1_20_5 めんどくさいのが増えやがった
第二章準備中SS第5話です。今回もよろしくお願いします。
その男は馬車から降りてその寒さに肩をすくめた。
豪奢な毛皮のコート、その裾からたなびく裾の長いダークグリーンの上着、そして毛皮を巻き付けたロングブーツ。
そして立つのはシェイディアン領主館の門前。
「このように寒いとは、我がヴェルディアンとは雲泥の差ではないか…」
男は赤くなった鼻を鳴らして呻く。しかしその薄緑の目は目的のためにギラギラと光を放っていた。
「わが領地から種芋や寒冷地法に強い苗類を提供したはいいが所詮凍りついた常冬シェイディアンだ、無駄にして終わっているだろう、私に謝り倒すと良い!」
男は堂々とその重厚な玄関の扉の前に立つ。
「頼もう!シェイディアン領主と小娘はいるか!」
バァン!とその扉は突如として開かれた。
いつものシェイディアン領主館、いつもの朝食前の時間、静かな玄関と数人のメイドが給仕の仕事で行ったり来たりしている。
そこには豪奢な毛皮のコートを着込んだディルクが立っていた。
「え、だれ…」
困惑するメイドたち。
「礼儀を知らん奴らだ!ヴェルディアンのディルクが来たと領主に伝え給え!」
「え、ディルク…?え、だれ」
メイドは顔を見合わせ「知ってる?」「え、知らない」「え、セバス様お呼びすれば良い?」と口々につぶやき始める。
「私を知らないとは不届き者どもめ!いいからシェイディアン領主のところに案内したまえ!わざわざ私からこのような僻地に出向いてやったのだ、私が来たと知ったらお前たちの主もその頭を床に擦り付け崇め奉るだろう!」
「は、はぁ、ヴォルフ様でしたら現在お部屋で朝食前のご準備中かと思われますが…」
「ならばそこに案内したまえ!話の通じない奴らだ!」
ふんぞり返るディルクにメイドたちは顔を見合わせる。
「え、どうする?この時間ヴォルフ様千春様のところでしょ?」
「そこに案内するの?私らでさえあの空間入るの怖いんだけど」
「この時間を邪魔したらヴォルフ様の機嫌氷点下じゃん。吹雪じゃん。嫌なんだけど。セバス様呼ぶ?」
「マーサ様ならわんちゃんなんとか?」
「「「いやーむりじゃね?」」」
「なんなのだ貴様らは!いいから早くシェイディアン領主のところに案内するか呼んでくるかしたまえ!!」
「そのぉ、ヴォルフ様にお声掛けしてまいりますので、少々こちらでお待ちいただけますか」
メイドはディルクを玄関からほど近い応接室に案内する。
「ふん、最初からそうしていれば良いものを」
メイドにつれられディルクが応接室に入ると同時にメイドは暖炉の魔鉱石を触って起動する。
すると部屋がまたたく間に暖かくなり
「ふん、僻地なりに便利なものがあるのだな」
とディルクは厚手のコートを脱ぎ、同じく毛皮の帽子をとった。
薄い色の金髪を腰まで伸ばし、長い前髪を真ん中でくっきりとわけ、外気と部屋の温度で曇ったメガネを神経質そうにハンカチで拭く。
その間にメイドは紅茶を用意してそそくさと部屋から出る。
そしてまた玄関ホールに集まる。
「え、どうする?ヴォルフ様に声かけに行く?」
「いや、先にセバス様に声かけよ、今はヤバいって、絶対やばいって」
「さっきお部屋確認したけどヴォルフ様昨夜自室に戻られてないもん、千春様の部屋でお休みになられたってことは今めちゃくちゃ仕事忙しいってことじゃん。ヴォルフ様がもうお目覚めなのは確認できてるけどさ、それって入れ替わりで千春様がさっきお休みなられたってことじゃん。千春様夜中に邸の中ウロウロされてたし。無理だって今部屋に凸れるのセバス様だけだって。セバス様でもわんちゃん危ないって」
