第五章 「船団護衛 後編」
「――地上人め!」
必中を期した一連射は、それを放ったエドゥアン‐ソイリングの眼前で虚しく蒼空を切った。二連射目もまた同じ展開をなぞった。曲がるというより滑る様に左旋回を続け、追尾から逃れんとする地上人の戦闘機。事前に聞かされていた性能と違って、そいつの機動は機敏そのものに見えた。
「いや、違う!」
機敏なのではない。旋回速度が速いのだ。それも、降下加速を生かした回避機動。同じく左旋回で照準器に地上人の機影を追いつつ、エドゥアンは相手の老練なることを察した。本土で基本操縦課程を終え、実戦機の操縦訓練に励んでいた頃、エドゥアンの教官を務めた熟練空戦士は言っていたものだ――敵機を撃墜し得る瞬間にあろうと、後背より撃たれたと察したら、雑念を捨てて素早く回避機動に入ること。それが空戦士の生死を分けることになるのだ……と。
『――戦闘機隊、援護感謝する!』
通信回線に安堵の声が聞こえる。エドゥアン達が来るまでに、あのたった一機の地上人に追い回されていた攻撃機隊の、それは感謝の声でもあった。彼らの悲鳴を聞かなければ、エドゥアン達は速やかに別針路を取り、彼らなりに獲物を探し、これを狙うことになっただろう。疎開船団という、「撃ち甲斐」のある獲物を――
「攻撃機、地上人の蝿はこちらで引き受ける。フネは任せた!」
『――了解!』
「セムロン! 三機連れて攻撃隊の援護に行け。一匹の獲物に八匹の猟犬では割に合わん!」
『――了解!』
セムロン准尉の率いる三機のゼーベ‐ラナが、主翼を翻して上昇する。彼らの翼下には大型ロケット弾の収まった三連装発射筒が装備されている。彼らの本来の任務が敵機との戦闘ではなく、対飛行船攻撃にあることを、その身形は何よりも物語っていた。エドゥアンら四機はと言えば、攻撃隊の危機に接した瞬間、速やかに対艦攻撃という選択肢を棄てた。装備を棄てて身軽になるのに、エドゥアンには少しの迷いが必要だった――少し銃撃を掛けて地上人の戦闘機を追い払い、あとは船舶攻撃に徹すればいいのではないかという迷い。
照準器の縁が、眼前の黒い機影の端に触れていた。照準器の中心までもう一歩という距離を、あの小癪な地上人は空の一点でもがく様に踏み止まっている。
こいつは撃墜す!――迷いを経たが故に、決断は眼前の地上人に対する烈しい殺意となってエドゥアンを追尾に駆り立てる。徐々に詰まり来る距離。ゼーベ‐ギルスの加速は一級品だ。旋回半径を除けば、旋回に要する時間、上昇に要する時間、降下に要する時間、その何れにおいてもゼーベ‐ギルス、その前身たるゼーベ‐ギガは戦闘機として後発のゼーベ‐ラナに勝る。
今となっては反故となってしまったが、年齢にして十六歳のとき、空戦士幹部候補生としてギガに乗せられたときから自身の運命はこいつと共にするとエドゥアンは誓ったものであった。熟練空戦士に言わせれば、ゼーベ‐ラナとは生産性と取扱いの簡易さを優先するがあまり、要らぬ妥協を重ねた結果に生まれた「劣化」ゼーベ‐ギガに外ならない。本来迎撃戦闘機として計画されたが故の滞空時間の短さも、エネルギーを浪費しない、加速と上昇を生かした戦法に徹することで補えばいいだけだ。ゼーベ‐ギガこそが中隊を率いる人間が駆るに相応しい機体。空戦域を駆け巡り、配下の紅い銀翼の獣どもを纏めるに相応しい機体なのだ――況やその高機動型とでも言うべきゼーベ‐ギルスに於いてをや――操縦席にまで伝わる抑制された鼓動、だがスロットル操作によっては暴力的なまでの反応をも生む液冷エンジンの出力には、未だ余裕があった。
「…………!?」
旋回を続けるゼーベ‐ギルスが、小刻みに震え始めるのにエドゥアンは気付いた。それは失速の予兆だった。旋回し速度が落ち始めた結果として、主翼が気流を取りこぼし始め、それまで空飛ぶ武器であった戦闘機を重力に従順なただの質量へと変える。スロットルを開いて旋回を緩め、速度を取り戻すべきかとエドゥアンは再び迷う。しかし追尾する敵機が照準までごく至近にあるという眼前の事実が、再び彼を躊躇わせた。編隊の先頭を切って追尾したからには、何としても彼を撃墜さねばならないと、若者は頑ななまでに思い込んでいた。
