――前路警戒機より報告。敵艦隊と遭遇。空母一隻を中心とする10隻前後の艦隊と確認――』
『――彼我の距離270空浬』
「敵艦隊の針路及び航行速力は?」
と、指揮シートに腰を下ろしたまま。艦内電話を通じ第001任務部隊指揮官 フョードル‐ダオ‐“D”‐ヴァルシクール中将は顔色を変えずに聞いた。彼の問いに、飛行管制室と隣接する通信室は困惑を以て応じた。
『報告なし。わかりませんっ……!』
「ばかな! 何故肝心なことを伝えてこんのだ!」
作戦参謀のマシューズ中佐が毒付いだ。だが今更声を荒げたところで、理由は簡単に想像が付く。的確な報告を冷静に送れるほど、飛行隊の練度は未だ高くはなかったのだ。それを内心で確信しつつ、幕僚の彼は彼の指揮官を省みた。
「提督、ご指示を」
「うむ」
ヴァルシクールは頷いた。彼にとって敵艦隊との激突は、もとより望むところだった。敵艦隊を撃破しないまでも手傷さえ負わせられれば、リューディーランド近海の敵制空権に頚木を打ち込める。あとは安全を確保した補給ルートを足掛かりに、その孔を次第に広げていけばよい。
「攻撃隊を二つに分け、時間差で発進、攻撃させる。各空母にすぐに発進準備を下令せよ」
命令は、すぐさまハンティントン艦内はもとより任務部隊の全艦を駆け巡る。俄かに活況を呈したのは、やはり格納庫や飛行甲板など、攻撃隊の運用に関し権限を持つ区画だった。武器員により弾薬庫より引き出される空雷。トーイングカーにより牽引される対艦ロケット弾の束が、甲板員により主翼を折り畳んだ状態で飛行甲板に並べられたBDウイング艦上攻撃機の胴体下へと搭載されていく。油と金属、彼等飛行要員が発散するアドレナリンの臭いの上に、本格的な戦闘を前にした喧騒と緊張とが入り混じる空間は、これまでを船団護衛と遠隔地への制空任務とに費やしてきたハンティントンには、決して生まれることのなかった光景であった。
マリノ‐カート‐マディステールもまた、その光景の一部となっていた。
本来ならジャッキを使わねば持ち上げられないような重量の中型ロケット弾をその肩で支え、未だ少女の面影の抜けない女子武器員が、慣れない手付きでそれをBDウイングの主翼爆弾架に固定する。電磁石の作動と信管の固定とを確認し、疲労の色を微かも見せることなく爆装を待つ攻撃機の胴体へと潜り込んで行く。付くべき機のないマリノにとって、今は他機の発艦準備の手伝いをすることがその場における唯一の仕事だった。
活気の生む喧騒の中に、新たな活気が加わる。ブリーフィングを終え、待機室から一斉に飛行甲板へと飛び出す飛行士の一群。その中にはクラレス‐ラグ‐ス‐バクルもいた。マリノが眼を逸らすより早く、彼は目敏くマリノの姿を認めて会釈し、小走りに駆け寄ってくる。
「ねえ君、聞いた?」
「何をさ」
「カズマのやつ、向こうでまた四機墜としたそうだ」
「……それで?」
無関心を装うマリノの表情に、バクルの顔が曇った。
「嬉しくないのか?」
「別に。ところであんたは?」
逆に聞かれ、バクルは嘆息した。
「ぼくは直援隊さ。どうにか攻撃隊の名簿に載せてもらうことになった」
「敵が強いの、あんたが一番知ってるんじゃなかった?」
「だからといって、出撃しないのは怯惰というものだ。それに、みんなの役に立ちたい」
「フゥーン……」
物好きな人間に出会ったかのような目で、マリノはバクルをまじまじと見た。怪訝な表情で応じるバクルに硬い笑みを浮かべ、彼女は口を開く。
「ま、向こうであいつに会ったら宜しく言っといてよ」
了解したように笑みを浮べて頷き、発艦準備を終えた愛機へと駆けて行くバクルの後ろ姿を見遣りながら、マリノは内心でぼやく――何勘違いしてんのさ。あんたとあいつがまた出会えるとしたら、それはあの世しかないじゃない、と――だが、今しがた知り得たことに感銘にも似た感情を覚えずにはいられない彼女がいたこともまた、事実だった。
そうか……また撃墜したのか。