「えぇーどうすんの、アポなしで来るとか頭おかしいやつのせいで今日の領主館一日中吹雪じゃん」
「どうしました、そのようなところで集まって。仕事は終わったのですか」
顔を突き合わせるメイドたちの後ろに音もなく声の主は現れた。
シェイディアン領主館をまとめる執事長、セバスだった。
「あ、セバス様、すごくとっても本当に良いところに」
「はい?本当にどうしたんです、お前達」
「急にヴェルディアンのディルクだと名乗られる方がヴォルフ様に会わせろと訪ねてこられまして…今応接室でお茶をお出ししておりますが…」
「ふむ…この時間に…なんと間の悪い…」
セバスは内ポケットから懐中時計を取り出し、眉をしかめる。
「ですよねぇ…」
「昨夜は千春様が起きておられたので今頃ちょうどお休みになられた頃合い、坊っちゃんは…千春様のお部屋ですな、ふむ、致し方ない。お声はかけてくるが…お前達、反魔鉱石の指輪は、していますね、では仕事に戻りなさい」
このシェイディアン領主館で働くうえで使用人の女性たちは給仕初日に渡されるものがある。一つめは制服である給仕服、2つ目は反魔鉱石の指輪、これはめったに無いことで保険に近いものだが領主館の主であるヴォルフから万が一闇魔力が漏れ出た時に身を守るためにヴォルフが使用人たちに配っているものだ。
一度王都からの家庭教師に泡をふかせ失神させたことがトラウマに近いものになっているらしい。ちなみに男はダクネスからの加護がもらえるので多少の闇魔力には耐性がある。といっても全員ではないので加護持ちでないものにもヴォルフは律儀に指輪を渡す。
セバスは音もなく目的のドアの前に立つとノックをしようとして手を上げて、珍しく少しためらった。慎重にドア越しから中の様子を伺う。少しでも話し声が聞こえれば運良く千春が起きていてヴォルフの機嫌はそこまで落ちないかもしれない。いや、機嫌が悪いと言っても誰かに当たり散らしたりする方では無いのだが、とセバスは思い、やはり何も聞こえない部屋の中を察して意を決してノックをする。
するとドアが音もなく開いて、いや正確には音を立てないように開いてその隙間からこの領主館の主であるヴォルフがそっと出てきた。
ここは紛うことなき領主館の三階、千春の部屋と化した領主館の客間である。
「セバスか、どうした」
ヴォルフはできるだけ声を落として問いかけてくる。
「大変申し上げにくいのですが…ヴェルディアンからディルク殿がお越しです」
ヴォルフの眉がぴくりと上がる。
「なんのために」
「ヴォルフ様に会わせろと騒いでいたようですが、いかが致しますか」
「面倒なやつだ、前触れもなく一方的に来て騒ぎ立てるなど…せっかく休んだ千春が起きたらどうしてくれー…」
「いーぜ、通せよ、デコスケだろ」
ヴォルフの背後のドアが少しだけ開いていてその隙間から声がした。いつもよりは若干低いがそれでも鈴を転がしたような、しかしその言葉遣いは乱雑な声がヴォルフとセバスの前に躍り出る。
「千春、おまえ寝たのでは」
ヴォルフが扉を開けると扉の横の壁に体重を預ける形で立っている寝間着に黒いパーカー姿の千春が気だるげに立っていた。
「音には敏感なんでね、さっきから玄関がうるせぇ、あの声はデコスケだろ、大方温室見せろとか成果がどうのとか言いに来たんじゃねーの」
くぁっとあくびをすると千春はすいっと手を動かすと部屋の中の明かりをつけた。千春が昏睡していた間につけられた床に影を作らない間接照明が薄暗かった部屋の中を照らす。
