10、「ヨシ」のタイミングの重要性
注記を忘れていたのですが、「仏さまは何もしない」は実際にお坊さんがおっしゃった言葉です。
こちらは主人と単なるお墓参りだったのですが、なぜか誤解されて「仏さま(ご先祖様)は祟ったり悪いことはしませんよ」と。
何か悪い事があってご先祖様のせいにしてお墓参りに来たと思われたらしいです……
怖いのは生きている人間だ。
死んだ人が何か出来るなら、この世には犯罪なんてそうそう起こらない。
ユキちゃんの言う通りだ。
というワケで、現在わんこ状態。
派出所に免許証を届けに行って大急ぎで帰って来て、若い娘さんのうちに泊まるのもアレなので悟君に電話して事情を話してわんこ姿にしてもらった。
「体、大丈夫なの? 痛かったりつらかったりしない?」
「晩ご飯しっかり食べた後なら問題ないよ」
わんこ姿でお泊り案にユキちゃんは心配そうに聞いてくれたけど、わんこ姿の方が気が楽だし。
生きている人間がやっぱ一番怖いよな、と。
『大変だったねー。朝になったらヨシって言ってやってくれる? ユキちゃんが許可しないと戻れないようにしとくから』
そう悟君はユキちゃんに明るく説明した。
前回のようにベッド脇の床で寝ようと思っていたのだが。
「上でいいよ」
短パンにTシャツ姿の若い娘さんに言われて思わず耳を伏せた。
いやー、姿は犬なんだけど中身が健康な男子なもんで、それはちょっとマズいんだよね。
「また蜘蛛とか出たら困るでんでしょ?」
言われてベッドに飛び乗ったら笑われた。
別にユキちゃんちが汚いという訳ではないんだけど、前例を思い出してベッドの下にいる気がして怖くなったんだよ。
やっぱ人間はこうなんだよな。
もしかしたらいるかもしれない、って思うだけで怖くなるいきものなんだよ。
そしてやっぱユキちゃんも一人で寝るのは怖かっただろう。
さぁ、これでゆっくり寝られるぞー、と思ったのに。
「……ユキちゃん」
「ごめん……」
シングルベッドに成人二人が並んで寝るのはわりといっぱいいっぱいなんですけど。
なんで寝る前から「許可」しちゃうんだよ!
もー、また悟君に電話しなくちゃじゃん!
「もとはと言えば私が外でいらん事言ったのが原因なんだし、迷惑かけて申し訳ないし、こんな状態だし、なんかホント申し訳ない一心で、なんか少々別にいいかなって思っただけなんだけど」
ベッドで二人横になって並んだままユキちゃんはぼそぼそと言い訳をしているが。
まあ確かにそれで解呪されるとは俺だって思わないけども。
まさか「ヨシ」って口にしなくても有効なんて俺もユキちゃんも知らなかったけども。
けれどもね!
「あのねぇ、好きな女の子の横で寝る俺の身にもなってクダサイヨ。それなのに『別にいっかな』って誰でもいいみたいに」
「それは初耳なんだけど。ていうかヨシってなっちゃったんだからしょうがないじゃない。それを誰でもいいみたいに言うとかどうなの」
怒られた。
なんでこの状態で俺が怒られるんだろう。
ていうか。
ヨシなのか。
「……もしかして俺、ハナから犬にならなくても良かったりした?」
「……だね」
それを応と受け取ってユキちゃんに思いきり抱きつく。駄犬なもんで。
ユキちゃんが強がりで意地っ張りで怖がりだって事を忘れていた。
額、頬、鼻の頭。唇以外のいたる所にキスをして力いっぱい抱きしめる。
「そっちが恨まれるかも」
ぽつりとユキちゃんが呟くけど、そんなにつらそうにしなくていいのに。
「だいじょうぶ」
そういうのは慣れてるし、むしろそっちの方が都合がいい。
こっちに矛先が向くのならどうとでも出来る。
とてもそんな事は言えなかったけど、察する物があったらしい。
「あいつ、どつきまわしたらよかったかな」
ユキちゃんが低く物騒なことを言うので慌てる。
「いや、ソレたぶん喜ばせるだけだから」
ますます執着される事になりそうな、一番の悪手だって。
「殴ってやりたい」
なおも不穏な事を言うユキちゃんの頭をぽんぽんと撫でる。