戦いを重ねる度、あいつは結果を出す。それも皆をアッと言わせるすごい結果を――拭いきれない感銘の一方で、マリノはマリノで、リューディーランドにおけるカズマの戦いぶりに、胸を曇らせるほどの不信感を抱いていたことも確かだった。
あいつは、戦いの度に強くなっていくのではない。
彼女の勘が正しければ、あいつはもうとうの昔にそんな段階を通り過ぎている。あいつは戦いに身を投じたその瞬間からすでに強かったのだ。それもとてつもなく――では……その強さは何処からもたらされたのか?――彼女の沈思を破ったのは、場を急き立てるかのような艦内放送だった。
『――クロイツェル‐ガダラより報告。敵偵察機一機、艦隊上空通過!』
その僚艦からの通報を、ハンティントン艦長 ラム中佐は、その端正な容貌に苦渋の色を浮かべて聞いた。機動部隊はそれぞれ一隻の空母を中心にした球形陣で戦闘空域を航行している。そして各隊相互の間には、実に100空浬近い距離差がある。
通報の直後、苦々しげな表情とともに見やった艦橋の窓――通常ならそこから蒼空一帯に広がっているであろう勇壮な艦隊の展開は、折から艦の進路を阻むように広がってきた突発的な雨雲に塞がれていた。この状態が続けば搭載機の発艦準備が終了したところで、この目鼻の先すらわからないような悪天候では迂闊に搭載機を出撃させることもできない。
そのラムの苦悩を知って知らずか、ヴァルシクールは言った。
「発艦準備を急がせろ。準備整い次第すぐに発進させる」
「しかし提督、この悪天候では」
「艦長、これは競争なのだよ」
「……?」
突然の言葉に怪訝な表情を隠さないラムに、ヴァルシクールは言った。
「レムリアンも偵察機からの報告に従いいち早く攻撃隊を出すだろう。これは早い者勝ちの勝負なのだ。まごまごしていると、敵の先制を許すことになる」
「ハッ……!」
空域での会戦といえば主力艦同士の艦砲や空雷の撃ち合いを想像してきたラムにとって、提督の言葉は意外ですらあった。感銘にも似た感情を隠せないラムに、ヴァルシクールは男臭い笑みを浮べる。
「アレディカにおいて、レムリア軍は砲戦距離で攻撃機を大量に集中投入し我が軍に勝った。しかしそれ故に彼らの損害もまた大であった。今度は彼らは砲戦距離を大幅に越えた先に、攻撃機を集中投入せんと図るだろう」
『――離着艦管制室より報告。第一次攻撃隊発艦準備完了――』
ヴァルシクールはその古ぼけた軍帽を被りなおした。薄汚れた、継ぎ接ぎの生々しい軍帽。かの「第二次コルロン会戦」において持ち主と共に被弾し、炸裂弾の破片に貫かれたという「由緒ある」軍帽だ。
「宜しい、直ちに発艦せよ」
――雲中を征くハンティントン艦内。
発艦に必要な合成風速を作り出すべく急旋回に傾いた艦の傾きは、未だ改善される気配を見せない。
僅かな照明のみに照らされた飛行甲板上、発動機始動指示シグナルが緑に灯る。それが攻撃隊各機のエンジン始動の合図だった。
各機の下を縫う様に、始動位置で回転するプロペラに刎ねられない様、甲板員が慎重な足取りで駆ける。彼らはそれぞれ受け持ちの機の傍らに立ち、手にした黒板を掲げる。外界の風向、風速、そして外気温……黒板に書き連ねられたそれらに従い、操縦士はエンジンを調整し、航法士は長距離飛行に必要な計算式を組み立てる。
攻撃隊の前方に立つ発着艦担当士官が、攻撃隊先頭の前で大仰に腕を広げる。主翼展張の合図だ。
整備員と甲板員が折り畳んでいた主翼を展開し、各機がエンジンを暖気位置に一斉に轟かせた途端、ハンティントンの飛行甲板は百雷が落ちたかの如き不気味な振動に包まれる。攻撃隊各機の脚元には二名ずつの甲板員が付き、発艦指示シグナルが発艦許可を示す青に変わるや、主脚を拘束する車輪止めを取り払う瞬間を今か今かと待ち構えている。