千春は裸足のままソファに歩いていくと浅く腰掛けて魔鉱タバコを咥えた。
「とっとと連れてこい、んで目的果たさせてさっさとお帰りいただけ」
千春の言葉にセバスは恭しく頭を垂れた。
◆◆
「…ん?いつも通りじゃない?」
玄関ホールにいたメイドがふと気がついて三階の千春の部屋の方に顔を向けた。
「え、わんちゃん千春様起きてた説」
「まぁヴォルフ様も不機嫌だからって当たり散らす人じゃないけどさぁ、この朝の時間だけは別格よねぇ。千春様、ほんと様様だわ」
メイドたちは安心していつもの仕事に戻っていった。
「お前達、誰か一人お客様を千春様のお部屋にご案内しなさい。お会いになるそうだ」
セバスの声にメイドたちが顔を合わせる。
「「「せーの」」」
「「「じゃんけん!ぽん!」」」
「やりー、かちー」
「んじゃよろー」
「ふああぁ、朝のあの部屋に行くのかアァァ」
メイドたちにとって、朝のヴォルフと千春の時間を邪魔をする、イコールものすごくそれはもうこれでもかと言うほど気を使う時間なのだ。
これが普通の恋人たちのように甘い時間をラブラブとイチャイチャと過ごしてくれていればまだ心を無にして給仕すればいいだけなので気が楽だがこの二人はそんじょそこらの恋人同士とは理由がちがった。
主人であるヴォルフは千春に絶対的な誓いを立てているし、その誓いを建てられた千春は怒鳴りながら「うるせぇ!」「クソガキ!「さわんなストーカー!」と突っぱね続けている。このアンバランスさが余計に気を使うのだ。簡単に「仲がよろしいですね」なんて口が避けても言えないし、生暖かい目で見守ることも出来ない。それなのにヴォルフの千春に対する激重感情を目の当たりにしなければならない。もうどうしろというのか。いっそ見てられないくらい甘々な恋人同士になってくれないかな、とメイドたちは密かに思っているがそれを口にしたら千春の機嫌がこれでもかと言うほど下がることは明白なので口には出せない。
とりあえずじゃんけんに負けたメイドは応接室の扉をノックする。
「ヴォルフ様にお話が通りましたのでご案内いたします」
「おそいぞ!いつまで待たせるのだ!」
やっと声をかけられたディルクはソファから立ち上がりジャケットを整えて居住まいを正す。
メイドがドアを開けてこちらへどうぞと恭しく頭を下げる。
「こういう場合は客人を待たせている部屋に出向くものではないのかね」
ディルクはグチグチと言いながらメイドについていく。その声を聞きながらメイドは内心、この邸すでに千春様中心にまわってるからねーと心のなかに留め置いた。
メイドはドアの前に立ち、一つ深呼吸をしてノックをする。
「お客様をお連れしました」
「どうぞー」
中から存外明るい声が返ってくる。それだけでメイドは救われた気分になった。あぁ千春様、ほんとう様様だわ有難うございます。そう思いながらドアを開けてディルクを中に通す。
「後ほどお茶をお持ちいたします」
メイドは恭しく頭を下げてドアの前を後にする。
そしてディルクは一歩部屋の中に入って、そして凍りついた。
中にいたのはソファに座ってパーカーは羽織っているが寝間着姿で魔鉱タバコを蒸す千春と執務机で書類を見ているヴォルフ。
視線を回せば、今起き抜けたであろう掛け布団が乱れたベッド。
「は、は、は、ハレンチな!!!!!」
ディルクの大絶叫が邸の中に響き渡った。
◆◆
「な、な、貴様ら、婚姻前の男女が同じ部屋で同じベッドで同衾しているというのか!」
ディルクの絶叫は続く。ヴォルフと千春を指差し顔を真っ赤にしたディルクはその長い髪を振り乱して叫び続ける。