「――――!?」
一機のゼーベ‐ラナが、エドゥアンを旋回の内側から追い越すように抜きん出た。機番号から、先週編隊に配属されたばかりの少年空戦士だと察した。彼の指揮官が一度も撃たず、延々とたった一機の地上人を追い回している状況に、血気に逸るその少年は耐えられなくなったのだ。エドゥアンが怒声を上げるより先に、少年兵は撃った。一連射は外れ、ラナは旋回し地上人に追い縋る。ラナの旋回半径はギルス、あるいはギガより狭く、それ故に地上人の機を追い易い。地上人が機首をやや下げ、再び加速しつつ旋回した。地上人とラナの距離が拡がるのを、エドゥアンは見た。
「やめろ! 編隊に戻れ! おれがやる!」
『――もう少し! もう少しで撃墜できます!』
『――中尉どの! これ以上やると地上人の船団から離れます! 空戦を打ち切り上昇しましょう!』
狼狽の声が聞こえる。部下の進言であった。攻撃隊の任務は船団の攻撃であって敵機の撃墜ではない――この空に在る上で最も重要な一点を、エドゥアンは敵機に遭遇してから明らかに忘れ去っていた。思い出したあとには、眼前の地上人に対する新たな怒りが沸いてきた。
「無様な!」
それは、自身に対する叱咤であった。眼前の地上人が旋回を左から右に切り返す。気の迷いを見透かしたかのような地上人の機動を前に、エドゥアンの判断が遅れた。誤って下に傾けた操縦桿がギルスを降下させ、右に滑ったジーファイターと並ぶ。
「――――!?」
風防を開け放ったままの操縦席に陣取る地上人と、目が合ったようにエドゥアンには思われた。体格から若い男だと思った。
自分と同じ年齢?――いやまさか、ずっと若い?――そう察した時には、戦慄が背筋を走る。
地上人なのにここまで――?
ジーファイターが右旋回しつつ上昇する。違う――機体を滑らせ、位置エネルギーを抑えたままの方向転換を前に、指揮官に倣い一斉に降下したレムリア機編隊との高度差が開く。右旋回を終えた頃には、地上人はエドゥアンらの背後を占めていた。更に言えば後上方――およそ空戦で追われる側からすれば、最悪の占位だった。
「こいつっ!」
苛立ちが左にフットバーを踏む。長機に倣いラナも左旋回。直後、最後尾の一機が主翼から白煙を吐き出した。旋回で距離が詰まったところに一連射を撃たれたのだ。旋回が終わらぬ内、更にもう一機が背後から被弾した。
『――撃たれたっ!』
苦渋に満ちた通信は、撃たれた当人が傷付いたことを、編隊を統べるエドゥアンに教えていた。旋回が終わるのと同時に編隊が二群に分かれる。撃たれたラナ二機が長機の機動に付いて行けず、編隊が崩れた。操縦系をやられたか、操縦士が傷付いたのかおそらくは両方であろう。
次は自分か!――背筋を震わす戦慄が烈しくなる……背後からの圧力が、かき消えた。
「――――?」
『――敵機、離脱していきます!』
唯一健在な部下の報告を聞く。怯えた目で顧みた先で、地上人の黒い機影が遠ざかるのが見える。反撃しようと機首を廻らせかけたところで、肝心なことに思い当る。
「集合! 小隊集合!」
機首を寄せ合うように並んだ部下たちを、エドゥアンは戦慄と共に見つめた。翼内燃料タンクを撃ち抜かれた一機と、風防を割られた一機――先刻の空戦を辛うじて生き抜いた二機を囲むように、四機は旋回しつつ態勢を整え、船団の方向に機首を向けた。
「…………!」
黒煙を吐きつつ、高度を落とす船影が二つ見えた。脱出者を収容するべく船影を取り巻く連絡艇、その救難作業すら追い付かず、すでに脱出用落下傘の射出すら始まっていた。円錐状の収容カプセルを繋いだ落下傘が無数、戦場の風に煽られて空を舞い始めている。それを凝視する青年の眼から怯えが消え、次には残酷な光に席を譲る。傷付いた二機に帰還を命じ、エドゥアンは言った。
