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28話

よろしくお願いします

沙久羅は校舎に戻り、鞄を取ると、急いで帰り支度をした。沙久羅は仕事以外は特に部活などは行なっていないため、帰宅部扱いだった。もちろん、耀も同じで、今日は先に帰る様に言ってあった。

 放課後の教室は夕陽がさしていつもの風景とはまた違っていた。誰かが閉め忘れた窓から緩やかな風が吹いて来た。昼間に熱せられた空気が幾分和らぐ。

「耀、ご飯待ってるかな」

 今日は耀の担当だった。彼の料理はレパートリーが多く、沙久羅は彼には敵わない。耀は沙久羅の料理もおいしいと食べてくれるが、たまに失敗しているものも食べてくれた。きっと我慢したんだろうなと後で後悔することもあった。

 とにかく急ごうと教室を後にした。そこは何処か違和感があったが、沙久羅は急いでいたこともあり、素通りしてしまった。


 マンションに帰ると、耀が夕食を作っていた形跡があった。耀自体は何処かに行っているようだった。

「耀」

 帰ったことを知らせようと声をかけるが、返事がなかった。

 とりあえず寝室を覗く。

 そこには耀が立っていた。夕陽も沈み、部屋は月明かりが差し込んでいた。青白く輝く月の光の中で耀は部屋の電気も付けずに立っているのを少し怖いと思った。

「あ、きら?」

 沙久羅は戸惑いながらも声をかけた。

「ああ、お帰り」

 耀は気のない返事を返してきた。そして、また窓から外を眺める。

「どうしたの?こんなところで…」

 沙久羅は聞かずにはいられなかった。怖い。彼が居なくなってしまいそうな気がする。そう思ったら、行動に出てしまった。ぱっと彼に走り寄り、背中から抱きつく。

「なっ、どうしたんだ?」

 耀は驚いて沙久羅を振り返る。

「居なくならないで、耀」

 必死に縋りつくように抱きしめて言った。

「…居なくならないよ。俺はここにいるじゃないか」

 耀はそう言うと回された沙久羅の手を優しく撫でた。

「でも、何処かに行きそうな気がする。こうやって耀を引きとめないといけない気がしたの」

 恥ずかしいと思いながらも、これ以上自分から遠ざかってしまわないように言った。

「でも、これじゃ動けないから、離れてくれる?」

 ポンポンと軽く手を叩いて耀は懇願した。

 仕方なく、沙久羅は耀を開放したが、今度は耀の手を握って離さなかった。

「…そんなにしなくても、逃げやしないよ」

 もう溜息をつくしかなかった。どうしてこんなに心配を?と不思議に思わずにはいられなかった。

「連れて行かれちゃうかもしれないじゃない」

 沙久羅は自分の事も含めて言った。自分はいつ連れて行かれてもおかしくない。この身体には悪魔の力が宿っている。もし、耀も狙われてしまったら…恐怖に震えてしまう。

「…沙久羅?」

 手を強く握られて、更に戸惑った。何に怯えていると言うんだ?耀には解らなかった。

「耀、最近私の事避けてるよね」

 沙久羅は意を決して言った。もう、向き合わなければ後悔してしまうかもしれない。

「…そんなこと…」

 耀がはぐらかそうとしているのは沙久羅にも解った。だから言葉を絶った。

「ないわけないじゃない!」

 はっきりとわかることは多かった。耀がはぐらかすから何も言わなかった。それがいけなかったのかもしれない。もう、なりふり構っていられない。この人を失うことはできない。

「じゃあ、俺も聞くけど、沙久羅、俺に隠してることあるよね」

 今まで疑問に思っていたことを口にする。本当は解っていた。一日二回必ず行っているマッサージ、そして朝の呪文詠唱。夜中に魘されることも多く、激しいことも多かった。沙久羅は何かを隠したがっているから、言わないのだと思った。だから聞かないでいた。この機会に聞いても良いと思った。もう隠し事はされたくない。

 その言葉に沙久羅が今度は躊躇する番だった。耀から瞳を逸らす。

 仕方ないと耀は自分の事を話す気になった。沙久羅の行動の事も聞きたい。

「俺は沙久羅が皆の輪に入って行くのが楽しいんだと思った。今までは沙久羅は俺の事だけ見ていてくれたから…でも、最近は違う。クラスの仲間とも打ち解けたみたいだしね。言うなら、俺のわがままな独占欲だよ。」

 少し拗ねたように言う。年相応の小さな独占欲。自分だけを見ていて欲しい。ただそれだけでも彼は闇に呑まれそうになってしまうほど心はまだ未熟だった。

 沙久羅はそれを聞いて顔を赤くした。まさか、そんなことを思っているなんて思いもよらなかった。その拗ねた姿も、時折見せるこのような年相応の反応も見ていて可愛らしく思えてしまう。男の子にそんなことは口が裂けても言えないが……だから、くすりと笑ってしまう。

