第三十話 消極的な協力者
静かにドアを開けて、生徒二人が数学準備室へと入って行く。
雨宮ケイと近藤シズクの二人だ。
あいにくと部屋の中は空っぽで、待つ必要があるようだった。
二人は黙ったまま、教師達が休憩に使うであろう背中の部分が妙に色あせした茶色のソファーに隣り合って腰かける。
そして、どちらからとも無く手を絡ませる。人気が無いとは言え、キスまでする事はなかったが。
二人とも基本的には黙ったままなのだが雰囲気だけでも、甘々なのがすぐ分かる。一緒に座っているだけというのは、高校生にしては大人しすぎる気もするが、
シズクのペースにケイが合わせているのだろう。シズクは頭だけケイの方に寄りかかって、繋いでいない側の手で自分の髪をいじっていた。
「……ごめんな。二人とも、お待たせちゃって」
ちょっと、声の頭が引きつったように震えていたので、もしかしたら二人に気づいて声をかける瞬間をためらっていたのかもしれなかった。
「いえ、そんなに待っていませんよ。先生」
待っていた雨宮の方が堂々としているので、本当に何も無かったようにさえ見える。
バカップルは気にした方が負けというやつである。
シズクの方は若干、もたれた時に崩れた髪や制服を整えるのに焦っていたが。
本当は、ダメなんだけどな。などと言いながら担任の教師は、二人の前にインスタントのコーヒーの入ったマグカップを置く。
3人とも柄も形も違うちぐはぐなマグカップのうち、白くて無骨な物を選び、黒々としたコーヒーに一口だけ口を付けて、雨宮が切り出した。
「大神君には、これ以上あの夜の事を探らないように言っておきました。本当は、僕が言わないといけなかったんですが、
最終的にはシズクが釘を指してくれたので大丈夫だと思います」
担任は笑いながら応じた。
「わざわざ、時間を取ってそれを言いに来てくれたのか?ありがとうな面倒な事を頼んで。
雨宮も近藤も、当事者なのに協力してもらって、助かったよ。先生じゃうまく大神君をあしらえ無かっただろうしね」
若いせいか、時々生徒に対して友達のような口調で喋る先生は、自分の生徒を”あしらう”などと言いながら、コーヒーを口に運ぶ。
「本当は、この件については、綿密に調査しないといけないとは思ってるんだがね。
ただ、やった側はともかく、やられた側も調査を望んでいないとなれば、こういう大人な解決
……いや、ただ狡いだけかもしれないが、解決も仕方ないと思っていてね」
「僕もシズクも、賛成ですよ。だから、大神君の説得にも乗ったんですしね。
でも、学校としては問題になっていないのですか?夜の学校にたとえ生徒だとしても人が入ったとなったら、大変でしょう?」
「学校側は殆どの被害を認識して無い事になってるよ。それぞれの家に送り届けられた10人は、
飲酒はした事になってるけど、学校に居たとは疑われてはいないし、遊びの中でハメをはずしてと思われてるんだろうな。
ちょっとはあると思っていた保護者からの抗議の電話も今の所無いしね。
学校は、生徒が肝試し目的で夜間の学校に立ち入ったという事だけで動いているから、警備の強化と朝礼での注意だけだろうね」
ことも無げに言う担任は、コーヒーをぐいっと飲み干し、自分用に二杯目をいそいそと作り始める。
「そうでしたか。という事は、僕たちが縛られた痕跡や、使用された注射器や恐らく僕達を移動させるのに使った車
も、見られなかったという事ですね?」
先生はコーヒーをかき混ぜていた、スプーンを真っ直ぐ立てると釘を指すように言った。
「こらこら、詮索しようとするんじゃ無い。大神君に言った事は君たちにも同じなんだぞ。
この件は、無かった事にしようと考えている人が大半だ。
悪い夢だったと思って、忘れるが吉だよ。でないと、逆に人を傷つける事になるかもしれない」
雨宮と近藤は憤慨した表情で見返す。
「それぐらいは、分かってるってか。まあ、そう怒るな。一応注意しただけだ」
「あ、あの先生、一つだけ教えて欲しい事があります」
それまで、黙っていたシズクが突然口を開く。
「なんだい?事件の事で無ければ応えるけど」
「先生は事件に消極的に関わっていますよね?何でですか?」
近藤シズクの言葉に、教師は顔をしかめた。
「さっきと同じ事を言わせないでくれよ。近藤。分かってるだろ?その話はもうおしまいだ。
気になるのは分かるが、ずっと気にしていても仕方の無い話だろう。俺が関わっているのは、
早く事件を忘れさせる事くらいだよ」
「そうでしょうか?先生は既に三条さんから私達が体験した内容を聴いているそうですが、では、お聞きしますけど先生は、犯人を誰だと考えているのですか?」
先ほどより一層険しい顔になった教師は、腕組みをしたまま答えた。
「ここだけの話で、個人的な意見で言うと、うちのクラスの生徒の大部分だろうな。
何人かは知らないが、少なくとも10人位は噛んでいると考えている。いや、学校に拘束された人数が10人だった事を考えると、
もっと多いはずだな」
「それだけですか?」
「それだけ、だと思うが。いや、まだ居るな。車を運転できる人間が最低でも3人位は必要だろうからな。その辺は兄弟かOBにでも頼んだんだろう」
まだ腕は組んだままで、めんどくさそうに足を組む。
横で見ている雨宮の方が先生を怒らせないかとハラハラしている。
「少なくとも、生徒のうち犯人の一人は分かっていますよ」
シズクはなんの前触れも無く言った。
教師は顔だけで先を促す。
「前田さんです。彼女の家系は医者ですから、睡眠薬の類はどうしたって普通の手段じゃ手に入れられませんから。
静脈注射もそうです。普通の一般人がそう簡単にはできないと思いますよ。糖尿病なんかで、たまにできる人もいますが、