「あのカプセルをやるぞ。殲滅だ」
『――はっ?』
「あいつが悪いんだ。我々を愚弄し、我らの作戦を妨害した地上人!……我らが空から、地上人の一切の痕跡を消し去るのだ!」
スロットルを開き、エドゥアンはギルスを加速させた。怒ったギルスの鼻先を、所在なげに漂うカプセルがひとつ――
『――援護を請う! 避難民が襲われている!』
共通回線を通じ悲鳴が拡散する。元来た空を顧み、カズマは後背の光景に目を剥いた。下層雲近くに生じた火球がひとつ、ふたつ……みっつ。その一つ々々に十数の命が閉じ込められていることに気付き、そして愕然とした。
もっとも、カズマが南進する船団に追い付いたときには、船団を廻る戦闘は終わっていた。カズマが逃した四機の攻撃機は、船団上空を守っていた二機のガダラ隊に阻まれたものの、二機が射点に入り空雷を投下、結果として一隻の輸送船が墜ちた。脱出の暇もない、短時間での爆沈であった。ただし護衛隊はガダラ隊と輸送船の対空砲火の協同で一機の攻撃機撃墜を報告している。
その後に襲来した四機の戦闘機を迎え撃った主体は、支援船団より分遣されてきた四機の複葉戦闘機であった。その時点で戦闘の帰趨は定まったも同然であった。複葉機は速度と運動性に勝るゼーベ‐ラナを追尾できず、逆に空戦で三機が撃墜されている。彼らにできたことは、四機の襲撃者に爆装を放棄させ、船舶攻撃という本分を喪失させた一事のみであった。それでも、銃撃で航行不能になった船が二隻出ている。船団指揮官が船の放棄を決断し、脱出作業が始まったところに、カズマが追い払った筈の敵機が舞い戻って来たという構図だった。
『――敵編隊、離脱していく!』
船団司令部からの通信が終わらぬ内に、カズマは機首を翻した。元来た空を辿る間にも殺戮は拡がっていた。銃撃され浮力を喪った連絡艇が、船首を下にして雲海の只中へと沈んでいく。降下する救命カプセルに点いた火が、降下するうちに全体に拡がり、業火に耐えられなくなった人々がカプセルから寄る辺ない空へと飛び出していく。中には既に全身を火に包まれている者もいる。
「あ……!」
船首を下にした巨船が、船体に付随する外板その他を撒き散らしつつ墜ちていく。既に浮力を失った以上、その巨体は重力に従い大地に戻り行く物体でしかない。その墜落も巨体なるが故に破格の加速が付いていた。たとえこの時点で浮力を取り戻していたとしても、人力で船首を上げて姿勢を服することはもはや不可能であったろう。その巨船と距離を置き、悠然と降下する輸送船がもう一隻――半ば放心状態で機首を巡らせたカズマは、迷彩を施した巨体と期せずして正対する形となる。
「アリサーシャ……?」
船体に描かれた名を、カズマはそう呼んだ。
『――「カルニアⅫ」なお沈降中! 高度一千切った!』
甲板員からの報告が事実を述べていることは、双眼鏡から拡がる惨状が教えてくれている。もはや飛行船という体裁すらかなぐり捨てる様に、破滅の待つ海へと墜ちる船体がひとつ。彼らの乗っている「アリサーシャ」と準同型であるだけに、少し間違えれば自分たちがあの運命を辿ったのかもしれないという思いも容易に生まれる。
船団を襲撃したレムリア軍攻撃機が放った空雷二本のうち、命中したのは輸送船「カルニアⅫ」に向けられた一本。だがその一本は、飛行戦艦を完全に戦闘不能に追い込む程の破壊力を秘めていることを船乗りたちは知っている。退避は間に合わなかった。被弾と同時に船体が二つに折れ、その後にはフラゴノウム反応炉の機能停止が訪れた。単なる被弾で反応炉が機能停止する筈がなく、被弾の衝撃で反応炉の緊急停止装置が誤作動したのか、それとも反応炉の暴走を恐れた船内のお節介な誰かが、意図的に緊急停止装置のスイッチをいれたのだろう――その後には失われた浮力を回復すること能わず、船は前後に分離しかけた歪な姿勢のまま、危険な降下を続けていた。