「いいか!男女の仲というのは神に許された神聖な繋がりなのだ!神に祈り許されたものだけが夫婦として最初の家族とのなり、そしてその神に祈りを捧げることで神聖な子を授かり家族を育む!それがわれら人間に許された連なりなのだ!それを婚姻前の男女が不必要にふれあい体温を分かち合い夜をともにするなど許されるわけがない!禁忌だ!絶対的に禁忌なのだ!神への冒涜だ!最近そのような神を無視したふれあいをする男女が増えていると聞くがなんと嘆かわしい!ヴォルフ・ガング・シェイディアン!一つの領地を任されている身でありながらそのような神への冒涜を行っているとは見損なったぞ!今すぐ神に謝りその身をきよめて神聖なる神を崇め奉らいゆるしをこーぶふぇ!」
メイドがお茶を持って入ろうとドアをノックしてドアを開いたのとディルクの顔面に千春が投げつけたクッションがダイレクトアタックしたのはほぼ同じタイミングだった。
「ぴーぴーぴーぴーうっせぇんだよ!このデコスケやろうが!てめぇはメモリ掴んだまま離せなくなって暴れまわってる強制終了待ちのアプリかなんかか!誰が同衾だ誰が!このクソガキが夜中までここで仕事しやがって俺のベッドで寝落ちしやがったからベッド明け渡して入れ替わりで俺がついさっき、お前が邸で騒ぎ出した頃に寝ようと思ってベッド入ったとこなんだよ!うちの事情知らねぇやつが外野からいきなりアポなしでやってきてぎゃあぎゃあ騒いでんじゃねぇぞクソが!てめぇがなにかしに来たって言うから寝る時間ずらしてやってこうやって話聞いてやるつってんだろうが!さっさと要件話して領地帰れこのダボハゼデコスケ嫌味メガネ野郎が!」
千春の渾身の一撃と口撃を目の当たりにしてメイドは、ポットを持ったまま硬直していた。
「あ、すまん、茶ならその辺置いといてくれたらいーわ。適当に飲むから」
「は、はい、かしこまりました」
硬直したメイドに気がついて千春は口調を緩める。そして再びその目を、右の黒い瞳と左の青い義眼をディルクに向けて今度は静かに言い放つ。
「で、何しに来やがった。このシェイディアンで自分とこの植物がちゃんと育ってるか嫌味に視察にでも来てくれたのかよ」
ディルクは顔にぶつけられたクッションを手に取りワナワナと肩を震わせた。
「この乱暴者の小娘が!私を誰だと思っての所業だ!こんなことヴェルディアンでは許されんぞ!」
「だれってインフラ総括のデコスケだろうが。だからとっとと要件話せ。こちとら徹夜明けでてめぇのためにわざわざ寝る時間ずらしてんだよ。さっさと用事済ませて領地帰れうっぜえな」
千春の言葉にディルクはがっくりと肩を落とす。
「なぜだ、なぜこのような乱暴な所業が許されるのだ。私がうざいだと?貴様はどういう教育をこの小娘にしているのだ!」
ディルクの叫びにヴォルフは目を丸くして何を言っているんだお前はという顔をする。
「教育とは?千春になにか不備があったか?あと千春を小娘呼ばわりするのもやめてもらおうか。連絡もなしにやってきて一方的に騒いで思い込みで我らのことに口をただ出している貴様のほうが不躾だと思うがな」
ヴォルフは目を通し終わった書類を机の上で綺麗に丸めて処理済みの棚に置く。
「貴様が騒いでいるおかげで千春の寝る時間も、このまま起きているなら朝食の時間もずれているのだ。早々に要件を述べて領地帰っていただこう」
二人から領地に帰れと言い募られディルクはがっくりと肩を落とす。
「まぁいい、強がりを言うのも今のうちだ。私を早々に帰したいということはこちらから送った種芋も他植物の苗も育たずに全滅させたのを見せたくないという証拠だろう!ちがうというなら見せてみろ!自慢のサンドボックスとやらを!」
