第4話「埃を被った記録と混ざり合う熱」
古紙とインクの匂いが、冷たい空気に重く沈殿している。
城の奥深くでノアが見つけたのは、迷路のように入り組んだ巨大な書庫だった。
天井まで届くマホガニーの書架には、無数の書物が隙間なく並べられている。
そのどれもが、分厚い埃の層に覆われていた。
窓から差し込む青白い月光が、宙を舞う微小な塵を浮き彫りにしている。
ノアは指先で革張りの背表紙をなぞった。
ひときわ古びた装丁の一冊を引き抜く。
乾燥しきった羊皮紙が擦れる音が、静寂な空間に響き渡った。
それはこの城の歴史と、歴代の主について記された年代記だ。
色褪せた文字をゆっくりと目で追う。
ページをめくるたびに記されているのは、血生臭い闘争と冷酷な処刑の記録ばかりが続く。
しかしある時期を境に、記述の性質が唐突に変化していた。
アルカディアが王座に就いた後の記録だ。
そこにはただ彼に仕える者たちが、老いや病で次々と土へ還っていく事実だけが淡々と綴られている。
新しい命が生まれることはなく、ただ死だけが城を通り過ぎていく。
最後のページには、静寂だけが王の伴侶であると短い一文が残されていた。
掠れたインクの跡に、ノアは胸の奥が締め付けられるのを感じる。
背後で空気がわずかに冷え込んだ。
振り返ると、書架の影にアルカディアが立っていた。
足音は全く聞こえなかった。
闇に溶け込むような黒い外套が、床に濃い影を落としている。
赤い瞳が、ノアの手元の書物を捉えた。
「つまらない作り話だ」
低く冷たい声が、埃っぽい空気を震わせる。
アルカディアがゆっくりと歩み寄ってきた。
氷のようなαのフェロモンが、ノアの鼻腔をくすぐる。
ノアは書物を胸に抱いたまま、壁際へと後ずさった。
背中が冷たい石積みの壁に触れる。
逃げ場はなかった。
アルカディアの長い指が、ノアの顎を捉える。
抵抗する間もなく、顔を上へと向けられた。
冷たい肌の感触に、ノアは身をすくませる。
アルカディアの顔が近づき、鋭い牙が白いうなじへと突き立てられた。
二度目の吸血だった。
肉を裂く微かな痛みの直後から、甘美な痺れが全身を駆け巡る。
アルカディアの牙を通して、濃密なフェロモンが直接血管へと注ぎ込まれていく。
ノアの体温が急激に上昇した。
Ωとしての本能が呼び覚まされ、甘い花の香りがノアの皮膚から滲み出す。
呼吸が浅くなり、喉の奥から熱い吐息が漏れた。
ノアの指先が、アルカディアの冷たい肩を強く掴む。
自分の熱を相手に押し付けるようにしがみついた。
アルカディアの喉が微かに鳴る。
血をすする音が、静寂の書庫に生々しく響いた。
冷酷な捕食者であるはずの彼の手が、不器用にノアの背中を支えている。
その手のひらから伝わる微かな震えを、ノアは確かに感じ取っていた。
永遠の孤独を生きてきた王の身体に、ノアの熱い血が流れ込んでいく。
凍りついていた何かが、ゆっくりと溶け出していくような感覚があった。
アルカディアが牙を引き抜き、ノアの首筋を冷たい舌で舐め上げる。
「……酷く、甘い」
掠れた声が、ノアの耳元をくすぐった。
アルカディアの赤い瞳にはかつての無機質な冷たさはなく、微かな熱が宿っている。
ノアは荒い息を繰り返しながら、その瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
恐怖はとうに消え去っていた。