「救命カプセルの離脱を視認!」
船橋に陣取る甲板員が叫ぶ。船首に対し平行を保っている船尾部分から、銀灰色のカプセルが滑り落ちるのが見えた。船体から離れたカプセルから、巨大な落下傘が大輪の花の様に開く。それも二基。その行方を双眼鏡で追いつつ、フォルツォーラ船長は叫んだ。
「救助作業用意! 連絡艇切り離し方はじめ!」
『――前方、政府軍機! 直進してくる!』
報告の直後、アリサーシャの船橋を一陣の影が過った。銀翼を傾け、更に上昇の姿勢を取りつつ離れゆく政府軍機の後ろ姿。それを目で追いつつ、イルク‐レイナスが言った。
「まったく……くその役にも立ちやしねえ」
「いや、あいつは良くやったよ」
「え……?」
怪訝、というより不本意さをあからさまに顔に出してレイナスは彼の船長を見遣った。それに対し部下を咎める不機嫌な表情で返し、フォルツォーラ船長は沈む船を睨む。
あいつがいなければ、船団の被害は更に増えていたな――沈みゆく僚船を見送りつつ、若い船長は思った。
支援船団と疎開船団への敵襲。その顛末としての輸送船五隻、護衛戦闘機十八機の喪失――護衛戦闘機隊帰還の際に確定した被害の報にカレル‐T‐“レックス”‐バートランド少佐が接したとき、彼は空母「ハンティントン」医務室にあって、手にしたビショップの駒のやり場に手を迷わせていた。チェスの相手は軍医長 ブフトル‐カラレス軍医少佐で、チェス盤を挟んで正対する彼の皺くちゃの白衣のポケットには、当然のごとくにウイスキーの小瓶が収まっている。
「ハンティからは何機戻って来た?」
バートランドに問われ、エドウィン‐“スピン”‐コルテ少尉は背を糺した。
「三機であります。増援の六機は依然船団上空を警戒中です」
「一機はどうした?」
「撃墜された模様。乗員のアデロ少尉は脱出後船団に救助され、手当を受けております」
「ふうむ……」
「どうした? 止めるか?」
すまし顔のカラレスに言われ、バートランドは黙って盤上を見下ろした。あと一手で、バートランドがこの一局の勝者となることを盤上の戦況は示していた。言われるがまま止めようと見せかけ、バートランドは最後の一手を打つ。苦々しい軍医長の顔―― これまでの対戦の度に三スカイドルの金銭がやり取りされているが故の、それは苦渋の表情であった。
「幸先が悪いな。レムリアンの空母と克ち合うかもしれんときに……」
「しかし、キニー編隊だけでも十機を撃墜しております。本来リューディーランド及び本艦に向けられるべき敵の航空機を減らしたという意味では、少なからぬ戦果ではないかと」
「帰還後のデブリーフィング次第では、撃墜機数はずっと減るかもしれん」
「はっ……!」
刺される様に言われ、コルテは顔面から柔和さを消した。熟練した飛行隊長の言うことはもっともであった。空を飛ぶ――それも、ただ一人で飛ぶ――のに際し、誤認はつき物である。それが普通に飛ぶだけなら未だしも、敵の航空機と撃ち合いをし生命を削るのだから、誤認の重なる余地は大いにあった。我々は何機の敵と戦い、そのうち何機の敵を撃墜したのか、そして何機の敵を逃したのか――自隊の練度を上げ、空戦後の彼我の戦力差を確認する上でも、それらは厳密なまでに清算されねばならなかったのだ。
「三人は?」
「待機室にいます」
コルテの言葉に頷き、バートランドは立ち上がった。医務室を出る間際、「今の三スカイドル、記録しといてくれよ」と言うのも忘れなかった。もっとも、すんなりと三スカイドルを払ってくれるような人間でも無いことをも、長い付き合いからバートランドは知っていたわけであるが……
「起立!」
待機室の入口を潜ったバートランドを、編隊長キニー大尉は部下に対する号令で迎えた。編隊長たるキニー大尉にその列機たるハドソン中尉、そしてツルギ‐カズマ。趣の異なるそれぞれの顔を幾度か見比べ、バートランドはキニーに頷いて見せた。「楽にしろ」