ディルクの言葉に千春はふぅっと魔鉱タバコの蒸気を吹き出した。
淡桃に色づいた蒸気がたゆたい天井へと登っていく。
「最初からそういや良いんだよ、回りくどいやつだな。いいぜついてこいよ」
千春は黒いパーカーを脱ぎ捨て寝間着をバサバサと脱ぎ捨てていく。
「は?小娘、何をしている」
「あ?外出るんだから着替えるに決まってるだろ」
「恥じらいをもたんか小娘ーーーーーー!!客人の前で着替えなどするな!!」
◆◆
千春は先日新調したカーゴパンツの上に黒シャツを来て少しダブルジッパーを胸上と臍下で上下で開けてその上にパーカーを羽織る。温室に行くだけだしベストはいらねーだろ、とジャケットと一緒に壁の洋服掛けにハンガーごとかけておいた。
ソファに腰掛けてブーツに足を入れてシルバーの留め具を止めていく。
左腕にこう動かしたいとイメージすると魔力が補助してくれて義手を動かしてくれる。そのため複雑な動きも問題なく出来るためブーツの金具も自分で止められる。
これは千春にとっても嬉しいことだった。
立ち上がって、部屋の隅で目を多い壁を向いているダークグリーンの塊に目をやる。
「おいこらデコスケ、もう着替え終わったわ。いつまでそうしてんだ、温室行くぞ。ヴォルフはどうする」
「私も行こう」
ヴォルフは立ち上がり自然と千春の左側に立つ。
「なぁ、あのデコスケはなんで人の着替えとかにわざわざ口出してくんだ。この世界すべて神の祈りで片付くんならべつに着替えみようが裸みようが問題ねーだろ。お前は普通に俺を風呂に入れたりしてたわけだし」
「あぁ、古い貴族特有の考え方だな」
「貴族」
「昔からの貴族の着替えというものは本来使用人の手伝いがあり自宅から外、人前に出ても恥ずかしくない姿格好になるための儀式的なものだからな。客人の前で着替えをするというのは手の内を晒すとか痴態を晒す行為だと捉えられる」
そしてヴォルフは千春をふむ、とみる。
「あの時のお前の場合は…怪我をした冷えた子猫を温める行為に近かったが」
「誰が猫じゃ!」
「…ふろ…?」
ディルクがピクリと反応する。
「あー。もうそのくだりはいいわ。話が進まねぇ。温室行くぞ」
千春はようやく再起動したディルクを連れ、ヴォルフに自動馬車を出させて農業地域へと向かっていく。
その途中で蒸気を吹く街の様子をみたディルクが、ふん、と鼻を鳴らす。
「情緒も温かみもない風景だ。緑の一つもない、白と黒しかない無粋な街だな」
ディルクの言葉に千春は合わせて窓の外を見る。
「そうでもねぇよ。街は確かに色味はねぇけどすんでる奴らは違う」
窓枠に頬杖をつく千春に、ヴォルフは目を丸くし、そしてその金色を緩めた。
「まぁ、楽しみにしてろや、その薄緑の目をかっぴらかせてやるから」
にやっと口端を上げる千春に、ディルクは、再びふん、と鼻を鳴らす。
そして街を抜けると広大な敷地にいくつもの木材と石材で出来たプラントが並ぶ景色が見え始めた。その様子にディルクは目を丸くする。
「なんだあの異様な建物は、いくつもあるが」
自動馬車が止まり、使用人がドアを開けるとシェイディアン特有の突き刺すような風が三人を突き刺す。
「う、さむ」
ディルクは毛皮のコートに首を埋める。そのディルクに何食わぬ顔で千春はついてこいと促して歩を進める。
一つのプラントの前に立ち、扉をゆっくりと開けて中に入れと促すとディルクは恐る恐る一歩踏み込んだ。