今や甲板面積の半分を占める攻撃隊の前方。発艦士官が送る「最終準備」のハンドサイン。矩形の発進口より彼の背後に襲い来る風圧は、いよいよ強いものとなっていた。飛行甲板先端より噴出す蒸気の靡く方向は、艦が攻撃隊の発進に適した風向、風速を作り出していることを無言の内に報告していた。
そして、シグナルは青に灯る。
発艦――離陸位置にまで開かれたエンジン出力に身を任せ、飛行甲板を滑るように空路へと赴く制空隊のジーファイター。増槽を抱きながらも合成風速はそのずんぐりとした機体を忽ち水平にし、飛行甲板の終りまで僅かを残したところで主脚は甲板を離れた。それが合図であるかのように、攻撃隊の各機は続々と甲板を走り、雲に塞がれ先の見えぬ闇へと飛び上がっていく。宙に浮いた翼端灯と尾灯の放つ赤青の煌きが、どす黒い雲の壁へと吸い込まれていく。
第一次攻撃隊はハンティントンより戦闘機18機、攻撃機24機。クロイツェル‐ガダラより戦闘機12機、攻撃機16機の計70機。攻撃隊の指揮はハンティントン所属の、第27攻撃航空群司令のクラウス‐D‐E‐クゼルスキー中佐が取る。クゼルスキー中佐は艦隊士官学校の出身。同じく艦隊士官学校の出身で、ハンティントンの飛行隊指揮官たるバートランドやバットネンの三年先輩にあたる男だった。決して無能な指揮官というわけではない。史上初の単発航空機による北大空洋横断飛行を成し遂げるなど、軍人というよりむしろ飛行家、冒険家としての名声の方が高かった。つまりは今回の攻撃行に際し、指揮官としての手腕は未知数であった。
第二次攻撃隊はハンティントンより戦闘機12機、攻撃機16機。クロイツェル‐ガダラより戦闘機16機、攻撃機28機の計72機を、第一次攻撃隊発進の十五分後に出す。攻撃隊指揮官はクロイツェル‐ガダラ所属の第43攻撃航空群司令のアーヴィン‐ベルツ中佐。
――かくして、各空母より発進した各飛行隊は艦隊上空で集合、銀翼を連ね勇躍敵艦隊の待つ方角へと向かって行った。その先に待つものを、確実さを以て想像できる者は、攻撃に赴く空の上にも、そして攻撃隊の戦果を待つ各艦の上にも皆無であった。
――レムリア軍空母ダルファロス艦上。
『――敵艦隊発見。空母1、巡洋艦4、駆逐艦8をナロス島西より約180の空域に視認。彼我の距離270、敵艦隊速力23、敵移動針路北西。空母はクロイツェル級戦艦改造型と認む』
偵察機からの報告を、レムリア艦隊南大空洋方面機動部隊司令 セルベラ-ティルト‐ブルガスカ大佐は、防空指揮所最上段の指揮シートに身を沈めて腕を組み、そして無言のままで聞いた。
「どうなさいます……?」と、ダルファロス飛行長。
「戦艦改造型?……ハンティントンではないのか?」
「は……?」
鍔の広い軍帽にその射る様な視線を隠し、やがてセルベラは顔を上げた。
「他機に引き継がせ、偵察機を戻しますか?」
飛行長が、さらに聞いた。それにセルベラは、軍帽の影より射る様な視線を向ける。
「空母はもう一隻いるはずだ。帰還の限界まで捜索を継続させろ」
「ハッ……!」
「ダルファロスより120機出せ。一回で終らせる」
セルベラの決断は迅速だった。
ダルファロス主格納庫に面する空戦士待機室の入口傍には、巨大な掲示板がある。艦隊司令部で作成された攻撃命令書を掲示するための掲示板だ。攻撃目標の位置及び攻撃隊の飛行針路、攻撃に投入する搭載機の数、参加機の兵装、さらには参加する空戦士の編成及び名前――旗艦中枢の電気計算機により作成され、打ち出された命令書の内容は、文章よりもむしろ数字の羅列が目立ち、むしろ工場の生産目標と労務管理に関する指示書の様にも見える――否、まさにそのものであった。死と破壊を生産するための指示書だ。ダルファロスは工場、空戦士たちは工員であった。
地上人の空母を沈めに行く――掲示板に張り出された編成割を目当てに集まった空戦士たちの間には、意図を同じくした熱気が生まれていた。搭載機数において自軍のダルファロスと拮抗し得る地上人の空母を沈めれば、自ずとリューディーランドはレムリアの手の内に入る。それだけではなく、空母を喪った地上人の艦隊は、レムリアに抗う術を失い、やがては屈服を択ぶであろう――若い空戦士ほど、司令部付き幹部の講話をそのまま信じ、そう遠くは無い未来に希望を見出すのだった。