「笑うなよ」

 少し怒ったように耀は言った。それよりも答えて欲しい。

「耀、聞いたらきっと後悔するよ?」

 沙久羅は耀の表情をうかがいながら、苦笑して言った。

 本当ならこれまで通り知らない振りをしていて欲しい。そして、危険から遠ざけたい。

「沙久羅を守れないほうが俺は怖いって言ったら、話してくれる?」

 耀はそう切り返してきた。こんな自分を守る価値なんてない。沙久羅自身はそう思っていた。

「でも、私には守る価値なんて無いよ?」

「価値なんて知らない。俺には何をおいても沙久羅を優先するこの気持ちがある」

 この言葉には沙久羅も更に耳まで赤くなってしまった。

「…解った。話すよ」

 沙久羅は観念して話すことにした。あの大怪我を負ってしまった時からすべてを…

「まず、見て欲しいの」

 沙久羅はそう言うとベッドに座った。集中を解除し、足の脱力を感じた。

「私の足は、今は全く動かないわ」

 耀はそっと沙久羅の足に触れたが全く反応が返ってこなかった。ただの足という名の棒を掴んだような感触。そこに神経が通っていない事を思い知る。

「まさか…」

 耀の気づきに沙久羅は頷く。

「怒らないでね。耀を庇ったあの日、私はあの悪魔に魔王の能力を腰に埋め込まれたの」

 それから、淡々と耀に話した。耀はただ黙って聞いていた。

「…それで、梛達は沙久羅を…」

 ふつふつと怒りがこみ上げる。あの人たちは人の命をなんだと…

「耀、怒らないでって言ったよね」

 怒りを鎮めるように沙久羅は耀の手を引いて言った。

「それを望んだのは私の方だよ。梛の人たちは私を助けてくれてるの。いつもごめんとか、すまないとか謝られてるけどね」

 沙久羅は苦笑して続けた。

 時々耀の居ない時を見計らって美羅依達、梛と言われている人たちは沙久羅のところを訪れていた。沙久羅の事を監視する目的もあるのだろうがいつも最後には謝罪されて帰るようになっていた。人の命の重さを知らなければそんなこと言えない。沙久羅は不本意な方法しか取れないこの状況を一番悔いているのは梛達ではないのかと思うようになっていた。

「…今は何も変わったこともなくて、私もこの能力があるから今まで通りの生活を送れているし、何も心配いらないのよ」

 沙久羅はにこやかに言った。

「でも、囮には違いないんだよな」

 耀は苦い表情を作った。

「耀、私ね、言わなくちゃいけない事があるの。私を人にしてくれて、ありがとう」

 今まで見たこともないようなあどけない少女の顔をして沙久羅は礼を言った。見せつけられた耀は動揺を隠しきれず、顔を赤くする。

「耀が私を人形から人にしてくれたんだよ。耀が居なかったら私は人形のままだった。他人(ひと)の言いなりになるしかないただのお人形。笑うこともできなかったと思う。クラスの輪の中に入れたのも耀のおかげだよ。だから、耀は私をいつも独占してるよ。耀が居ない世界では私は生きられないくらいにはね」

 言って沙久羅は俯いた。自分の言葉が恥ずかしい。いつからこんなに恥ずかしい言葉を口にできるようになったんだ、私……

 聞いていた耀も俯く。嬉しすぎて言葉にならない。さっきまでの怒りがすべて失われてしまった。

 沙久羅の自分なしでは生きられない発言は気恥かしさと嬉しさが綯い交ぜになって思考が追いつかなくなる。

「…沙久羅」

 彼女の名を口にするだけで愛おしさが滲み出る。

「…?」

 沙久羅は呼ばれて耀を見上げた。

「俺も答えなくちゃいけないよな」

 耀はそう言うと沙久羅の肩を抱いた。

「俺は沙久羅を守るよ。どんな敵が来ようとも、一緒に生き抜いて見せる。沙久羅のすべてを守らせてくれないか?」

 耀の言葉に沙久羅は一つ頷いた。

 これから戦いは避けられなくなる。二人は覚悟を決めるしかなかった。ともに戦うしか道はないのだと……。

「一つだけお願いがあるの」

 沙久羅は耀に抱かれたままで、耳元で囁くように言った。

「何があっても、たとえ私に何があったとしても心を闇に染めないで。あなたは力が強すぎる。闇に支配されてしまったら耀は魔王の眷属になってしまう。それだけはして欲しくないの」

 耀に縋り付くように言った。

「…沙久羅の頼み事を断れるわけないよな」

 大きく溜息をついた。沙久羅に何かあったらというのは自信がない。しかし、沙久羅がそれで安心してくれるのなら、と、耀は頷いた。

「あとね」

 沙久羅が少しもじもじとしながら耀に呟いた。

「この格好、さすがに苦しいから解いてくれないかな。それに、やっぱり恥ずかしいし……」

 そんな沙久羅の反応が可愛らしくて、少し意地悪をしたくなってしまう。

「俺は構わないけどな。ここ、俺ん家だし。他に誰もいないよ」

 頬に軽くキスをする。これくらいは許してくれるよな。

「なっ…何を…」

 意識のある時の沙久羅はそれだけでも慌てふためいてしまうほど奥手だった。沙久羅の能力を抑えるためとはいえ、唇を重ねていることを知ったらどうするんだろう、と思う。もう少しこうしていたい。こんな平和な時間がいつまでも続けばいい。

 それが叶わないことなど耀は初めから知っていた。でも、願うことは自由だ。もう少しの時間で良い、相手が安らかに、穏やかに過ごせるようにと願わずにはいられなかった。

ありがとうございました。

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