そして感じたのだ。先程まで感じていた寒さとはちがう、むわっとした温かい空気と自領地と同じ土の匂い、そして頭上から照らされる明るい日差しに似た照明。それに照らされた青々と茂る植物と柔らかく温かい土で作られて整列する畑の畝。
「な、なんだと…これは我が領地と同じ匂い、そしてこれはじゃがいもか、この建物の畝すべてじゃがいもがなっているというのか。こんなに大量に、しかもすべて状態がいい…枯れているところが一つもない、これがシェイディアンで育っているというのか」
「この列は全部じゃがいもだ。後ろの列は葉野菜、他にもある、人参大根、カブも最近植えてるな。こないだ甜菜が収穫できたから砂糖精製も開始した。さらに向こうは最近王都から取り寄せた果物の育成もテストしてる。領地全土の食事事情を抱える一大プロジェクトだからな、使える敷地はほぼ全部農地になる予定だぜ。これで満足かよ」
「王都、夏の植物まで育つというのか!?」
「あぁ、温度調節と光源調節さえすれば育たねぇものはねーんじゃねーか?」
千春の言葉にディルクは絶句した。
「おまけにここはシェイディアンだ。山脈の方の牧場にいけば元々あった畜産全般いけてる。肉類野菜類これで全網羅だ、工業系、インフラ、畜産農業系隙なし、どうよなにか言いたいことがあるかよ、ヴェルディアンのお貴族様」
「は…は!?あのシェイディアンが?魔鉱石と越冬牛でしか稼げないと言われていた、食料のほぼすべてを領地間輸入で頼るしかなかった、人が住む地域ではないと言われ続けたシェイディアンが!?これが、これが小娘、いや、千春といったか!貴殿がやった領地改革がこの結果をもたらしたというのか!!」
ディルクは千春を振り向くとその細い肩を両手で掴む。
「答えろ!何をした!どうやってこの死の大地と言われたシェイディアンを豊かにした!わがヴェルディアンが出来ない夏の果物の育成だと!?育てられないものがないだと!?それがたった一人の手でこの結果をもたらしたというのか!」
ディルクの勢いに千春は一瞬言葉を失った。その千春の肩を掴むディクの手をヴォルフが掴んで離させる。
「千春に乱暴に触れるな、二度とヴェルディアンの地を踏めなくさせるぞ」
ヴォルフの瞳から一瞬いつもの柔らかな光が消えるが、千春がそれを制する。ディルクはがくんと、足の力が抜けたようにその場に膝をついた。
「ヴォルフ、いいから」
千春はディルクの腕を締め上げるヴォルフの腕に触れ、そして膝をついたディルクの目線に合わせるように千春はディルクの前にしゃがんで顔を覗き込む。
「あのなデコスケ。俺はこのシェイディアンが抱えてた問題の欠片、絡まってた糸を解く糸口をここにいるヴォルフや領民に伝えただけにすぎねーんだよ。」
千春はふっと口元を緩めながら話し続ける。それをディルクは静かに聞いていた。
「お前はさぁ、誰かがなんかすげぇ事やんなきゃこのシェイディアンが変わるわけねぇって思ってたかも知んねぇけど、変わるきっかけなんて大抵いつも些細なことなんだよ。外から来た俺が、シェイディアンのこと何も知らねぇで固定概念無しでこうなんじゃねぇの?って口を出した。それを聞いた奴らが、ヴォルフや領民たちが信じて動いてくれた。俺一人で何かが出来るなんて思っちゃいねぇし、俺に何が出来るって言われたら無駄を省く、詰まってる問題をこうすりゃいいんじゃねぇのって口出すだけだ。新しいことなんて何も出来やしねぇ。目の前に問題が転がってて始めて俺はこうだろって動き出せるに過ぎねぇ。こんなヒョロガリの俺がデカいことをなし得ましたーなんて出来るわけがねーんだよ。目の前にたまたま俺が解決できる問題があった。それに俺はちょっとだけ口と手を出した。それを信じてここの奴らが動いてくれた。それだけだ。そしたら出来た。そして成果が出た。それだけなんだよ」