あの男のロープを見た時、本当に足腰立たない目に遭わせて男性機能も使えないようにしてやろうかと思った。
近所の寺のジイさんは近所の子供に居合いと空手を組み合わせたオリジナルの体術を教えていた。いつも「体術は暴力のために教えるんじゃない。それでも必要な時は最低限しか使うな」って毎回言ってた。あれだけ散々言われてなかったらやってた。ジイさんありがとう。
ユキちゃんに腕まくらして抱きしめながらジイさんとの思い出に浸るよう努力すること数分、ユキちゃんの吐息が寝息に変わったことを確認してやっとこちらも一息ついた。
地獄のような悶々とした時間だった。
今夜はゆっくり眠ってもらいたい。人が側にいて安心して眠れる状態はいまのユキちゃんにとってきっと貴重だろう。
ただ。
ユキちゃんに一緒に寝てもいい相手と認められたのは嬉しいけど、これならわんこの方がラクだったなー
俺、眠れるかなー
※
後日、ユキちゃんがお礼にと干物を持って来た。ユキちゃんの家の冷凍庫にもまだ入っているというから結構な量だ。
実家から送られてきたという干物は大きくて肉厚で、こっちで買うと一枚千円位しそうな立派なものだった。早速だけど晩ご飯にいただくことにしよう。
「ほのかさん、夏休みあるの? 実家帰ったりする?」
魚焼きグリルから焼けた干物を出しながらユキちゃんことほのかさんに尋ねる。
ほのかさんだよ?
めちゃくちゃ可愛くない?
本人は嫌そうだけど、強がりさんなのにこのお名前。なにこのギャップ。聞いた時は悶えそうになった。
ほのかさんはレンタカー屋さんにお勤めだから世間がお休みの時は繁忙期で、特にお盆は本当に忙しそうだった。
「実家帰るなら言ってね。ご挨拶行ったついでに干物買って帰りたい」
白米を口に運びかけたまま、ほのかさんは唖然とした表情で固まる。
「なんでうちの実家に一緒に行く前提なの」
「たぶん近いうち一緒に住む事になるだろうから、挨拶だけしといたらスムーズかなと思うんだけど」
「え、こわっ、そんな話してないよね」
彼氏を妄想ヤロウみたいに見ないでほしい。
「だってほのかさん怖がりじゃん。俺もほのかさんいると虫に怯えなくて済むし」
「それがホンネか」
なじられたけど、照れ隠しだと分かっている。照れ隠しのはずだ。たぶん。
「ゴキホイホイ振り回しながら持って帰ってくれた時に、あ、この人しかいないなって」
「え、こわっ、そこから?」
めちゃくちゃひいてるけど、ご飯も寝るのもほぼ毎日一緒なのに何を言っているんだろう。
「そもそもそんなに怖がりなのに良く独り暮らししようと思ったよね」
「島に働き口なんて無いから仕方ないのよ」
うわぁ、それはほのかさんにとってはキツイ現実だっただろうなぁ。
「あ、血は薄まってるから心配しなくていいからね」
「聞いてない!」
わんこ姿の時って普通は通行人とかにはスルーされるようになってんだよ。じゃないとしょっちゅう犬好きの人に保護されたり保健所行きになっちゃうじゃん?
家の前で途方に暮れてたわんこ姿の俺に声を掛けることが出来たほのかさん。
ほんと情が深いのもあるんだろうけど、わんこ姿の俺を認識できた時点で、相性抜群ってことなんだよ。
「うわー、島かぁ。すごい楽しみなんだけど」
「うち、田舎だから虫すごいよ」
うきうきと言ったらほのかさんに淡々と言われた。
「…………」
絶句して色々想像し、知らなきゃ良かったと後悔する。
「……うん、頑張る」
しばらくしてからなんとかそれだけ答えたら、じっとこちらの様子を観察していたほのかさんにふっと笑われる。
「行くなら虫の少ない冬ね」
そう言って笑顔を見せたほのかさんについキスしようとして、食事中はやめろと避けられた。
どうせ朝まで一緒だ。
食器の片づけとかなんやかんや終わってから、いっぱいしよう。
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