特に、対艦攻撃を担う攻撃機隊の間では競争が生じ始めていた。まだ見ぬ地上人の空母、誰がそのどてっ腹に空雷を叩き込むのか? あるいは止めとなる一撃を打ち込むのは誰か?……といった具合に、であった。ダルファロスにおいては、敵の輸送船や中小型の艦艇に雷撃をやった者はいても、戦艦や空母の様な主力艦に雷撃を敢行した者は少ない。経験が足りないのではない。敵の主力艦に雷撃をやって、生きて還って来た者が少ないのである。それぐらい雷撃は難しく、それから生き残るということになれば困難さは更に増す。
「――あの『アレディカ戦役』のときは、雷撃に投入された一個飛行連隊がまるごと未帰還になったっていうぜ?」
「――あれは飛行機の性能が足りなかっただけさ。今の我が軍にはニーレ‐ダロムがある。アレディカの様な惨いことにはならないさ」
若い空戦士ふたりが、紅潮させた頬もそのままに話し込む。それを背中で聞きつつ、タイン‐ドレッドソン少佐は編成表に記された自身の役割を、ただ無表情に凝視し続けていた――腹心のレラン‐グーナとともに、四機の爆装ゼーベ‐ラナを率い、護衛艦艇攻撃による雷撃機隊の援護、それが「レムリアの興廃に関わる作戦」における彼の任務であった。グーナの他、リッカラ‐ヴィガズとタクロ‐ロインが健在であったのならば、編成も変わり、タイン自身従容として出撃に赴いたことであろう。だが今となっては――
「…………」
編成表の端、出撃する編隊とは別個に編成された中隊の名簿を、タインは凝視している。出撃でなく、機動部隊司令直々の別命あるまで待機を命じられた戦闘機中隊の編成表。その中隊長がタインの背後に歩み寄り、笑いとも興奮とも区別の付かぬ鼻息を漏らす。編成表を満足げに眺めるエドゥアン‐ソイリングが、誇らしげに眼を笑わせていた。
「……向こうでさらに四機、撃墜されたようですよ」
「ロズカの小隊のことか」
と、タインは応じた。ロダン‐ロズカ曹長のことは知っている。中隊を任せるには階級上未だ至らないが、優秀な小隊長だ。彼自身、七機の地上人の戦闘機を撃墜した撃墜王でもある。彼の小隊は、ヒュイック近傍の威力偵察に出たまま、予定時間を過ぎても戻らない。敵機の姿を見たら、すぐに引き返せと彼らは厳命されていた。敵戦闘機らしきものが一機でもいることが判れば、ダルファロスとしてはそれでよかったのだが……
「舞台の前座としては、還って来てくれれば満点だったのですが、要らぬところで欲を出したのかもしれませんね」
「エド坊や、相談があるんだがな」
「譲りませんよ。地上人の撃墜王と空戦る機会は」
「思うに、やつはお前さんの手に負える相手じゃない」
「腕はいいかもしれないが、乗っているのは粗悪な地上製の飛行機だ。自分が行けば片はすぐに付きますよ」
「エゼル‐エールラーを知っているか?」
「毒蜂エールラー……自分の軍官学校予科の二年上でした。取っつき難いところもありましたが、いい人でしたね」
「セギルタ‐エド‐アーリスは?」
「自分が入った頃の飛行学校の教官でした。もっとも、自分が着校してすぐに前線勤務になりましたが」
「昨夜母艦の司令部に、ハンティントンとかいう地上人の空母について教えてもらった」
「それが何か……?」
「問題はそいつの足取りだ。エールラーはサン‐ベルナジオスの船渠にいたハンティントンの近くを飛んでいて死んだ。アーリスに至っては、コムドリア方面で行動していたハンティントンを沈めようとして死んだ……そしてハンティントンはいま、おれ達の近くにいる」
「だから、何がおっしゃりたいので? 少佐」
エドゥアンの表情から、余裕が消えた。
