35話
よろしくお願いします
それから数日は何事もなく過ぎて行った。
沙久羅達も美月に情報を貰い、警戒はしていた。そんな中での学園の警備は思わぬ疲労を沙久羅にもたらしていた。
「…沙久羅?」
学園の森林区域の木陰で沙久羅が立ち止った。
「ごめん、少し、休ませて」
今日は陽射しが強く、歩いているだけでも体力は消耗する。
さすがに集中が解けかけているのを自覚した沙久羅が座り込んだ。木陰で休むと幾分、体力が回復するような気がした。時折吹いてくる風も心なしか涼しく感じた。
「少し無理させたな」
耀が沙久羅の額に手を当てて言った。
「はぁ、耀の手が気持ち良いよ」
少し頬を紅潮させて沙久羅が笑って見上げた。あれから二カ月が経っていたが一向に沙久羅の足は動く気配さえない。魔力が吸収されてきているとは桔梗も言っていたが、まだ時間は掛かりそうだった。
「足引っ張ってごめんね」
少し心配そうに沙久羅が耀の顔を覗きこんだ。
考え事をしていた時に少し険しい表情をしていたようだった。
「そんなことないから大丈夫だよ。心配すんなって」
沙久羅の髪を少し乱暴に撫でた。
「それよりも、沙久羅、熱あるじゃないか」
いつもより赤い顔をしているのを不思議に思っていたが、沙久羅の額に触れて解った。
「そんなことないよ」
そう言いつつも時々荒い息をしていた。
「…無理すんな。今日は早く上がるからな。先に応急処置な」
耀はそう言うと沙久羅の額に手を当てた。
耀の指先から優しい光が沙久羅に降り注いだ。身体に溜まっていた熱が引いていく感覚がする。
「…ありがとう。だいぶ楽になった」
沙久羅は足に手を翳すと何事もなかったように立ちあがった。
「あくまで応急処置だからな。無理するなよ」
そう言うと耀は先を急いだ。沙久羅も後を追った。
夏の夕暮れはかなり遅い時間に訪れる。やっと昼間の熱気が冷めてきたようだった。
「やっと過ごしやすい時間になったね」
早く上がろうとしていたが事件がそうさせてくれず、沙久羅と耀の二人は学園の公園区域に足止めを食っていた。
「今回のはさ、待たなくちゃならないから、大変だよね」
手で団扇のように仰いで沙久羅は言った。
「また、熱出てるんじゃないのか?」
耀は心配そうに聞いて来た。沙久羅は両手を前に出して、横に振った。
「これはただ暑いからだって。心配性だよね、耀って」
乾いた笑いを向けた。
「心配だってする。言っただろ、俺は…」
「耀」
沙久羅が耀の言葉を遮った。公園には数人の影が長く引かれていた。沙久羅達は公園で談笑している振りを続けていた。
「やっとお出ましかよ」
沙久羅の肩に手を回して囁いた。
「こう言う時だからあえて何も言わないけど、普段だったら張り倒してるわよ」
沙久羅はにこやかに言った。
「怖いな、家だったらもっと大胆なのにさ」
「宮梛会長達もいるんだよね」
耀の言葉にはあえて触れずに、一瞬、耀を睨んでから沙久羅は横目であたりを窺った。
「いるよ、向こう側正面に宮梛会長がいるだろ?彼女が今回の囮役だからな」
耳元で囁かれて少しは恥ずかしいと思いながらもその方向をチラリと見た。今まさにその人物に数人が声を掛けようとしているところらしかった。
「あっちは高梛副会長に任せて良いんだよね。耀、気づいてる?」
沙久羅が笑顔で聞いた。
傍で見ていると恋人同士の甘い会話を見ているような二人のやり取りだった。
「ああ、後ろで操っている奴が出てきたな」
そう言いながら、沙久羅の額に指を当てた。
「何をっ」
沙久羅が驚いて手を払おうとして、動きを止めた。
あまり派手な動きはできない事に気がついた。
「そうそう、今は素直に俺の能力を受け取っといて。相手に気づかれるわけにはいかないんだからさ」
そう言って耀は沙久羅に治癒能力を向けた。
「姉さんがこっちの方も捕捉したってさ。後は捕まえるだけなんだけど、沙久羅の能力を当てにしないとならないからね」
耀の言いように納得して、小さく頷いた。
「解っているわよ」
沙久羅は少し拗ねたような表情で答えた。その間にも耀の治療は済んで、消耗していた体力も回復した。
「俺が先に仕掛ける。沙久羅はサポートして」
「解ってるわ。耀、気をつけてね」
立ち上がると、耀は沙久羅に笑って手を挙げた。沙久羅も別れを惜しむように手を振り返す。それが合図になって、すべてが動いた。
どんっと大きな音がして、竜巻が上がる。それに巻きつくように水飛沫が巻き上がった。それに巻き込まれた数人が悲鳴を上げる。だが、声は一瞬にして竜巻に呑まれて掻き消えた。