普通そういう人は自分に注射するだけで人に打ったことは無いはずですし……。あの夜は実際に彼女が打ったのでは無く、
恐らくは看護師の資格のある人に協力したもらったのでしょう。流石に危険な事はできませんから」
「なるほど、そこまでは考えていなかったが、確かにその可能性は高いな。だが、繰り返しになるが今後学校の内外を問わずに、
この事件の事で話すのは禁止だ。特に、前田が犯人ということは被害者達には広めないように」
先生は最初は、シズクの推理に関心していたが、最後にはきちんと釘を刺した。
「それは、分かっています。今の話はあくまでも、生徒達だけが起こした事件では無くもっと色々な人が関係しているという事が
言いたかっただけです。それに私は、先生の協力無しにはこれは実現できないと考えているのです」
「シズク本当なのか?」
先生が言葉を挟む前に、雨宮が口を出したので話が続く。
「うん、そうよ。そもそも、普段の学校はね。私達が目を覚ました時間には未だ人が居る事が多いの。
だから、あの夜あの時間に私達の他に学校に人が居なかった事は奇跡的な偶然なのよ。
そうじゃ無ければ叫んだ声が聞こえたはずだもの。
先生。あの夜は何で夜9時前の時点で誰も居なかったのですか?」
「……たまたま先生達の1学期の打ち上げをする日だったんだ。だから、早めに学校を閉めたんだ」
「その事を知って居たのは?」
「特に秘密にして居たわけでは無いからな。生徒の中にも知っていた人が居てもおかしくは無いな」
「確かに知っている生徒は居たかもしれませんが、そもそも意図的に知らされて居たのでは無いですか?」
「先生がうちのクラスの生徒にわざと教えて居たというのかい?」
不満そうな顔を浮かべながら、心外だというように不満そうな顔をする。
「まあ、その部分は先生の協力が必須では無いのですが。10人の人を学校内に隠しておく事に関してはどうなんでしょう?
私達が知っている限り夜8時すぎの時点で、うちのクラスに拘束された状態の人が10人も居ました。先生達が学校全体を施錠確認した後で犯人たちが、
学校に侵入し、どこかに拘束してあった10人の人間を運び込む……というのは流石に難しいでしょう。
時間があまりに無いという事と、10人もの人間をうちの教室に移動させるという事をそこで選択する理由が無いのですから」
「うん?シズクちょっと説明が分からない。10人の人間を移動させる必要が無いってどういう事?」
雨宮が不思議そうな顔をしている。
「単純にあのゲームをやらせるだけなら、わざわざ私達の教室でやる意味があまり無いの。
体育館とか、視聴覚室とかどこかで10人を隠していたにしても、教室という意味ではうちの教室に来る前に他の教室を使う事ができる。
如月さんの事を考えさせる場として、うちの教室が適切だったという事はあると思うけど、
そのために、全員をわざわざ運ぶのは、手間がかかり過ぎてるって思う。だから、うちの教室が場所になって居たのは別の理由があるのよ。
例えば、初めから全員をうちの教室に隠しておき、施錠を確認する時だけ教師を上手いことかわすとかね。
あの日、誰が学校内の施錠を確認したのかは分からないけど、私は先生だったと思ってる」
「私が施錠を担当していたとすれば、上手い事を言って私を追い払う事も可能だったという事だね。
まあ、クラスの生徒がその教室に居る事は当然だし、私が居る間10人はベランダにでも出しておいて、
”先生!窓の鍵はおっけーですよ”とか言っておけば、確かにそのままやり過ごす事は可能だろうね」
まるで他人事のように言う教師の口元は若干笑っている。
「つまり、先生は消極的に計画に加担して居たのです。まあ、とぼけてしまえば追求できない程度の協力ですけど」
そう言って、シズクは微笑む。
教師もそれに合わせて微笑んだ。それは、暗に協力を認める物だった。
「どうして協力をしたんですか?生徒達の暴走に任せてしまえば、最悪の場合暴行や傷害事件に発展してもおかしく無かったでしょう」
「私は、協力はしていないよ。それに、生徒達がそんな事をするとは知・ら・な・か・っ・た・からね。
施錠をの確認を自分でやらなかった事は不注意だったとしても、それ以外には問題のある行動もしていないしね。
あえて言うなら。私も気になっていた事だろうか」
「気になっていたというのは?」
「自分の生徒で自殺者を出したのは、初めてだったからね。正直に言わせて貰えば、私も悩んだんだよ。
如月さんの死に方についての情報など曖昧な所が多かったからね。
だから、死んでしまった理由をもっと知りたかったのかもしれない。
彼らが何であんなゲームのような事をしたのか知っているかい?
結局、罰を与えようとした彼らも本当に罰するべき人が誰なのか本当は分かって居なかったんだよ。
それを知るために、わざわざあんなゲームめいた事をさせたんだろう。そして、それが分かった時点でゲームとしては終了したんだろうね。
方法は危なかったが、事実はある程度分かったし、今となってはあんな事は無かった方が良かったと考えているよ」
教師は、立ち上がると。
シズクとケイの前にあるカップを片付け始めた。
ここが潮時だと感じた近藤シズクと雨宮ケイは、教師に頭を下げた。
最後に雨宮ケイが告げる。
「色々教えてくださってありがとうございます。事件について大体の内容が分かりました。これからもう、この事を話題にする事も無いと思います」
二人が退場した部屋の中で一人、先生はコップを洗う体制で考え事をしていた。
流れる水も意に介さないで、口から一言こぼれた。
「如月、やっぱり私のした事は間違っていたのだろうか」