「昨日ヒュイックに出撃したロインの中隊とぶつかったのは、ハンティントンの飛行隊だったそうだ。その中にエールラーとアーリスを殺った地上人がいて、そいつは母艦に戻らぬままロインとヴィガズをも殺し、今なお何らかの理由でヒュイックに居座っているとすれば……どうなる?」
「…………」
今度は、感情そのものがエドゥアンの顔から消えた。それでも青年は、背筋を走ろうとする戦慄に必死で抗い、抑制に成功した。
「考え過ぎでしょう? 地上人ですよ? 我々より知性と身体能力に劣り、飛行機すらまともに操縦できないような……」
「おれも戦争が始まるまではそう思っていた」
「は……?」
何時しか、タインの独つ眼が、険しさを増していることにエドゥアンは気付く。声に重さを込めて、タインの口が開く。
「人が死に過ぎなんだよ。この戦争は。地上人が本国のお偉いさんが言う様に、見るべき処の何もない下等種族ならば、もう少し戦争は順調に進んでいる筈なんだ。本当ならば今頃もう全ておれ達の勝利で終わっているかもしれん。でも何故かそうはなっていない。これだけ圧倒的な艦隊、技量優秀な空戦士を繰り出しながら、おれ達は地上人からは服従の礼はおろか弱音の一言も引き出させてはいないんだ……お前さんもいずれは雌虎の後釜に座る積りなら、この意味をもう少し真剣に考えてみたらどうだ?」
「ええ、真剣に考えてみることにしますよ。この戦争が我々の勝利で終わったら、ね」
タインの凄みに、軽薄なまでの微笑で応じ、エドゥアンは踵を返した。喩え空戦士の先達とはいえ、臆病者に用は無いとでも思っているかのような態度であった。二人の対峙が終わったのを見計らっていたかのように、エドゥアンの部下らが彼の背後に集まり、そして話しかける。
「大尉殿、敵空母攻撃には参加しないのですか? 戦略的には、此方の方がずっと重要と小官は思いますが……」
「心配することはない。地上人の空母を沈める機会は、これより先幾らでもある。だが……」
「…………?」
「……空戦史上有名な戦いに居合わせる機会は、中々巡ってこないぞ。貴官らは今日にでも、その戦いに名を連ねることになるのだ」
あいつだ……あいつに違いない、とエドゥアン‐ソイリングは思っている。
エゼル‐エールラーにセギルタ‐エド‐アーリス――地上人の戦闘機乗りに、これら有力な撃墜王を倒せる筈が無いと、エドゥアンはタインの前で啖呵を切って見せたが、実のところエドゥアンには思い当たる節があった。先日、地上人の疎開船団を攻撃した際に遭遇した「あいつ」。攻撃機を撃墜し、エドゥアンの中隊を愚弄し、さらには船団から引き離そうと仕掛けて来たあいつの尾翼識別章もまた、ハンティントンのものだったことがエドゥアンには思い出された。空に出てから今まで、彼が出会った唯一の「腕の立つ地上人」たる「あいつ」――
――あいつは、おれよりも若かった。偶然の為せる業か、一度銀翼を連ねて飛び、機上の「あいつ」と眼を合わせすらした記憶は、エドゥアンの若い感性にむしろ困惑すら生んだ。それが過ぎた後には、胸を破らんほどの敵愾心が湧いて来た。嫉妬と言い換えてもいいのかもしれない……と同時に、希望もまた生まれて来た――あいつは俺の人生における、戦の神が用意した障壁だ。その障壁を越えれば、俺には空戦士としての新たな可能性が開けるかもしれない。障壁を越えられないとは、レムリアの青年は微塵も考えなかった。
「中隊員を全員待機室に集めろ」
つき従う中隊最先任の准尉を、エドゥアンは顧みて言った。怪訝な表情を隠さない准尉に、作り笑いで意図を披歴して見せる。作戦を決めようとエドゥアンは言った。
「我々はこれより、敵地上空で悪魔と対峙する。悪魔を打ち破るに、敵編隊とはまた違う対処が必要になるだろうからな」
「――全機、発進準備完了いたしました」
飛行長からの報告にも、セルベラは全くの無感動だった。人差し指でシートの手凭れを叩きながら、彼女は言った。
「もう一隻は未だ見付からぬのか?」
「雲量が思いの外多く、捜索に難渋しているようです。それに……」
