27話
よろしくお願いします
沙久羅が輪の中に入っている。それは多分、嫌、彼女にとって良いことなのだろう。しかし、と耀は沙久羅の様子を見ながら思っていた。
こんな気持ちを持っていたなんて…自分自身の気持ちに気づいて振り払おうとした。こんな感情を持ってはいけない。それでは闇に呑みこまれかねない。
授業が終わっても気持ちの整理には時間がかかっていた。それに気づいたのは彰芳だった。
「耀、少し付き合ってくれるか?」
彰芳は殆ど有無を言わせず、耀を連れだした。
校舎の裏には殆ど人が通ることのない林がある。そこに連れられた耀はやっと彰芳の手から解放された。
「なんだよ、こんなところに連れて来て」
耀はまだ考えたいことがあったために少し乱暴な言葉使いになる。
「何かあったのか?」
彰芳は心配そうに聞いた。さっきの授業でずっと沙久羅を見ていてからおかしかった。
「…別に…」
耀は彰芳から瞳を逸らせて呟くように言った。
「お前がそう出るときは決まって何かあった時なんだ。他の奴等は騙せるかもしれないが、俺は騙されない。五歳の時から付き人としてお前と共に過ごしてきたんだ。解らないはずないだろ?」
彰芳は耀の肩に手を置いて言った。このままでは闇に呑まれてしまう。それだけは阻止しなければ…。
「…どうして……」
そこまでするんだと言いたげに彰芳を見た。必死になって何かを守ろうとしているのがよくわかった。
「耀、お前が持っている感情の正体を俺は多分知っている。たぶん誰しも持っているものだろう。だけど、お前が今抱えて良いものではない。やっと精霊を使いこなせるようになってきたところなんだ。それ以上負の感情に支配されてしまったら、お前はお前でいられなくなる」
俺自身にも解らない事を彰芳は解ってしまえるんだ。
耀は深い溜息を吐いた。
「大丈夫だよ」
耀はただそれだけ言うと彰芳から離れた。もう構わないで欲しい。それが自分を破滅に導いてしまうのだとしても、止められる術を自分は持たなかった。
「耀!」
彰芳は立ち去ろうとする耀に向かって強く名を呼んだ。
「本当に大丈夫だよ、彰芳」
微笑んで返す耀の表情に一抹の不安を覚えながらも、これ以上はどうしたらよいかわからず、彰芳は見送ることしかできなかった。
「耀、お前まで失うことはできないんだ…」
五年前に守れなかった耀の家族。かろうじて生き残った二人の姉弟は手を取り合って闇の精霊を呼び出した。負の感情を暴走させて生まれた二体の精霊は勿論その時に消滅してしまったが、それを不憫に思った精霊神と精霊王が二人の守護についた。あまりにも強すぎる二人の闇の精霊魔術師達。本当なら使役できる精霊はたくさんいるのだが、あえて精霊神と精霊王が拒んでいた。闇の精霊は抱えれば抱えるほどに精神の強靭さが求められる。それを最小限で補えるようにと考えての事だった。
その事実を知っているのは梛である姉の祐希と、たまたまその時に傍にいた自分しか知らない事だった。耀は祐希に記憶を一部封じられている。あまり酷いものは耀に見せたくないと祐希が言っていたから、彰芳もその言葉に従った。
耀は両親がどのように亡くなったかまでは覚えていない。両親を襲った人達がどうなったかも…。
本当はすべて覚えているべきではなかったかとも思う。しかし、あの時の惨状はあまりにも悲惨で目を覆い隠したくなるものだった。本当は自分の記憶も祐希によって封じられるところで拒んだ。それでは二人を守れなくなると。それが梛に逆らった最初で最後の事だった。
「耀…」
彰芳にはこれ以上負の感情に支配されない事を心から願うしか術は無かった。
その後、一カ月間は特に何事もなく、沙久羅の麻痺に関することも耀にばれることもなく過ごせていた。
「今日でちょうど一カ月だな」
保健室に来た沙久羅を認めて、桔梗は言った。
「ちゃんと診てもらいに来ましたよ、先生」
苦笑して沙久羅は奥にある診察台に座った。
「少しは動くようになったのか?」
桔梗の問いに沙久羅は首を横に振る。
「そうか。まあ、予想していた通りだな」
沙久羅の足を触って感触を確かめる。
「魔術を解いて」
言われて、沙久羅は頷くと掛けていた魔術を解いた。
急に足に力が入らなくなり、足が力なく垂れた。
「痺れはあるのか?」
「少しは。マッサージは欠かさずやってはいるのですが…」
両足の足首の動きや膝の可動域をみて、桔梗は一つ頷いた。
「確かにマッサージは良くやっているようだな」
普段の彼女を見ていても特に変わったところもなく生活はできているように見えた。
「耀にはこのことはまだ言ってないのか?」
桔梗の質問に沙久羅は頷いた。
「耀は少し感じてはいるようですけど、聞いては来ません。それよりも少し聞いて欲しいことが…あ、いえ忘れてください」
沙久羅が言いかけて、止めた。
「沙久羅、これでも保健室を預かる校医なんだがな」
桔梗は苦笑して言った。
「…耀の様子が少しおかしいような気がして…」
思い切って言ってみた。気がするだけで他におかしい所はみられない。けれど、この不安感は一体何だかわからない。
「お前もさすがに気づいていたか。美羅依達から報告は受けてるよ。負の感情が増加しているようだと」
桔梗の言葉に沙久羅も驚く。耀はいつものように振舞っていた。だから、気づいたのも最近だった。
「このまま負の感情に支配されてしまうようなら、あいつを消すしかなくなる」
桔梗の言葉に沙久羅がはっと顔をあげる。
「消すって」
「言葉通りだよ」
桔梗は苦い顔をして答えた。
「どうしてそこまで…」
沙久羅は手を強く握った。
「闇に支配されたものは、魔に染まり、魔王の配下になる。それだけは阻止しなければならない」
桔梗は淡々と語る。まるで他人事のようだ。
「今なら、間に合いますか?」
沙久羅は聞いた。
「さあ、それは解らない。美羅依達はもう少し様子を見ようと言っているが、今の段階で手遅れの事もある」
沙久羅の頭の中は真っ白だった。一番近くにいたはずなのにと…
「沙久羅、お前が何とかしてみるか?」
桔梗は沙久羅の表情を見て聞いた。
「…私で、できることなら何でもします。だって、耀は私の恩人だもの」
沙久羅はにこやかに答えた。
「本当にそれだけか?」
桔梗に聞かれ、沙久羅はただ笑っていた。言葉などでは表せない思いもあると言わんばかりに…。
「…任せるよ。まあ、言ってしまうと、お前に任せようと皆で話していたんだ。何せあいつの一番傍にいるのがお前なんだからな」
沙久羅の頭を優しく撫でて桔梗は沙久羅に言った。
「ありがとうございます。こんな私でも信じてもらえるんですね」
沙久羅は嬉しそうにそう言うと、保健室を後にした。
「やっぱり、沙久羅は私達を裏切らない。素直で優しい子だな」
桔梗は窓の外を眺めた。青々とした木々の葉が風に揺れ、夕陽を隙間から覗かせていた。眼下には生徒達のざわめく声と帰る足音、グラウンドを駆ける足音などが忙しなく聞こえていた。
ありがとうございました。