三人が座った。帰還を果たしてもなお戦場の緊張の褪せることの無いきらいのあるキニー、ハドソンに至っては未だ頬を紅潮させ、深く息を吸ったり吐いたりしている。ただひとり、ツルギ‐カズマのみがその顔から感情を消し、バートランドの次の言葉を待ち構えているように見えた。壇上の机に腰掛け、バートランドは言った。
「少ない戦力で、よくやってくれた。損害は大きかったが、支援船団はリューディーランドからの哨戒圏に入ったし、疎開船団も危険域を抜けた。兎に角やるべきことはやったんだ。いまは次におれ達がやるべきことについて話そうじゃないか」
「質問」
と、手を上げたのはハドソン中尉であった。ずんぐりとした短躯に猪の様な太い首をした中年男。戦闘機乗りとしての技量は未だ拙いが、中尉の階級ながら実年齢は彼の編隊長たるキニーよりも年長であり、入隊前は軽輸送機の操縦士であったという経歴を顧みれば、純粋な飛行士としての彼の経験はキニーとカズマすら凌駕するかもしれない。
「ハンティントンは、レムリアンの空母を見つけましたか?」
「今のところ攻撃機を中心に、全方位に一個小隊ずつ二群索敵に送り出しているが、音沙汰無しだな。雲に潜っているのかもしれん」
「我々が接敵した時には、レムリアンは船団の西方向から飛んできました。西方を重点的に探ってみては?」とキニーが言った。
「韜晦針路、という可能性もある。だが聞くべき意見だろうな」
カズマは言った。
「そう言えば、疎開船団を襲った敵編隊は船団の北東から飛んできました。こちらもやはり韜晦針路かもしれませんが……」
「ふむ……」
バートランドは顎を摘まんだ。「索敵については艦長にも相談してみるよ……ところでボーズ」
「…………?」
呼び掛けられ、カズマはバートランドを見返した。表情から緩みを消し、バートランドは言った。
「浮かない顔をしているな。どうした?」
「ええ……レムリア軍が脱出した民間人を銃撃していたもので。助けられませんでした」
「救えなかったのは、ボーズの責任だと思うか?」
「はい」
「それは間違いだ」
きっぱりとしている上に、容赦の無い言葉だとカズマには思えた。眼差しに厳しさすら込めて、バートランドは言った。
「お前さんの腕はいいが、お前さんは神様じゃない。少ない戦力で迫り来るレムリアンを追っ払って、船団を五体満足で通すなんて、神様でもない限り出来ることじゃない。おれ達は人間なのだから、人間らしく命を削って、汗を流しながらよりマシな結果を出していくしかないのさ」
言い終えた後で、バートランドは笑い掛けた。「……で、今日は何機撃墜した?」
「一機は確実です」
「一機?……苦戦したか?」
「彼には今回色々と苦労を掛けましたからね」
と、キニーがカズマの頭に触れた。「敵が多過ぎたんです」
バートランドは頷いた。
「まずはその多過ぎる敵の動きを止めることだな。ことによると、TF001の戦力だけでは手に余るかもしれん」
ロッカールームで装具を脱ぎ、格納庫まで少し歩いたところで、カズマは自動販売機でフラ・コーラを一本買った。それが今となっては、日々の飛行を終えたカズマの習慣になっていた。要するに、先刻の一度の戦闘飛行でカズマのこの日のスケジュールは終わった。これは後日の戦闘に備えた、バートランド隊長の温存策と言ったところで、それでもことによると夜間哨戒飛行の予定も入ってくるかもしれない……言い換えれば、ハンティントンで夜間の作戦飛行が可能な操縦士が徐々に育ってきていることの証であった。
「――今日の空戦は、苦戦だったらしいな」
「――こちらの数が少な過ぎる上に、操縦士の腕も悪いのさ」
「――――!」
自販機を過ぎようとして驚愕し、半ば反射的に通路の陰に身を潜める。自販機に隣接する休憩所――言い換えれば「喫煙室」――で、非番の乗員の話し声が聞こえていた。
「――だいたい苦戦といったって、あの連中、何時も苦戦しているじゃないか」