「それに……?」
「そろそろ捜索飛行も限界に近付いております。偵察機に帰投をご下令になられたほうが宜しいかと……」
「…………」
直後、例の如く冷厳な視線に射竦められ、飛行長はその場に固まった。だがそれも一瞬、彼の予想とは意外なことを、彼女は言った。
「わかった……ここは貴官の上申に従おう」
飛行長が内心で胸を撫で下ろす間もなく、セルベラは親指を立てた。それが、攻撃隊発進の合図だった。
『――ジャグル‐ミトラ隊、タイン‐ドレッドソン 出るぞ!』
声とともにタインとその愛機が虚空に飛び出した時には、周囲の空は編隊を組もうと蠢く各作戦機に埋め尽くされていた。
射出口から打ち出されるや否や、カタパルト射出時の重力の桎梏より解かれ自由になった手で主脚を収納し、そして揚力維持に十分な速度に達したところでフラップを戻す。口で述べるだけなら容易だが、実行には熟練が伴うこれらの作業を、列機との合流までの僅かな時間の内に、周囲の気流や機体の状態を勘案しながらごく短時間の内に為してしまうことが、空戦士の技量を測る目安でもあった。
「あれはうちの隊長だぜ!」
と、飛び立っていくタインのジャグル‐ミトラの後姿に油に塗れた太い指を向け、レグエネン兵長は誇らしげに叫んだ。
ある者は勇躍として、またある者は不安げに母艦より発艦を果たしていく空戦士達の様子を、手の空いた整備員や甲板員たちが発着艦管制室の展望窓より興味を以て伺うのは常のことであった。自分の手塩をかけて整備した機体がうまく飛び上がるか、そしてその使い手たる空戦士が、機体を巧く操縦して戦果を上げてくれるか、それが彼らの興味の大半を占めているといってもよかった。
従軍カメラマンのリオン‐グーザもその中にいた。この発艦作業で彼のカメラはすでに五本のフィルムを使い切り、はしゃぐレグエネンの促すままタインのジャグル‐ミトラを収めた瞬間、彼は六本目のフィルムすら使い終えた。
「あんがとよ写真屋さん。うちの旦那も喜ぶぜ」
「本国に送れば、いい宣伝になるよ」
と、リオンはレグエネンに声を弾ませた。事実、彼はここ数週間分の本国の報道媒体を埋めるに足る量の報道写真を手に入れていた。特に、アダロネスを住処とする撃墜王たちの姿形、さらには打ち解けた表情を撮影機に収めることが出来たのは大きな収穫だった。今やレムリア本国では、撃墜王は映画俳優張りの人気がある。その姿を収めた写真もまた市場に広く出回っている。レムリアの少年たちにとって空戦士は理想の職業であり、レムリアの乙女にとっては理想の伴侶である。だからこそ、撃墜王の写真はリオンの属する通信社の利益に大いに資することになるかもしれない。
そしてさらに今日中にもリオンは、これまで自分が撮って来た中で最高の写真を撮る機会を得るだろうと思いを巡らせていた――敵艦隊を撃滅した攻撃機編隊が着艦する瞬間、言い換えれば攻撃隊の勝利凱旋の光景だ。
ダルファロスの艦体下部より、再び解き放たれた攻撃隊が、母艦より切り離されると同時に加速をつけ一斉に上昇する様は壮観ですらあった。レムリア艦隊はまさに世界最強の戦闘集団だ。その軍団の進撃を、果してこの世界の誰が止められるというのか?
上昇した攻撃隊は艦隊上空に達したところで鮮やかに雁行状の編隊を組み、そのまま艦隊上空を一旋回すると、遥か遠方の空へと向かって行く。展望室から臨むダルファロス艦橋のバックに現出した大編隊。それもまたリオンの構えるカメラレンズの中で一つの勇壮な絵画と化した。
「みんな、還って来るといいね」
「ああ……そうだな」
束の間の休息を取ろうと使い切ったフィルムを巻き取りながらも、リオンは新たな、そして重要な写真撮影の機会が近い将来に訪れるであろうことに、迂闊にも気付いてはいなかった。
――それは、これより襲い来るであろうラジアネス軍機動部隊と、リオン自らの属するレムリア艦隊との死闘の光景であった。