耀に向けて赤い光のようなものが迫っているのを察した沙久羅が水晶の珠を数個投げつけ、耀の前に見えない盾を作る。そこに赤い光が衝突するのが見える。耀はそれに構うことなく突き進んだ。
「動くな!」
耀は相手に辿りつくと、どこから取り出したのか、鋭い剣を取り出して切っ先を相手に向けた。
「…あ、あの」
その人物は怯えたようにその場に立ち尽くしていた。
「お前っ」
逆光にやっと慣れた頃にようやく顔が見えるようになって耀は絶句していた。
あまりにも見知った顔に耀は一瞬の油断をしてしまった。その人物はその隙を見逃すはずもなく、耀は首を掴まれる。
「藤梛ぃ」
その人物は口の端を釣り上げて嬉しそうに笑っていた。
「やっと、お前を超えられる」
陶酔しきった顔を向けて笑うその顔は歪んで見えた。
「時海、なんでっ?」
クラスメイトで同じ精霊魔術を選択していた彼が目の前に現れて耀は動揺していた。苦しさが相手の悔しさを伝えてきた気がした。
「俺は、ずっとお前を超えたかった。恵まれて生まれたお前と違くて、俺は蔑まれて育った。そんな奴に俺が負けるわけがないだろう?負けちゃいけないんだ。だから、契約した」
楽しそうにいう彼は勝ち誇った笑い顔を向けた。
「時海、心を支配されてしまっては…」
耀は絞り出すように言葉を繋いだ。彼の離れない手を掴んで何とか自分から引き離そうとするがなかなか離れてくれなかった。
「契約は簡単だったよ。思うだけだったからな。お前を倒したい。ただそれだけだった」
少年は嬉しそうに言ったが、何かを訴えるように耀を見つめていた。
その腕が変形してきているのを耀は見逃さなかった。
「お前、なんて…こと、を……」
苦しいのを堪えて耀は驚きを隠さずに言った。
「うるさい。身体が変形しようとも俺はお前を倒したかった。俺はお前が羨ましかったよ。恵まれた能力、愛しいと思った少女と共にいることもできて、いつもクラスの中心にいるお前がな」
指が耀の首を強く締め付けた。その指先が微かに震えている。
助けて…
耀の脳に直接語りかけてくる声があった。それが誰のものなのかも耀には解る。
「とき、う…み」
何とか苦しさをこらえながら出す声は掠れてしまい、届かない。その時に彼の後ろに微かに違和感を覚えた。彼を見ると苦しそうな表情が垣間見える。
沙久羅は応戦しようとしていたが耀が盾の役目を果たしてしまい、下手な攻撃をすることもできなかった。
少年の後ろに暗い闇の影ができているのを耀は見逃さなかった。それが本体であることも見抜いていた。
『イヴァーレ。あれを剥がせるか?』
耀は自分のすぐ近くにいるだろう精霊に語り掛けた。
少年には耀の言語が理解できなかった。耀の言葉は古代の精霊語であり、授業で習うものではなかったから尚更だった。
『容易いことだ』
イヴァーレはそう言うと少年の影を切り取った。そこに隙が生まれ、耀は少年の手から逃れた。
「耀、避けて」
沙久羅がそのタイミングを見逃すはずもなく、手にした水晶を少年に投げつけた。耀は姿勢を低くして、沙久羅の水晶を避けた。
そこから光が発せられ、壁に押される様に少年は後ろに飛ばされた。
「イヴァーレ、それは好きにしていいよ」
イヴァーレが手にした黒いものはびちびちと魚が捕まったように身体を捻って何とか逃げようとしているところだった。イヴァーレは無言でその言葉に頷くと沙久羅達の前から溶けるように消えた。
「時海。なんで」
耀が悔しそうな表情で少年を見下ろした。
沙久羅は耀のほうに近づこうとして、その異形の姿に驚いて近づけないでいた。
少年はうっすらと瞼をあげた。
「藤梛。これが契約した奴の末路だ。俺を哀れと思うならこのまま殺してくれ。俺はこれ以上お前の敵にはなりたくない」
少年は解っているようだった。
「俺はこのまま魔の者になりたくはない。もうすぐこの意識もなくなるだろう。心を食われ過ぎたのだから、仕方ないさ」
少年は笑って耀を見上げた。
「俺はお前を超えたかったのは事実だ。だが、こんな形で超えたかったわけじゃない。それは解ってくれ。お前と唯衣さんは狙われて…」
そう言っていた矢先に少年の身体が大きく弓のようにしなった。少年はあり得ない力に抗おうとしていた。
「時海!」
「来るな、それ以上近づいちゃいけない」
耀が近づこうとして彼に止められた。
「逃げろ、俺を媒介にして奴が…うぎゃぁぁぁっ」
少年の腹部から赤い血飛沫と共に白い手が突然、突きだされた。時海は悲鳴の後には動く気配すらなくなっていた。
ありがとうございました。