「――アレディカで負けすぎたのさ。お陰でちゃんと手足が動いて、目が見えるやつなら誰でも戦闘機の操縦桿を握れる世の中だ……言い換えれば、みんなレムリアンのいい的だな」
「――戦闘187のバートランド隊長は歴戦の勇士だと聞くぜ。それに……カズマとかいう新入りは、すごい腕前というじゃないか」
「――すごい腕前だあ? その割にはだれもあのガキが敵機を撃墜したところを見たことが無いって言うぜ。きっといつも逃げてばかりいるのさ」
「――どうせ空母に乗せるんなら、まともな操縦士を乗せろよなあ」
「…………」
カズマは行く道を変えた。だいたい熱心に空母乗りを志願した覚えも無ければ、戦闘機に乗りたいと希望した覚えもない。ただ、わけのわからない運命の風向きで自分は戦闘機に乗り、敵機を撃墜したのに過ぎない……不本意な物言いをする人間と、この艦に乗り合わせていることの不条理さが今更のようにカズマの胸をムカつかせた。
カズマがいる区画の場合、行く通路が違っても、ハンティントン艦内にあってはいずれ格納庫に足が向かうようになっている。丁度飛行甲板の真下、先刻着艦させたばかりのジーファイター群が、すでに主翼を畳まれて雑然と佇んでいた。中には、酷く撃たれている機体もある。他一機に至っては機首を損傷し、エンジン部からオイルを滴らせ続けるがままにされていた。これが放置されているあたり、ラジアネス軍が日本海軍に比べ、かなり大雑把な気風の通る軍隊であることをカズマは思い知らされる。
自身の乗機を見つけ出すのに、格納庫の隅にまで歩かなければならなかった。ゼーベ‐ラナに追われ、撃たれた痕は未だそのままになっていたが、それでも僅かな補修ですぐに戦列に戻れるくらいに軽いものであるようにカズマに思われた。それ以外は別のジーファイターと全く変わり映えの無い機体。バートランド隊長からは撃墜マークを塗ってもいいのにと言われたものだが、過日の戦闘の様にまた乗機を失った時を思えば、余計な手間の様にも思われて未だ躊躇いが先に立っている。
操縦席にまで登ろうとステップに足を掛けたところで止めた。背後に歩み寄った気配が外壁に背を預け、そして煙草を燻らせている――
「――マリノ?」
名を呼ばれても、なお黙っている。しかし、格納庫全体を照らし出すには不足な、薄暗い照明の下で顧みて初めて、その影から陰湿なまでの不機嫌さが漂っているのにカズマは気付く。
煙を吐き出したあとの口元が、嫌味に歪んだ。
「あんた、何やってんのよ」
「……ああ、任務は失敗だよ」
「あんた、あすこに何しに行ったわけ?」
マリノの語尾が嗤った。
「弾丸もあまり撃ってないみたいじゃない」
「撃つ機会が無かったからな」
「逃げてたんじゃないの?」
「逃げた……?」
カズマの顔から、一気に生色が消えた。
「みんな言ってるわよ。腕がいいって触れ込みの割りには、あんたが敵機を撃墜するとこ見たこと無いって」
「ああ、編隊から逸れることが多いからな」
「じゃあ、逃げてるんじゃねえか」
マリノの声色が、変わった。打ち据えられたように、カズマは顔を上げた。言葉でこそ嘲弄してはいても、その眼鏡の奥で、彼女の眼が笑っていないことにカズマは気付く。
「ホラ、何も言えないじゃん。何とか言ってみろよ。チビ」
「おれは空戦をしに行ったんだ。それだけは笑わせねえ」
「漸く搾り出した言葉が、それかよ」
マリノは咥えていた煙草を踏み潰した。いきなり伸びた腕が、カズマの襟を掴み上げた。
「テメエみたいなひ弱で馬鹿っぽいオトコがさァ、どうして飛行機に乗っていられるわけ……!?」
不意の挙動であった。襟を掴まれ、唖然とするカズマに、マリノの荒れた声が耳を打った。
「この弱虫っ! 整備してるこっちの身にもなれよ!」
勢いをつけ、マリノはカズマを突き飛ばした。無様によろけるカズマを貫く冷たい視線。
「あんたなんか……さっさとレムリアンに撃墜されてしまえばいいんだ……!」
その声は決して大きくは無かったが、カズマの胸にズシリと圧し掛かった。