千春の右手がぐしゃっとディルクの前髪を撫でる。
「俺もそうだったけど、お前もこんなもんだって決めつけんの一瞬だけやめてみて、一回ゼロ視点で周り見てみろよ。意外と固定概念に縛られてるだけで目の前にすげぇもん転がってることあるぞ。俺もここに来てそれを思い知って噛み締めてる。変われる時に変わらねーと、新しいもん手にはいんねーぞ」
千春は立ち上がってポケットから魔鉱タバコを取り出して新しいスティックを差し込んで加熱を待った。
「は、だっせ、喋りすぎた」
すぅ、はぁとタバコを吸う千春の耳が少し赤くなっていることに気づいたヴォルフは静かに口端を上げた。
右手にタバコを持って、左手をパーカーのポケットに突っ込みディルクに背を向けて、
「とりあえず領主館かえろうぜ」
と、声に出したところでディルクが、ガバっと立ち上がった。
「…!千春殿!わがヴェルディアンに来ませんか!」
「…は?」
「…なに?」
ディルクは振り返った千春の両手を胸前でつかみその目をぐいっと覗き込んできた。
「…それはどういう意味か答えてもらうか、そして千春の手を離せ」
ヴォルフは今度こそ本気で光を消した金眼でディルクを睨み、ディルクの手をはたき落として千春を抱き寄せた。
「狭量だぞシェイディアン領主、千春殿の知識やお人柄はシェイディアンだけが独占するには惜しいものだ、わがヴェルディアンは豊かな領地だがそれ故の問題もあるのも確かだ。だが、問題を解決していただきただけではない。その知識、お人柄、全てにおいて千春殿は素晴らしい。報酬が必要ならそれ相応のものを用意します。生活も必要なものもすべて一級品、いや、千春殿が望むもの、望む形ですべて揃えさせていただく!後悔はさせません!千春殿、ぜひわがヴェルディアンにお越しください!そのお体ではこのシェイディアンの冬は堪えましょう!芽吹きの春、そして恵みの秋のヴェルディアンに起こしいただければきっとご満足いただけ…ぶふ」
ヴォルフの大きな手がディルクの顔をそのまま鷲掴みディルクの言葉を遮らせた。
「千春はどこへもやらん、そもそも千春は我らが領地ダクネスの加護を受けているのだ、シェイディアンにいるのが一番いい」
「は、千春殿は身体は女性ではないか!ダクネスの加護もどこまで千春殿を守ってくれるかわからんではないか。わが領地に来れば我らのガイア様が千春殿に新しい加護をもたらしてくれるやもしれん。そうなればシェイディアンに縛り付ける理由などないぞ」
「おい、お前ら…」
千春の頭上で背の高い二人が延々と千春はどこに住むのが一番いいのかを言い争っている。
そして千春の声は届いていない。
「ああぁぁぁもううっせぇお前ら!人の頭上で勝手に話進めんな!俺が住む場所は俺が決める!お前らがぎゃあぎゃあ口出しすんな!デコスケ!馬車呼んでやるからさっさとヴェルディアン帰れ!ヴォルフ!邸帰るぞ!俺は寝る!」
温室をでる千春を追いかけるようにヴォルフはついていきつつ、ディルクを振り返った。
「だそうだ、千春が帰る場所は私の邸だ」
「…おのれヴォルフ・ガング・シェイディアン…!千春殿!私は諦めませんからね!いつかあなたにヴェルディアンに住みたいと言わせてみせますので!!」
「うるっせぇ!お前ら二人ともめんっどくっせぇんだよ!!」
広大な農地の真ん中で千春の声が響き、農作業に勤しんでいた領地の女たちが顔を見合わせ、今日も千春様はお元気ね、と笑いあった。




